第9話:紅蓮


この変化はきっと体が慣れ始めたというだけではない。


内部に意識を一瞬だけ飛ばしては回避という過程を経て、次第に文字盤の水晶の輝きが増す理由に思い当りつつあった。

しかし、決定的なピースが欠けている故に輪の魔術は覚醒へと至らない。


今度も火の粉を残して通り過ぎる棒を地面を蹴り飛ばして回避する。


回避に少しだけ余裕が生まれたことによって輪は新たな試みを行い、それはどうやら無事に成功したようだった。

その場に起きた妙な変化に気付いたのは輪と対峙する少女が最初だ。


「・・・・・・あれ?」


サラは自身の棒型の武装を眺めて怪訝そうな顔をする。

その手元の炎が明らかに勢いを失い始めていたからであり、不可解な現象は紛れもなく輪の行った試みのせいだ。


その結果を以て、輪が己の魔術の一部分が成功したことを確信した時だった。


手を貸すことを拒んでいた男が声を上げた。


「———掌握魔術、すなわちアブソリュート。それが君の魔術の名だよ。そこまで言えば今の君にはわかるだろう?」


嫌になる程に意地の悪いレイという男の涼やかな声が響き、サラは怪訝そうな顔をしながらも構えを解かなかった。

手加減をした状態では輪はサラの手に余る、とレイが言っていた理由が今になってようやく把握できた。


内側に意識を集中すると明らかな変化が見られたからだ。


紅の水晶を冠する文字盤の針が文字一つだけ重い腰を上げ、ついに動き出していた。

針を動かす方法まではサラの協力もあって自力で辿り着いた所だったが、レイの言葉でその扱い方にまで瞬時に理解が及んだ。

掌握とは要するに、完全に自分の手で扱う術を意味する。


では、掌握とは何に対してのものなのか。


輪の中にある文字盤のイメージを満たすエネルギーの補給、それは『敵の魔術の一部』を吸収して行われる。

脳裏に浮かぶ文字盤のイメージとは時計でも何でもない、示すのは輪が使える生体魔素アストマナの残量。

敵の放った力の一部を己の中に蓄積し、自身の魔術へと転用するのが掌握魔術アブソリュートの名を持った現代魔術の正体だったのだ。


以前の世界では輪がこの魔術を使えるはずもない。


敵意を持って魔術をぶつけてくる敵が存在しなかったのだから。


エネルギーが補給できなければ魔術は動かない、つまり輪は敵が存在しなければ戦う力を得られない現代魔術師だった。

この立ち合いの中でサラの魔術から吸収した炎はわずかなものだが、今になって紅の文字盤に秘められた力は解き放たれようとしていた。


子供が本能で自らが歩行できると知るように、脳裏に掌握した魔術を解き放つ呪文が浮かんでくる。


その紅蓮の力の名は―――



「———焔魔鋼双イフリート


両手には具象化する程にマナが密集した末に生まれた、紅に燃える刃に加えて黄金の装飾を持つ二つの刃が握られていた。

薄く透過する刃はマナの量が少ないからか、透き通って消えそうではあるが強烈な存在感をその兵装からは感じる。


これが紅の文字盤を動かしていた原動力であり、現代魔術を超えた力の形だ。


「・・・・・・具象化って、とんでもないものが出て来たわね」


サラも半分呆れたような顔で見つめているが、双刃の形を保っているだけでも明確に消耗していくのが感じ取れる。

恐らくは吸収したマナがわずかだったので、輪の肉体に宿る生体魔素アストマナが代わりに吸われ始めているのだ。


「あ、れ・・・・・・これ、どうやって止めるんだ?」


「はあっ!?あー、あたしの魔導器ロッド持ってくるんだったっ!!」


その事実に気付いてサラ共々、焦った時にもう遅かった。


焔魔鋼双イフリートの刃が不自然に形を失いかけている。

制御を離れた力が無差別かつ一瞬で炸裂すればどうなるかは扱う自分でも想像できてしまう。

それでも、弾け飛ぼうとする力を必死で押し止める間に他の人間だけでも逃がそうと視線を上げた。


その、時だった。


空間がぐにゃりと歪んだように見えて、次の瞬間には周囲を呑み込もうとした炎は跡形もなくなっていたのだ。

そんな所業を行える人間はこの場では一人しかいなくて。


次元を歪める世界に唾する力を持った魔女。


「考えがあるって言ったでしょう。危なっかしいわね」



―――鷹崎舞の現代魔術もまた、更なる次元へと覚醒を始めていた。



「・・・・・・本当に助かった、迷惑かけたな」


用意された宿に戻ると、何度目かわからない謝罪を舞に行った。

二人が用意されたのは仮の客間で、とりあえずは新しい部屋を手配するまではここに宿泊するようにレイ院長から言われている。


「もういいって言ってるじゃない。初めてなんだから仕方がないわ。逆にそこまで謝られると私の方が嫌なのよ。いつも通りに罵倒するがいいわ」


「俺がいつも罵倒してるみたいな言い方は止めてくれ」


ふんと鼻を鳴らして、これ以上の謝罪は逆効果だとはっきりと告げて来る。

彼女の魔術がなくてもレイの表情と態度を見る限りでは何とかしていただろうが、それでも迷惑をかけて危険に晒したことに変わりはない。

他人が何とかしたからといって謝罪を行わない理由にはならない。


いつも通りの会話を交わして、ようやく舞は満足そうに微笑んだ。


普段は残念な所も多いのにこういう時には優しくて、底抜けに人の良い彼女の笑顔を見て心臓がトクンと一際大きく跳ねた。

気の迷いだと忘れることにしてしまおう、と輪は目線を彼女から逸らした。


「大事なのは次は同じ失敗をしないことでしょう?」


「単純に制御しきれないのもあるけど、盛大に失敗した理由はわかってる。タンクの中身があった状態から空に変わると次に食われるのは俺の生体魔素アストマナだ。少なくとも制御出来ないなら、空にはできない」


「それにしても変わった魔術だったわね。他人の力を燃料にするなんて」


「サラが相手をしてくれたから見つけ出せたし、癪だけど院長の言う通りだったな」


レイはきっと計測の段階である程度の推測は立っていたのだが、あえて実戦の中で感覚を磨くことを選ばせた。

そして、その感覚が研ぎ澄まされた瞬間を狙って名前を教えることで解答を与えたのだろう。


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