10 とある夜会での出来事と復讐劇の第一幕
これは、アメリアが婚約を破棄される前の出来事、とある夜会での一幕である。
「あら、アメリアさんではありませんか」
「マーシア様……」
ファーンス公爵家令嬢、マーシアはいつもの取り巻き複数人を連れてアメリアの元へとやってきた。マーシアは公爵家の令嬢だけあって、豪奢なドレスを身に纏い、宝石がふんだんに使用された装飾品を身に着けていた。
彼女達は開いた扇で口元を隠し、アメリアの方を見ながらクスクスと忍び笑いをしている。
そして、取り巻き達を率いているマーシアは辺りをキョロキョロと見た後、嘲笑を浮かべた。
「そう言えば、貴女の婚約者である王太子殿下の姿が見えませんが、どうなさったのですか?」
そう、最近アメリアの婚約者であるヴァイスはアンナとかいう男爵令嬢に入れ込んでおり、夜会のパートナーとして参加する機会が減っていた。
参加する機会があっても、最近のヴァイスはアメリアに対して不愛想になっている。
今日の夜会もアメリアはヴァイスを誘ったのだが、やんわりと断られてしまったのだ。マーシアにそれを指摘されたアメリアは思わず言葉に詰まる。
「それは……」
「まさか、貴女一人で夜会に参加している訳ではありませんわよね」
「……っ」
マーシアがそう言うと、取り巻きの令嬢達も嘲笑を浮かべている。扇で隠された彼女達の口元は醜く歪んでいた。
だが、マーシアもヴァイスがアンナに入れ込んでおり、アメリアが彼をパートナーとして夜会に参加する機会が減っている事を知っていた。
これはアメリアに対するマーシアの嫌味でしかないのだ。
「婚約者がいながら夜会に一人で参加するなんて、一体何を考えているのか全く分かりませんわ。ああ、もしかして王太子殿下に捨てられてしまったのかしら?」
その言葉で、マーシアの取り巻き達の嘲笑の度合いも一段と高くなっていた。
夜会は婚約者がいるなら、その者をパートナーとして参加するのは当たり前の事だ。だというのに、王太子の婚約者であるアメリアがそんな当たり前の事すら出来ないのかと、彼女達はそう嘲笑していた。
「所詮、貴女は王太子妃の器では無かったという事ですわ」
マーシアが王太子の婚約者の座を狙っているのは有名だった。
すぐに王太子の婚約者の座から降りて、早く自分に譲りなさい。そうすれば悪い様にはしない。言外にマーシアがそう言っているのだとアメリアはすぐに理解できた。
「それでも、私は……」
しかし、アメリアは政略結婚だと分かっていながらも、ヴァイスの事を愛していた。だからこそ、彼がアンナに入れ込んでいるのも一時の気の迷いだと信じていた。
そして、アメリアがマーシアに対し、震えながら何とか王太子の婚約者からは降りないという言葉を紡ごうとしたその瞬間だった。
―――――パンッッッ!!
まるで堅い物で人が叩かれた様な鈍い音が会場全体に響き渡った。アメリアの頬をマーシアの閉じた扇が打ち据えていたのだ。
更に、マーシアの扇には鉄が仕込まれていた。そんな扇で叩かれたアメリアの頬は赤く腫れている。更に口元から、血が数滴だけポタリと零れ落ちる。
本来なら、王太子の婚約者であるアメリアに対してこの様な振る舞いをすれば、見咎められる筈なのだが、マーシアだけは例外だった。
マーシアの実家であるファーンス公爵家はこの国の貴族達の派閥の中でも最大級の派閥のトップだ。しかも、マーシアの父であるファーンス公爵は宰相も務めており、更には国王でもそう軽々と口出しできない程の権力を持っていた。そして、マーシアの事を溺愛しているファーンス公爵が彼女の行いを揉み消しているのだ。その為、アメリアに対するマーシアの行いが王族の耳に届くことは無かった。
「それでも……、なんですの?」
「…………」
「ふんっ、これにて失礼いたしますわ。皆さん、行きますわよ」
そして散々嫌味を言い、嫌がらせをして満足したのか、マーシアは取り巻き達を引き連れてアメリアの元を去っていく。その直後、彼女に近づいてくるのはアメリアと同じ派閥の令嬢達だ。
「アメリア様、ご無事ですか!?」
「ええ、大丈夫よ」
アメリアは近寄ってくる令嬢達を手で制止する。だが、その令嬢達はアメリアに心配そうに声を掛けた。
「アメリア様、その傷では戻られた方がよろしいのではないですか?」
「ええ、そうするわ」
そして、アメリアは一人で夜会の会場から退出していく。この様な光景は夜会ではよく見られた光景だった。
アメリアが王宮で開かれた夜会で宣戦布告した翌日、彼女のイジメの証言をした令嬢の一人であるマーシア・ファーンス公爵令嬢は自らの住まう公爵邸の一室で取り巻き二人と共にお茶会を開いていた。
三人ともがそれぞれ社交の場にでも出席する様なドレスと装飾品を身につけている。
だが、マーシアは苦虫を噛み潰した様な表情を、取り巻き二人は何かに怯えるような表情を浮かべていた。
(やっと、やっとあの目障りな女を排除できたと思いましたのに!!)
そう、マーシアにとってアメリアは一番目障りな存在だった。公爵令嬢である自分より低い侯爵令嬢でありながら、王太子の婚約者、つまりは将来の王妃が約束されているのだ。それは、いずれアメリアがマーシアよりも高い地位になるという事に他ならない。
プライドが高すぎるマーシアにとってそれは到底我慢ならない事だった。だからこそ、アメリアを王太子の婚約者という立場から引きずり下ろす機会を虎視眈々と狙っていた。
そして、あのアンナという女の計画を知ったマーシアは即座にその計画を利用する事を考えた。男爵令嬢という低い身分でありながら王太子であるヴァイスの寵愛を受けるあの女の事は気に入らなかったが、マーシアはアメリアを排除する方を優先したのだ。
王太子はアンナに魅了されているが、あの女は男爵令嬢、排除する事は難しくは無い。そして排除した後、空いた王太子妃の座に自分が収まればいい。ファーンス公爵家の力をもってすればそれは容易い事だ。
そして、目論見通りアメリアを排除できた。後はアンナを毒殺、暗殺等ありとあらゆる手段を用いて排除さえすれば自分の元に王太子妃の座が転がり込んでくる、筈だったのだ。
それをあの女は台無しにしかねない。それどころか、アメリアは絶大な力を手に入れ、自分達に報いを与えにくるという。
(あの女は間違いなくわたくしも殺しにくるでしょう。ですが、わたくしには切り札がありますわ。我が家の宝物庫から拝借してきたアレを使えば……)
自分の手元にある切り札を使えば、アメリアを捕え、排除できる。そうすれば、王太子妃の座に就くという自分の夢も再び現実味を帯びてくるだろう、そう思案しているマーシアの耳に耳障りな声が聞こえてきた。
「マーシア様、私達はこれからどうすればいいのでしょうか!?」
「あの女は間違いなく私達に報復してきますわ!!」
「お黙りなさい。貴女達、そんなに騒ぐとみっともなくてよ」
だが、マーシアは取り巻き達の慌てふためく声を一蹴する。だが、その程度でアメリアの力に怯える二人を鎮める事は出来なかった。
「では、私達はどうすれば!?」
「このまま大人しくあの女に殺されろ、というのですか!?」
マーシアと違い、取り巻き二人は完全にアメリアの力に臆している。アメリアの狂気を垣間見ている二人は彼女が報復にくると完全に信じ込んでいた。マーシアが
「安心なさい。わたくしには切り札がありますわ」
「切り札、ですか……?」
「ええ」
「……それが一体どういった物か、教えてはいただけませんか?」
「……どこにあの女の耳があるか分かりませんから、教える事は出来ませんわ」
「ですが、それでは……」
切り札とやらがどういったものなのか、分からない二人は不安を払拭する事は出来なかった。それでもマーシアは二人を安心させようと言葉を続ける。
「だから、安心なさいと言っているでしょう。今この瞬間あの女が現れてもこの切り札さえあれば、わたくし達の身の安全は保障されていますわ」
「本当、なのですか……?」
「ええ、我がファーンス公爵家の名においてそれは保証いたしますわ。だから安心なさい」
マーシアの言う切り札とやら、それが一体どういう物か分からないが、それでもマーシアの自信溢れる表情を見た取り巻き二人は、互いに顔を合わせて頷き合う。
「はい、分かりました」
「マーシア様の事、信じさせていただきます」
不安は未だ拭えないが、二人はマーシアの事を信じる事に決めた。
「覚悟なさいアメリア・ユーティス。貴女の思い通りにはいかなくてよ……」
そして、マーシアが怨嗟のこもった声でそう呟いた、その時だった。
「では、その切り札とやら。どれ程のものか、是非見せていただきましょうか」
「……っ!!」
聞き覚えのあるその声の方を振り向くと、そこには恐ろしささえ感じそうな笑みを浮かべるアメリアの姿があった。彼女の姿を見た令嬢三人の頭の中では昨日の恐怖が蘇る。
「さぁ、始めましょうか。マーシア・ファーンス公爵令嬢、まずは貴女達からですよ」
ここに、アメリア・ユーティスの復讐劇の第一幕、その幕が上がるのだった。
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