臆病者と魔法のティータイム
原平利もぴお
魔法その1 弾けるレモンティー
中学一年の夏、その頃私は街をぶらつく日常を送っていた。そうなったきっかけは今ではもう覚えていないけれど。
学校に行って、授業を受けて、友達と笑って、家に帰ったら制服も着替えずに財布とケータイだけ持って自転車に跨り色んな物や場所を見ていた。
スカートだとアブないからせめてズボンを履いて親にと言われたので、面倒臭いから使っていない体操服の半ズボンを常に履くようにした。不服そうにしていたけれど、当時の私にとって『新しいものに出会う』という事は何よりの娯楽だったのだから、着替えの時間も惜しかった。
友達が遊びに誘ってもたまに用事があると言って断るくらいには夢中だったんだから、当時の友達にはきっと付き合いが悪いヤツ、と思われていたと思う。それでも仲良くしてくれていた友達たちには本当にありがとうと言いたい。
夏休みが始まってもそれは変わらなかった。学校に行ったり友達と話したりする事が無くなるだけ。
いつもの様に自転車で家を飛び出して右に左に自由気ままに。テキトーに進んでもだいたいどこに何があるかは分かる程度にはこの辺りは知っていた。
そう、この角を曲がればそれなりに新しいけど、誰も住んでなさそうな一軒家が……あれ?
「看……板……?」
入り口らしきドアのすぐ上に『Lâche』と書かれている看板が掛かっていた。喫茶店なのだろうか。と、いうかあのaの上についてるチョンは何?らちぇ?英語かな。
と頭をひねっているとカランカランとドアベルの乾いた音がして、ドアが開いた。
「それは『
人好きしそうな笑顔を浮かべた紺色のエプロンを着けた、青い瞳に触るとふわふわしていそうな薄い金髪の青年が顔を出す。
なんだろう。そんなに分かりやすく悩んでいただろうか。普通に見ていただけだと思うけど。
「ふふっ。実は僕、読心術が使えるんですよ。僕が使える『魔法』の一つなんです。結構難しいんですよ?」
……からかわれてしまった。それにしても子供とはいえ中学生相手に『魔法』なんていくらなんでもなぁ。
「魔法……ですか。いえ、すいません。お店の前で失礼しました」
「あぁ、いえいえ。迷惑だからからかった、とかでは無いんですよ?寧ろこちらこそ失礼しました。暑いですし、宜しければ中にどうぞ」
チラッと横目で近くにあった立て看板にあるメニューを見る。うん、そんなに値段は高くない。私は自転車のキックスタンドを立てた。
ドアをくぐるとクーラーで冷えた空気が身体の熱を下げてくれる。自転車を漕いでる最中は気付かなかったけど、随分と汗もかいていた。
案内されたカウンター席に座る。木目が綺麗な椅子とテーブルはなんというか、肌に吸い付くみたいで心地よかった。一息ついて私と案内してくれた青年店員さん以外は誰もいない店内を見渡すと目につくのは四方の壁に置かれた棚に所狭しと並べられた本、本、本。メニューもあったし、てっきり喫茶店だと思っていたけど、これではメインが喫茶なのか本なのか分からないレベルだ。
「いらっしゃいませ。ご注文が決まりましたら一声おかけください。ご用意に少々時間がかかる物もありますのでその間、お好きな本をお選びください」
なるほど。どっちもメインなのか。
アイスレモンティーを注文して、言われた通り本棚に向かう。一通りぐるりと目を通すとまずその本の種類に驚いた。普段外でぶらぶらするばかりであまり本を読まない私でも知っている様な有名な本から、最近直木賞を取った話題の新作。向こうの棚には英語や中国語?の本もあったし、入り口付近には雑誌や新聞もあった。
とは言っても本に馴染みがない私だ。好きな本を、と言われてもどう選べばいいのかなんて分からない。寧ろこう選択肢が多いと余計悩む。何でもと言われるのが一番困るものだ。晩御飯何が食べたい?と聞かれて「何でもいい」と返した時のお母さんもそう言っていたのだから、この気持ちは私に限ったものでは無いはず。今度聞かれたらちゃんと考えてあげよう。
そういえばついこの間、同じ様な事を考えていた様な……。あ、思い出した。自由研究だ。せっかく新しい場所でいい気分だったのに、今考えたくないものを思い出してしまった。まだ殆ど手をつけてないんだよなぁ、宿題。
それまでどんな本があるのかをしっかり見ていたのが思い出したくもない事を思い出して、それを忘れようと集中したせいか、なんとなーく本を眺めていく事に変わっていく。
うーん、結局見ても分からないし、これだ!っていうのが無ければそれこそ自由研究に使えそうな物でも調べてみようか……なんて考えていたら、ふとある本で目が止まった。
古めかしい革張りでベルトで止められた如何にもな古書は、周りの本から随分と浮いていた。何故今まで気にも留めなかったのか不思議な程の存在感を放つその本に手を伸ばしたところでコトッとグラスが置かれる音がした。
「お待たせしました。『弾けるアイスレモンティー』です」
革張りの本に吸い込まれていた意識がその一言で戻ってくる。
「あ……どうも」
「気になる本は見つかりましたか?」
「その、普段あまり本を読まないので、よく分からなくて。でも、一冊だけ気になる本が……あって……」
「なるほどなるほど。どの本です?」
「その、あれ……なんですけど……」
グラスに浮かぶレモンを見ながら先程の本を指差した。中身も見ていないし、そもそも何の本かすら知らない。背表紙には何も書かれておらず、茶色の革に金色のラインで装飾されているだけ。
「……何故この本を?」
「えっと、何となく?」
そう、何となく。あの感覚を言葉で表現することが私には出来なかった。これだけの本から一冊を選ぶのに、そんな選び方でしか選べないというのは少し申し訳ない気持ちもある。
だからだろうか。店員さんの声からそれ纏っていた柔らかさが、少し消えた様な気がしたのは。
恐る恐る顔を上げると、出会ってからずっと浮かべていた笑顔に陰りが見えた。
「あれは昔、僕が恩師に頂いた本なんです。今まで気にされた人なんていなかったので、少し驚きました」
そう言って一呼吸置いた彼は元の柔らかさを取り戻していた。それより……
「今まで……?」
「はい、あなたが初めてです。アレ、結構な値打ちモノなんですよ?僕の故郷では、アレをその……先生?から貰えると、一人前になれるんです」
随分と変わった文化だ。聞いたことがない。日本人ではなさそうだし、見た目から判断するとヨーロッパの出身だったりするのだろうか。
「日本の方では無いんですね」
「ええ。うんと遠いところです。そういえば名前も言っていませんでしたね。僕、パシオって言います」
「あ、えと、ミコト……です」
思わず自己紹介をしてしまったけれど、よくよく考えてみると喫茶店で店員さんと自己紹介をし合う現状はなんというか、不思議だ。お見合い……みたいな。
中学生とお見合い、か。これ以上は店員さんの沽券に関わる気がするから、考えるのはよそう。
「ミコトちゃんですか。素敵な名前だ」
「ありがとうございます」
いきなり『ちゃん』付け……まぁいいけど。
出されたレモンティーの氷がカランと音を鳴らす。そういえば全く手をつけていなかった。結露で濡れたグラスを掴んで付けられていたストローでかき混ぜるとカラカラと小気味よい音を鳴らした。そのままストローを通ってきたレモンティーが乾いた口内を潤した。その瞬間、レモンが弾ける。
「おいしい……」
口の中に突如現れたレモンはその酸味で少しだけ遅れてやってきた紅茶の香りを引き立てる。馴染みのあるレモンティーの様な甘さはない。でも、物足りなさは微塵も感じなかった。寧ろ、余分な物を排除したからこそ、ここまで美味しいのかもしれないと思うほどだ。
不意に口から漏れた言葉は余りにも足りなさ過ぎた。それでもその言葉を聞いたパシオさんはその笑みを深めて、
「それは何よりです」
と笑った。その笑顔の眩しさと意図しない呟きを聞かれてしまった恥ずかしさでパシオさんから目をそらすようにもう一度あの本に視線を送った。あれ?あの本が無い。
「もしかして、これをお探しですか?」
「え?」
カウンターの向こうにいるパシオさんの手にはあの革張りの本があった。いつのまに?それにどうやって?
「……魔法、ですか?」
「ふふ。えぇ、魔法です。よろしければ開いてみてください」
語尾に音符が付いているように軽やかなセリフと共に差し出された本はそのセリフとは正反対にズッシリと重く、しっかりとした手触りがあった。この金色のライン、本当に金属なんだ。
ボタンを外してベルトを解いてその重たい表紙を開く。すると
「真っ白……?」
どれだけページをめくっても、店内ライトで透かしてみても、真っ白なページが続いていた。立派なお絵かき帳、というには些か古過ぎる紙を撫で、目に見えない凹凸が無いか確認する。点字でもないか。
「ふふ、そんなに不思議ですか?」
「あの、これは?」
「実はこれ、単なるインテリアなんですよ。かなりの値段はしますけどね」
「ちなみにどのくらいするんです?」
「だいたいこの建物二軒買ってお釣りがくるくらいです」
危ない。本を落としそうになった。い、家二軒?そんな値段のものをポンと渡さないで欲しい。不躾に触っていたがその時に破れていたらと思うと震えが止まらない。
「お、お返しします……」
「お返しされます」
そそくさと傷つけ無いよう家二軒本を閉じてパシオさんに渡す。落としたりしない様、最大限の注意を払いながら差し出したその本を、パシオさんはニコニコ笑いながら受け取るとカウンターの下に仕舞った。
それそんなに雑に仕舞って良いの?家二軒だよ?なんかこう、濡れたり汚れたりしない?
「ふふふ、すいません。少しからかい過ぎましたかね」
「あ、よ、よかった……そうですよね。流石に家二軒は高過ぎますもんね」
「いえ、値段は本当ですけどね?いい反応が見れるかな?とつい」
すいませんと形ばかりの頭を下げられたけれど、これは絶対反省していない。この人は油断ならない人だ。覚えたぞ。
「お詫びに本探しをお手伝いさせていただきますね。こんな本がいい、こんなジャンルが好きだというものがあればオススメのものを紹介させて頂きますよ?」
「……それなら、夏休みの宿題に自由研究があるんですけど、それに使えそうなモノが載っている様な本ありますか?」
「自由研究!懐かしいなぁ。それなら確かこの辺に……」
カウンターから出てきて窓際の本棚の前で屈み物色し始めるパシオさんを注意深く見る。たぶん、目付きはそれなりに悪くなっていることだろうが、もう油断しない。
彼は警戒されちゃったなぁと苦笑しながら本探しを続けているが自業自得である。甘んじて受け入れて欲しい。
「あ、これだこれだ。はいどうぞ。『身近な物で出来る化学現象』っていう本なんですが、自由研究の調べ物には向いていると思いますよ」
そう言って差し出された本は例の革張りの本とは違い書店で見かける様な普通の本だった。といっても私は書店に行くことはまず無いが。
「……この本は高く無いですか?」
「ぷっ、あっははははは!大丈夫、大丈夫ですよ。一般的な値段の本ですから。あはは」
ひったくる様にその本を受け取る。ヒーヒー言いながら目元を擦っているパシオさんを尻目に本に集中することにした。
全く失礼な人だ。涙が出るほど笑わなくても良いではないか。あ、この本分かりやすい。
こうして私はたいぶと集中していたのだと思う。一息ついて窓の外を見るともう空は赤に染まっていた。
慌てて本を閉じて氷が溶けて薄くなってしまったレモンティーを飲み干すと食器を拭いていたパシオさんに話しかける。
「すいません、お会計お願いします」
「あぁいえ、今回のお代は結構です。少しからかい過ぎてしまいましたし。本当に反省しているんですよ?」
「え、でも……」
「もし良ければまた来て下さい。レモンティーを用意してお待ちしてますから。あぁ、今度来られた時は心を読む以外の魔法も見せますよ」
魔法だなんだと茶化してはいるが譲りそうに無い気配を感じる。仕方ない。今回は甘えさせてもらって、また来るとしよう。外で自転車を走らせてばかりの私だが、自分でも意外な事にこの場所の雰囲気は嫌いじゃないし、レモンティーはもっと嫌いじゃない。
「分かりました。お言葉に甘えさせていただきます」
「はい。またのご来店お待ちしております。あ、本は置いておいて頂いてかまいませんよ」
頭を一度下げ、店のドアを開ける。入ってきた時とは逆にくぐったと同時にムアッと熱気が襲ってきた。
冷房の恩恵に後ろ髪を引かれながらもドアを閉め、停めてあった自転車に跨り地面を蹴る。最初は立ち漕ぎで、徐々にスピードが出て風を感じる様になると、サドルに腰を下ろした。
真夏でも風は涼しいものだ。やはり自転車は素晴らしい。彼が心を読む魔法が使えるというのなら、私にはこの魔法の自転車がある。私はこの魔法の自転車で真っ赤な夕暮れの中風になるのだ。びゅーん、とね。
赤い空に紫が差し込んできた頃に家に着いた。私にかけられた魔法ももう解ける時間。時計の針は十二時を指してはいないけれど。
自転車から降りると、風が止んで暑さを思い出した。その暑さから逃げる様に家の玄関を開け「ただいまー!」と叫ぶ。
台所にいたお母さんにそろそろ帰ってくると思ってお風呂沸かしてるから先に入りなさいと言われた。お母さんも未来予知の魔法が使えるのかもしれない。
お風呂から上がって二階の自室へ。晩ご飯までもう少しかかるらしいので、忘れない内に自由研究に手を付けようと思う。
先日ノートパソコンを新調したお父さんから貰ったお下がりを立ち上げる。これを買ったのは確か四、五年くらい前で数世代前の代物だ。御多分に洩れずその起動は遅い。まぁ別に常日頃使う訳でも無いし、何より自分だけのパソコンだ。貰った時はかなり嬉しかったのは記憶に新しい。
起動するのを待っている間に髪を乾かす。肩甲骨辺りまである黒髪は乾かすのだってそれなりに時間も手間もかかる。最近暑いし、いっそのこと一度ショートカットにしても良いかもしれない。右手にクシを左手にドライヤーを。慣れたものだが面倒なものは面倒なのだ。
ようやく立ち上がったパソコンで今日読んでいたモノをもう一度調べてみる。一応の目処が立っていたのだが、検索している内に別のテーマでも面白そうかなと思い始めた。
ラーシュでの時間は有意義なものだった事を実感する。自由研究がこんなにもスムーズに進んだ事は今まで経験した事がない。
あの本に出会わなければ、あの店、あの場所に行かなければ、今頃私は隣のベッドで寝転がって呆けていた事だろうし。ラーシュ様々である。
そこでふと疑問に思いキーボードの上で指を走らせる。調べたのは「Lâche」の意味。確かフランス語と言っていたけれど、つまりは単語として意味を持っているはず……。
翻訳サイトで調べた「Lâche」に頭を傾げた。何故これを店名にしたのだろう。部屋の中にノックが響く。
「ミコトー。ご飯できたよー」
「はーい」
私は「臆病者」と表示された画面を閉じた。
臆病者と魔法のティータイム 原平利もぴお @mopi_haraheri
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