『第四章』
第一話 解放! 封印されたドラゴンは目覚め侯爵は嗤う
木々の葉擦れのざわめきに、慣れぬ足取りで森を歩く侯爵は不快げに眉をしかめた。
苛立ちを隠そうともせず、ずかずかと森を進む。
先行する私兵に続いて、ダンジョン『不死の樹海』を歩いていく。
「次の洞窟を入るようだ。ふん、何が未踏のダンジョンだ、余裕ではないか」
古びれた皮の表紙の本を手に、護衛部隊に指示を飛ばす。
二十人の兵士と騎士が一人、高位の魔法使いが一人、それに侯爵本人、あわせて二十三人。
侯爵の身の回りを世話する侍女と御者は、ダンジョンの入り口で馬車とともに置いてきた。
そもそも封龍公と呼ばれる侯爵がカケルの暮らす街に、女男爵にして女領主ユーナ・フェルーラが治める街にやってきたのは、このダンジョンが目的だった。
着火の魔道具やカンテラ、水を生み出す魔道具といったマジックアイテムやポーションをふんだんに持ち込み、保存食も余裕を持って用意され、二十三人はダンジョンを進む。
侯爵が持つ本の中身、「封龍公」に代々伝わってきた古地図に従って。
「儂に恥をかかせおって。事が成った
カケルに打ちのめされた一行は、逃げるのではなく、この地に来た目的を果たすためにそのままダンジョンに入った。
ケガはポーションで癒されて、探索を阻むものはない。
モンスターは出現するものの、訓練された兵士二十人と腕利きの騎士、高位の魔法使いはここまで苦戦することもなかった。
資金力と人員に任せたダンジョン探索は順調だ。
だが、古地図が示す目的地はまだ遠い。
* * * * *
「くくっ、くはははは! まさか本当だったとは! ふはははははっ!」
洞窟の広間に、侯爵の哄笑が響き渡る。
横に立つ騎士の顔色は悪く、魔法使いの腰は引け、護衛部隊の中には腰を抜かして地面に座り込むものもいた。
侯爵を除く二十二人は、眼前の光景に恐怖して、それぞれの反応を示していた。
気にした様子もないのは侯爵だけだ。
「そうかそうか、我が一族の
古びた皮の本を手に、侯爵は高らかに笑う。
二十二人の護衛は異物でも見るかのような目で侯爵を見上げる。
侯爵の悪事にも迷うことなく付き従ってきたほど、忠誠心は高いはずなのに。
だが、それも当然だろう。
眼前の光景。
侯爵の視線の先、ダンジョン『不死の樹海』の奥地、洞窟の広間で眠るように瞼を閉じていたのは——
初代の
岩壁から見えるのは鱗に覆われた肩と腕、地面に喰い込む鋭い爪。
それに、太い首から伸びる頭部だけだ。
口からはみ出た牙が光を反射して鈍く光る。
意識はないのか目蓋は閉じている。
「さあ、儂が千年の封印から解き放ってやろう」
「こ、侯爵様、本当に大丈夫なのでしょうか。暴れ出したら我らは」
「心配いらぬ。『我が家に伝わる伝承と古地図は真実である』ことを示してくださった御方から『支配の長杖』を預かっておるからのう」
「は、はあ」
進言した騎士は、侯爵の主張を受けて身を引いた。
忠誠心ゆえか、侯爵の言葉を信じたのか、それとも逆らったところでいまさらどうなるものでもないという諦めか。
侯爵と、及び腰の魔法使いが黒い鱗の龍の頭に近づいていく。
その場に残された二十一人は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
瞼を閉じたまま、呼吸の音もなければ黒い鱗におおわれた体が上下することもない。
死んでいるのかと見紛うほどに、ドラゴンに動きはない。
侯爵が手にした長杖をドラゴンに向けて、魔法使いが定められた魔法を詠唱しても動きはない。
やがて詠唱が終わり、魔法が発動した。
『支配の長杖』とドラゴンが魔力のラインで結ばれる。
「目覚めよ! 汝を封印した者の子孫が、今度は汝を使役してやろう!」
ピクリとドラゴンの瞼が動いた。
侯爵の背後で、二十一人が震えながら剣と盾を構える。
魔法使いはドラゴンの至近で、祈るように反応を見つめている。
やがて、ゆっくりとドラゴンの瞼が開く。
千年の、長い時を超えて。
* * * * *
「ははっ、くはははは!」
月明かりに照らされたダンジョン『不死の樹海』の森林に、笑い声が響き渡る。
地響き、木々が倒れる音、時おりモンスターの断末魔も聞こえてくる。
ガラガラという音は洞窟が崩落した音だろうか。
地上の森林と地下の洞窟を行き来して
「そうだ、このまま真っ直ぐ進め!」
黒い鱗のドラゴンが、森林をなぎ倒し、洞窟を踏み潰し、モンスターを歯牙にもかけず圧殺して。
最寄りの街の住人さえ知らなかった、はるか昔の封印からドラゴンを解き放った侯爵は、ドラゴンの首の付け根に腰掛けていた。
片手でドラゴンの角を掴み、支配の長杖を振り回して上機嫌で笑っている。
侯爵を守る騎士と魔法使い、護衛部隊二十人は、ドラゴンが踏みしだくことで作られた道を進む。
上機嫌な侯爵とは違い、後方の護衛たちの顔色は悪かった。
侯爵が持つ『支配の長杖』の効果を信じられなかったのかもしれない。
ドラゴンが自由に行動すれば、あるいはもしかしたら、目の前で揺れる龍の尾を踏めば、ドラゴンに殺されてしまう。
護衛たちは気が気ではなかったのだろう。
ドラゴンは侯爵に逆らうことなく、『不死の樹海』を進んでいく。
これだけ大きな音を立てて進撃すれば、当然ダンジョンを探索していた冒険者の目にも入る。
ドラゴンを見た冒険者は、一目散に逃げ出した。
その逃げっぷりたるや『生き恥』の二つ名をつけられたカケルのことを笑えないだろう。
生きて情報を持ち帰るカケルを小馬鹿にしていたのに、いまは彼らが必死に街まで逃れて、情報を持ち帰ろうとしている。
「くふっ、ドラゴンを使役できてしまうとは、これでは儂は最強ではないか!」
ドラゴンの武器である爪や尻尾を使うまでもなく、頭から降りる必要さえない。
ただドラゴンが歩くだけでダンジョンは攻略され、モンスターは踏み潰され、冒険者たちは逃げていく。
手に入れた圧倒的な力に、侯爵の笑いは止まらない。
「これで陞爵を、いっそ王位を狙うか……ふっ、手垢のついた国などつまらぬな。うむ。儂が建国してくれよう。儂の、儂による、儂のための国を。くふっ、くふふふふ」
まるで熱に浮かされたように、侯爵は夢物語を口にする。
ドラゴンとはいえ無敵ではなく、一体いれば国を興せるというものでもない。
力に酔っているのか、常ならぬ侯爵の様子は、後方の護衛たちからは見えなかった。
「おっと、まずは儂に手を上げたあの『マギア』とやらを殺してやらねばのう。くくっ、ついでにあの女と女男爵も犯して殺して、いやいや、いっそ街ごと更地にしてくれようか」
木々がドラゴンになぎ倒されて、月明かりが侯爵を照らす。
口元を歪めて妄想を膨らませ、ドラゴンに進むよう命じる。
冒険者が逃げ延びてドラゴンの存在を街に知らせるだろうことも気にしない。
やがて、侯爵はダンジョンを出た。
使役するドラゴンと、付き従う護衛とともに。
夜空に星が
街を前に、絶望する時間を与えるかのように。
カケルが暮らす、侯爵が恥をかかされた、女男爵が治める街は、近い。
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