101 黒魔術

 これは、まだアメリアが復讐を始める前にオーランデュ侯爵領で起きたとある出来事である。


 アメリアの侍女兼護衛を務めていたメイア、彼女はアメリアの護衛を務めていた他の者達と同じ様にリチャードに捕まり、オーランデュ侯爵家が秘密裏に所有している牢獄に投獄されていた。

 しかし、ある日、彼女は突如としてリチャードの手によって牢獄から出される事になった。だが、牢屋から出されたメイアの体には鎖で四肢を縛られており、その鎖の先はリチャードが握っている。その為、彼女は一定距離以上、リチャードから離れる事は出来ない様になっている。それは、メイアを自分の元から逃がさないための処置だった。


 そして、そんな状態になりながらメイアがリチャードに連れて来られたのはオーランデュ侯爵領のとある洞窟、その奥の巨大な祭壇がある場所だった。

 だが、メイアはなぜ自分がこんな所に連れて来られてのか、その理由が分からなかった。


「私をこんな所まで連れて来て、貴方達はここで何をするつもりなの……? それに、あの祭壇は一体……?」

「くくっ、知りたいか? ならば、教えてやろう。ここで、黒魔術の儀式を行うのだよ」

「く、黒魔術!?」


 その単語を聞いたその瞬間、メイアは余りの驚きから思わず声を上げていた。


 黒魔術、それは魂を代価に行使できる古代魔術の一種であり、専用の儀式の場と適切な手順を踏む事で生贄となる人物の魂を糧に様々な奇跡を成す事が出来る禁忌の魔術だ。


 リチャードはこの遺跡に残されていた黒魔術の儀式の手順が記された書物を手に入れた。だが、書物の内容はその殆どが散逸しており、書物に残されていたのは他者の魂を代価に、若返りと術者の寿命の延長を成す事が出来るという魔術だけであった。

 しかし、リチャード達にはそれで十分だった。


 若返り、それはある意味では誰もが望むであろう夢物語の様な奇跡だ。何時までも若々しいままでいたい、自らの美貌を長く保ちたい、取り戻したい、他人よりも長く生きていたい。

 その書物に記されていた黒魔術はそんな普遍的な願いを叶える事が出来るのだ。

 そして、侯爵であるリチャードには儀式を行う為に必要な術具の準備も難しくは無い。この祭壇の様な遺跡は黒魔術の為の儀式の場であるとも分かっている。ならば、どれだけの犠牲を払ったとしても、侯爵家の当主として絶大な権力を持つリチャードが儀式を行わない訳がないだろう。


 だが、一度の儀式に必要な生贄は最低でも三十人以上は必要になると書物には記されていた。それ故に、ここで一つ問題が発生した。儀式の生贄として必要な数の人間を一気に集める事はオーランデュ侯爵家の力を以ってしても難しかったのだ。


 無論、人を集める事自体は侯爵家の力を使えば容易だろう。新たに使用人を雇うという名目で領民に募集を掛ければ話は早いからだ。

 しかし、儀式の生贄に使うとなれば話は変わってくる。もし儀式を行った場合、必然的に生贄となった三十人以上の人間が同時に行方不明となるのだ。

 流石にそれ程の数の人間が一度に行方不明、それもオーランデュ侯爵家が集めた者達、となれば自分達には何らかの疑惑の目を向けられかねない。

 公には古代魔術は禁術だ。更に言うなら、生贄を必要とする黒魔術は古代魔術の中でも特に忌避される類の物である。

 だからこそ、儀式は慎重かつ出来るだけ外にこの話が漏れない様に行わなければならない。


 そこで白羽の矢が立ったのは、リチャードが自らのコレクションの試し切り用として連れてきたアメリアに仕えていた護衛達だ。

 彼等はリチャードが裏で手を回して、既に死んだ事になっている。そんな彼等が儀式の犠牲になったとしても、何も問題は無いだろう。故に、リチャード達は儀式の生贄として、アメリアの護衛達を使う事にしたのだ。


「そして、お前はそんな儀式の生贄の一人という訳だ」

「なっ……」


 リチャードから話を聞かされたメイアはその余りの内容に思わず絶句する。


「さぁ、来るんだ!!」


 だが、リチャードは絶句するメイアを余所に無理矢理、彼女を連れて祭壇まで向かっていく。


 そして、祭壇にまで到達したメイアが目にしたのは、地面に描かれた円形の魔法陣の様な物とその魔法陣の端を添う様に倒れているボロボロの衣服を身に纏った男性達の姿だった。

 彼女はその倒れている男性達の顔を見た瞬間、自分が鎖で拘束されているという事も忘れて、彼等の元に駆け寄ろうとする。


「みっ、みんなっ!!」


 そう、魔法陣の倒れている男性達はあの時、主であるアメリアを逃がす為にメイアと共に殿を務めた者達だった。


「みんなっ、みんなっ!! あぐっ!!」


 だが、リチャードは自分から離れようとするメイアを逃がす訳がない。彼女を縛り付けている鎖を引く事でメイアの動きを制していた。

 それでも、メイアは倒れている仲間達に必死に呼びかける。


「みんなっ、みんなっ!!」

「どれ程叫ぼうとも無駄な事だ。ここにいる者達は既に死んでいるのだから」

「っ、そん、な……」


 その言葉を聞いたメイアの表情は絶望一色に染まっている。彼等は共にユーティス侯爵家に仕え、主であるアメリアを守ろうとした仲間達だ。そんな彼等が既に死んでいると知らされて、正気でいられるわけがないだろう。


 また、メイアは知らないが、彼等はリチャードが自身のコレクションの試し切りの果てに死んだ者達である。その為、彼等の体には至る所に刀傷が刻まれている。

 儀式に必要になるのは、大まかに二つ。一つは年若い生きた処女一人、そしてもう一つは若くして死んだ者達の死体だ。

 前者は今リチャードが連れてきたメイアで事足りる。そして、後者は今この場に転がっている彼等だ。リチャードは自分の試し切りで死んだ者達の死体の再利用といわんばかりに彼等の死体をこの儀式の生贄にする事を選んだのだ。


 すると、祭壇の中央から女性のものと思われる声が聞こえてきた。


「あなた、待っていたわよ」

「お父様、その女性がこの儀式の生贄ですか?」


 リチャードにそう声を掛けてきたのは彼の妻であるローザリアと娘であるリリアローズだ。彼女達もこの黒魔術の儀式の参加者であった。


「ああ、楽しみだわ。この儀式で私は若さを取り戻せるのよね」

「儀式が成功すれば寿命が延びるのですよね」

「ああ、あの書物に記されている内容が正しければ、その通りだろうな」


 そして、リチャードはメイアを地面に描かれた魔法陣の中央に無理矢理寝かしつける。


「きゃっ!!」

「さぁ、これより黒魔術の儀式を始めようか」


 リチャードがそう宣言した直後、彼は懐から取り出した短剣で自らの手の平を少しだけ切り裂く。そして、彼は傷つけた手の平から流れ出た血を数滴ほどポタリと魔法陣へと垂らした。

 すると、次の瞬間、彼等がいる魔法陣が輝きだしたかと思うと、その魔法陣の中央から現れた五本の鎖が中央で寝かしつけられているメイアの四肢と首を縛り付けていく。


「あぐっ!!」


 無理矢理、体を地面に拘束された事で、メイアは思わず喘ぎ声の様な物を口から零した。


「さて、まずは私が試してみようか」


 そして、リチャードは先程自分の手を切り裂いた短剣を今度は拘束されているメイアに目掛けて振り下した。


「ああっ、あああああああああああああっ!!」


 その痛みから思わずメイアは絶叫を上げるが、四肢を拘束された彼女にはどうする事も出来ない。

 そして、リチャードに切り裂かれたメイアの体から流れ出た血は周囲に流れ出し、その血は一直線に魔法陣の端に置かれている死体の内の一つにまで到達した。

 すると、その血は死体を覆うように変化して、真っ赤に染まる。その直後、彼等の体からは手の平に乗る程度の大きさの光る球体の様な物が現れた。

 それは、彼等がその身に宿す魂だ。この魔術は術者が生贄の魂を取り込む事で、術の効果である若返りと寿命の延長を成す事が出来るのだ。

 その後、浮かび上がったその魂は術者であるリチャードの体の中へと一直線に飛び込んでいく。


「おおっ!!」


 リチャードが生贄の魂を取り込んだその瞬間、彼は思わず歓喜の声を上げた。それは、衰えていた自らの肉体が在りし日の若々しさを取り戻したのだと確信したからだ。

 年月を重ねた事で衰えていた筈の筋力が元に戻っているのが分かる。顔に刻まれていた皺が綺麗に無くなっているのが感覚としてはっきりと分かる。


「凄い、凄いぞ!!」


 その効果の凄まじさと背筋に走ったなんとも言えない快感に興奮を抑えきれないリチャードは只々歓喜し続ける。しかし、そんな彼の様子に困惑を隠せないのは隣にいる妻であるローザリアだ。


「あなた、どうなの? 黒魔術は成功したの?」

「ああ、素晴らしいぞ!! ローザ、お前も試してみるがいい!!」


 そう言いながらリチャードは術具たる短剣をローザリアに手渡した。そして、彼女は一度だけ息を飲むと、その短剣をメイアの体へと振り下した。

 すると、先程と同じ様にメイアの体から流れ出した血は辺りにある死体の一つに到達し、浮かび上がったその魂はローザリアの体に目掛けて一直線に飛び込んでいく。


「あっ、ああっ!!」


 そして、彼女は生贄の魂を取り込んだその瞬間、思わず興奮した様な声を零した。

 歳月を重ねる度に衰えを見せていた筈の肌にハリや艶が元に戻っている。化粧で誤魔化していた皺も綺麗に無くなっているだろうと信じる事が出来る。

 在りし日の美貌を自分は取り戻したのだという確信が彼女にはあった。


「素晴らしい、素晴らしいわ!!」


 あまりの喜びからか、ローザリアは只々興奮と歓喜を繰り返している。生贄の魂を取り込んだ瞬間のあの背筋を走る快感はどんな言葉であっても表現できなかった。

 もう、絶対に取り戻すことが出来ないと思っていた筈のものを取り戻す事が出来た歓喜が一体どれ程のものか、それはローザリア本人以外には誰も分からないだろう。


 そんな両親の様子を見ていたリリアローズは、自分もこの儀式を試してみたくなった。


「お母様、私も試してみたいですわ」

「ふふっ。分かったわ。やってみなさい」

「ええ、では。 ……えいっ」


 そして、リリアローズはローザリアから手渡された短剣を可愛らしい声を上げながらメイアの体へと振り下した。その瞬間、再び生贄となった者の魂が浮かび上がり、その魂はリリアローズの体の中に取り込まれていく。


「あっ、ああああっ!!」


 そして、生贄となった者の魂を取り込んだその瞬間、リリアローズの背筋には彼女が今までに感じた事が無い程の強烈な快感が走った。

 あまりの快感からか、彼女の口からは嬌声と勘違いしてしまいかねない程の声が零れる。


「凄い、凄い、凄いわ!!」


 リリアローズは興奮のあまり、火照った両頬に手を当てながら、ひたすら悦に浸り続けていた。

 こんな感覚、彼女は今まで一度だって味わった事は無かった。癖になってしまいかねない、病みつきになってしまいそうな程の快感だった。


「素晴らしい!!」

「素晴らしいわ!!」

「ええ、本当に素晴らしいですわ!!」


 その後も三人は今迄に味わった事が無い程のこの歓喜と興奮、快楽をもっともっと堪能する為に、更に儀式を進めて生贄となるメイアの体へと短剣を振り下していく。

 そして、その度に辺りにある生贄となった者の魂が彼等三人へと流れ込んで行く。その感覚に興奮を覚える彼等は再びメイアの体に短剣を突き刺していく。その繰り返しだ。


「おおっ、これはっ!!」

「ああっ、またっ、本当に素晴らしいわ!!」

「あははっ、この感覚、病みつきになりそうですわ!!」


 この狂乱の宴は儀式の生贄となる者達、全員の魂が尽きるまで続いていく。だが、この儀式に捧げられた生きた贄であるメイアの意識は儀式の進行と反比例するように段々と失われていく。


「あ、ああ……。お、じょう、さ、ま……」


 そして、メイアは最後に自らが命を賭して逃がした、自分の主であるアメリアの事を思いながら静かに息を引き取った。その後、彼女の体に残された魂もこの場にいるオーランデュ侯爵家一家三人の体へと取り込まれ、この世から消え去るのだった。

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