65 マルティナの今

「どうして……、どうしてこうなったの……?」


 エステリア伯爵令嬢マルティナは自室で自問自答を続けていた。その原因は言うまでも無く、アメリア・ユーティスの存在が大きく関係していた。


 マルティナにとってみれば、王太子であるヴァイスが学院の夜会での婚約破棄の騒動の後に起きたアメリアの処刑未遂やユーティス侯爵家の取り潰し、更にその後に起きた『アメリア・ユーティスの復讐』と噂されている一連の高位貴族の連続失踪事件は全くの想定の範囲外であった。

 一伯爵家の令嬢に過ぎないマルティナに貴族社会に渦巻く策謀を見抜く事など不可能に近い為、それも当然だろう。


「『アメリア・ユーティスの復讐』、あの噂は本当なの……?」


 もし、今広がっている『アメリア・ユーティスの復讐』という噂が真実だとすれば、アメリアはあの夜会での宣言通りに復讐を遂行している事になる。だとするなら、彼女を裏切って王太子であるヴァイスの要請通りに偽証を行った自分も今のアメリアの目標になっているのではないか、とマルティナは心底怯えていた。


「どうして、こうなったの……? もう少しで、もう少しで私の願いが叶う筈だったのに……、その願いを叶える為に、私は彼女を裏切ったというのに……」


 そう、マルティナは自身の願いを叶える為に長年の友人だったアメリアを裏切った。

 そこに罪悪感が無いのかと問われれば、無いと答える事は出来ないだろう。そこに葛藤が無かったのかを問われれば否と答えるだろう。

 それでも、マルティナは自身の願いの為にアメリアを裏切る事を決意したのだ。


「アメリア・ユーティス、あの婚約破棄の後、彼女に一体何があったの……?」


 マルティナはあの婚約破棄の一件後、アメリア自身に何が起きたのかを殆ど把握していなかった。知っているのは、アメリアが魔女として処刑されかけた事と、そこから逃れて逃亡を続けていたという二つの事だけだ。


 しかし、あの後アメリアに何か彼女自身を大きく変えるような、或いは歪ませる様な出来事があった事だけはマルティナにも理解できていた。

 その理由、それはアメリアが復讐を宣言した夜会でマルティナが見た彼女の姿は、今迄見てきたアメリアのどんな姿とも似ても似つかないものだったからだ。

 あの時の夜会に現れた彼女の容姿は確かにアメリア・ユーティス本人のものだろう。それはマルティナも断言できる。しかし、アメリアと間近で接してきた彼女には、あの時のアメリアがマルティナの今迄見てきた、どのアメリアとも一致しなかったのだ。

 それは外見では無く、内面の問題だ。長年の間、アメリアと友人として接してきたマルティナには、あの夜会でのアメリアは彼女の体に別の誰かの精神が入り込んだ様にしか思えなかった。それ程までの変化をマルティナはあの時のアメリアから感じ取っていた。

 また、長年の間、彼女と接してきたマルティナは今のアメリアが持っている狂気とでも呼べるものを無意識の内に感じ取ってしまっていた。だからこそ、マルティナはアメリアに心底恐怖しているのだ。


「いやっ、いやよっ。私っ、まだ死にたくない、死にたくないのっ……」


 そして、マルティナは『アメリア・ユーティスの復讐』という噂が聞こえてきた時から、『アメリアの次の復讐のターゲットは自分ではないのか』と、怯えて自室で引き籠る様になっていた。今のマルティナは自室で引き籠っている時が一番安心できる状態だった。


「お嬢様!! この扉を開けてください!! お嬢様!!」


 また、部屋の外ではこの屋敷で働く使用人達は部屋に引き籠り続けるマルティナを心配して、何とか彼女を部屋から出そうと、引き籠るマルティナにずっと声を掛け続けていた。

 だが、マルティナは一向に部屋から出る気配を見せようとはしない。実際、ここ数週間、マルティナは父親に呼ばれた時以外、自室から殆ど出ていない状態だった。食事も使用人達が持って来たものを自室で食べるだけだ。

 それでも使用人達は何とか、マルティナを部屋から出そうと、ドンドンドンドンと彼女の私室の扉を叩き続けるが、当のマルティナは逆にそれに煩わしさを感じていた。


「お嬢様っ、お嬢様っ」

「お願いっ、しばらく私を放っておいてっ、煩わしいのっ!!」


 マルティナがそう声を荒げると、流石に使用人達もこれ以上はまずいと思ったのか、扉を叩く手を止め、声を掛けるのも止めた。だが、それでも、彼女の事が心配な使用人達は、部屋の扉の前から離れようとはしない。


 そして、その数分後、別の場所から来た使用人の一人がマルティナの私室の扉をコンコンとノックする。


「お嬢様」

「なにっ、放っておいてって言ったのにっ」

「申し訳ありません。旦那様がお嬢様の事をお呼びです」

「……お父様が? ……………………分かったわ」


 父が呼んでいるのなら仕方がない、とマルティナは渋々と言った表情で私室の扉を開けた。直後、部屋の外にいた使用人達は一斉に彼女の元へと駆け寄る。


「「「お嬢様っ!!」」」

「……お父様が呼んでいるのでしょう?」

「ええ」

「だったら、貴方達には私の最低限の身支度だけはお願いするわ」

「「「分かりました!!」」」


 マルティナは今迄ずっと引き籠り続けていた為にとても人前に出る事が出来る状態ではない。それは父親であっても同様だ。その為、使用人達は急ピッチでマルティナの最低限の身支度を整えていく。


 そして、身支度を終えたマルティナは渋々と言った表情を続けながらも、使用人に先導されながら父親がいる執務室へと向かうのだった。

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