第五章

87 過去⑤

 これはアメリアがまだ復讐に狂う前、彼女が教会に捕まり、処刑前に救出された後の出来事である。




「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 今、アメリアは自分の周囲にいる護衛達と共に追っ手から逃げる為に今いる森の中を必死に駆けていた。


「お嬢様、急いでください!! 追っ手がすぐそこまで迫っています!!」


 そう声を掛けるのはアメリアの侍女兼護衛であるメイアという女性だった。

 メイアは元々、孤児として孤児院にいたのだが、ユーティス侯爵家が自領で行った孤児の救済計画の一環として、侯爵家に拾われた。

 その後、彼女は侍女兼護衛として必要とされる様々な訓練を受け、今はアメリアの侍女兼護衛として働いていた。

 また、ここにいる護衛達も皆境遇に多少の違いはあれど、メイアと同じ様にユーティス侯爵家に救われた者ばかりである。その為、この場にいる彼等のユーティス侯爵家への忠誠心はかなり高かった。

 それこそ、命を懸けてアメリアを守ろうとする程である。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

「お嬢様……」


 息を切らしながらも必死に走るアメリアの事をメイアを含む彼女の護衛達は心配そうに見つめる。

 今、アメリアを護衛しているメイアやその他の面々はこれまでも戦う為の訓練を受けてきた。

 だが、今の彼等の護衛対象である当のアメリアは貴族令嬢だ。体力に大きな違いがあるのも当然と言える。こうやって息を切らしながら走る経験などアメリアにとっては数える程しかないだろう。


 何故、彼等が馬車も使わずこうして森の中を必死に駆けているのか、それには当然理由がある。

 彼等はアメリアを脱獄させた後、彼女の親類がいる隣国に亡命する為の準備を進めていた。

 しかし、その為には最低限必要な物として移動手段となる馬車が必要だ。だが、アメリアの処刑が迫っていた為、彼等はアメリアを救出する事を優先したのだ。

 その為、彼等は移動手段となる馬車の確保が間に合わなかった。その後、彼等の内の数人が移動手段となる馬車の確保する為に動き、残りは事前に用意していた隠れ家に潜伏して、仲間からの馬車の手配の連絡を待つ事になった。


 それから数日後、彼等の元に仲間達から馬車の手配が出来たという連絡が入ってきた。そして、その連絡を受けた彼等が数日後に亡命を決行しようと決断したその時だった。

 なんと、アメリア達が潜伏していた隠れ家が王国の第一騎士団からの強襲を受けたのだ。


 だが、彼等はその事を強襲直前に察知する事が出来た為に運良く隠れ家を強襲する第一騎士団から逃げ出す事に成功した。しかし、直前までその隠れ家が使われていた事は、隠れ家を調査していた騎士団側もすぐに把握する。そして、その事から、アメリア達はまだこの付近にいる、と判断されてしまい隠れ家の周囲の捜索を始めたのだ。

 その結果、アメリア達は運悪く周囲の探索をしている王国騎士団に見つかってしまい、今現在は王国騎士団からから執拗な追跡を受けている状態であった。


「くそっ、流石は第一騎士団の騎士団長と言った所か……」


 今、彼等を追っている騎士達を率いているのはエルクート王国の第一騎士団の団長も務めるリチャード・オーランデュ侯爵だ。


「くっ、もう少し時間があれば……」


 騎士団の強襲がもう数日遅ければ、無事に隣国に亡命出来ていただろう。彼等は自分達の運の無さを悔やんだ。

 すると、護衛の内の一人が追っ手が迫っているであろう方角を睨みつけるように見つめる。


「あの男が旦那様と奥様を……」

「おい、やめろ。あの男の事は考えるな、今はお嬢様を逃がす事だけを考えるんだ」


 このエルクート王国では、貴族の処刑には王国第一騎士団の団長が処刑人を務めるという慣習があった。アメリアの両親であるディーンとユリアーナをその手に掛けたのもリチャード本人だ。

 それを知っているアメリアの護衛を務める者達の一部、特にディーンとユリアーナに対する忠誠心が特に高かった者達は追っ手を率いているリチャードに強い敵愾心を向けるが、それを他の者達は諫める。


 だが、その直後、彼等の耳に男性のものと思われる大きな叫び声が聞こえてきた。


「決して逃がすな!! 殿下の御命令通り、奴を必ず捕まえるのだ!! 他の連中は殺しても良い!! だが、奴だけは必ず捕えろ!!」


 それは、彼等を追っている騎士達を率いるリチャードの声だった。追っ手である彼の声が自分達に届くという事は追っ手はもう自分達のすぐ近くまで迫っているのだろう。

 そう判断した護衛達は互いに顔を見合わせ、一度頷き合うと、覚悟を決めた様な表情を浮かべた。


「……お嬢様、我々がここで殿を務めて時間を稼ぎます。その隙に仲間たちと合流してください」

「……っ、待ってっ、ここで貴方達が殿を務めたりしたらっ!!」


 そう、もしここで殿を務めようものなら彼等は間違いなく命を落とすだろう。それは殿を務めようとする彼等自身が一番その事を理解している。

 それでも、自分達のすぐ近くに迫って来ているであろう騎士団からアメリアを確実に逃がす為にはこの方法しかないのだ。


「はい、分かっています。ですので、お嬢様とはここでお別れです」

「そん、な……」


 別れの言葉を聞いたアメリアの表情は悲壮の一色に染まる。

 しかし、ここで誰かが殿を務めなければいずれ追いつかれるだろうという事はアメリア自身も薄々気が付いている。だからこそ、ここで殿を務め、アメリアを逃がそうとする彼等の強い意思も彼女は分かっていた。

 そして、メイアはこれから殿を務めようとする彼等を代表する様にアメリアへと歩み寄っていく。その事から分かる通り、彼女もここでアメリアを逃がす為に殿を務めるつもりだった。


「お嬢様、貴女ともここでお別れですね……」

「っ、メイア、貴女も、行くの……?」

「ええ。……お嬢様、必ず、必ず生き延びてください」

「メイ、ア……」

「お嬢様、絶対に生き延びてください。そして、もし叶うのであれば」


 ――――――私達の仇を


 しかし、メイアはそこで言葉を区切り、少しだけ苦笑しながら首をゆっくりと横に振る。


「いえ、やっぱり、先程の言葉は忘れてください」


 そして、殿を務める護衛達は今後もアメリアと共に逃げる事になる護衛達の前まで近づいていく。


「お前達、お嬢様を頼む」

「……はいっ!!」


 その言葉を聞いた者達は悲壮な表情を浮かべる。そして、殿を務める者達は少しでも長く時間を稼ぐ為に、アメリアから分かれ追っ手が迫っている方向へと駆け出していった。


「皆っ、待って……」

「お嬢様、行きましょう」

「だ、だけど……」


 アメリアは、思わず去っていく護衛達に手を伸ばそうとする。しかし、この場に残る護衛の一人が鬼気迫る表情を浮かべながらアメリアに詰め寄った。


「お嬢様!! 急ぎましょう!! あいつらの覚悟を無駄にしないでください!!」

「……っ、わ、分かったわ」


 その護衛の言葉でアメリアは遂に覚悟を決め、殿となっている者達が稼いだ時間を少しでも無駄にするまいと、森の奥へと進む。


「ぎゃあああああああああああああああああああ!!!!」

「がああああああああああああああああああああ!!!!」

「きゃあああああああああああああああああああ!!!!」

「……っ!! 皆、ごめんなさいっ……!!」


 アメリアは、後方から聞こえる殿を務めた者達の悲鳴と思われる叫び声が耳に届く度、唇を噛み締め、瞳から流れ出てくる涙を拭う。だが、それでも彼女は一切後ろを振り返る事無く残りの護衛達と共に森の中を進み続けるのだった。






 そして、今、アメリアは王都内にあるユーティス侯爵家跡、その場所に作った使用人達の墓標の前にいた。

 墓標の前に立った彼女が思い出すのは、逃亡中に自分を生かす為、命を散らした使用人や護衛達の事だ。


「メイア、皆……」


 あの時、そしてあの後も自分を逃がす為に命を散らした彼等が本当に復讐を望んでいるのか、そんな事は今の彼女には分からない。それでも、アメリアは復讐だけが命を散らした彼等の唯一の慰めになると信じている。


「ええ、分かっているわ。貴方達の仇、私が必ず取ってあげる」


 あの時、メイアは自分の言葉を忘れてほしいと言った。だが、アメリアの中には彼女が言ったあの言葉が今も残っているのだ。


 次なる復讐対象はもう既に決まっている。また、その為の舞台の準備も整いつつある。


「さぁ、行きましょうか」


 そして、アメリアは彼等の墓標に背を向けて次なる復讐の舞台へと赴くのだった。

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