第二話 疾走! くたびれた冒険者は広場へ走る


 やけに静かな街に、カケルは顔に疑問を浮かべながら歩く。

 ダンジョンに向かった時とは違って、通りを行く人の姿もすれ違う馬車もない。

 物静かな街に不穏な気配を感じつつも、門から定宿まではあっさりたどり着いた。


「ただいま。なんか雰囲気おかしいからギルドに行く前にちょっと寄ってみたんだが————何があった?」


 定宿の扉を開けると、まずは小さな食堂がある。

 いつも宿泊客の食事や周囲の住人で賑わう憩いの場所だ。


 そこに、年若い冒険者が倒れていた。

 手当てする仲間の努力もむなしく、土間に血だまりが広がっていく。


「こんな、こんなところで死ぬな! 英雄ヒーローになるんだろ!?」

「ダメ、血が止まらない! はやく回復魔法を!」

「ごめんなさい、もう魔力が……私にもっと魔力があれば、もっと高位の回復魔法が使えれば……」

「ごふっ。い、いいんだ、みんな、ありがとう」


 このまま放置すれば、冒険者はあえなく死ぬだろう。

 カケルがダンジョンで見かけて陰ながら助け、『鉄壁の戦乙女』の救援が間に合った幸運の持ち主でも、死ぬ時はあっけなく死ぬものだ。

 それが冒険者であり、二十二年の冒険者生活を続けたカケルに同年代の冒険者仲間がいない理由でもある。


「ちっ、虎の子だけどしゃあねえか。おい、コレを使え」


「おっさん、いまおっさんに構ってるヒマは——え? ポーション?」

「こ、これ、安物じゃない高位のポーションじゃ」


「いいから使え。ほら、早くしねえとそいつが死ぬぞ」


「ありがとう、ありがとうおっさん!」

「ノウス、さあこれを飲んで!」

「ああ、神よ……この奇跡の出会いに感謝いたします……」


 目の前で年若い冒険者が死ぬことに耐えられなかったのか、あるいは定宿での異変が気になったのか。

 カケルは常備しているポーションを、ちょっと前まで新顔だった冒険者に手渡した。

 同じ宿に泊まっているのに、うだつの上がらないおっさん冒険者だったカケルとは話もしなかった年若い冒険者に。


 カケルから受け取ったポーションを、倒れた冒険者の口に当てて傾ける。

 少量ずつ流し込むもののすでに意識が朦朧としているようで、ポーションは口からこぼれた。

 見かねた冒険者仲間がポーションの瓶をひったくり、口移しで強引に飲ませる。

 目の前で唐突にはじまったキスシーンにカケルは思わず舌打ちしそうになって、「あれは人命救助だから」などと自らに言い聞かせていた。


(魔力が安定しました。生体反応、回復傾向。”高位のポーション”の効果は驚異的です)


(はっ、そりゃあ高かったからな。あー、金は回収できねえんだろうなあ。払えって言ったら鬼みてえだし)


 無表情ながら驚いた雰囲気のアルカのイメージが伝わってくる。

 高位ポーションを飲ませたことで血は止まった。

 すぐに目を覚ますほどの回復力はないが、容体は安定したようだ。


 カケルは涙する冒険者たちから目を離して、あらためて小さな食堂を見まわした。

 これだけの騒ぎなのに、女将も看板娘もいない。

 嫌な予感を押し殺して、カケルは食堂の片隅で顔を突き合わせてヒソヒソ話をする二人の商人に近く。


「何があったか、教えてもらえねえか?」


「宿に、例の貴族がやってきたのです。美人と噂の看板娘にとぎをさせるから連れていくと、護衛を引き連れて」


「…………は?」


「抵抗する女将も娘もその婚約者も、護衛に捕まえられて連れて行かれました。見るに見かねたのでしょう、そこの彼が『あんまりじゃないか』と物申したところ、護衛に斬られまして」


「おいおい、マジでそんな絵に描いたような悪徳貴族がいるのか」


「封龍公。建国の際に、悪しき龍を封じた功績で陞爵したことがおこりだと言われています。広大な領地を持つ侯爵で、王都でも権勢を誇ると……悪評には事欠きませんが、まさかここまでとは」


「我々は早いうちにこの街を出るつもりです。宿代は地区長に預けて、薄情なことは承知していますが、一介の行商人が侯爵に抵抗なんて、巻き込まれるのも」


「あー、言い訳はいいって、力がねえヤツの気持ちはわかるから。んで貴族はどこに行った? 女将とポピーナちゃんは?」


「広場で、見せしめにすると」


「…………はあ? チッ、マジかよ、悪徳すぎるだろ!」


 暗い顔の商人たちから話を聞いて、ようやくカケルは事情を理解した。

 ダンジョン帰りの装備も荷物も解かず、片隅で震える商人を置いて、ポーションのお礼と支払いについて話しかけてきた冒険者を無視して、カケルは定宿を飛び出した。


(人間とは不合理なものですね)


(うっせえ! アルカ、魔力反応を探せ! 高位貴族らしいし護衛に強いヤツら連れてんだろ!)


 目の前の通りに出て、街の中心部に向かう。

 帰ってきた際に通った門前広場には貴族も看板娘もいなかった以上、いくつかある広場はすべて定宿から見て街の中心部側だ。


(魔導"魔力探査サーチ"発動。いつもの”冒険者”とは別に、亜龍人ドラゴーニクラスの反応が複数集まっています)


(そこだ! 案内頼む!)


 ガッガッとブーツを鳴らして、カケルは大通りを疾走する。


 カケルの脳裏に、二十二年前の出来事が蘇る。

 二十二年前、女将と看板娘がグレイウルフとゴブリンライダーに襲われるのを、丘の上から見ていたことを。

 偶然やってきたセンパイ冒険者が二人や冒険者志望の若者を助けたことを。

 丘の上で、自分は震えて、動けなかったことを。


 駆ける。


「待ってろよ。いまの俺には力があるんだ。今度こそ、今度こそ俺が助けてみせる!」


 魔導鎧マギア"アルカ"の誘導に従って、自らに言い聞かせながら。



   * * * * *



 聞こえるのは風切り音だけで、広場から喧騒は聞こえてこない。

 だが、走るカケルの目に広場の人だかりが見えた。


 領主や役人からの知らせが張りだされる立札がある、街一番の広場。

 重要な知らせの際は役人が通達を読み上げられるように小さな舞台がある広場だ。

 その広場の小さな舞台を守るように、全身鎧を着込んだ小隊が囲んでいる。

 小隊の足元でうめく数人の冒険者らしき人々は、貴族の乱行を止めようとして斬られたのか。


 普段は知らせが張られる立て札に、一人の女性が縛り付けられていた。

 その前に、ニヤニヤと顔を歪ませて視線で舐めまわす、豪奢な服の中年男性が立っている。


「よし、まだ間に合う。アルカ——」


「カケルさん」


 正体がバレてもかまわないと、足を止めずに魔導鎧マギアの機能を解放しようとしたところで、カケルは小さな声で話しかけられた。

 ちらりと目を向ける。

 と、路地からカケルを手招きするローブ姿の人影があった。

 深くフードをかぶって顔を隠しているが、カケルが声を聞き間違えるはずも、ローブから覗く手を見間違えるはずもない。


 二十二年間、カケルと顔を合わせてきた冒険者ギルドのベテラン受付嬢である。


 カケルはスピードを緩めて路地に駆け込んだ。


「状況の説明は必要ですか?」


「ああ、手早く頼む」


「貴族相手ですから領兵は止められません。領主様と面識のあるギルド長とSランク冒険者のアイギスさんが、いま領主館まで走っています」


「間に合うか?」


「わかりません。それに、間に合っても止められるかどうかわからないとギルド長が」


「は? マジで?」


「領主様は男爵位、それも若くして領主になってからまだ四年ほどです。侯爵位を持つ貴族で、王都で権勢を誇る封龍公を止められないんじゃないかと言ってました」


「なんだそれ、じゃあポピーナちゃんは」


 カケルが舞台に目を向ける。

 立て札に縛られた看板娘は、二十二年前に出会った、まだ看板幼女だった頃からずっとその成長を見続けてきた女性だ。

 馬車がモンスターに襲われた時に行動しなかったカケルからすれば「見守ってきた」とは自称できないだろうが、それでもずっと見続けて、まだ少女らしい淡い恋心を抱かれたこともある。


 それが、貴族だというだけで、何処の馬の骨ともわからない中年男性から汚される。

 衆人環視で、幸せな結婚を間近にして。


 舞台のすぐ下に、一人の男が近づけられた。

 歪んだ笑みを浮かべる侯爵に向けて、やめろ、やめてくれ、俺には何してもいいからポピーナには手を出すな!、などと悲痛な叫びをあげている。

 朴訥で真面目な男性で、先日、ようやく看板娘に思いを打ち明けた奥手な婚約者が、喉が割れんばかりに叫んでいる。


 カケルはぎりっと奥歯を噛み締める。

 気づかぬうちに拳は固く握られていた。


「優しくねえ世界だとは思ってたけどよ。こりゃねえだろ」


 拳を解いて、カケルは腰のベルトに手を当てた。

 まわりの人だかりはみな舞台を見ている。

 ここで変身しても、顔馴染みの受付嬢にしか気づかれないだろう。


(アルカ、やるぞ)


(良いのですか? 身分制度は絶対で、貴族には逆らうなと先日——)


(構わねえ。なあに、なんなら街から逃げ出せばいいんだ。『生き恥』を舐めんなよ)


 半ば捨て鉢になって、魔導鎧マギアを起動しようとカケルが魔力を流した、その時。


「待ちなさいっ!」


 街一番の広場に、愚行を止める少女の声が響いた。


 歓声とともに人垣が割れて、少女の姿が見える。


 Sランク冒険者『鉄壁の戦乙女』と強面の冒険者ギルド長を先頭に、フードをはためかせて駆けてきた少女。

 手には魔法使いの証である、節くれた長杖を持っている。


 まだ年若い女性ながら街一番の魔法使いで、男爵位を持つ貴族。

 この街の領主である。


 これで看板娘は助かると、領主様が止めてくださると、街の人々は湧いた。

 縛られた看板娘はホッとした表情を浮かべ、婚約者はすがるような目を領主に向ける。

 路地裏で、カケルもベルトに掛けた手を下ろす。



 壇上の侯爵は、おもしろいことを思いついたかのように、歪んだ笑みを深くした。


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