幕間3

幕間! 三十二歳のEランクのベテラン冒険者はおてんば娘の面倒を見る


 目に映る光景に、六歳の女の子は瞳を輝かせた。

 ニンマリと笑って、こらえるように両手で口を押さえて、タタタッと駆け出す。

 時おり立ち止まって後ろを振り返り、キョロキョロと周囲を見渡して、自分が見つかっていないことを確かめる。

 暮らしている館から離れて何度か道を曲がったところで立ち止まり、女の子は宣言した。


「さあ、冒険のはじまりです!」


 六歳の女の子は、物陰に隠れて見守る大人たちに気づかなかったようだ。


 一人で街を歩く幼い女の子を見て通行人が話しかけようとすると、女の子の背後の大人たちが「心配いらない」とアピールする。

 明らかに「護衛」されていることを見てとると、通行人は微笑みながら女の子を見送った。

 いいところの子が、本人だけは「家をこっそり抜け出した」つもりになってお出かけしているのだろうと。

 護衛がいるなら問題ないだろうと。


 こうして、六歳の女の子の、ユーナ・フェルーラの冒険ははじまった。

 その日は暗くなる前に館に戻って、その後は何食わぬ顔で過ごしたが、両親や使用人は笑顔をこらえるのが大変だったようだ。



   * * * * *



 その日も、六歳のユーナ・フェルーラは館を抜け出して街に出かけていた。

 両親は「普段の民の生活を知るのは必要なことだ」と、今日も陰から護衛をつけるだけでひっそりとユーナを見送った。余裕の表情を作って、心配なのだろう、手は白くなるほど握りしめていた。


「冒険者ギルドはどこかなあ……」


 今日のユーナの目的地は、ダンジョン『不死の樹海』のそばにある街にとって重要な組織である「冒険者ギルド」だったようだ。

 冒険を繰り返して次第に大胆になっていったのか、初めて裕福な領民が住むエリアを越えたユーナの心臓は緊張と期待で高鳴っていた。


 冒険者ギルド。

 ダンジョンから草花やモンスターの素材を持ち帰る者たちが集まる場所。

 この街の要となる組織であり、ユーナが大好きな物語では、英雄ヒーローたちが集まる場所である。


 ドキドキしながら通りを歩くユーナは、大きな広場で立ち止まった。

 目的地は近い。近い、はずだ。

 ただ広場はユーナより背の高い人々で混雑しており、馬車の往来も多く屋台も出ていて、広場もその先も見通せない。


 どうしたものかと、六歳の女の子がおろおろしだした、その時。


「お嬢ちゃん、何か困ったことでも?」


 ユーナに話しかける男がいた。

 ウチの誰かに見つかっちゃったかも、と焦って振り向くユーナが目にしたのは、しゃがんでユーナと視線の高さを合わせた、冒険者風の男だった。


「はじめまして、お嬢ちゃん。俺はカケルだ。見ての通り冒険者をやってる」


わたくしはユーナ・フェ……ユーナです」


 危うく本名を名乗りかけた上に淑女の挨拶カーテシーをやりかけて止め、ユーナは名前だけを口にした。

 カケルと名乗った冒険者は薄く笑みを浮かべる。


「それでお嬢ちゃん、どこに行きたかったんだ? 今日はヒマだし、俺が案内してやる」


「えっと、わたくし、冒険者ギルドに」


「マジか。あー、あそこは嬢ちゃんにはまだ早いかなあ。そうだ、服屋なんてどうだ? 新品から中古、男物も女物もなんでもあるぞ?」


「服屋、ですか? 布から仕立てるのでは?」


「おいおいそこからかよ。よし、ついてこい嬢ちゃん。いろんな人のための服がズラッと並んでるところを見たくねえか?」


「見たいです!」


 あっさりとカケルの誘導に乗って、ユーナは冒険者ギルドに行くことを諦めた。

 カケルは「やっぱこっちの世界でも、ちっちゃくても女の子は女の子だな。妹は四歳でも服屋って聞いたらこんな感じだったし」とブツブツ言っている。


「カケルには妹がいるのですか? わたくしはひとりなのでうらやましいです」


「あー、いるにはいるんだが、なあ。ちょっと遠いところにいるんだ。それに、いまじゃ十八歳になってるはずだから、嬢ちゃんよりずっと大人だよ」


「そうですか、離れ離れで……寂しくはないのですか?」


「うーん、まあ寂しいってのはもうねえかなあ。ときどき無性に帰りたくなるけどよ」


 遠くを眺めるように目を細めてカケルは言った。

 カケルを見上げたユーナは胸が詰まったみたいな気がして、けれど幼いユーナはその感情が何か理解できなかった。

 六歳の女の子が感じたのは哀れみだったか同情だったか、あるいはカケルの望郷の念と後悔が伝わったのか。

 幼いユーナには、理解できなかった。



   * * * * *



「ここがカケル兄が暮らしている館なのですね」


「館ではねえな。ここは宿屋で、俺が泊まってんのはこの中の一部屋だ」


 初めて出会って服屋に案内して以来、ユーナが館を抜け出すと、いつもカケルに遭遇した。


 六歳のユーナは偶然を喜び、一緒に行動するうちに懐いて「カケル兄」と呼びはじめた。

 何度止めても、「お兄ちゃんやお姉ちゃんが欲しかったんです」と妹を思い起こさせる幼女に言われて、根負けしたカケルはその呼び方を許した。

 カケルが初めて「ユーナ」と呼び捨てした時は、隠れる護衛が「不敬だ!」と斬りかかってこないか警戒しながら視線を飛ばしたものだ。

 ユーナが喜んでいたからか、ひとまず許されたらしい。

 おそらく、ユーナが身分を隠して行動している時だけは。


「はあ、けっきょくここまで案内するなんてなあ。まあ街を案内するだけでいい稼ぎになるし、安全だからいいんだけどよ」


「カケル兄? 何か言いましたか?」


 ユーナがカケルに遭遇するのは、偶然ではない。

 領主の一人娘であるユーナ・フェルーラを守るために、冒険者ギルドがカケルに指名依頼をしたのだ。

 三十二歳、街で十四年も暮らすカケルはこの街に詳しく、ほかの冒険者より物腰は柔らかく、物を知っていると判断されてのご指名である。


 隠れてついてくる護衛と、近くで守るカケル。

 おてんば娘が安全に市井を学べるように、領主も冒険者ギルドも配慮していた。

 知らぬは六歳のユーナのみだった。


「なんでもねえよ」


 言いながら、カケルは宿屋の扉を押し開ける。

 ユーナの希望により、今日はカケルが普段過ごしている場所を見せることになったのだ。

 土間になっている一階食堂に足を踏み入れる。

 何が楽しいのか、ユーナは好奇心に目を輝かせてカケルのあとに続く。


「おかえり、カケル。その子が例の女の子かな? はじめまして、私はポピーナです」


「はじめまして、わたくしはユーナです」


 来客を迎える宿屋の看板娘にユーナが挨拶を返す。

 何度もカケルと行動するうちに慣れたのか、ユーナが家名を名乗ることも、淑女の挨拶カーテシーをしかけることもなくなっていた。


「礼儀正しい子ですね、師匠。はじめまして、私はアイギスだ!」


「アイギスさん。カケル兄からお話を聞いてました」


「ふふっ、そうか、師匠から。どんな話をしているのだろうなあ」


「聞かない方がいいかもよ? そうだ、ユーナちゃん、オヤツ食べる?」


「おやつ、ですか?」


「おっ、いいね、ポピーナちゃん。俺もひとつ頼む」


「カケルには言ってないんだけど?」


「冷たいなあポピーナちゃん。こーんな小さい頃は『カケル兄カケル兄』って可愛かったんだけどなあ」


「はいはい」


 呆れた目をカケルに向けて、宿屋の看板娘は厨房に引っ込んだ。

 日常が見たいというユーナ——お忍びの領主の娘——の希望に応じて、カケルはアイギスも呼び出していた。

 緊張していたアイギスも、カケルという共通の話題に顔を綻ばせる。

 三人で話していると、すぐにポピーナが食堂に戻ってきた。


「はい、たいしたものじゃないんだけど。ユーナちゃん、アイギスちゃんにも」


「わっ、なんですかこれ!?」


「スコーンよ。ユーナちゃんのお口に合うかなあ」


 木のテーブルに置かれたスコーンとお茶に、六歳のユーナが目を輝かせる。

 カケルを見て頷くのを確認してからおそるおそる口にする。

 手掴みでかぶりつくあたり、カケルにしっかり市井の食べ方を教育されているようだ。


「美味しいです! 小麦の味が感じられてほのかに甘みがあって、木の実の食感も楽しいです!」


「ははっ、ユーナはいっぱしの美食家みたいだな」


「びしょくか、ですか?」


「おいしい! 口の中に入れるとサクサクほろほろする! ポピーナは天才だな!」


「もう、アイギスちゃんったら」


「無理すんなアイギス。うまいものは『うまい』でいいだろ。いままで通り『うまいうまい』って言っときゃいいって」


「師匠……」


「ありがとうユーナちゃん。アイギスちゃんも、いつもの笑顔が最高の褒め言葉だから」


 ぞんざいなカケルの言葉をポピーナがフォローする。

 幼少の頃よりカケルに付き合ってきた看板娘は、カケルの言動にもすっかり慣れているようだ。


「よし、んじゃ腹ごなしにちょっと訓練するか。見たいんだろ?」


「はい! そのために、カケル兄に連れてきてもらいました」


「カケル『兄』……その、ユーナ。では私のことは『姉』と思うといい。姉弟子義妹弟子のようなものだからな!」


「いいんですか!? じゃあ……アイギス姉」


「姉……私が……ふふふっ」


「アイギスちゃんったら照れちゃって。ユーナちゃん、私のこともポピーナ姉って呼んでね」


「おいおい、ポピーナちゃんは年齢的に姉っていうか母親でもおかしく——いてっ!」


「よろしくお願いします、ポピーナ姉」


「うん。よろしくね、ユーナちゃん」


 頭を押さえるカケルを無視して女性陣はなごやかだ。

 きゃいきゃいとひとしきり盛り上がったのち、三人は席を立った。

 涙目のカケルも仕方なく立ち上がる。


 ポピーナは厨房へ。

 カケルとアイギス、ユーナは食堂横の勝手口を抜けて、宿屋の裏手に向かった。




「ほら、ここがいつも俺とアイギスが訓練してる場所だ。ただの裏庭だけどな」


「師匠、今日は何をしますか? ユーナに見せるんですよね? 組み手ですか? それとも護身術を教えますか?」


「アイギス、ユーナは見学だからな。絶対攻撃するなよ。弾いた勢いで何かが飛んでいかねえように気をつけろ。いいか、フリじゃねえぞ」


「わかりました、師匠!」


「不安すぎる……よし、言ってた通りホントに見学する気なら、ユーナはあっちの壁際で」


「カケル兄、わたくし、魔法が使えるのです」


「…………は? 六歳なのに?」


「はい! 初級ですけど、火魔法と風魔法と土魔法と水魔法、それから回復——」


「待て待て待て、待てユーナ。そんなに使えんのか? 俺は必死でがんばって〈そよ風ブリーズ〉だけなのに?」


「まあ! カケル兄は風魔法に適性があったのですね」


「おおっ、ユーナはすごいのだな! 魔法の天才か!」


「て、天才だなんて、そんな、わたくしは」


 六歳なのに魔法が使えると聞いてアイギスがユーナを褒め称え、ストレートな物言いに慣れてないのかユーナは頬に手を当ててクネクネする。


「師匠、では今日は魔法を防ぐ練習をしませんか? ユーナ、ここに向かって魔法を——」


「いきます、アイギス姉!」


 求められてうれしかったのか、ユーナはためらいなくアイギスに向けて魔法を放った。

 板金鎧を着込んで盾を構える「冒険者然」としたアイギスの姿を、物語に出てくる冒険者と重ねたのだろう。

 アイギスは、英雄ヒーローである冒険者は、当然防げるはずだと。


 ユーナの手元に火の玉が生まれて、アイギスに向かって飛んでいった。


「あっバカ二人とも! 受けるな避けろアイギス!」


 焦ったカケルが指示しながら、皮のサッシュからナイフを取り出して投擲する。


 火の玉にナイフが命中して、爆発した。


 音と衝撃の大きさに、アイギスがぽかんと口を開ける。

 カケルもまた目を見開いていた。

 六歳の女の子とは思えぬほどの魔法の威力にか、もしくは運良くナイフが火の玉に当たったことにか。


「あ、あの、わた、わたくし、なにかいけないことを、カケル兄とアイギス姉に」


「あー、いや、いまのはアイギスと俺がわりい。ユーナは頼まれて魔法を撃っただけだからな。だからそんな顔すんな」


 涙目でおろおろするユーナの頭を、カケルがするりと撫でた。


「まあアイギスにはちょうどいい訓練になるかもな。いいかアイギス、魔法は何が起こるかわかんねえ。いまみたいに見た目以上の威力を持ってることもある」


「はい、師匠。驚きました。あのまま受けていたら……師匠はやっぱりすごいです」


「魔法は避けろ。どうしても避けられない時は、受けるんじゃなくて逸らせ。運が良けりゃ助かる」


 まだ十二歳、冒険者として活動をはじめて二年のアイギスに、カケルは教え諭す。

 アイギスは神妙な顔で頷いた。


「うし、じゃあ天才魔法使いがいるんだ、しばらく訓練させてもらうか」


「はい! ユーナ、頼んでもいいだろうか?」


「わかりました、カケル兄、アイギス姉」


 カケルとアイギスが目を向けると、幼い魔法使いは嬉しそうに笑った。

 カケルを兄と、歳上のアイギスを姉と呼んで、望んでいた「お兄ちゃん」と「お姉ちゃん」ができたと喜ぶように。


 この日から、小さな宿屋兼食事処の裏庭には、時おり訓練に励む三人の姿が見られるようになった。

 食堂と、裏庭に面した部屋の窓際には、ユーナを守る護衛の姿も。

 知らぬはユーナばかりである。



   * * * * *



 宿屋の入り口から飛び出して、ユーナは走った。

 街を囲う石壁に設けられた鐘楼から、モンスターの接近を告げる鐘の音が響く。


「宿の裏庭で訓練して、ときどきポピーナ姉がオヤツを持ってきてくれて、楽しかったなあ」


 懐かしい場所で懐かしい人に出会って昔を思い出したのか、走りながらユーナが呟く。


「領主様! いま馬をまわして参ります!」


「必要ありません! ここからでしたら門はすぐそこです! このまま走ります! 一人は馬で領主館へ!」


「はっ!」


 宿の周囲で待機していた兵士に指示を飛ばして、ユーナはひた走る。


わたくしにもっと力があれば、ポピーナ姉を守れたのに。あれから四年、ずっとがんばってきたのに!」


 涙ぐんだのは風を受けたせいではなく、昼間の出来事のせいだろう。

 まだ幼い頃、自身をかわいがってくれたポピーナを守れなかった。

 『マギア』と名乗る黒い鎧の人物が現れなければ、ポピーナもユーナ自身も衆人環視の中で襲われるところだった。

 魔法使いとして研鑽を積み、領主として治政に励んできたのに、たった一人の貴族が現れただけで。


「あの黒い鎧の人は誰だったんだろう。……なんだかカケル兄みたいだったけど、まさか」


 走るユーナの目に、街の出入り口である門が見えてきた。

 先行した兵士が伝えたのか、門の周囲は騒がしい。


「いいえ、いまはそれどころではありません。モンスターの接近、それならわたくしだって、カケル兄とアイギス姉が天才と言ってくれた魔法使いとして」


 間もなく門にたどり着く。

 そうなればユーナはひさしぶりの「ユーナ」ではなく、「ユーナ・フェルーラ」に戻るだろう。

 モンスターの接近を告げる鐘に、街の危機に対処するために。


わたくしには、魔法があります。もし、近づいてくるのが本当に強大なモンスターであれば、この身を犠牲にしても、わたくしは領民を、街を守ります」


 すぐ先の未来を想像して、十四歳になったユーナは門に走る。

 領主として、街一番の魔法使いとして、窮地を告げる鐘の音に対処するために。


「報告を!」


 ユーナ・フェルーラは、門の前に集まった兵士たちに報告を求めた。


 青ざめた顔の兵士たちを見て、悪い予感を抱きながら。


 予感は当たる。

 それも、最悪の形で。

 ユーナ・フェルーラの決意を確かめるかのごとく。


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