第3話


放課後。

そう。いつの間にか時は過ぎ、放課後になっていた。

転校生、ゆずりは初楓いちかの事が中々頭から離れず、悶々とした気持ちのまま迎えた夕暮れ時。


夕陽の射し込む静かな廊下を一人歩き、外から聞こえる部活動の掛け声にどこと無く疎外感を覚えながら歩みを進めていた。


「……一体、何なんだあの人は」


あれ以降は特に接触して来なかった彼女を無駄に意識してしまっていた俺は、彼女の挙動一つ一つに敏感になり、ろくに授業に集中出来ずにいた。

おかげでノートは白紙のままだ。

まぁ、それは普段と然程変わり無いから良いのだが。


それよりも、だ。


何故、彼女は俺の事を知っていた?

考えられるのは過去に何処かで会っていたという事。しかし、ただ顔を合わせた程度にしては俺の事を知り過ぎている。かと言って、彼女と友人になった思い出もなければ顔すら見たことが無かった。

まず間違いなく初対面と言って良いだろう。

だとすれば、彼女は如何にして俺の情報を得たのか。


「……あー。何も分からん」


こちらの情報は筒抜け。

その一方で彼女の事は名前以外何も分からないときた。なんかモヤモヤする。


何より、あの言葉が俺の心に深く突き刺さっていた。


「恋を教えて、ねぇ……」


かくいう俺も、恋をしたことが無い。

OSの影響でモテてはいたけど、それは一方的なものでしか無かった。

誰かを好きだと思い、告白し、付き合う。

そういった一連の流れはエロゲやギャルゲで一通り学んだつもりだが、それは結局のところ何の役にも立たない。


リアルな恋愛経験は皆無なのだ。

そんな童貞野郎が一体何を教えられるというのか。


「……次会った時に無理だって言おう。うん。そうしよう」


考えは纏まった。ならば、後は時を待つのみ。


幾分か気が晴れた俺は校舎を後にして、帰路に着く。家までの距離は10分と掛からない近場にある。

学生の一人暮らしにしては家賃がそれなりに掛かるが、仕送りは極力使わずにバイトで稼いだ金を充てている。

親からは遠慮するなと言われているけれど、無理言って地元から遠く離れた学園に通わせてもらっている以上、自分で出来る限りのことはしたい。


「と言っても、正直厳しいんだけどな」


学生が稼げる時間帯は限られているので、無理をしない限りは多く稼げないのが現状だ。

週3日で夕方から夜の九時までバイトして土日のもフルで働いて……それでも、やはり生活は厳しい。


仕送りに手を付けるか否か。

悩みの種は消えず、マンションのエレベーター前で盛大に溜息が溢れる。


「何か悩み事?」


降りてくるエレベーターを待っていた俺の隣に来た人が、自然な感じで語り掛けてきた。

聴き慣れない声ではあるけれど、流石に1日に何度か聞いていれば誰の声なのかは分かる。


身長差から見下ろす形で楪さんへと顔を向けた。

そして、目で訴える。


"何でここに居るんですか"


あぁ、と笑う所を見るに、どうやらその訴えは伝わったらしい。


「それは勿論、ここに私の住む部屋があるからよ」


至極真っ当な理由だった。

それならここに居ても何ら不思議な事はない。


成る程、と頷いて目線をエレベーターの方へと戻した。

と、タイミング良く電子音を鳴らして一階に降りてきたエレベーターに、二人で乗り込む。

何階かと目配せすると、六と指で答えた。

俺が話せないからって別に彼女まで合わせる必要もないのだが、突っ込む気にはなれないのでスルー。


それから無言が続き、エレベーター特有の奇妙な浮遊感に苛まれながら六階に到着。


一向に外へ出ない彼女に違和感を覚えつつも、先にエレベーターから出た。

すると彼女はその後をついて来るように出て、何故か603号室の前で立ち止まる。


「……」


どうやら、この部屋に用があるらしい。

メモアプリを立ち上げて、文字を入力。


『ここ、俺の家なんですけど』


それを彼女に見せると、平然とこう答えた。


「あら、奇遇ね。私も今日からここに住むことになったの」


本日何度目かの思考停止。

再起動まで五秒は掛かるだろうと思われた矢先、急に吹き出して鍵を見せてきた。

鍵に付けられた番号は602。つまり彼女の部屋は俺の部屋の隣だ。


「冗談よ、冗談。あははっ、まさか本気にしたの?」


目に涙を浮かべて笑うその姿に、湧き上がる一つの感情。それは、怒りだった。


「……お前なぁ!」


 溜まってたものが一気に噴き出して、怒鳴り声を上げる。思った以上に声が出て自分でも驚いた。

 当然その声は彼女の耳に届いたようで、茹で蛸の如く顔を真っ赤にして制服のスカートを抑えながら、ペタンとその場にへたり込む。



「〜〜……っ!!」


 見れば、ギュッとスカートの裾を掴んで何かを隠そうとしている。

一体何事かと顔を近づけて、異変の正体に遅れて気が付いた。



「……ごめん」


 聞こえないくらい小さな声で呟いて下に広がる水溜りから目を逸らした俺は、遠く沈み行く夕陽が完全に地平線の彼方へと消えるまで眺めていた。

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