72 ヴィクトルとのゲーム②

 この第四の復讐の舞台での一度目のゲームが始まった。

 しかし、当のヴィクトルはランプを手に取った直後は、歩くだけで全速力で走ろうとはしていなかった。ゲームが始まったという実感が薄かったせいだろう。だが、それも最初の頃だけだった。


「っ、そこにいるのか、アメリアっ!?」


 アメリアの気配を後方に感じた様な気がしたヴィクトルは慌てて気配を感じた方へと振り向くが、そこには誰もいない。


「気のせいか……」


 だが、その直後、彼は顔を元の位置に戻してランプで道の先を照らすと、今度は本当にその先にアメリアの姿を見てしまった。


「はい、見つけましたよ」

「なぁ!?」


 そして、ヴィクトルはアメリアの姿を見た直後、脇目も振らずに無我夢中で彼女から逃げる様に森の中を駆け抜けていく。


「さぁさぁ、早く逃げないと私が捕まえますよ」

「ぐっ!!」


 森全体に響き渡るアメリアの煽る様なその声にヴィクトルの内心では苛立ちが募っていくが、彼は唇を噛み締めるだけで、それを表に出す事は無く、必死にアメリアから逃げ続けた。


「はぁ、はぁ、ここまで逃げれば大丈夫だろう……」


 無我夢中で走り抜けていた為、自分が今いる位置が益々分からなくなったが、それでもアメリアから逃げる事が出来たと確信したヴィクトルは安堵する。だが、彼の中にあるアメリアに対する恐怖心は間違いなく増していた。


 しかし、それは一度では終わらない。アメリアから逃げる事が出来たと思っていた彼が再び森の外へと出る為に道を進んでいると、また自分の進む道の先にアメリアの姿が見えたのだ。


「なぁ!?」

「はい、また見つけましたよ」

「ぐっ!!」


 アメリアの姿を見たヴィクトルは捕まらない様に再び無我夢中で全速力で逃げ出していく。だが、それ以降も同じ様な光景が二度、三度、四度と同じ事を焼き増ししているかの様に続いていった。

 やがて、そんな事を数度も繰り返している内に、彼はアメリアの気配や姿を感じる度、全速力でその場を逃げ出すようになっていたのだった。


 森の中で必死に逃げるヴィクトルとそれを追うアメリア、今この森で繰り広げられているこの光景は傍から見れば、貴族が嗜む野生動物の狩りと非常に酷似していた。しかも、一撃で仕留めるのではなく、獲物をジワジワと追い詰め、体力を消耗させる悪質なやり方だ。

 そう、アメリアは最初からヴィクトルが何処にいるのかを把握していた。こんな暗い森の中でランプを使えば目立つ事この上ないからそれも当然と言える。


 また、今のアメリアならヴィクトルを一瞬で捕まえる事など容易だろう。それこそ、転移魔術で彼の真後ろに転移して捕まえれば早い話だ。その上で、アメリアは敢えてヴィクトルの前に姿を現していた。

 そして、彼の前に敢えて姿を現す事でヴィクトルの恐怖心を煽り、彼の体力の消耗を促している。ヴィクトルのそんな滑稽な姿を見る事でアメリアは悦に浸っているのだ。

 今のヴィクトルはアメリアの手の平で踊らされているだけの哀れな道化に過ぎない。しかし、そんな事を知る由もないヴィクトルはアメリアから必死に逃げ続けている。

 彼は今の自分がアメリアの手の平で踊らされている事など考えもつかない。いや、正確に言うなら考える余地すらないと言った方が正確だろう。今のヴィクトルの頭の中はアメリアに対する恐怖心と彼女から逃げる事の二つだけしか残っていない。更に言うなら、必死にアメリアから逃げる為に走り続けるヴィクトルにはそんな事を考える余裕など残ってはいないのだ。

 そして、そんな事を考える様な余裕が出来る度、ヴィクトルの前にアメリアが姿を現すのだから尚更、質が悪い。


「クスクス、私が怖いのですか? 貴方達が何の力も持たない小娘だと侮っていた私の事が?」

「ぐっ、だっ、黙れぇ!!」


 ヴィクトルは必死に叫ぶが、アメリアの指摘は彼にとっては図星だった。ヴィクトルも他の貴族と同様にアメリアが処刑前に逃亡をしたと聞いた時、彼女の事を何の力も持たない小娘だと侮っていた。そんな何の力も持たない小娘が逃げた所で一体どうなる、自分達の脅威になる筈がないと楽観視していたのだ。

 しかし、そんな驕りの結果が今に繋がっている。ヴィクトルはなぜあの時、アメリアの事をもっと執拗に追い詰め、すぐさま捕えなかったのかと今は激しく後悔していた。だが、今更後悔しても変わらないだろう。


「くそっ、くそっ、くそっ!!」


 ヴィクトルは何の力も持たない小娘だと侮っていたアメリアから逃げる事しかできないこの屈辱や自分の中にある彼女に対する恐怖心を無理矢理胸の奥に押し込めようとする。

 そして、ヴィクトルはアメリアに捕まる事がない様に必死に逃げ続けるのだった。






「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。くそっ、一体何時になったら森の外に出る事が出来るのだ!?」


 ヴィクトルがアメリアの提案したゲームに参加してから約五時間が経過していた。時刻も深夜を超え早朝と言ってもいい時間だった。ゲームが始まった頃は真っ暗だったこの森も、昇ってきた朝日に照らされ、ランプ無しでも辺りを十分に見渡せるようになっている。

 しかし、夜通しアメリアから逃げ続けていたヴィクトルの体力はもう限界を超えていた。睡眠に関しても、ここに至るまで一睡もしていない。ゲームの最初に支給されたランプもアメリアから逃げ続ける過程で何処かに落としてしまい手元には無かった。


「何処だっ、森の外へと通じる場所は何処にあるっ!?」


 ここに至るまで、アメリアに捕まっていないのは運が良かったのだろう。彼はそう思っていた。ヴィクトルは何時捕まるかも分からないこの状況でも必死にアメリアから逃げながらゴールとなる森の外を探していた。そして、体力の限界を超えて逃亡を続ける彼に遂に待望の時が訪れた。


「っ、あれはっ、まさかっ!!」


 自身の進む道の先をずっと見続けていたヴィクトルの目に、辺りにある木々が途切れ、その先に雑草が生い茂る草原が映りこんだのだ。

 そう、彼の進んでいる道の先はゴールとなる森の外へと繋がっていたのだ。


「やっと、やっと見つけたぞっ!!」


 やっとの思いでゴールを見つけたヴィクトルは体力の限界を超えているというのに、そんな疲労感を忘れたかのように、全速力で森の外へと走り出そうとする。


「んなっ!?」


 だが、森の外へと走り出そうと右足を一歩前へ進めたその時、その右足は突如としてバランスを崩してしまう。彼が踏み出した右足は運悪く森の地面に出来ていた深い窪みに嵌ってしまった様だ。彼は、足のバランスを崩してしまったそのままの勢いで地面に倒れ込んでしまった。


「くそっ、こんなっ、こんな所でっ」


 ヴィクトルにしてみればゴールとなる森の外も目前、こんな所で時間を取られる訳にはいかないだろう。そして、長い間この森の中を彷徨う事で、やっとの思いで見つけた森の外へと出る為に慌てて立ち上がったその瞬間だった。


「なっ……」


 なんと、立ち上がったヴィクトルの肩に突如として何者かの手が触れたのだ。正確に言うなら彼の肩に手が乗せられたという方が正しいだろう。

 何者かの手が彼の肩に乗せられたその直後、何処からともなく鎖が現れ、彼の手足を縛り付けていく。


「なに、がっ!?」


 目前にあるゴールとなる森の外、自分に触れる何者かの手、突如として現れた自分を縛るこの鎖、彼にはどう考えても嫌な予感しかしなかった。そして、ヴィクトルは恐る恐る自分の後ろへと顔を向ける。


「はい、捕まえましたよ」


 そこには、満面の勝ち誇った様な笑みを浮かべながらヴィクトルの肩に触れるアメリアの姿があった。


「ア、アメリア、何故、どうして……」

「これで、私の勝ちですね。あはははっ!!」

「あ、ああ……」


 そして、自身の敗北を悟ったヴィクトルは地面に膝を着き、諦めた様な表情を浮かべるのだった。

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