第二話 襲来! 圧倒的な力を持つドラゴンが街に迫る
耳に届く重低音に、Sランク冒険者は眉を寄せた。
腰に佩いた剣の柄に手を置いて、じっと前方を見据える。
「……なんだかあの頃を思い出しますね、アイギス
背後から声をかけられて、『鉄壁の戦乙女』アイギスはちらりと振り向いた。
後ろにいるのは一人の女性で、
「懐かしいな。私が前で防御、ユーナが後ろから攻撃。ああいや、『ユーナ様』か」
「ふふ。まわりに誰もいませんから、ユーナと呼んでください」
森を抜けて風が吹き、アイギスとユーナの髪を揺らす。
二人は見つめ合い、どちらからともなくクスリと笑った。
「しかしユーナ、
「まだ時間がありますから、そのうち来るんじゃないでしょうか? 『わりぃ、遅れた』って言って」
「どうかな。あるいは、私たちの戦いを見て、危なくなったら『気をつけろ、死んだら終わりだからよ』などと言って助けにくるか」
「ふふ、言いそうです。……来るでしょうか。Eランク冒険者なのに。いまでは
「なんだかんだ言いながら来そうな気がするな。それに……」
「それに?」
「いまはまた、師匠の方が強くなっているかもしれない」
「……え? それはどういう」
「ユーナ、お喋りはここまでのようだ」
先ほどから、重低音は一定のリズムで続いている。
近づいて徐々に大きく、いまでは音の発生源がはっきりと見える。
ドラゴン。
ダンジョン『不死の樹海』から解き放たれたドラゴンが、ゆっくりと二人の元へ近づいてくる。
二人の元へ、二人が背後に守る、街に向かって。
モンスター接近を知らせる鐘が深夜に鳴らされてから一夜が明けた。
冒険者や兵士が監視する中、ドラゴンは悠々と夜を過ごし、陽が出てから見せつけるように進みはじめた。
街の外壁から見えたタイミングでドラゴンは空を飛び、ぐるりと街の上空を一周して元の場所に戻り、ふたたび歩きはじめたことを考えると、本当に見せつけていたのだろう。
空を飛べるモンスター、それもドラゴンを前に、街の外壁は意味をなさない。
領主は早々に判断して、すぐに指示を出した。
街にある四つの門のうち、ドラゴンから遠い三箇所の門から避難するように、と。
領兵と冒険者たちのほとんどは、三方向に逃げ出す避難民の護衛についた。
一部の領民はそのまま街に残って、それぞれの役目を果たしている。
せめて飛べなければ、人々は外壁を頼りに戦ったことだろう。
あるいは空を飛べてもドラゴンでなければ、住民を街から避難させることはなかっただろう。
女領主が散り散りに逃す決断をしたのは、運を天に任せてのことだ。
領兵と冒険者はパニックをおこさないように、ドラゴン以外のモンスターから守れるようについているだけで、もしドラゴンに狙われても役には立たない。
空を飛んだドラゴンが咆哮しただけで多くの者は震え上がり、戦う気力さえ保てなかったのだから。
ドラゴンと戦えるのは英雄だけ。
街の住人たちは、物語や英雄譚で語られるエピソードを、身をもって体験した。
だが、運を天に任せるだけでは避難が間に合わずに、ドラゴンによって大きな被害が出る。
だから、二人が残った。
街最強のSランク冒険者『鉄壁の戦乙女』アイギスと、幼くして家督を継いだ女男爵であり街最強の魔法使いでもあるユーナ・フェルーラが。
ドラゴンを撃退するため、ではない。
その身をもって、わずかでも時間を稼ぐために。
散り散りに逃げた住人の避難が進んで、一人でも多くを助けるために。
死を覚悟して。
「父はこんな気持ちだったのだろうか」
「そういえば、アイギス姉のお父様は……」
「街を守るために、モンスターと戦って死んだと聞いた。身を捨ててオーガと差し違えたと」
「勇敢だったのですね」
「いまなら父の気持ちがわかる。この身一つで街を、みんなを守れるなら」
「アイギス姉……私たちは、死ぬために残ったのではありませんよ」
「そうだな、うん。最初から死ぬ気なんて見せたら、師匠に怒られてしまう」
「ふふ、そうですよ。『生きて帰るまでが冒険』です」
「ああ。…………ユーナ、あの頃と同じだ。私が守る」
「そして
重く低い足音を響かせて、黒い鱗のドラゴンが近づいてくる。
近づけば近づくほどに、その威容が明らかになる。
鱗は曇天の明かりを呑み込むほど黒い。
四足で歩む龍の背は外壁とほぼ同じ高さ、5メートルほどだろうか。
重さゆえか、爪の鋭さゆえか、整備された街道は延々と龍の足跡が残る。
口から牙を覗かせて、ドラゴンは茫洋と前方を見やっている。
まるで、立ちはだかる人間にも、うしろの街にも興味がないかのように。
前脚のひと掻きで、尻尾のひと振りで人間など払えるのだから。
ひと吠えしただけでモンスターと戦ってきた冒険者が、訓練を積んだ領兵が戦意を失うほどの存在。
だが、絶望を前にしても、二人は逃げなかった。
二人に戦い方を教えた男からは「生き残ることが一番大事」だと教わったのに。
「おや、小娘たちは状況がわかっていないようだ。封龍公、いや、操龍王たる儂に歯向かう気だとは。これは儂の力を思い知らせてやらんとなあ」
街最強の二人の前で、ドラゴンが足を止める。
ドラゴンの首の付け根には、ニンマリと笑いながら支配の長杖を振りかざす侯爵がいた。
* * * * *
ざらついた石壁の手触りを感じることなく、カケルは外の光景を見つめていた。
高さ5メートルほどの石壁の上に立つと、遠く街の外を見渡せる。
ダンジョン『不死の樹海』、その先にそびえる『不死の山』が見える。
近づいてくる黒い鱗のドラゴンも、小さな二人の女性の姿も見える。
「くそっ、アイツら、俺が何を教えたと思ってんだ」
目に映る光景に、カケルは一人ボヤいた。
普段、街を守る石壁の上には兵士が巡回しているが、いま、カケルを注意する兵士はいない。
「女将たちもギルド職員も残って役目を果たすって……そんで、あの二人は
吹き抜ける風がカケルの前髪を揺らす。
石壁の上も、背後の街も、この二十二年なかったほどに静かだ。
「帰りてえ。帰る、つもりだったんだけどなあ」
大きなため息を吐いて、カケルはぼんやりと遠くを、『不死の山』を見つめた。
山そのものではなく、稜線が似た山を思い出しているのだろう。
『不死の山』ではなく、富士山を。
(残
「はあ、聞かなきゃよかった。アイツら俺をなんだと思ってんだ。『生き恥』だぞ、なんで俺が助けに来ると思ってんだよ」
富士山から視線をそらして、空を見上げる。
ドラゴンが飛んで街中に絶望をもたらした空は、陽光を遮るほど分厚い雲が覆っていた。
「アルカ。ドラゴンも倒せるって言ってたな」
(龍であれば。魔力量と質を分析した結果、アレは真龍です)
「真龍?」
(龍が成長した個体をそう呼ぶとインプットされています。一部地域では真龍は神格化されています)
「ただのドラゴンじゃねえと。そんでアルカがいても倒せないっぽいと」
(勝利は絶望的です)
「ははっ、まあわかってるけどよ」
石壁の上で、カケルは座り込んでうつむいた。
この世界に来てから何度も何度もカケルが取ってきた姿勢である。
自らの力の無さを嘆く時に。
勝てないモンスターから隠れる時に。
帰れないと悟った時に。
帰れないとわかっているのに、帰るんだと自らに言い聞かせる時に。
現実から逃げ出す時に。
これまでのカケルなら、このまま座っていたことだろう。
二十二年間、そうして生き延びてきたように。
だが——
「ただ、絶望的ってことは、ゼロじゃないってことだろ?」
——腰のベルトに手をかけて、カケルは立ち上がった。
ダンジョンで手に入れた、超古代文明のマジックアイテムに魔力を流す。
(私はアルカです。いかなる相手でも勝利の可能性はゼロではありません)
「おいやっぱ名前つけて人格生まれてんだろアルカ」
カケルは、口元を歪めて笑った。
自嘲ではなく、嬉しそうに。
「うし、んじゃ足掻いてみっか。二十二年間暮らした街と……アイツらを、守るために」
(絶望的な戦いに身を投じる。人間とは不合理ですね、
「まあ人間ってのはそういうもんだろ。それに……」
カケルは肩幅ほどに両足を開いて、ブーツで石壁を踏みしめる。
だらりと垂らした両手をゆるりと重ねて、ベルトに触れる。
大きく腕を広げ円を描いて、ガントレットを頭上に持ち上げる。
一瞬、動きを止めた。
まるで、空と地面から何かを集めているかのように。
下ろした左手はベルトへ、右手は額のサークレットへ。
ふたたび動きを止めたのちに、カケルは左の拳を引いて、右の拳を突き出した。
「勝てなくても、逃げる時間ぐらいは稼げんだろ。んで俺は適当なところで逃げりゃいい」
(そういうことにしておきましょう)
自分でも信じていない言い訳を口にして。
コクッと頷くアルカの返事を受けて、カケルは皮肉げに口元を歪める。
叫ぶ。
「
ポーズを決めたカケルが黒い闇に覆われた。
時おり、ひとすじの赤い光が走る。
闇と光が収まった時————
カケルは、黒い全身鎧をまとっていた。
時おり赤いラインに光が流れる。
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