66 エステリア伯爵家の今後

 アメリアへの恐怖から自室で引き籠っていたマルティナは自身の父から呼び出しを受けた事で、渋々と言った表情を浮かべながら、父が待つ執務室へと向かっていた。

 そして、執務室の扉の前まで来たマルティナは一呼吸だけ置いた後、自身の手の甲を扉に近づけ、扉を叩く。


 ――――コンコン


「誰だ?」

「マルティナです。お父様、お呼びでしょうか?」

「ああ、入ってきなさい」

「では、失礼します」


 マルティナは、父の言葉に従い執務室の扉を開けてその中へと入っていく。その中にいるのはマルティナの父にして、現エステリア伯爵家の当主でもあるヴィクトル・エステリアだ。ヴィクトルは入室してきたマルティナへと顔を向ける。


「マルティナ、とりあえずそこに座りなさい」

「はい」


 そして、マルティナは父であるヴィクトルに促されるまま、執務室に置かれているソファーに座った。その後、ヴィクトルはマルティナに向かい合う様に座り、今回マルティナを呼び出した訳を話し始める。


「マルティナ、今回お前を呼び出したのは他でもない。今進めている例の件に目途が立ったぞ」

「っ、それは本当なのですか!?」

「ああ」


 それを聞いたマルティナは歓喜の表情を浮かべた。ヴィクトルが言う例の件、それはマルティナが縋ろうとしていた自分の命が助かるかもしれない唯一の希望だったからだ。


「それで、一体どこの国が私達を受け入れてくださると?」

「アルティエル王国だ。かの国が我々の亡命を受け入れてくれるそうだ」


 そう、ヴィクトルが『亡命』という言葉を使った通り、彼等は外国への亡命の準備を進めていた。ヴィクトル達が家や国を捨てて亡命をしようとしている理由、それは今も復讐を続けているアメリアにあった。彼等は、外国へと亡命し、亡命した国に隠れる事でアメリアの復讐から逃れようとしていたのだ。


 現エステリア伯爵であるヴィクトルは貴族社会でも随一の機を見る目と危機を感じる事が出来る直感に優れていた。その目と直感を以ってして、彼は魑魅魍魎蔓延る貴族社会を生き抜いてきた。

 そんな機を見る目や機器を感じる事が出来る直感に優れているヴィクトルはあの夜会でのアメリアを見た時、得体の知れない本能的な危機感を覚えたのだ。それも、今迄に感じた事のない程、大きな危機感だった。そして、彼はあの夜会の直後から、頭の中にある危機感に急かされる様に隣国への亡命の準備を始めていた。

 やがて、ヴィクトルは亡命の準備を進める中で、貴族社会に広まり始めていた『アメリア・ユーティスの復讐』と呼ばれている高位貴族の連続失踪事件の話を聞いた。その時、あの夜会で感じた得体の知れない危機感は正しく、自分が進めている亡命の準備は間違っていなかったのだと彼は悟った。それから、ヴィクトルは日増しに大きくなっていく危機感に更に急かされながらも、進めていた亡命の準備を一気に早める事にしたのだ。

 その後、運良く亡命先が見つかり、今に至っていた。


「亡命をするという事は、我がエステリア伯爵家が積み上げてきた歴史を捨てるという事だ。そうなれば、とても先祖に顔向けする事が出来ないが、この状況では致し方あるまい」

「そう、ですね……」


 エステリア伯爵家はエルクート王国の貴族として長い歴史を持つ所謂名門貴族だ。名門貴族にとって、自分達の先祖が積み上げてきた歴史という物は何よりの誇りであり、同時に誉れでもあった。

 そんな彼等にしてみれば、自分達の家名と先祖が代々積み上げてきた歴史を捨てて、外国への亡命を、と決断するのは容易な事では無かった。当然、そこにはただならぬ苦悩が彼等にもあっただろう。


 それでも、ヴィクトルは直感的に、今逃げなければ自分達の命がこの国に諸共無くなってしまうかもしれない、という強迫観念の様な物をも危機感と同時に感じていた。

 もし、隣国へと亡命すれば、彼等の先祖が脈々とこの国で培ってきたエステリア伯爵の歴史が無に帰してしまう。だが、それも自分達の命あっての話だ。ヴィクトルは、自分達がエステリア伯爵家という家名に縋りこの国に留まれば、間違いなく自分や妻、この屋敷で働く使用人達、或いは娘に至るまで一族全ての命が無くなってしまうだろう、という確信めいた予感まで抱いていた。もし、自分の確信めいた予感が正しければ、この先、遅かれ早かれエステリア伯爵家は断絶してしまう。

 どちらにしても、エステリア伯爵家が無くなってしまうなら、家名を捨てて隣国に逃げた方が遥かに良い。そう考え、自分の直感を信じて彼は亡命を決意したのだ。


 それに、亡命先となるアルティエル王国では、既に今と同じ伯爵位を貰える様に手を打ってある。彼はエルクート王国の国家機密を多数盗み出し、それを亡命先であるアルティエル王国へと売り渡していた。そして、ヴィクトルはその国家機密の対価として、自分達家族と使用人達の受け入れ、今と同じ伯爵位、その二つを要求し、亡命先であるアルティエル王国はそれらを承諾したのだ。


「そうだったのですか……」


 それらの事をヴィクトルから聞いたマルティナは、これでやっとアメリアの恐怖から解放されるのだと安堵の表情を浮かべた。そんな彼女の内心の安堵を知ってか知らずか、ヴィクトルは言葉を続けていく。


「今から一週間以内にはこの屋敷を出て、アルティエル王国へと亡命する手筈になっている。お前もそのつもりでいなさい」

「はい」


 その後、ヴィクトルはマルティナに亡命に関しての詳しい説明をしていく。そして、それら全ての説明を終ようとした時、執務室の扉がコンコンとノックされた。


「旦那様、アルティエル王国からの特使を名乗る方がお見えになっています」

「……そうか、ではその方をこの部屋まで連れて来る様に」

「かしこまりました」


 その直後、ヴィクトルはその目線を扉の方からマルティナへと戻した。


「という事で、私はこれからアルティエル王国からの特使の者と会わなくてはならん。亡命の為の最終調整でこれから忙しくなる。マルティナ、お前は部屋に戻って亡命に必要な準備を進めなさい」

「分かりました。では、これにて失礼いたします」


 そして、マルティナはヴィクトルに頭を下げた後、執務室から退出し、自室へと戻っていく。その道中、屋敷で働く執事に先導されながら、彼女が今までいた執務室に数人の男性が入っていくのが見えた。彼等が恐らくアルティエル王国からの特使なのだろう。そんな事を考えながら、マルティナは自室に戻るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る