88 取引の履行
リンド王国の国王であるアンドルフ、彼はここ最近毎日の様に行われている会議を終えて、執務室へと戻る最中だった。
最近、リンド王国の王城では毎日のように会議が行われている。その理由は至極単純だ。国王であるアンドルフが遂にエルクート王国への侵攻を決断したからである。
その為、リンド王国内では万全を期すために日夜エルクート王国への侵攻の会議が行われているのだ。
「さて、残りの執務を終わらせるか」
そして、アンドルフがそう呟きながら、目の前にある自分の執務室の扉を開き、その中に入った直後の事だった。執務室の中へと入った彼の目に飛び込んできたのは、執務室に置かれているソファーに座り、優雅に紅茶を嗜む人影の姿であった。その人影を見たアンドルフは驚愕の声を上げる。
「っ、誰だ!?」
「ふふっ、お久しぶりですね。アンドルフ・リンド国王陛下」
「お前は、アメリア、か……」
そう、部屋の中にいたのはアメリアだった。その人影の正体がアメリアだったと分かったアンドルフは安堵のため息をつく。しかし、その直後の事だった。
「陛下、どうなさいましたか!?」
執務室の扉の向こう側から慌てた様な声色の男性のものと思われる声が聞こえてきたのだ。恐らくは先程、彼が上げた驚愕の声に反応したのだろう。
「大丈夫だ、なんでもない、少し驚いた事があっただけだ」
「そう、ですか。では、失礼いたします」
だが、執務室の扉の前にいた男はアンドルフの平然とした声色から何も問題は無いだろうと判断し、彼は部屋の前から立ち去っていく。
そして、その直後、アンドルフはアメリアに対して呆れた様な視線を向けた。
「アメリア、お前はもっと真面に来る事が出来ないのか?」
そして、アンドルフは呆れた様な声色でアメリアに言葉を投げかける。そう、彼はアメリアから事前に何の連絡も受けていなかった。
仮にもアンドルフは一国の国王である。本来は事前の約束も無しに会える相手ではないのだ。
だからこそ、彼は「ここへ来るのなら、せめて事前の連絡ぐらいはしてほしい」と言葉を続ける。
しかし、アメリアの側にもアンドルフに対して事前に連絡できなかった事情があった。
「私の今の身分では貴方に連絡する事すら難しいのです。事前の連絡と言われましても、何の身分も持たない私では貴方に取り次いでほしいと言っても、門前払いでしょうから」
そう、今のアメリアの身分は侯爵令嬢では無く、そこらにいる町娘と何ら変わりないのだ。アメリアの言葉通り、そんな人間が正面から国王に会わせて欲しいと頼んでも、門前払いされるのがオチだろう。
だが、それを聞いてもアンドルフの呆れた様な視線は変わらない。
「ならば、事前に私の机の上にその旨を記した手紙を置いておけばよかろう……」
「ああ、その手がありましたね」
アンドルフの呆れた様な言葉を聞いたアメリアは手で口元を隠しながらクスクスと笑う。それは二人にとっては雑談程度の会話だったのだろう。
だが、その直後にアメリアの表情は笑みを浮かべた表情から真剣な表情へと早変わりする。そして、アメリアは改めてアンドルフの方へと向き直った。
アメリアの表情が真剣な物へと変わった事を見たアンドルフもこれから重要な話があるのだと判断し、真剣な表情へと変わる。
「さて、と。先日交わした例の取引、その履行の時が来ました。貴国もエルクート王国への侵攻の準備は殆ど整っているのでしょう」
「……ああ、よく知っているな」
「ええ、取引の事もあります。貴国の侵攻の準備がどれだけ進んでいるか、それを把握しておくのは当然ですから」
「そうか。……では、先日の取引の通り、私はこれから始まるエルクート王国への侵攻の際に一万の兵をお前に預けよう」
アンドルフは一万の兵と言っているが、アメリアに預ける兵の内訳は大半が正規兵では無く、死刑囚や重刑者と言った類の無法者達だ。犯罪者を捕えて刑務所に収容するにも、死刑囚に対して死刑を執行するのにもお金が掛かる。
そういった者達を戦争に駆り出し、戦場で死刑囚や重刑者が死ねば、無理に自分達の汚す必要がないのだから一石二鳥だ。
兵を預かるアメリア自身も事前にそれでも良いと言っていた以上、何も問題にはならないだろう。
「だが、一つ聞いておきたい。一万もの兵をお前は一体何に使うつもりだというのだ?」
「それは……。今はお話しする事は出来ません。まぁ、私の復讐に必要なのだという事だけはお伝えしておきます。詳細は全てが終わった後にお話しいたしますよ」
アメリアのその言葉には明確な拒絶が含まれていた。その言葉を聞いたアンドルフはアメリアがここでは何も語るつもりが無いのだという事は理解できた。
「そう、か。だが、これから戦争の最後の準備に取り掛かる。その為、長くても今から数日は時間が掛かるだろう。お前に預ける一万の兵をこの近くに招集しなくてはならんからな。その間はこの城でゆっくりと休んでいるがいい」
「あら、よろしいのですか?」
「ああ。今度も前回や前々回と同様に、突然来られると流石に心臓に悪い。私に用がある時は、侍女に言えばすぐに私に取り次ぐように指示を出しておく。くれぐれも、何の連絡も無しに私の執務室に突然来る事だけはやめてほしい」
それは、彼の懇願が多分に入っていた願いだった。ある日、自分の執務室に突然事前に約束した覚えのない客人が来るなど、一国の国王である彼には心臓に悪い事この上ないだろう。
だったら、この城に滞在してもらい、用がある時は侍女を通してでも事前の連絡があった方が何倍も良い。そういった目論見から、彼はアメリアをこの城に留めておこうと考えたのだ。
その後、少しすると、執務室の扉がコンコンとノックされる。そして、扉の奥から聞こえてきたのは一人の女性の声だ。恐らく、彼女はアンドルフが予め呼んでいた侍女だろう。
「陛下、お呼びでしょうか」
「ああ、中へ入るがいい」
「では、失礼いたします」
その直後、執務室の扉が開き、この城で働いている一人の侍女が部屋の中へと入って来た。アンドルフは顔を侍女の方へと向けて、口を開いた。
「ここにいる彼女が今日から数日の間、この城に滞在する事になった。彼女を客間まで案内しなさい。また、彼女の事は私の客人として丁重にもてなす様に」
「かしこまりました。では、お客様、客間までご案内いたします」
そして、アメリアはその侍女に先導されながら、この城に用意された客間へと向かうのだった。
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