48 教会の大聖堂で
教会の本部であるエルクタル大聖堂の地下深くに秘密裏に作られた会議場で行われた秘密会議から時間が経つ事、更に数日後、教皇であるネビルは大聖堂の執務室でいつもの執務をしていた。
教会のトップであるネビルの執務は国の王に準ずる程の量がある。その為の部下も大勢いるが、それでも彼の執務が無くなる事は無い。王国の各地にある教会支部からの嘆願書、大聖堂で行われる祭礼関係の調整、教皇であるネビルの決裁が必要な内容の書類等々だ。それでも、ネビルはもう慣れたと言わんばかりに執務をこなしていく。
そして、ネビルの執務が一段落着いた時だった。
――――コンコン
「失礼します。紅茶をお持ちしました」
執務室の扉の向こう側から聞こえてきたのは女性の声だった。先程の言葉から察するに、侍女が紅茶を持って来たのだろう。少し前に、ネビルは紅茶を持ってくる様に指示していたのだ。
「入れ」
「では、失礼いたします」
その言葉と共に部屋の中に入ってきたのは銀色の長髪が特徴的な侍女だった。だが、もう一つだけその侍女には特徴的な事があった。彼女は長い銀色の髪で顔半分を隠していたのだ。その為、ネビルにはその顔がよく見えなかった。その侍女に対してネビルは訝しげな視線を向ける。
「……君は初めて見る顔だな」
ネビルはこの大聖堂にいる侍女全員の顔を覚えている訳では無い。だが、ネビルはその侍女の顔に全く見覚えが無かった為、無意識の内にそう声を掛けていた。
「ええ、つい先日、この大聖堂の侍女として配属されました」
「なるほど、だから見覚えが無かったのか……」
「はい」
侍女の答えにネビルは納得したと言わんばかりの表情を浮かべた。先日配属されたばかりというなら、見覚えが無いのも当然だろうとネビルは思ったのだ。
その後、侍女は執務机の前にいるネビルの元まで向かい、慣れた手付きで紅茶の準備を進めて行く。その立ち振る舞いからは何処か気品が感じられ、ネビルはその姿に暫し見惚れていた。
紅茶を準備しているだけだというのに、その準備している姿からも見て取れる程の気品溢れる立ち振る舞いは、まるで何処かの貴族令嬢の様だ。しかも、しっかりと淑女教育を受けた高位貴族の令嬢でないと、ここまでの立ち振る舞いは出来ないだろう。
(何処かの貴族令嬢が不祥事でも起こして出家して来たのか?)
教会では、不祥事を起こした貴族令嬢を預かることがある。その中でも一番多いのが婚約者から一方的な婚約破棄を受けた貴族令嬢だ。婚約の破棄は貴族令嬢にとっては、致命的な醜聞になる事が多い。周りの貴族令嬢達からは白い目で見られる事になる。だが、そんな不祥事を起こした者は家にも置いておく事が出来ないという場合もよくある。
その為、出家という形で教会がその貴族令嬢を一時的に預かるのだ。そして、再びその令嬢が必要な時になれば還俗させる。
ネビルは目の前にいる侍女をそんな不祥事を起こして、教会へと出家してきた貴族令嬢だと思ったのだ。下級貴族の令嬢は上級貴族の屋敷へと奉公に行く事もある。その延長として、預かった貴族令嬢が侍女をする事も珍しくないからだ。
そして、そんな疑問を抱いたネビルは紅茶の準備を続ける侍女に声を掛ける事にした。
「君、元はどこかの貴族令嬢か?」
「その通りでございます」
「……婚約破棄でもされたのか?」
「…………ええ、よくお分かりになりましたね。私は婚約者であった男性から一方的に婚約破棄を告げられたのです」
そう言った後、その侍女は思い出したくもないと言わんばかりに顔を俯ける。それに対して、ネビルは納得がいったという表情を浮かべていた。
その後、侍女は紅茶の準備を全て終え、出来上がった紅茶を用意していたティーカップの中に注いでいく。そして、その紅茶の入ったティーカップをネビルの前にゆっくりと置いた。だが、当のネビルは用意された紅茶を飲もうとはせず、一言も話す事も無く、まるで何かを思案する様な表情を浮かべる。それに対して、侍女は用意した紅茶を飲もうとしないネビルに対して困惑する様な表情を浮かべた。
「…………」
「あの、どうかなさいましたか?」
(……そう言えば、あのアメリア・ユーティス侯爵令嬢も確か王太子殿下からの一方的な婚約破棄を受けたのだったな)
「あの……?」
「いや、何でもない」
何故、唐突に先日の会議の議題にも出てきたアメリア・ユーティスの事を思い出したのか、ネビルにも分からなかった。その直後、ネビルは侍女の銀色の髪で半分だけ隠された顔を凝視するように見つめ始めた。
それは、何かを思い出そうとしている様な、或いは侍女のその顔に何処か違和感を覚え、その違和感の正体を探ろうとしている様な表情だった。
「……そうだ。君、その髪を後ろに下げて、その顔を見せてみなさい。その隠されている顔に興味がある」
「……申し訳ありません。教皇猊下の命といえども、それは出来かねます」
「……何故だ? その理由を話してみよ」
「この髪で隠している頬には昔に出来た酷い古傷がございます。お見苦しい為、他人に見られない様にこうして髪で隠しているのです」
それは、侍女にしてみれば精一杯の拒絶だったのだろう。しかし、ネビルもそれでも諦めようとはしなかった。
彼も、女性が傷の残っている顔を見せる事がどれほど嫌なのかを知ってはいる。それが貴族令嬢ともなれば尚更だろう。それでも、ネビルはどうしてもその侍女の顔が気になってしまったのだ。
「それでもよい。私はお前の顔が見たいのだ。それとも、何か私の命が聞けぬ理由でもあるというのか?」
「いえ……。……分かりました」
流石に、そこまで強い口調で命令されれば拒否する事は難しいだろう。相手は教皇である。その権力は普通の貴族を上回り、侯爵や公爵に匹敵しかねない。更に言うなら、ここで拒否すれば、何かやましい理由があるのではないかという嫌疑を持たれてしまう。
そして、その侍女がネビルの言葉に少しだけ躊躇した後、髪を後ろに下げようとしたその瞬間だった。
「教皇猊下、お忙しいところ失礼いたします!! 至急お伝えしたい事がございます!!」
そう言いながら、明らかに高位の者であると分かる身なりをした男が、二人のいる執務室へと飛び込んできたのだった。
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