114 もう一人の裏切り者

「なっ、何故だ!? 何故、あの屋敷に残っている筈のお前がここにいるのだ!?」


 アメリアがもう一人の協力者として呼び出したのはジグムントに仕えていたあの執事だった。


「いっ、一体なにがどうなっているのだ!?」


 だが、当のジグムントはまるで訳が分からないと言わんばかりに、困惑の表情を受かるばかりであった。まさか、執事がアメリアの協力者だったとは想像もしていなかったのだろう。彼は明らかに狼狽した様な様子を見せている。

すると、アメリアはクスリと笑った後、手の先を彼に向けながらおもむろに口を開いた。


「では、ご紹介いたしましょうか。この方が私のもう一人の協力者です。彼が一体誰なのか、貴方には言うまでもありませんよね」

「……っ」


 アメリアと共におり、彼女が自分の協力者として紹介したという事は彼もアリアスと同じく裏切り者だったのだろう。

 しかし、それでも彼には分からない事があった。


「だ、だが、お前は一体どこで私を裏切っていたのだ!?」


 そう、ジグムントにしてみれば、執事の今迄の行動に怪しい所など一切見受けられず、執事が何処で自分を裏切っていたのか見当が付かなかったのだ。

 しかし、アメリアはジグムントのその言葉にクスクスと笑みを浮かべる。


「ふふっ、よく思い出してください。貴方は今ここに至るまで、自分の行動全てを己の意思で決めてきましたか? 自分の意思で決めてきた事はその実、誰かの言葉に誘導されてはいませんでしたか?」

「……待て、まさかっ!?」


 よくよく考えれば、アメリアの手から逃れる為に何処かに隠れるという提案をジグムントにしたのは彼であり、アリアスとの繋ぎを作り、交渉していたのも彼である。     そして、アリアスとアメリアが屋敷の玄関で会っているという報告をしてきたのもこの執事であったのだ。つまり、今回の一件で起きた出来事の全てにこの執事は何らかの形で関わっているのだ。

 だが、執事が最初からアメリアの側に付いていたという事が分かった今になって考えれば、彼の行動に秘められた本当の意味が自ずと見えてくるだろう。


「まさか、私の今迄の行動は全てお前の掌の上だったとでも!? 私はお前が書いた脚本の上で踊らされていたとでも言うのか!?」

「ふふっ、やっと気が付いたのですね。ええ、その通りです」


 そう、今回、アメリアが用意したこの舞台で執事に与えられた役割とは、ジグムントを上手く誘導し、アメリアの脚本通りに彼を動かす事だったのだ。


「だが、何故だ!? お前は何故私を裏切ったのだ!?」


 ジグムントにしてみれば、彼は先代の頃からステイン伯爵家に仕えてきた最側近だ。だからこそ、彼は執事が自分を裏切った理由に皆目見当が付かなかった。

 すると、アメリアは不敵に微笑みながら何処からか一冊の帳簿の様な物を取り出し、それをジグムントに見せびらかす様に数度ほどハタハタと振った。


「彼が貴方を裏切り私の側に付いた理由、それはこれですよ」


 そして、アメリアはその帳簿をおもむろにジグムントの足元へと投げ捨てる。だが、彼はアメリアが投げ捨てたそれが何なのか、全く分からず、困惑の表情を浮かべる。


「なんだ、これは……?」

「それは、アリアント商会が貸している借金の帳簿ですよ。貴方とそのアリアント商会がどういった関係なのかは言うまでもありませんよね」


 そう、ジグムントはこの帳簿の持ち主であるアリアント商会の事を知っていた。寧ろ、大いに関わっていったと言っても過言ではないだろう。ジグムントがこの商会を知っている理由、それは彼がアリアント商会からから多額の金を借りていたからだった。


「だ、だが、この帳簿がなぜお前の裏切りと関係しているのだ!?」

「それはその帳簿の最後のページに記された内容を見て貰えば分かると思いますよ」


 アメリアの言葉でジグムントは慌てて地面に置かれている帳簿を手に取り、その最後のページを開いた。


「……っ、これ、は……」


 そこに記されていたのはジグムントがアリアント商会と交わした一つの契約の内容だった。

 その契約の内容を簡単に言うのなら、アリアント商会はジグムントに金を貸すが、その借金を返済できなかった場合、アリアント商会の商会長の娘をジグムントの息子と婚姻させ、その子供を伯爵家の後継にさせるというものだった。

 しかも、この契約通りなら、借金を返済できなかった場合、伯爵家の実権の殆どはこのアリアント商会に握られる事になるだろう。

 この契約は、端的に言うならステイン伯爵家そのものを質に入れるような契約だったのである。


「彼が裏切るのも当然ですよね。貴方はステイン伯爵家を質に入れたも同然なのですから」


 また、ジグムントがアリアント商会から借りた借金はこれだけでは無かった。彼はアリアント商会からこの契約以外にも何度も何度も金を借りていたのである。しかも、その額の合計はマクレーン伯爵家が抱えていた以上の額にも上っているだろう。そして、その借金の原因の大半はジグムントの抱えていた浪費癖にあった。

 彼の浪費癖はそれはもう本当に酷いもので、先代やその祖先達がコツコツと積み上げてきた家の財産を食いつぶした程度の事は序の口であり、税の横領に手を染める事や、それでも金が足りず、返済の当てもないというのに今も無理な借金を何度も何度も重ね続ける事もあった。

 そうして、ジグムントが作ってきた借金は膨大な額になっており、今や伯爵家の税収数年分以上にも上っている始末であった。

 更に、その膨大な借金の事はジグムント本人しか知らず、彼の側近達は借金の事は知っているが、その借金は許容範囲内程度でしかしていないと思っている。故に、彼の側近達は伯爵家の財政が改善不可能な程に致命的な状態に陥っているという事には一切気が付いていないのだ。


 また、ジグムントがアメリアを裏切った理由もそこにあった。嘗ての彼は自分の元に来たアメリアの引き渡しの対価として、自身が抱えていた借金の肩代わりと協力の報奨金をエルクート王国に求めたのだ。だが、アメリアはその事を事前に知り、追っ手に捕まる前にジグムントの屋敷から逃げ延びた。その結果、アメリアを逃してしまったという事でエルクート王国からは協力の報奨金を支払われず、借金の肩代わりも当初の約束の半分程度しか肩代わりしてくれなかった。


 そして、それからもジグムントの浪費癖は治らず、借金を重ね続け、とうとう借金で首が回らなくなった彼は遂に自分の最大の財産とも言える爵位に手を付け、先程のような契約を交わしてしてしまった。それも、側近達にはその事を相談せず、自分一人で決めて、その借金の契約に関しては徹底的に隠蔽する念の入れ様だった。


「彼はこの事を知らなかったようでしてね。この馬鹿な契約の事を教えたら、快く私への協力を約束してくださいましたよ」

「…………」


 そして、アメリアのその言葉に彼女の隣にいた執事は無言で肯定の意を示すように首を縦に振る。この執事がジグムントを裏切りアメリアの側に付いたのか、それにも当然の様に理由があった。

 彼は幼い頃、ジグムントの父である先代のステイン伯爵に命を救われた事があったのだ。だからこそ、彼の本当の忠誠は先代に捧げられているのである。執事がジグムントに従っているのは、彼が先代の子息だからなのだ。

 そんな彼にしてみれば、先代達が積み上げてきた財産を食い潰すどころか、自らの散財で出来た借金に苦しんだ末にステイン伯爵家そのものを質に入れる様なジグムントの行為は彼にとっては自分の信頼への裏切りとしか映らなかったのである。だからこそ、アメリアからこの借金の契約の事を聞かされた彼はジグムントを裏切り、彼女に協力する事を選んだのだ。


「このっ、裏切り者がぁ!!」


 しかし、どんな理由があろうとも、ジグムントにしてみれば執事の行為は裏切りそのものだ。だからこそ、その全てを聞かされたジグムントは執事に対して裏切り者と荒々しげな声で罵った。

 しかし、彼は今の主であるジグムントを裏切り、アメリアの側に付く事を選んだ時から、ジグムントに裏切り者と罵られるのは覚悟していた故にジグムントのその言葉にも臆する事なく反論をする。


「先に私の信頼を裏切ったのは貴方でしょう!! 先代達が守り、受け継いできた伯爵家を貴方は一体何だと思っているのですか!!」


 ジグムントの言葉にそう反論する執事の声には何処か悲しみが含まれていた。それは、先代の子息であるジグムントを裏切ってしまった事への悲しみ、先代が守り抜いてきた伯爵家を他者へと売り渡そうとしていたジグムントへの悲しみ、その二つの悲しみによるものだろう。

 しかし、執事のその悲しみの思いはジグムント本人には一切届いていない。彼の心の中には自分を裏切った執事への怒りに満ち溢れていたのだ。自分が最も信頼していた側近という事もあるのだろう。その怒りの感情は先程までアリアスに向けていた物よりもかなり大きかった。


「ステイン伯爵家は既に私の物だ!! 私が家をどう扱おうが私の勝手だろう!!」

「っ、このっ!!」


 流石にジグムントのその物言いには我慢が出来なかったのか、執事は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべた直後、腰に挿してあったレイピアの柄へと手を掛ける。


「はい、そこまでです」


 だが、その直後の事、アメリアは執事がこれ以上の勝手な行動を起こさない様に言葉で動きを制した。


「約束と違うでしょう? 貴方は手を出さない、という約束だった筈です」

「……そうでした。申し訳ありません」


 アメリアの制止の言葉で執事はレイピアの柄から手を離し、アメリアに向かって恭しく頭を下げる。礼儀作法をしっかりと弁えているだけあって、彼のその動きには無駄が全くなかった。


「さて、役目を終えた貴方達を元の場所に返しましょうか。先の約束通り、後は私に任せていただきますよ」


 アメリアの言葉に二人は首肯をする。すると、アメリアは指をパチンと鳴らし、その次の瞬間には二人の姿はこの場から消え去っていた。


 そして、アメリアは二人の姿がこの場から消えた事を確認した後、クスリと笑みを浮かべながら、優雅な足取りでジグムントの目の前まで歩んでいく。


「では、ネタバラシも終わった事ですし、今宵のゲームを始めましょうか」


 そして、アメリアは満面の笑みを浮かべながら毎回の恒例となっているゲームの始まりを告げるのだった。

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