第一幕


 暗闇の中を駆け抜ける。


 白刃が閃いて鋼と鋼のぶつかり合う火花が散る。


 よもや自分の斬撃が防がれるとは思っていなかったのだろう。


 男は憤慨してさらに刀を斬りつけてきた。


 再び火花――


 恐ろしい一撃ではある……。


 ……が。


 防げないわけではない。


 自分の剣技が剣士として一流と呼ぶにはほど遠い事は重々承知している。


 それでもなんとか防げているのは紙一重でこちらの技量が上であるから――


 とはいえ、如何に敵が無頼漢の剣とはいえ、相手は三人……囲まれてしまっては多勢に無勢。


 多勢というにはもの足らないかもしれないが、今の私にとっては十人にも等しい。


 残りの二人の中に剣術に長けた者が居ないとは限らない。


 ここは逃げるに限る。


 闇の中を飛ぶように駆ける。


 幼い頃から野山を駆け回って培われた脚力がよもやこんな形で役に立つとは思わなかったが、それでも知らない山中を追われて走るのは恐ろしかった。


「そっちだ」

「仕留められないのか?」

「生け捕りじゃなけりゃあ、終わってたさ」


 漆黒の闇に男たちの声が聞こえる。


 生け捕り?


 声をひそめているつもりだろうが、こちらには丸聞こえだ。


 どういうことなのかと思案していると不意に――


 闇が晴れた。


 中天には眩しいほどの月明かり。


 暗闇の森を抜けたのだ。



 しめた!



 と思った直後――



 しまった!



 に考えが変わった。


 確かにそこは開けていた。


 この月明かりの下なら全力で駆ければあるいは奴らをまくことが出来たかもしれない。


 目の前に現れたのが原野であれば――


 だが残念なことに、目の前に地面はなく、眼下には立ちくらみを覚えるほどの切り立った崖があった。


 闇の底からかろうじて水の音が聞こえる。


 深い谷川でも流れているのか――


 物理的にも精神的にも崖っぷちに立たされている背後にがざりと草を踏みつける音がする。


 振り返るまでもなく三人の男たちがしたり顔で現れたのだ。


「さぁ、お嬢ちゃん……その刀を大人しく渡しな」


 さすがに三対一では私が抵抗するとは思わなかったんだろう。


 それでも私は刀を構えた。


「よくねえなぁ……生兵法は怪我の元だぜ」


 そんなことはいわれなくてもわかっている。


 それでもこの刀を敵の手に渡すことだけは絶対に避けなければならない。


 そんな想いを両手に込めて、刀を振り上げる。


 同時に三人も刀を抜いた。


 一番手近な男にその切っ先を振り下ろす。


 せめて一太刀!


 そんな気迫が功を奏したのか、私の刀が男を圧した。


 無論――


 そんな様子を黙ってみている残りの二人ではない。


 すぐさま加勢してくる。


 私はたちまち劣勢になった。


 それでも私が大の男三人を相手に刀を振り続けられたのは、向こうに殺さないようにの手加減があったからだろう。


 あるいは三人共に剣術の腕は人並みであったからかもしれない。


 一人一人の剣技ならば、私と互角、あるいは私の方が上であるかもしれないが、三人で攻撃するというのは技量以上に連携が必要であり、この男たちに連携という意識は無いに等しかった。


 隙あらば手柄を独り占めにしたい……おそらくそんな腹であろう。


 そもそも複数で一人に攻撃するのは技術もさることながらお互いの呼吸を合わせないと出来ないのだ。


 だからだろう。バラバラにくる斬撃を躱しつつ、こちらの攻撃を繰り出すことが出来たのは。


 なかなか私を仕留められないことに男たちは苛立ちを見せ始める。


 とはいえこちらも攻撃はすべて躱され、いなされ続けている。


「ええい、どけいっ!」


 と他の二人を押しのけてずいと前に出たのは一人の剣士だった。


 やたら先攻する二人の背後から隙を狙っているのは見ていたが、痺れを切らして出てきたのだろう。


 他の二人がすごすごと大人しく引き下がったのを見れば実力は二人よりも上であるらしい。


「女ながらになかなかの剣の技量だ…… ここは一つ、手合わせと参ろうではないか」


 と上から目線でものを言う。


 私はこう言った物言いが嫌いだ。


 ついでに言うとこう言った物言いをする奴も大嫌いだった。


 だから私は切っ先をそいつへと向けた。


 背後の二人のにやけた笑いが薄気味悪かった。


 まずい――


 直感的にそう感じた。


 不意に実感する実力差。


 この男は他の二人とは剣技に於いて雲泥の差があることが理解できる。


 一対一で相対してみて初めてわかった。


 これは……非常にまずい――


 勝てる見込みはまず無いだろう。


 命すら危ういのではないか。


 背筋に寒気を感じるのは冷たい汗が流れたからではない。


 この男の技量を恐怖として身体が感じているのだ。



 逃げる――



 咄嗟にそんな言葉が脳裏に浮かんだ。


 しかし逃げようにも背後は切り立った崖……


 手練れの男を躱したとしても後の二人が左右に居て逃げ道を塞いでいる。



 それでも――



 逃げなくては――!



 私は刀を下ろした。


 ほっとした安堵の空気が一瞬流れる。


 私が抵抗する意志をなくし諦めたと思った、男たちの安心の吐息だ。


 私はゆっくりと腰の鞘に刀を納める。


 するとより安堵の色が明らかになり、同時に嫌な欲望めいた色が見えた。


「ようやく観念したようだな」


「さあ、いい子だ……これで怪我せずにすんだな、嬢ちゃんよ」


 私はおずおずと、諦めたように観念した様子を精一杯見せて刀を鞘ごと差し出そうとする。


 男の手が刀に伸びようとした、その瞬間――!



 私は身をひるがえして逃げた。


 逃げる場所がないこの崖の上で――


 逃げる場所はただ一つ――


 私は谷底に身を投げていた。


 背後で男たちの怒声が聞こえる。


 暗闇を長い間落下して、どこか遠くで激しい水音を聞いたような気がした――

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