棒状のガードレールに絡んでしまわないように

鵠矢一臣

棒状のガードレールに絡んでしまわないように

 体にへばり付く洋服が不快で目が覚めた。

 目のすぐ前で、アスファルトの凹凸に雨粒が叩きつけている。

 体に不自由さを感じて見回すと、地面と並行になった上下2本のパイプの間に自分が絡まっていた。一体何をどうすればそうなるのか、右足が頭の上から垂れ下がり白のコンバースのつま先から雨粒がポタポタと滴っている。

 しこたま酒を飲んで酔った挙げ句このガードレールに寄りかかったまではうっすら覚えているのだが、そこから先がはっきりしない。


 今は昼前ぐらいだろうか、歩道を行き交ういろんな足が見える。

 革靴やらパンプスやら長靴やら、どれも地面を蹴る度に踵の辺りで水滴を跳ね上げていく。

 大して広くもない歩道なのだから僕の顔にはねてきてもおかしくはないはずだけれど、どれだけ眺めていてもこちらへ向かってくる気配はない。地面から引き剥がされた雨滴は何も言わずに再び地面へと帰っていってしまうのだ。

 どうやら皆わざわざ歩道の際を歩いているようだ。その辺りにできている水たまりを避けるよりも、僕から距離を取るほうが優先らしい。

 この位置から道行く人々の表情はうかがい知れないが、どうせ何食わぬ顔をして横目でチラ見しながら通り過ぎているに違いない。

 いっそ陽気なサンバ隊とか、すまし顔のタップダンサーなんかが横切って盛大に飛沫をひっかけていってくれればいいのにと思う。

 それで僕が抗議すると向こうは「そんなところに絡まってる方が悪い」と正論を言ってきて、悔しいけど言い返せないもんだから足に唾でも引っ掛けてやろうかと目論んで唾液を口の中に溜め始めるんだけど、そんなことしてる間に相手はさっさと行ってしまうのだ。

 残された僕はこの量を飲み込んだら気持ち悪くなるんじゃないかとか心配になってきて、だからといって道に吐き出すのも気が引けて、どうしようかと悩んでいるうちにも唾液はどんどん溜まってくる。

 そして、トイレかさもなきゃ排水溝でも見つけようと思い立った瞬間、悪いことに鼻がムズムズしてきて「まずい」と思うと同時にクシャミ一閃、そこいら一帯に唾液をバラ撒いてしまうのだ。

 でもすぐに強い雨がかき消してしまって、暫く何もなくただぼんやりするより他なくなってしまうのだけれど、不意に、なんだか夏が陰っていくような感覚が通りすがって僕をガムでも引き伸ばすみたいに引っ張るので、やがてガードレールの間からズルズルと抜けていく。

 きっと自分にはそうする以外の方法は無いのだ。


 雨はまだ止みそうもない。もちろんサンバ隊もタップダンサーも望み薄だ。

 だからといってこのままでいて、もし祈りの対象にでもなってしまったら、きっとさぞかし不愉快だろう。


 はたと思いついて、地面に触れるか触れないかぐらいの位置でぶらついている右手の五指だけを小刻みに動かしてみた。どこかで圧迫されているようで前腕から先は自分のではないみたいに無感触だったが、幸いまだ神経はつながっているらしく割と思い通りに動いてくれた。

 だらりと垂れ下がった腕の先で指だけが震えるようにピクついて、さながら殺虫剤で死にかけている昆虫のようになると、僕は途端に晴れやかな気持ちになった。

 ガードレールに絡まって身動きが取れない男の、右手の指だけが気持ち悪いぐらい活発に動いている。そんな場面に遭遇すれば、先を急ぐ人だって平常心ではいられなくなるに違いない。

 路傍のゴミをチラ見をするみたいだった連中の瞳孔がみるみる歪んでいく。くすんだ丸い瞳孔が不自然な多角形になってしまって、怒りにせよ戸惑いにせよ、もう無関係を装ってはいられなくなる。

 そんな光景を思い描いていると、もしかしたらこの手はやがて鬱血して紫色になる頃に、ちょっとした毒でも持つようになるんじゃないだろうかという気がしてくる。

 僕は、呼吸困難に喘いでいるような僕の右手に「そうはならないよ」と頭の中で語りかけながら、いつまででも愛でていてあげようと思っていた。



(了)

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棒状のガードレールに絡んでしまわないように 鵠矢一臣 @kuguiya_kazuomi

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