第五話 警報! 深夜の街に危急を告げる鐘の音が鳴り響く
薄暗い月の光が差し込む中、くたびれた冒険者は椅子に腰掛けて煩悶していた。
右手でヒザを、正確にはヒザの横の筋肉と筋を揉む。
「あークソッ、強張ってんなあ。ダンジョン帰りで広場に直行はキツかったか。はあ、歳は取りたくねえもんだ」
定宿にしている狭い部屋に、思いのほか声が響いた。
カケルが手に入れた超古代文明のマジックアイテム、
いつもの装備と革鎧は外しているが、鉢金のようなサークレット、ベルト、ガントレットとブーツはつけたままだ。
特に、大貴族である侯爵から「必ず殺す」と宣言された後には。
夜が更けたいまも、カケルは
(魔力反応に変化あり。
(なあ、その基準わかりにくいんだけど。なんとかなんねえのか?)
(昼間の貴族の魔力波と一致しています)
(おいまさか)
(個体名”ユーナ・フェルーラ”、女性の貴族です)
(なんだ、ユーナの方か。びびらせんなよ。……こんな夜中になんの用だ?)
(反応は階下で止まりました)
アルカの
足音を殺して扉に向かう。
部屋を出て廊下を通り、静かに階段を下りると、食堂から小さな声が聞こえてきた。
「ユーナ様、こんな夜中にどうされたんですか? 護衛のみなさんは?」
「外で待ってもらってます。だから……昔みたいに『ユーナちゃん』でいいですよ、ポピーナ姉」
「うっ。さすがにそれはちょっと緊張しちゃうかなあ」
「ふふ、カケル兄は元気ですか?」
「カケルは変わらないね。ううん、いいことでもあったのか、最近はちょっと元気かも」
食堂から聞こえてくる話し声は、カケルもよく知る二人の女性の声だ。
一人はこの宿屋兼食事処の看板娘のポピーナ、そしてもう一人はこの街を治める女男爵ユーナ・フェルーラである。
余人がいないせいか、二人は親しげに言葉を交わしていた。
話題にされたカケルは、照れくさそうに指先で頬をかく。
「それでユーナちゃん、今日はどうしたの? いままでこんなことなかったのに、そりゃ私はあの頃みたいで嬉しいけど」
「……謝りに来たんです。どうしても、直接謝りたくて」
「昼間のこと? でもあれはユーナちゃんのせいじゃなくて、あのクソ貴族が悪いんだし、ユーナちゃんは街中に警告してくれて」
「それでも、
「でも、ユーナちゃんは守ろうとしてくれたじゃない。ありがとね」
「ポピーナ姉……たぶん、これで終わりじゃないんです」
「え?」
領主で貴族であるユーナの暗い声に、カケルも表情を引き締める。
アルカは
「貴族は体面を重んじるものです。おそらく侯爵は、今日のことをこのままで済まさないでしょう」
「そんな、だって、あの黒い鎧の人が助けてくれて、ぶっ飛ばされたクソ貴族は逃げていって」
「いずれ復讐に来るでしょう。直接武力を持ってか、あるいは間接的にか、いつになるかもわかりませんが……」
「でも、でもその時は! きっとまたあの黒い鎧の人が!」
「そうかもしれません。
「それって、どういうこと?」
「侯爵が復讐するのは『マギア』と名乗った黒い鎧の人だけか、それともあの場にいて目撃した全員か、侯爵を排除したことになるこの街すべてか、あるいは」
「あるいは?」
「ポピーナ姉が、また狙われるかもしれません」
「そんな」
「だから……ポピーナ姉とおばさんは、この街から逃げた方がいいかもしれません。離れた街に行けばきっと侯爵は見つけられずに」
貴族としての力のなさを嘆きながら、貴族から知己を守るために、年若い領主は看板娘に「夜逃げ」を持ちかけた。
女将と看板娘を逃すためなら、偽の身分証を発行します、と続ける。
あの場で止められなかった自分を責めて、領民を堂々と守れない力のなさを呪って、それでも、まだ十四歳の少女は自らの情けなさを認めつつ、領民の命を救うべく提案する。懇願する。逃げてほしいと。
食堂に続く階段の陰で、カケルはストンと腰を落とした。
二十二年間、冒険者としてこの世界で生活してきたカケルが貴族とかかわることは
とうぜん昼間の、物語に登場する悪役のような悪徳貴族と接したことはない。
話には聞いていても、この世界の身分制度を真に理解していなかったのだろう。
(ああクソッ、俺は甘かったのか。浮かれてたのか。この世界は優しくねえって、何度も自分で言ってたのに)
(追いかけて殺しますか?)
カケルは頭を抱えた。
もしあの時、自分が侯爵を殺していれば、二人はこんな話をしていなかったかもしれない。
(ヒーロー気取りで登場して、けっきょく救えてねえじゃねえか)
(
(
ヒザの間に頭を突っ込む。
もし、超古代文明のマジックアイテム「
(聞いていますか、
(そういやアルカも俺に「調子に乗っている」って注意してくれてたよなあ)
外に漏れない
まるで、
(追いかけて殺すか。それとも避難を助けるか。ああ、いっそ
(……正気ですか?)
(そうすりゃアルカは「|
頭を抱えたまま皮肉げに口元を歪めるカケルに、
二人の女性の小さな話し声が、やけに食堂に響いて聞こえる。
カケルが現実から目をそらしてうずくまっていた、その時。
夜の静寂を打ち破って、鐘の音が鳴り響いた。
カンカンと一定のリズムで、街中に届くほど大きな音で。
座り込んだカケルは首を傾げ、食堂にいた看板娘は訝しげに鐘のリズムを確かめ、領主の顔が青ざめた。
「……ウソです、そんな、この鳴り方は」
「ユーナちゃん?」
「急ぎ館に戻ります! ポピーナ姉、おばさんと避難の準備を!」
「え? それってこの鐘の音? まさかあの貴族が戻ってきたって警告?」
「違います! この鳴り方は——」
領主は立ち上がって、すでに宿屋兼食事処の出入り口に向かって走り出している。
慌てた様子に、看板娘はついていけてない。階段に座るカケルも。
「この鳴り方は、街に強大なモンスターが近づいてくる時の警告です!」
「え? それって」
「とにかく、いつでも逃げられるようにしておいてください!」
そう言い残して、領主は出ていった。
あとに残された看板娘は驚くばかりで、行動には移せない。
ここ数年、地区で行われるようになった
カケルもまた、座り込んだままだった。
二十二年前、丘の上から危地を見て、動けなかったあの時に戻ったかのように。
カケルに力をもたらした、
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