70 仕組まれていた罠

 ヴィクトルは今、完全に追い詰められていた。味方だと思っていた護衛の騎士達は味方では無かったからだ。それどころか、アメリアの指示に従い、今この瞬間にも自分を追い詰めようとしている。


「くそっ……」


 その事実に、ヴィクトルは言葉を吐き捨てるが、この危機的状況においても彼が頼る事が出来る味方が一つだけ残っていた。それは、彼と共に馬車で移動していた使用人達だ。使用人達がいれば自分が逃げる事が出来る程度の時間なら稼げるだろうと彼は考えた。


「誰かっ、誰かっ!!」


 ヴィクトルはこの場において自分の唯一の味方だと思っている今も馬車に残っている筈の使用人達に必死に助けを求めようとする。


「誰かっ、誰でもいいっ、誰かっ!!」


 だが、彼がどれだけ叫んでも何故か使用人達は馬車から出てくる気配は無い。それでも、彼は最後の味方である使用人達に必死に助けを求め、叫び続ける。


「誰かっ、使用人の誰でもいい、私を助けてくれっ、誰かっ!!」

「あはははっ、貴方に仕えている使用人達を呼ぼうとしても無駄ですよ」

「なん、だと!?」

「貴方が最後に助けを求めるのは、今も馬車に乗っている使用人達だという事は想定していました。ですので、彼等は予め私が眠らせています」

「そん、なっ……」


 そう、ヴィクトルはこの場においては、既に完全な孤立無援状態にさせられていたのだ。

 自分の味方だと思っていた護衛の騎士達は、その実アメリアこそが彼等を従えていた。残った味方である筈の使用人達はアメリアの手によって眠らされている。何処からどう見ても完全に詰み状態であった。

 それを悟ったヴィクトルは絶望的な表情を浮かべるが、そんな彼を更に追い詰めるべく、アメリアは次なる悪辣な手を打ち始めた。


「まだ、この程度は始まりにすぎません。ここからは全てのネタバラシと行きましょうか」

「ネタ、バラシ……?」

「ええ。まず最初に、この光景を見れば分かると思いますが、私はアルティエル王国と繋がっています。では、その繋がりは何時からあったと思いますか?」


 だが、ヴィクトルは当然答える事は出来ない。アメリアが何時からアルティエル王国と繋がっていたのか、その答えを彼が知っている筈がないのだから。

 言葉が詰まるヴィクトルに対して、アメリアは二つ目の質問を投げかける。


「では二つ目、これ程手際良く亡命の準備が済んだ事を不思議に思いませんでしたか?」

「それ、は……」


 確かに、今になって思えば亡命の打診から、今に至るまでかなり手際良く進んでいた。アメリアがあの夜会で復讐の宣言をしてからまだ二月も経ってはいない。彼自身も、これほど早くアルティエル王国側の受け入れの準備や亡命の為の交渉が済み、亡命が決行される事は色々な意味で想定外だったのだ。しかし、それに関しても、一刻も早くこの国から逃げたいヴィクトルにとってはとても都合が良い事だったので今迄は全く気にしていなかった。


「三つ目、伯爵位を貰えるほど重要度が高い国家機密、そんな物を簡単に盗めた事を疑問に思いませんでしたか?」


 ヴィクトルもその疑問を抱いていた。彼自身も、思いのほかあっさりと目的の国家機密を盗み出せた事を不思議に思っていたのだ。だが、それに関しては運が良かったのだろう、とその時点で納得し、それ以上考える事は無かったのだ。


「そしてこれが最後です。貴方が提示した条件、その全てを何の交渉も無くアルティエル王国側が飲んだ事を不思議に思いませんでしたか?」


 確かに、当時は何の交渉も無く提示した条件の全てをあっさりとアルティエル王国が飲んだ事は不思議だった。だが、その時はそれ程までに自分の手に入れた国家機密が欲しいのか、という事を思っていたのだ。


「さて、私が先程したこれらの質問から何か気が付く事はありませんか?」

「……………………待てっ、待て待て待てっ。まっ、まままままっ、まさかっ!!」


 だが、もしアメリアが行った四つの質問、それら全てに彼女が関係しているとするなら、この亡命そのものに関して、全く別の見方が出来るだろう。

 そして、アメリアのそれらの一連の言葉からヴィクトルは一つの、彼にとってはある意味最悪の答えを導き出していた。


「まっ、まさかっ、全てっ、全てお前がっ!!」

「はい。今まで行ってきた亡命の為の行動、その最初から最後までの全てを私が裏で手を引いていたのです。私の目論見通りに動いてくれる貴方の姿は本当に滑稽な事この上ありませんでした。亡命が成功して、私から逃げ切れると思い込んでいた貴方を見て、私は思わず笑い死んでしまうかと思いましたよ。あははははははっ!!」


 アメリアは、最初からアルティエル王国と繋がっていた。その上で、この状況を作り出す為にアルティエル王国にエステリア伯爵家からの亡命の依頼を受け入れる様に打診していたのだ。そして、ヴィクトルが盗み出した国家機密も容易に盗み出せるようにアメリアが予め手を回していたりする。

 そう、彼が上手く進んでいると思っていた今迄の全て、だがその全てすらもアメリアがこの状況を作り出す為に仕組んだ罠だったのだ。

 それらの事実をこれでもか、と思い知らされたヴィクトルは最早呆然とする事しかできなかった。


 そして、ヴィクトルが最初に抱いた疑問、何故アメリアがこの場にいるのか、その答えも自ずと明らかになる。アメリアが最初からアルティエル王国と繋がっていたなら、亡命する為のルートを知る事も容易いだろう。なら、そのルートで待ち構える事など造作もない。


 普段のヴィクトルであれば、今回のこの罠に気が付く事はできた筈だった。だが、ヴィクトルの中にあるアメリアへの恐怖心が彼の勘を鈍らせた。アメリアの恐怖から一刻も早く逃れたいという、彼女に対する本能的な恐怖心が彼の判断能力を致命的なまでに鈍らせたのだ。それこそ、多少不可解な所があったとしても見過ごしてしまう程に。


「なっ、なぜっ、何故こんなっ……」

「こんな手の込んだ回りくどい事を、と言いたいのでしょう? 全ては貴方への復讐の為ですよ」


 今迄の復讐からアメリアは相手の心の折り方という物を多少は学んでいた。ジワジワと包囲網を作るよりも、その包囲網にあえて一カ所だけ逃げ道を作り、その上でそこに極上の罠を仕込む。希望を手にしたと思った瞬間、その希望を目の前で圧し折る。その方が圧倒的に相手の心を容易に折る事が出来る事を知ったのだ。

 だからこそ、わざわざこんな回りくどい手を使ってまで、この状況を作り出した。その全てがヴィクトルに最大級の絶望を与える為であった。


「そして、私の貴方に対する復讐の動機、それは貴方自身が一番よく知っていますよね」

「わ、私が、お前の両親が処刑されたあの事件の一端を担っていたから、か……?」

「はい、その通りです。まぁ、もう一つあるのですが、これについてはまだ確証を得られていないので、後で教えてもらう予定ですが、ね」


 答え合わせを全て終えたアメリアは一歩、また一歩とヴィクトルに近づいていく。全てが彼女の手の平で踊らされていた事を思い知らされたヴィクトルの心は完全に圧し折られていた。


「あ……、ああ……」

「さて、と。ネタバラシも終わったので、ここからは貴方への罰の時間です」

「ひっ!!」


 その言葉と共にアメリアから放たれる異様な殺気、近づいてくる死への恐怖心、つい先ほど思い知らされた事実、それら全てがヴィクトルの心に途轍もない負荷となって圧し掛かった。

 そして、それらの数々の負荷によって彼の心は限界を迎え、遂に暴発をしてしまった。


「いっ、嫌だっ、死にたくないっ、いやだあああああああああああああああああ!!!!」


 なんと、ヴィクトルはそんな叫び声を上げながら無我夢中で自身を取り囲んでいる騎士を無理矢理押し倒したのだ。彼自身にとってもそれは無意識での自暴自棄染みた行動だった。騎士の方もあまりに咄嗟の出来事だった為に反応する事が出来ずに地面に尻餅を着いてしまう。

 幾ら騎士達が戦闘訓練を積んでおり、相手がただの貴族であったとしても、反応が出来ておらず、大の大人が力の加減無しに無我夢中で力を振るったならこうなる事は何もおかしくはない。更に言うなら、その騎士もこれだけの人数で囲んでいるという安心感から出た油断があったのだろう。


「なっ……」


 ヴィクトルが騎士を押し倒したその一部始終を見ていた騎士達は呆然としたような声を上げる。


「ひっ!! ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃ!!!!」


 その直後、ヴィクトルは先程と同様に無我夢中でそんな叫び声を上げながら押し倒した騎士の真横を通り抜けて辺りにある茂みの方へ逃げていった。

 そんな行動すらも今の彼にとっては完全に無意識下での行動だろう。だが、逃げた茂みの更に先はヴィクトルにとっては運が良かったのか、木々が生い茂る深い森になっていた。もし、ここでヴィクトルを見失えば再び彼を発見する事が困難になるのは間違いない。


「まっ、待てっ!!」


 騎士達は思わずそんな叫び声を上げるが、この状況で「待て」と言われて待つ人間はいない。そもそも、今のヴィクトルの耳にその叫び声が届いているのかどうかすら怪しかった。そして、ヴィクトルは彼自身も驚くであろう速さで辺りの茂みを超え、森の方へと逃げ出していく。

 一方、咄嗟の事だったとはいえ、ターゲットであるヴィクトルをむざむざと逃がしてしまった騎士達は一斉にアメリアの元へと集まると、自身の失態を悔いる様な表情を浮かべながら彼女に対して謝罪をする。


「申し訳ありません。逃がしてしまいました。今から追いかけて捕えます」


 だが、騎士の謝罪に対してアメリアの表情は殆ど変わらない。逃げられた事に対して、動揺する事や怒る事すらなかった。そう、彼女はこの様な状況になる事すらも織り込み済みだったのである。

 逆に逃げてくれた方がヴィクトルの苦しみが増す分ありがたいとまで思ってすらいた。そんな事をアメリアが考えているとは知らない騎士達は謝罪の後、改めてヴィクトルを追おうとするが、当のアメリアがそれを制止した。


「いえ、貴方達が彼を追う必要はありません。貴方達はここまでで大丈夫、ここからは私の時間です。今迄の演技、本当にありがとうございました。おかげであの男の油断を誘えました。国に戻ってゆっくりと休んでください」

「「「…………はっ!!」」」


 アメリアのその言葉に騎士達は返事をした直後、アメリアの指示に従いこの場にある馬車の内の一台に乗り込んで、自分達の国に帰っていく。


「さて、貴方への罰はここからが本番です。決して、決して逃がしませんよ。あははははははははっ!!!!」


 そして、一人この場に残ったアメリアは歪んだ笑みを浮かべ、嗤いながら指を鳴らす。すると、次の瞬間には彼女の姿はこの場から消え去っていたのだった。

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