第7話
佐藤さんたちとのメールのやり取りは、夕ご飯を食べ終わったあたりから本格化する。しかしここであまり盛り上がってしまうと、お風呂に入るタイミングを逃してしまい、お母さんの怒鳴り声を聞くはめになる。それも鬱陶しいので、最近では食事を済ませたら速やかに着替えを取りに行き、1番に入ることにしている。たまに妹とかち合うが、容赦なく押しのける。歯磨きまで澄ませたら部屋に閉じこもり、宿題片手に延々と相手のメールに返事をつける。便利なのは宿題や明日の予定について気軽に聞けることだが、一方で切り上げるタイミングがわからず、つい夜中までやってしまう。
やり取りする内容は誰かの噂話がメインで、教師の話も多い。教室内で話す時と違って、誰かに聞かれる心配がないから、みんな必然的に口が悪くなり、大胆なことを言う。大抵の教師はウザくて、頭髪の薄い者は容赦なくハゲと呼ばれる。
愛華は一度タイミングを見計らって、タヤマ先生の名前を出してみた。本当は、聞いてみたくて仕方なかったのだが、好意を持っていると悟られるのを恐れて、なかなか切り出せなかったのである。話すことがないので仕方なく、という風を装った。
案の定「怖い」「厳しい」と言ったシンプルな単語が並ぶ。誰かが「SMの女王さまみたい」と言ってみんなが同意した。確かにタヤマ先生はサドっぽい部分もあるが、際どいボンテージ姿なんて想像したら吹き出してしまう。周りが抱く先生のイメージが、放課後のそれとかけ離れるほど、愛華は愉快でたまらなかった。調子に乗って「ムチとか持たせたらすごく似合いそう」なんて言ったら、叩かれて喜ぶのは誰かというテーマで大いに盛り上がった。そろそろ話も尽きてきたというところで、木田さんがおかしなことを言い出した。
「そういえばタヤマ先生のうわさ知ってる?」
愛華は間髪入れずに「どんな?」と返した。うっかり語尾に絵文字をつけるのを忘れて、なんだかさもしい。どうしてこんなもったいぶった言い方をするのだろうか。握りしめた携帯の画面は、いつまでもメールの受信画面に切り替わらない。焦らしているわけではないだろうが、木田さんは空気を読まないところがある。ドラマでも見出したのかもしれない。いっそ電話でもかけてやろうかと思ったところで、ようやく受信音が鳴った。
「タヤマ先生って昔、生徒と付き合ってたらしいよ」
ソースは木田さんの2歳上のお姉ちゃんで、先生が前の学校にいた時の話らしい。てっきり「不潔!」とか誰か言うのかと思ったが、佐藤さんが「あんな先生でも付き合う男がいるんだね」と極めて冷静なコメントを表明し、話題は一気に収束した。愛華は聞きたいことが満載だったが、流れ的に不自然になるのは明らかで、仕方なく何度も木田さんのメールを読み返し、限られた文字数から何かしらの意味を得ようと試みた。噂話であることはわかっている。前の学校、なんていかにも胡散臭い。だが、100%嘘とは限らない。部分的には真実ということだってありうる。例えば今の自分のような存在。前の学校で、男の子を音楽室に招いたのかもしれない。もし今音楽室でタヤマ先生と会っていることが知られれば、やはり噂になるだろう。松永愛華とタヤマ先生はできている、と。
仮にタヤマ先生が男子を部屋に招いたことが真実だとしても、それは過去のことだ。気にする理由なんてどこにもない。
それなのにその男子生徒はどんなやつなのかと考えている。タヤマ先生は以前「年下と付き合うなんてあり得ない。頼れる人がいい」と言っていた。あれは嘘だったのか。それともその男子のせいで年下には懲りたのだろうか。
佐藤さんたちと親しくなって唯一困ったことと言えば、放課後一緒に帰らなければならないことだった。
佐藤さんは美術部、木田さんと篠崎さんは吹奏楽部に所属している。文化部は運動部のように熱心ではないため、週に1日か2日、部活がない日がある。そんな日は放課後、当たり前のように迎えがくる。別に一緒に帰るのは嫌ではないが、タヤマ先生の日と重なれば、言い訳をしなければならない。面倒だ。一度や二度なら適当な言葉で誤魔化せるが、何度も続けば怪しまれる。一緒に帰るのを嫌がっていると勘違いされたら、変な溝ができそうだ。いっそ正直に会っていることを話そうかと思うが、やはりそれは絶対にできない。タヤマ先生に対して強い態度が取れるカラクリがバレれば、間違いなく愛華を見る目が変わるだろう。
だが、本当に愛華が恐れているのは、佐藤さんに自分の立場をとって変わられることだ。ある日愛華が音楽室を訪れると、佐藤さんが上履きを履いたまま絨毯に上がっていて、タヤマ先生とピアノの上でお菓子を食べている。2人とも大笑いして、食べカスが口からぽろぽろとこぼれている。入り口に立ち尽くす愛華の存在にやがて佐藤さんが気付き、おいでおいでと手招きをする。最悪だ。
ついにそんな場面を夢にまで見た愛華は、タヤマ先生の日は園芸部の活動日として誤魔化すことにした。妙案とは言えないが、これ以上のものは思いつかなかった。実際はまだソフトボール部に籍は置いているが、そんなことを知っている者はもう誰もいない。それにタヤマ先生は園芸部の副顧問なんだから、完全に見当違いとも言えない気がする。
「今日部活だから」と言うと案の定佐藤さんは「え?部活やってたの?」と目を丸くした。「うん、園芸部」と答えるだけで充分なのに、今まではほとんど活動しなかったのに、最近急に先生が張り切り出して嫌になっちゃう、と勝手に尾ひれをつけて説明した。これではかえって怪しい。職員室前の花壇が部のものだとか、植えようとするのはかすみ草だとか、まだまだ言いたいことはあったが、とりあえず自然を装うために、黙っておいた。園芸部に関しては誰も興味を持たなかったようで、結局それ以上言う必要はなかった。
架空の園芸部について、タヤマ先生には黙っていることにした。先生には佐藤さんたちと、親しくしていることも話していない。クラスメートのことは芳賀くんのことを話題に出すくらいだ。タヤマ先生の中で、愛華はもしかしたら誰も友達のいない、孤独な少女と思われているのかもしれない。そう思うと、なんとなく話すことを躊躇ってしまう。
同じ理由で携帯のことも話さないようにしていた。だが、四六時中画面に文字を打ち込んでいると、タヤマ先生も同じようにメールを打つのかとか、どんな携帯を持っているのかが気になってきた。タヤマ先生に限らず、教師が学校で携帯電話をいじっている姿は見たことがない。おそらく規則で生徒の前で晒してはいけないことになっているのだ。まさか今時携帯を持っていないわけない。タヤマ先生のことだから、持っているのはおそらくピンク色の丸っこいやつだ。結構物を雑に扱うから、表面にはきっと傷がついている。チャンスがあったらアドレスも聞いてみよう。メールもするようになったら、佐藤さんに間違って送らないよう気をつけなくてはいけない。
携帯とか持ってるの? の問いに先生は「持ってるよ」となんでもなさそうに答え、机の脇のトートバッグを手で漁った。どんなものが出てくるのか見ていたら、中から取り出したのは、しわくちゃのコンビニのビニール袋だった。扱いが雑なのは予想通りだが、何か雰囲気が違う。袋を鷲掴みにして愛華の机の前まで持ってくると、ざざあと中身をあけた。3台の携帯電話がぶつかり合いながら、ごとごとと音を立てて出てくる。色や形に統一性はなく、鬱陶しいほどストラップの付けられたものや電池パックが取れ、画面が割れているものもある。まさかと思って顔を上げると、先生は満面の笑みで
「これはいわゆる戦利品というやつですね」
と胸を張った。たまに授業中にうっかり着信音を出して、教師に携帯を没収される生徒はいる。が、タヤマ先生の前でそれをするなんて命知らずな生徒もいるものだ。タヤマ先生なら怒ってその場でへし折ってしまうかもしれない。実際タヤマ先生が怒っているところを、見たことがないからわからないが。大抵の教師は、生徒が騒がしくしていると簡単に怒鳴り散らすが、タヤマ先生は佇まいだけで生徒を黙らせる。男子が「タヤマがマジギレしたらお前死ぬぞ」と話していることがあったが、確かに死人がでるかもしれない。
「どう?これなんかかわいくない? 愛華ちゃんにはファンシー過ぎる?」
先生は、真っ白な石鹸のような機種を取り上げ、服の試着みたいに愛華にくっつけてくる。先にはアンバランスに大きなクマのストラップがついている。貝をあけるみたいに親指を突っ込み、片手で中を開くと、画面の周りにはたくさんのシールが貼られていた。使っていたのは間違いなく女の子だ。
愛華が答えに窮していると「取りにこないんだよね、この人たち。もういらないんじゃないかな」と何も写っていない画面を眺めながら先生がつぶやく。持ち主の子は、タヤマ先生が怖くて来れないのかもしれない。気の毒だ。ストラップの熊だって、飼い主の元へ帰りたいだろうに。
「だから、あげてもいいよ」
そんな愛華の妄想をぶち破るように、先生はお茶目に言ってくる。「ありがとう」と手を出したら本当にくれそうで怖い。強く断ると「いいじゃん、携帯デビューしちゃいなよ」と、手に押し込もうとする。愛華は必死に押しとどめようとする。息が切れるまでじゃれ合って、そのうち熊のストラップが切れてしまった。やっぱり先生は、愛華が携帯を持っていないと決めつけている。
「いらないって。わたし自分のあるもん」
と拒否すれば、不毛な押し付け合いはすぐに終わり、熊も地面に落ちることもなかったのだ。でも、先生の中で形作られている〈愛華のキャラ〉に気を遣って、言い出すことはできなかった。先生は笑いながら「あーあ死んじゃった」と言って熊を踏んづけた。
「返さなくていいの?」
「ていうか、誰のだったか忘れちゃった」
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