71 ヴィクトルとのゲーム①

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 アメリアの策略に嵌り、追い詰められたヴィクトルはそれでも彼女の魔の手から逃れようと、無我夢中で森の中を駆け抜けていた。彼自身も今自分がどこを走っているかすら判断できていないだろう。


 だが、そんな時間もそう長くは続かない。彼は自分自身が一体何をしているのかが正確に分からぬまま、必死に森の中を駆け抜けていたが、何のきっかけがあったのか、唐突に正気を取り戻した、取り戻してしまったのだ。


「っ、こ、ここは……、一体……?」


 無我夢中でアメリアから逃げ続けていたヴィクトルだったが、我に帰った今、彼には当然の様にこの場所が何処か全く分からない。辺りが木々に覆われている事から、ここが森の中という事は分かる。だが、それ以外が全く分からないのだ。

 それでも、彼にはもう一つだけ分かっている事がある。


「っ、アメリアはっ!?」


 そう、それは、一刻も早くアメリアの魔の手から逃げなければならないという事だ。娘の事も気がかりではあったが、今の彼にはそんな事を気にしている余裕など無かった。

 我に返ったヴィクトルは、現状の自分がいる位置から夜目を駆使しながら周囲を見渡して、この付近にアメリアがいるのかどうかの確認をした。そして、彼女の姿や気配等が周囲に無いと判断すると、ヴィクトルは自分を追ってきているであろうアメリアから出来るだけ遠くに逃げようと、方角や自分が今いる位置すら分からない状況だというのに、当てもなく森を彷徨い始めた。


 そして、ヴィクトルが森を彷徨い続けてから、彼の感覚で大体三十分が経過した頃だった。


「ヴィクトル・エステリア伯爵、そろそろ正気に戻りましたか?」


 なんと、森を彷徨うヴィクトルの耳に、突如としてそんなアメリアの声が聞こえてきたのだ。だが、彼女の声はまるで森全体に広がる様に反響している。これでは、声が聞こえる方角から、アメリアがいる位置を探る事は不可能だろう。


「っ、この声はアメリアかっ!!」


 ヴィクトルにはアメリアがいる位置が分からない為、森の中で叫ぶ事でしかアメリアの声に返事をする手段が無かった。


「あら、正気に戻られたのですね」

「何処だっ、何処にいるっ!!」

「それを答えるとお思いですか?」


 それも当然だ。今はアメリアが追う側でヴィクトルが逃げる側だ。追う側が逃げる側に自分の位置を知らせる様な、そんな愚を犯すことは無いだろう。


「さて、と。正気に戻られた様なので、次のステップへと移行しましょうか」


 アメリアの『次のステップ』という言葉に、ヴィクトルの脳内には嫌な予感が掠める。彼の額からは冷や汗が流れ出ていた。


「ここからは、恒例のゲームのお時間です」

「恒例? ゲーム、だと?」


 彼にはアメリアの言うゲームとやらも、それが恒例とは一体どういう事を意味しているのかも分からなかった。そんなヴィクトルを余所にアメリアは淡々と言葉を紡いでいく。


「今回のゲームは、折角なので鬼ごっこにしましょうか。ルールは簡単です。私はこれから貴方を見つけるべく森の中を探索します。ですので、貴方は私に見つからない様に逃げてください。そのゴールはこの森の外とします。

 もし、貴方がこの森の外へと逃げ延びる事が出来たら、貴方を見逃してあげましょう。ですが、もし私が貴方を捕まえる方が早かった場合にはそれなりの罰ゲームを受けてもらいます。

 要は、貴方が森の外に出るのが先か、私が貴方を捕まえるのが先かという話ですね。分かり易いでしょう?」

「……もしそのゲームとやらの参加を拒否した場合、どうなるのだ?」

「貴方に参加の拒否権があると思いますか? 強制参加に決まっているでしょう? まぁ、どうしても参加したくないというなら、参加せずとも構いませんよ。どちらにしても私は貴方を捕まえて断罪するだけですので。ですが、私個人としてはどちらも変わらない以上、参加した方がお得だとは思いますけどね」

「…………」

「参加する、しないどちらを選んだとしても貴方に特にデメリットはありません。ゲームと言ったでしょう? あくまでこれは私にとっては余興程度に過ぎないのです」


 余興、そうこれはアメリアにとっては余興に過ぎないのだ。

 それでも、このゲームはヴィクトルにしてみれば唯一といってもいい光明に見えた。アメリアのゲームに乗った者達がどれ程悲惨な末路を辿って来たのか、それを知らないヴィクトルには彼女の提示したゲームは自分に残された唯一の光明にしか見えなかったのだ。

 それに、アメリアは強制参加と言っている。それはつまり、逃げても逃げなくてもアメリアに捕まれば辿る末路は同じという事だ。だとするなら、自発的に参加してもしなくてもそうは変わらないだろう。だったら、アメリアに一矢でも報いるべく、このゲームに参加してやろう、とこの時のヴィクトルは意気込んでいた。


「最後に確認だ。もし、そのゲームとやらに私が勝てば本当に私を見逃すのだな?」

「ええ、約束はちゃんと守りますよ」

「……なら、こちらからも条件がある。もし私が勝てば、私だけではなく娘も見逃すのだ」


 だが、その言葉を聞いたアメリアはヴィクトルの提示したその条件に対して呆れた様に、はぁ、と一度だけ溜め息をついた。


「……貴方は今の自分がそんな条件を提示できる程の立場にいるのだとお思いなのですか?」


 それを聞いたヴィクトルはやはり無理だったかと落胆する。彼にとっても無理な提案だと思っていた為、諦めるのも思いの外早かったのだ。

 だが、その次に聞こえてきたアメリアの言葉は彼にとっては少し予想外のものだった。


「………………まぁ、いいでしょう。もし、貴方が勝つ事が出来れば貴方だけでは無くティナの事も見逃してあげましょう」

「ほっ、本当なのか!?」

「ええ、特別に大サービスです」


 まぁ、貴方が勝つ確率など皆無なのですけれどね、アメリアは内心でそんな事を呟いていた事など、ヴィクトルは知る由もない。


「では、ゲームに参加されるという事でよろしいですね?」

「……よかろう、そのゲームとやら、参加しようではないか」

「あはははっ、結構な事です!! 強制参加といいましたが、自発的に参加してくださる方が私としてはそちらの方が好ましいですから!!」


 すると、突如として何処からともなく火の灯ったランプが彼の足元に出現した。そのランプはこの視界が悪い森の中での唯一の光源だった。


「これ、は……?」

「それはゲームに参加される貴方へのサービスです」

「このランプが、か?」

「ええ、視界が悪いと貴方も不便でしょう? 安心してください、それは何の変哲もない普通のランプです。何か特殊な仕掛けをしている訳ではありませんよ。貴方がそのランプを手に取った時にゲームの開始としましょうか」


 それを聞いたヴィクトルは思わず息を飲む。そして、ヴィクトルは恐る恐るといった手つきで地面に置かれているランプを手に取った。


「ランプを手に取ったぞ? これでゲームとやらが始まるのだな?」

「そうですか。では、早速始めましょう。これより、ゲームの開始といきましょうか!!」


 そして、アメリアはこの第四の復讐の舞台において、一度目のゲームの開始を高らかに宣言するのだった。

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