第二幕

 身体中に走る激痛に、私は目を覚ますしかなかった。


 気がつくと腕が背中が、そこいら中が痛い。


 苦痛の中、それでも目を開けてみる。


 見知らぬ天井……いくつもの梁が屋根を支えている。


 ごくごくありきたりな家屋だった。


 しばらくその天井を眺めている。


 どれほど時間が経ったかわからない。


 ほんの短い間だったかもしれないし、とてつもなく長い間だったかもしれない。


 それでも天井を眺めているうちに、全身の痛みがほんの少しだけ引いたような気がして、ようやく身体を起こすことが出来た。


 …………!


 いや、痛みが引いたなんてのは気のせいだ。


 引いたはずの痛みがぶり返すように目を覚まし、私の身体で暴れ出す。


 よく見れば痛む箇所には包帯が巻き付けてある。


 誰かが手当てしてくれたようだ。


 なんとか起き上がろうとする……と、なんと!


 意外にも立ち上がることが出来た。


 もっと瀕死の重傷かと思ったが、谷川に落ちて流された際にしこたま打ち付けただけで済んだようだ。


 痛むところを抑えつつ、家の外へと出る。



 外は抜けるような青空だった。


 陽炎揺らめく炎天の下、のどかな田園風景が広がっていた。


 流れ着いていたのは山間の小さな村だった。


 水田には涼やかな風がそよぎ、一瞬だが夏の暑さを忘れさせる。


 百姓たちは炎天下での作業を中断して木陰で昼寝でもしているのだろうか。田んぼには人の姿は見当たらない。


 ただそこいらじゅうで蝉がうるさく鳴いていた。


 見るからに平和な村だった。


 私はしばし、その平穏な光景を眺めていた。


 ……こんな村に奴らを入れる訳にはいかない。


 奴らを村に入れたらどんなことをしでかすかわからないのだ。


 私はこの村が炎に覆われる景色が脳裏に浮かんで重なった。


 そうだ……。


 こんなことはしてられない……。


 一刻も早くこの村を離れなければならない!



 そこで私ははっとする。


 なんということだ!


 こんな肝心なことを忘れていただなんて!


 私は身体の痛みも忘れて、家の中に戻る。


 寝ていた布団の枕元に、わずかばかりの持ち物と共にその刀はあった。


 私はそれを取り上げて、もう二度と放すまいと腕に抱いた。


「やっと目を覚ましたか……」


 そう言って家に入ってきたのは少年だった。


 年の頃は十二、三歳か……。


「……君は……?」


「俺は遊……ここは婆さんの家だ。お前はこの先の川岸に流れ着いて倒れていた」


 少年は外見の割に話口調が大人びていた。


 この村の子供はこんな感じなのだろうか……?


「助けてやったんだ……礼くらいは言っても損はないと思うが……」


 そう言われて初めて私は、自分が彼に助けられてここに居るのだということを理解した。


 崖の上から身を投じた私は谷底の川に落ちて流されたのだろう。そこでこの遊と名乗る少年に助けられたのだ。


「そうか……そうだったのか……ありがとう……」


 少年に礼を述べて頭を下げようとすると、それだけで身体が傾き膝を突く。


「おいおい……大丈夫か?」


 ぶっきらぼうに表面だけ気遣うような少年の言葉に少し苛立ちを覚えるが、それでも身体が言うことをきかない。


「……歩くのはまだ無理だろう……もうしばらくここでおとなしく寝ていろ」


 そう言って少年は先程まで私が寝ていた床を指差す。


 私は言われるままに布団と言うには薄っぺらな布の上に身を横たわらせる。


 如何にぺらぺらあろうと、布団の上で眠れるなんてもう何日ぶりかわからない。


 いつしか私は眠りの淵へと落ちていた。




 眠りの中、私は夢を見ていた。


 私が育った村の夢――


 そして――


 その村が炎に包まれる夢――


 いや――


 夢であればどれほど良かったか。


 夢であって欲しいとどれほど願ったか。


 しかしそれは夢ではない……。


 まごう事なき現実だった――


 私は揺らめく炎を背後に立つ、少年の影を見た――


 人の道を外れた外道の法によって生まれた法術使いの少年――


 外法童子――


 ……………………………………。


 ハッと目を覚ます。


 そこには家の屋根を支える為の丈夫な梁が見える。


 そうか……ここはあの少年の家か……いや、正しくは彼のお婆さんの家になるのか……。


 そんな思考を巡らせている私に声をかける者がいる。


「おんや? 目を覚まされたか?」


 しわがれた老婆の声である。おそらく先刻の少年の言っていたお婆さんであろう。


「もうずっと眠っておられた……よほどお疲れの様子……」


「………………」


 いまだ意識が夢から覚めきらない私を老婆は心配そうに覗き込む。


「あちこち怪我ぁされてましたが……どこか痛みますじゃろうか?」


 老婆の心からの労りの言葉に胸が熱くなる。


「申し訳ない……お世話をおかけしたみたいで……」


 そう言って私は身体を起こす。先刻感じたあちこちの身体の痛みはだいぶんとやわらいでいる。


「なんのなんの……困った時はお互い様だて……なぁ、遊さんや」


 遊さんと呼ばれた少年は囲炉裏の傍らに座っていた。


 この辺りでは子供にもさん付けで呼ぶ習慣でもあるのだろうか?


「まぁ……な……」


 その会話は老婆と孫……と言うよりも年老いた母親とくたびれた壮年の息子のやりとりに聞こえる。


「身体は大丈夫かえ?」


「ええ、まぁ……なんとか……」


 とそれだけ答えると私以外の私が元気に答えた。


 ぐぐうっと腹の虫が大きく鳴ったのだ。


「……まぁまぁ、そりゃあ、三日も寝ていれば腹も減るさね……」


 老婆はそう言うと囲炉裏にくべた鍋から椀によそう。


「さ、食べんさい」


 そう言って差し出された椀には菜っぱの入った粥がそそがれていた。


「い、いただきます……」


 私はそれをすするように口につける。


 まだ冷めきっていない粥が身体に染みこむように流れ込んだ。


「お……おいしい……」


 こんなにもゆっくりと食事をとることは久しくなかった。


 だからなのか余計に粥の温かさが文字通り身に染みた。


 いまだ身体が思うように動かない私は同じ床で眠りに就いた。



 農家の夜は早い。


 夜明け前から起き出すのが常である。


 ようやく身体が動くようになった私は、少しばかり野良仕事を手伝うことにした。


 一宿一飯の恩義……というにはまだ身体が万全ではないので大したことは出来ないが……。


 元々私も里では毎日野良仕事に精を出していたのだ。


 要領がわからないわけではなかった。


「いんや、遊さんが来て助かっているところに、あんたにまで手伝ってもらっちゃあ、わしのやることなくなるでよ」


 日中に木陰で休んでいる時に老婆の言葉にふとした疑問が浮かぶ。


「あの……遊って子供は、お婆さんのお孫さんではないのですか?」


「違うよぉ……遊さんはそうさね、ちょうど一年くらい前にこの村にやって来たんさね」


「あんな子供が……? 一人で?」


「そうさね。しばらくは村の外れにあるお堂におったんじゃがな……わしの家で預かることにしたんじゃ」


「…………」


 子供が一人旅をしないとも限らない……だがいくらなんでも幼すぎる……。


 見た目よりもしっかりとしてはいるが、どう見ても十二、三歳の年端も行かない少年だ。


 そんな少年が一人で村に現れた……。


 何か……目的でもあるのか?


 そんな事を考えていると、川で水を汲んできた少年……遊が歩いてくる。


「婆さん、水だ」


「ああ、ありがとよぉ。こんなに暑くっちゃ仕事になんね。遊さんも木陰で休んどりぃよ」


「ああ、そうさせてもらう」


 そう言って遊は木の根に腰をおろし、こちらに竹筒を差し出してくる。


「あんたも……飲んどけ」


 竹筒の中身は小川で汲んできたばかりの清水だ。


 それはとても冷たく喉から入り身体に染み渡った。

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