第四章

64 過去④

 これは、アメリアがまだ幼く、彼女が王立学院に入学するよりも遥か昔の出来事である。




「初めまして、アメリア様。私はマルティナ・エステリア、エステリア伯爵の娘でございます」


 ユーティス侯爵邸の自室でお茶を嗜むアメリアに向かって、右手を胸に添え、左手でドレスの裾を持ち上げながら頭を下げるのは、エメラルドを彷彿とさせる緑色の髪色が特徴的な、可愛らしいドレスを着た少女だった。彼女の名はマルティナ・エステリア、エステリア伯爵家の令嬢だ。彼女はアメリアの友人候補の一人としてこの場に招かれていた。


 アメリアはこの当時から、将来的に王太子妃になる事が決まっていた。その為、将来の王妃であるアメリアに娘を彼女の友人として送り込みたいという嘆願が多数の貴族から彼女の実家であるユーティス侯爵家に送られてきていた。

 だが、彼等の元に送られてきている嘆願の数はそれこそ、三桁を超える程の膨大な数だった。貴族令嬢として、将来の王妃として他の貴族令嬢と友好関係を築く事はアメリアにとっては重要な事ではあるが、その全てをアメリアの友人にするわけにはいかない。更に言うなら、当然送られて来た嘆願の中には邪な願望を持ってアメリアに近づこうとしている者もいるだろう。

 その為、アメリアの実家であるユーティス侯爵家はアメリアの友人となる令嬢の厳選と審査を行った。


 そして、そんな厳正な審査を超える事が出来た令嬢の内の一人が、このマルティナ・エステリア伯爵令嬢であった。今は、アメリア本人が彼女と会う事で、アメリア自身が彼女の事を友人として気に入るかどうかという最終審査の段階だった。


「私はアメリア・ユーティス。よろしくね、マルティナ」

「は、はいっ」


 マルティナは相手が侯爵令嬢であり、将来の王太子妃であるアメリアという事もあり、対面当初は緊張していたが、そんな彼女に向かってアメリアはニッコリとした笑顔を浮かべて微笑む。それを見たマルティナは自身の内にあった緊張が解れていくのを感じていた。


「彼女はお前の友人候補の一人だよ。それで、彼女の事は気に入ったかい?」

「はい、お父様、私も彼女とお友達になりたいと思いました」


 アメリアはマルティナの事を気に入った様で、彼女を拒絶する事無く、友人として受け入れていた。そもそも、この最終審査に招かれている時点で、マルティナがアメリアの友人となる事はほぼ確定している。アメリアの友人として不適格であろう令嬢は、父親であるディーンが側近達と行った前段階の審査で弾かれている。故に、今回は二人の顔合わせという側面の方が強いのだ。


「マルティナ、これからよろしくね」

「はいっ、よろしくお願いします、アメリア様!!」


 そして、アメリアとマルティナの友人関係はこの時から始まった。


 その後、二人は交流を続ける中で実家の都合など関係なく、本当の友人として時間と共に友情を築き上げていった。少なくとも、当時のアメリアはマルティナの事を立場や身分を超えた本当の友人だと、そう思っていたのだ。

 やがて、アメリアはマルティナの事を愛称としてティナと呼ぶようになる。その呼び方こそが、アメリアにとってみればマルティナへの立場や身分を超えた友人としての証とも呼べるものだった。ティナという愛称はアメリアの妹であるルナリア、彼女のルナという愛称に似ていた為にアメリアはティナという愛称の事を気に入っていた。

 アメリアがマルティナの事を立場や身分を超えた友人だと思っていた様に、マルティナもアメリアの事を立場や身分を超えた友人だと思ってくれていると、その時のアメリアはそう信じていたのだ。




 だからこそ、今のアメリアにはマルティナが何故自分を裏切ったのか、その理由が分からなかった。


「ねぇ、ティナ……、どうして貴女は私を裏切ったの……?」


 王太子であるヴァイスはアメリアがアンナ・フローリア男爵令嬢に行ったという酷い嫌がらせ。アメリアにとってみれば事実無根の事件ではあるが、その茶番劇の様な断罪が行われた王立学園の夜会。その時に、アンナに行ったという酷い嫌がらせの証人としてマルティナが出てきて、アメリアがアンナに対して嫌がらせをマルティナに指示していたと彼女が証言した事を聞いた時は、頭が困惑で埋め尽くされた程だ。


「ねぇ、ティナ……、私達は本当の友人同士では無かったの……?」


 無論、アメリアはマルティナにそんな指示を出した事は一切ない。確かに、アメリアは婚約者であるヴァイスに近づくアンナの事を疎ましくは思っていたが、それでも嫌がらせをしようとは考えた事も無かった。マーシア・ファーンス公爵令嬢の様な性根の腐った貴族令嬢ならば、身分を弁えず、男爵令嬢という低い身分でありながら、王太子であるヴァイスに近づくアンナには、嫌がらせをするであろう可能性は極めて高いと言える。だが、アメリアはそんな性根の腐った貴族令嬢ではない。

 アメリアはヴァイスやアンナに対しての忠言や忠告をする事はあったが、アンナに嫌がらせをしたり、誰かにアンナへの嫌がらせの指示をした事は一切ない。そもそも、昔のアメリアなら、そんな発想に至る事すらないだろう。


「ねぇ、ティナ。何か理由があるの……? 私を裏切った理由があるというの……?」


 だからこそ、アメリアはどうしてもマルティナが自分を裏切り、嫌がらせの指示をアメリアから受けたという事実無根の偽証を行った理由が全く分からなかった。

 もしかしたら、あの時のマルティナの偽証には何か理由があるかもしれない。あの時のマルティナは、アメリアを裏切る様に両親から言われたのかもしれない。或いは、アメリアには全く予想が付かないであろう理由があるかもしれない。

 婚約破棄後の逃亡劇の中でアメリアはそんな事を考え、親友だと思っていたマルティナが裏切った理由をずっと探していた。仮定や予測は幾つも立てる事は出来たが、アメリアはそれらの予測が正しいのかという確証を今もなお得られてはいない。


「だけどね……、貴女にどんな理由があったとしても……」


 だが、マルティナにどんな都合や理由があったとしても、もう今のアメリアはその事を全く考慮はしないだろう。復讐に狂った今のアメリアに残されているのは、『自身を裏切った者、貶めた者達への復讐』という道だけなのだから。


「……さぁ、行きましょうか。今度は貴女の番よ、ティナ」


 そして、過去を振り返る事を止めたアメリアはその顔に悲壮な表情を浮かべながらも、その歩みを止める事無く、次なる復讐の舞台へと赴くのだった。

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