第11話
芳賀くんに生徒会を誘われたのは、合唱コンクール本番の1週間前で、4時間目の後、給食当番で小サイズの食缶を1人で運んでいる時だった。中身はコロッケだから、そこまで慎重になる必要はない。そんな時、トイレ帰りを装った芳賀くんに、斜め後ろから声をかけられた。どうしてこんな時に? と思ったが、考えてみると、こんな時くらいしか愛華が1人で行動しないからだ。休み時間は、佐藤さん一派の誰かしらのそばにいる。今もすぐ後ろには味噌汁の入った寸胴を運ぶ男の子が歩いているが、これは関係ないだろう。
「松永、一緒に生徒会やろうよ」
前置きや挨拶もなく、いきなり本題から入ってくる。しかも軽いノリ。いつから呼び捨てになったのか。急な展開に、愛華は生徒会すらうまくイメージできず、合唱コンクールの余興的なものを想像してしまう。幕間に漫才でもやれというのか。どっちがボケだろう。いや、そうじゃない。そういえば去年もこの時期、タスキをかけて投票を呼びかけたり、体育館の壇上で、何やら立派そうなことを主張している生徒がいた。そんなものは愛華にとって、別次元の出来事にすぎなかった。あの時記憶に残っているのは、体育館の冷たい床に座らされ、お尻が痛いのをひたすら我慢して演説を聞かされたことくらいだ。学校の美化がどうとか、本当にくだらないと思っていた。タヤマ先生ならもっと過激なことを言うだろう。でもタヤマ先生は悪口ばかりだから、投票する人なんていないだろう。
当然立候補なんて、全力でパスするわけだが、芳賀くんの眼差しにさらされると心が揺らぐ。おそらくこの前のタヤマ先生の所へ、1人乗り込んで行ったことがきっかけだ。やる時はやる女と思われたのかもしれない。しかしそれはヤラセみたいなもので、他の教師だったらまず無理な話だ。現に今この瞬間だって、うまく受け答えができない。緊張しているのもあるが、頭の中で生徒会の面倒臭さと芳賀くんと親しくなれる好機を比べていて、ベストな答えを導き出せないでいる。
ぐずぐずしているうちに、ドアが目前に迫り、芳賀くんはそれじゃあと去って行った。ポケットに片手を突っ込み、悠然と後ろのドアの方へ歩いていく。いつまでに返事をするみたいな約束は全くなかった。ひょっとしたらただの世間話だったのかもしれないし、からかい半分で生徒会なんて言い出した可能性もある。だとしたら本気で出馬を考えるのは馬鹿らしい。
後ろから「なにやってんだよ。早く入れよ」という苛立った声が聞こえてくる。両手で持った食缶が、大げさな音を立てた。
その後、芳賀くんは立候補用紙に、勝手に愛華の名前を書いて提出してしまった。やはりトイレ帰りの1人の時を狙われ「出しといたから」と声をかけられた。生徒会のことを言っているのはわかり切っていたが、わざと「何を?」なんて聞いてみる。まさか「気が利くね!」なんてリアクションをするわけにもいかないので、一応腹を立てている風を装ってみる。が、それほど怒りはこみ上げてこない。むしろ話が本当だったことが嬉しかった。芳賀くんに声をかける勇気もないくせに、この数日、芳賀くんと並んで演説する想像ばかりしていた。ひと通り芳賀くんのポストプレーをなじった後「まあしょうがないか」と愛華がため息をつくと、芳賀くんは子どもみたいにはしゃいでいた。
担任が、2人が生徒会に立候補したことを伝えたのは合唱コンクールの直前で、どう見ても興味を持って聞いている生徒はいなかった。ちょうど朝練習で、散々歌ってきたところでテンションは高く、落ち着いて話なんか聞いていられない。12月の最初の週に選挙運動を行い、最後の金曜の午後に全校生徒の前で演説、投票という流れになる。2人とも当選できるように、クラス全員で協力しようと担任が呼びかけるが、今の雰囲気だとむしろ厄介者扱いされそうで不安だ。もし愛華が立候補しない側なら、いかに気配を消して、余計な仕事を背負いこまないようにするかを考えるだろう。だが、そんな現実逃避は、担任の「松永が......」と自分の名前を言うたびに霧散していく。普段から、教師に名前を呼ばれるだけでも無駄に緊張してしまうから尚更だ。自分の話をしてもらっているのに、下を向いているわけにもいかず、担任の顔をなるべく正面にとらえるようにする。そうすると今度は目があった時に何か挨拶でも、と話を振られそうで、やっぱり怖い。たかが数分で終わるホームルームなのに、1時間目が始まる頃には、一日分の体力を消耗したみたいに体がずっしりと重くなった。
そんな風だったので、愛華の中で合唱コンクールは吹っ飛び、前田くんのことも一方的な罪の意識は残りつつも、正直どうでも良くなっていた。合唱コンクールが終わって、久しぶりのタヤマ先生と会ったら、真っ先に生徒会のことを話したかった。が、前述の通り、先生の前田くんに対する鬱積した気持ちに押し流されてしまう。それでも愛華の中には、自分の罪の意識を肩代わりしてほしいという下心があったから、それはそれで良かった。結局はキスをされて終わりという、よりややこしさが増しただけだったが、翌日になると、何故か晴れ晴れとした気持ちになった。朝一番に鏡を見て、唇を点検しながらこれがあの人に触れていたのは何時間前かと、頭で数えてみる。正直嫌ではなかった。先生は自分に好意を抱いている。その実感が、心地良くて、朝目が覚めると真っ先に布団を飛び出した。どういうわけか愛華の中で、タヤマ先生とのキスから、性的なイメージに発展していかない。自分が好きだと思う人なら、男女構わずキスをするのが人類の本来あるべき姿なんだとか考えている。そうすればこの人とは表面上だけの関係なのか、そうでないのか、悩みに翻弄されることなく、もっとシンプルに清々しく毎日が送れる気がする。
だが、一日おいて再び先生と対面すると、その気分は急降下していくことになる。
「生徒会なんてやめときなよ。愛華ちゃんには合ってないって」
愛華のシミュレーションでは、芳賀くんとの距離が詰まったとか、いよいよ告白の季節がやってきたとか、そんな風にからかわれるはずだった。おそらく舞い上がって早口になるタヤマ先生とバランスをとるために、わざとテンション低く誘われたくだりを話したのだ。ところが「生徒会」という単語が飛び出すとぷっと吹き出し、話し終わると体をのけぞらせて、ケラケラと笑い出した。手で机を叩いて、クッキーの包みがいくつか下に落ちる。
自分が生徒会に相応しくないないことは、愛華にもわかっている。本来なら、部活で活躍しているとか頭のいいとか、とにかく目立つ人がやるのが普通だ。そうでなければ票は集まらない。あとは性格。明るくて前向きでなければいけない。自分では性格が悪いかはわからないが、ものをはっきり言えないタイプだから、やはり他人を引っ張るのには向かない。
愛華は別に生徒会の話がしたかったわけではない。芳賀くんと自分の関係について、客観的な意見が欲しかっただけだ。芳賀くんも愛華のこと好きなんじゃない? とか言われて気分良くなりたかっただけだ。
そんな愛華の欲求を踏みにじるように、先生は生徒会の悪口を並べ立てる。あんなものに入りたがるのは、内申点稼ぎか、そうじゃなければただ調子こいてるだけの頭が空っぽの馬鹿だ。学校のことは教師が決めるのだから、そもそも生徒会自体意味ない。いつものことだが、タヤマ先生は何かの悪口を言う時が1番生き生きとしている。こういうのを性格が悪いと言うのだろう。
もちろん先生が生徒会を毛嫌いする気持ちはわかる。でも、だからと言って「愛華ちゃんが立候補したって絶対落選するよ」とまで言うことはないと思う。どうしてそうやって決めつけるのだろうか。
先生おかしいよ。わたしがやるって言っているんだから応援してくれたっていいじゃん。
そう言えたなら、謝罪の言葉と共に、先生も真顔で頑張ってくらいは言うのかもしれない。それとも「わたしが立候補取り下げてきてあげるから」とか言って、やはりまともに相手にしてくれないのだろうか。そこまでされたら不愉快だが、でもそっちの方がタヤマ先生らしい。
どうしてタヤマ先生のキャラにまで気を遣わなきゃならないのかはわからないが、結局反論もせず、曖昧な笑みを浮かべてやり過ごしてしまう。こうなったら今すぐ担任のところまでダッシュして、何もかもなかったことにしてしまいたい。
この前キスをして、全てを分かり合えたと思ったのはただの勘違いだった。先生は焼き菓子のビニールをちぎって、中身を取り出す。それは2つセットになっていて、ひとつは愛華の口に入れ込んでくる。この動作だって、お菓子を分け合っている微笑ましい光景なもしれないが、単に2つも同じものを食べるのが嫌だから、押し付けただけの話だ。結局は、他人の気持ちなんてわからない。お腹痛いとか嘘をついて、立ち去りたくなる。時計を見ると、この時期の部活終了時間まで、まだ30分以上もある。
愛華の口数が少なくなると、タヤマ先生は隣で漫画を読み始めた。
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