帰郷
十森克彦
第1話
送付状の送り主の欄には丁寧な、しかしか細い文字で、母の名前が書かれていた。何年か前に、自宅に置きっ放しにしていた本を何冊か送ってくれないかと頼んだら、本と一緒に食べ物や衣類やらが詰め込まれた荷物が届いた。それ以来、こんな風に不定期に小包が送られてくるようになった。
二日続きの夜勤明けで、本当はすぐにでもベッドにもぐりこみたい気分だったが、タイミングよくやってきた宅配業者を追い返すわけにもいかず、とりあえず受け取った荷物をワンルームマンションに運び込んだ。一抱えほどの段ボール箱を置けるスペースは玄関にはなく、キッチンは通路でしかないので、結局室内に持って入るしかない。ガムテープを破って、中身をざっと見る。一度、後回しにしたまま忘れてしまってしばらく放置したところ、中に入っていたミカンだったかが腐ってしまって大変なことになった。それ以来、とりあえず中身だけは初めに確認しておくことにしていた。
缶詰に梅干しに海苔、それに米まで入っている。回を重ねるごとに詰め込み方が巧みになってきているようで、無駄なく効率的に詰め込まれている。
隅の方に、珍しくスペースが余ったのか新聞紙が丸めて入れられていた。引っ張り出そうとすると、中から小さなりんごのようなものが転がった。くすんだ紅色のそれは、子供の頃好きだった果物の一つだ。
「これ、なんて言ったっけ。久しぶりに見たな」
丸められた新聞紙は、箱の隅が空いたわけでなく、これを詰めるのに緩衝材に使っていたらしい。例のみかんが腐った時には買ってきたままをネットごと入れていたのだが、丁寧に一つずつくるんであるのは、母なりに工夫をしたものらしかった。ひとつ取り上げ、そのままでかじると甘酸っぱい懐かしい味が口の中に広がった。残りをそのまま冷蔵庫に入れ、他に生ものは入っていないことだけを確認して、眠ることにした。
高校を卒業して――正確に言うと浪人して入学した大学を一年の半ばで中退して――堺にある実家を出て、東京に出て来た。何かやりたいことがあったというわけでなく、いたたまれなくなったからである。
一言の相談もせずに退学届を出してきた夜にその旨を報告すると、
「ああ、そうなの」
と意外とそっけない反応がかえってきたが、翌朝、台所で朝食を作りながら一人肩を震わせている後姿を見てしまった。逃げ出すように東京に来て、とりあえず介護施設に就職し、そのままで時間が過ぎていた。これからどうしていくのか。介護の仕事にはそれなりに面白みも感じてはいたが、続けていく覚悟も決められず、いつかそのうち、そんなことを漠然と考えながら、おろおろと過ごしているのだった。
夜勤中に仮眠もあまりとれなかったためか、目覚ましもかけずに眠り込んでしまって、そのまま夕方まで目を覚まさなかった。
「しもた、寝過ぎてもうた」
ぼんやりと時計を眺めて三日連続になる夜勤入りの時間が迫っていることに気付くと、慌てて飛び起きた。急な退職者が出たため、近ごろシフトがかなり偏ってしまっている。日頃は意識的に抑えている大阪弁がまともに出ていることにすら、気付かない。
大慌てで身支度をし、出かけ際に例の段ボール箱が視野の隅に入ったが、片付けている時間はない。生ものは出したから、後はまた明日にするか、と考えて靴を履きながら、そう言えばあの果物、なんて言うんだっけ、とまた考えたが、思い出せない。まあいいや、とそのまま外に出た。
夜勤も三日連続となると、相当きつい。勤務が明ける頃にはくたくたになっていた。このままじゃいけない。そうは思っているが、決められないのだ。忙しいという言い訳を自分にも親にもしながら、祖父の葬式にも帰らなかった。
自室に戻り、昨日から置きっ放しになっている段ボールを見た。今夜は久しぶりに、勤務じゃない。ひと眠りしたら、整理をしよう。冷蔵庫を開けて、新聞紙にくるんだまま放り込んであった、例の果物を取り出す。今度はちゃんと、洗ってかぶりついた。冷えていて、うまかった。気のせいか、昨日のものよりも、少し甘い。味や香りと一緒に、実家で食べていた少年時代のことが色々と思い出された。
「そうか、李だ。思い出した」
自分の声が響くのを聞きながら、今年の盆くらいは、久しぶりに大阪に帰ってみようか、と思った。
帰郷 十森克彦 @o-kirom
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