第3話:転移
かくして、彼女が指先で描いたエメラルドの幾何学模様の先に新世界は広がる。
「相変わらずとんでもない現代魔術だな……」
「いつもより扉が重かったけど問題なさそうね」
襲ってくるのは存在を安定させるまでの過程で起こる頭痛と吐き気だが、それも三回目とあって慣れてしまった。
昔は理想の世界で剣を振るう自分を夢見たせいか、自身が世界に唾する魔性を宿していたからなのかは不明だが不思議とこの世界はしっくりくる。
どうやら前回と同じボールと衝突したようで、訪れた世界も同じものだ。
それでも現実から離れた場所に来たのだという強い感動は覚えており、現代と変わらない空や目の前に広がる街並みを輪は見渡す。
そして、まるで写真で見た近代ヨーロッパを思わせる商店街を二人して進もうとした時だった。
ひらり、と一枚の紙きれが風に舞って落ちてくる。
こちらの紙か、現代から着いてきたものなのかは咄嗟には判別できない。
―――瞬間、全身に言い知れぬ不安が走った。
「……何かしら?」
唐突に舞い降りた紙片を拾い上げて書かれた文章に目を通すなり、舞は明らかに表情を曇らせた。
そこに何が書いてあるのか気になって、横から紙を覗き込む。
『新世界にようこそ 魔王』
そんな悪趣味で小さな文字が躍っていた。
「何だ、これ……?差出人が魔王ってことだよな」
「随分と趣味の悪い名前に設定したものね。ただ、現状では何がしたいかもわからないわ」
「歪みを閉じるついでに調べてみるか?」
「ええ、今回の滞在期間は少し長めね。こちらの時間で……そうね、まる一日程度。穴もそれぐらいには閉じそうよ」
歪みを閉じる準備が完了するまでの時間はまちまちで、穴を閉じる作業が完了する直前に元の世界に滑り込む形になる。
だから、穴への処置を行って準備完了までは自由時間である。
今までは異世界観光を行うことが多かったが、今回は調査になりそうだ。
なぜだろう、魔王という響きには不安を感じる。
まるで大きなことが起きようとしているような、魔王のいなかった二人の世界に異物が紛れ込もうとしているような予感があった。
あの手紙はどこから降ってきたのか。
もし、現代の歪みに干渉できるとしたら。
考えても答えは出ないと知りながらも、輪は異なる世界の街並みへと憂鬱な視線を飛ばしたのだった。
二人がいる場所は、地図に従えばアスガルト交易都市と呼ばれる区域になる。
交易の為に海を渡って訪れる人間が多く、居住人口は十二万人。
東の海に面していることによって、海産物が美味としても知れ渡り各地の商人が流れ込むので商流の盛んな地域である。
不思議なことに基本的な言語は通じるので何とか人々とのコミュニケーションは行えるのが数少ない救いだった。
「おじさん、いつもの小さいお肉を一つ。彼にも好きなものを」
前回も入った馴染みの店で舞はドヤ顔で注文するが、きっと最後の部分を言ってみただけなんだろう。
舞はとある現代魔術絡みで過去にこの世界と交流があり、幾ばくかの報酬を貰ったおかげで現地の金を持っている。
「じゃあ、この等級Aの肉を―――」
「た、足りるわよね・・・・・・えっと」
「悪い、冗談だよ。彼女と同じ物を頼む」
焦り始める舞を見て苦笑すると彼女はじとーっとした目で輪を見つめて来る。
善良な彼女を無意味にからかったことに関してはさすがに申し訳なく思って謝罪を一つ挟んだ。
この世界の金の価値はわからないし、環境が変われば物価などいくらでも変動するから参考にはならない。
ただ、等級Aの肉はその辺りで売っている持ち運び型の飲み物を日本円で二百円ほどだと換算するとざっと五十倍、こんな適当に計算しても一万円くらいだ。
ガコンとマシンを起動させるとサービスで提供している茶を先に出してくる店主。
そう、この世界が現代日本と共通することは機械文明の発展だ。
この世界には現代魔術と類する技法を使った不可思議な技術があるとはいえ、それらは生活に完全に活かすには向かない。
そうなれば、利便化を目指す人が機械の探求に走るのは合理的だ。
異世界だからといって人間の本能や研鑽が必ずしも衰えるわけでもない。
「それにしても、この世界ってどういう位置づけなんだろうな。並行世界?とやらにしては違い過ぎる」
「異世界としか言えないわね、今の所。でも、同じ人間である以上は共通する部分も多いようね」
店内を眺めてそうため息を吐く舞。
張り紙の文字は正確に読めるわけではないが、内容は何となくわかる。
漢字を少し記号化したような文字が使用されているから、視覚で何となく把握は出来るというだけだ。
言語がある程度は通じるのも似通った言語中枢を持つからなのかもしれない。
―――それにしても、この世界は日本とは違う部分も多い。
その世界で彼女は輪と出会う前の二年間は一人で歪みを閉じて来たのだ。
誰にも相談できずに親すら亡くした中で、ある日に発生し出した歪みを危険を冒して潰していた。
こんな世界に一人で飛び込むのは恐ろしかっただろうし、戻れるとわかっていても不安だったに決まっている。
そんな生活を送っていたら、ようやく出来た仲間に少しばかり依存してしまうのも仕方がないだろう。
面倒だと感じることもあるが現代史同好会に顔を出し続けるのは、そんな彼女を尊敬しつつも力になってやりたい・・・・・・と本人には言ったことはない。
「そういえば、お前ってお金いくら持ってるんだ?等級A肉が何枚分かでいいや」
「確か・・・・・・ざっと六十五枚分かしら」
「さっき足りるか、みたいなこと言ってなかったか?」
「この世界にもお金を預ける場所くらいはあるわよ。ATMみたいなものは防犯上でないから、少し歩く羽目になるけどこの後に行きましょう」
さすがに一年以上も早くこの世界に足を踏み入れているだけあって博識だった。
「ああ、お金は別にいいわよ。あなたも協力してくれているし、入用のものは一緒に出すから」
そして、少し感動するぐらいに無欲で善良な舞であった。
舞とて最初は輪を巻き込むことを渋り、巻き込んだ後も申し訳なさそうにしていたのだが遠慮はするなと言い聞かせたのは輪自身だ。
その時に告げた恥ずかしいセリフは記憶の底に封印している。
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