第三話 悪辣! 貴族の悪行を前にみんなの怒りを受けて冒険者は変身する
「おやおや、これはこれは。ユーナ・フェルーラ女男爵ではありませんか。どうなさいましたか?」
「
「ほう、それはお優しい。なるほど、平民から慕われるわけだ」
ゆっくりと歩み寄る領主から視線を外して、侯爵はぐるりと、集まった人々を見渡した。
尊大な笑みは止まらない。
「ちょうどいい、
小さな舞台の手前で、領主とともに近づいた冒険者ギルド長と、Sランク冒険者で『鉄壁の戦乙女』と呼ばれるアイギスは足を止めた。
領主だけはそのまま三段のステップを上がる。
「貴族は尊い血が流れているものです。このような平民とは違って、ね」
そう言って侯爵は、立て札に縛り付けられた看板娘の襟ぐりに手をかけて、下に引いた。
貴族同士の会話に静まり返っていた広場に、服が破れる音が響く。
「なっ!? どういうおつもりですか!?」
「女男爵こそどういうつもりですかねえ? この者は平民。青き血が流れる貴族にとって、好きにしていい立場の者です」
上半身をさらけ出されて、それでも声を上げずに耐える看板娘に目もくれず、侯爵はじっと領主を見つめる。
(
(んなわけねえだろ、普通に赤いぞ。いいから黙って機能解放に備えてろ)
カケルの頭の中で、ローブ姿の女性が無表情のまま首を傾げた。
カケルとアルカの
広場は静かなままだが、集まった街の住民の怒気は目に見えそうなほどに高まっていた。
舞台の近くにいる冒険者ギルド長は腰の剣の柄に手をかけて、アイギスは盾を持つ手に力を込める。
「平民であっても、その者は
「ほうほう、なるほどなるほど。領主がそのような考えだから、この地の平民は儂に逆らおうとするのですねえ」
「えっ?」
「侯爵である儂を前にして頭を下げないとは。あまつさえ反抗的な目を向けてくる。なるほど、女男爵の
「しつけ、ですって? 貴殿、平民をどこまで下にっ!」
「なあに、心配はいりませんとも。身の危険を感じた儂が、女男爵に代わって生意気な平民をしつけてあげましょう。二度と貴族に逆らわず、反抗心さえ持たぬように」
壇上から、侯爵はぐるりと集まった平民を見渡した。
舞台を囲む侯爵の護衛部隊は、完全武装して群衆に体を向けたまま微動だにしない。
隊長らしき騎士一人と、領主と同じようなローブ姿の一人だけが舞台を、侯爵に害なす者がいないかを注視している。
「その必要はありません! いますぐポピーナを解放しなさい!」
あまりにもあまりな侯爵の言い分に、領主はついに声を荒げた。
集まった平民たちは、年若い領主の発言を支持するように無言で頷く。
カケルに背を向けて、路地裏から事態を見守るベテラン受付嬢も、静かに頷いていた。
「おやあ? 女男爵は、侯爵である儂に意見するのですかな? 爵位が下なのに?」
「うっ、で、ですが、この地の領主は
まったく悪びれずむしろ爵位を持ち出した侯爵に、かえって領主が動揺している。
そんな貴族同士の会話を聞いて、カケルはふたたびベルトに手をかけた。
(アルカ、この状態のまま
(残
(え? さっきダンジョンで変身したはずなのに魔力が減ってなくねえか?)
(周辺魔力に加えて、モンスターの
(
(
冒険者ギルド長もSランク冒険者のアイギスもベテラン受付嬢も平民たちも、貴族同士の会話を固唾を飲んで見守っている。
カケルが一人冷静だったのは年の功か、あるいは元の世界で
いかにもな「悪役」が、諌められて話を聞くわけがない。しかも、優しくないこの世界で。
そんなことを思ったカケルは、ベテラン受付嬢が振り返らないうちにと、静かに跳躍した。
Eランク冒険者の身体能力の限界をはるかに超えて、ひと飛びで屋根の上に立つ。
事態は、カケルの想像を超えて悪辣だった。
侯爵を睨みつける領主を前に、侯爵はわずかに下を見て、はあ、と大きなため息を吐いた。
顔を上げた時、侯爵の雰囲気は変わっていた。
察したように、騎士と魔法使いらしき侯爵の護衛が舞台に上がる。
「うむ。ユーナ・フェルーラ女男爵も犯すか」
「…………え? 貴殿は何を言って——」
「抵抗する護衛や平民は殺せ」
「そ、そんなこと許されるわけがありません! 正気を失いましたか!?」
「許されるし、儂は正気だとも。平民が貴族に逆らえないように、男爵は侯爵に逆らえないとその身に知らしめねばならぬからのう」
侯爵はニンマリと笑った。
護衛騎士がゆっくりと領主に近づく。
魔法使いは侯爵の横に進み出て、防御魔法でも使うのか杖を構えて魔力を集める。
舞台を守る小隊は一斉に剣に手をかけて、ガチャリと鎧を鳴らした。
領主は気圧されたかのように一歩、二歩と下がる。
「領主を犯して、目の前で領民を陵辱して、後に女男爵がどこに報告しても儂は『お咎めなし』という現実をお見せしよう。そうすれば女男爵もその領民も、侯爵に逆らおうなどと二度と思うまいて」
厭らしく笑う侯爵に、領主は目を見開いた。
歳若くして領主となった少女は、身分制度がこれほど厳しいものだと思っていなかったのだろう。
だから平民との距離は近く、だから慕われた。
だから侯爵の行動を止めて、だから悪意が返ってきた。
カケルいわく「優しくない世界」で。
「そういえば貴様の両親も儂に逆らったのう。ダンジョン『不死の樹海』には入らせません、などと
「ま、まさか……お父様とお母様が死んだのは……」
領主の顔が青ざめる。
歳若くして領主になったのは、早くに両親を亡くしたからだ。
王都から帰る道中でモンスターに襲われたのだと、少女は聞かされた。
十歳だった少女は涙を拭いて領主となり、周囲の手助けを受けながら治政に努めてきた。
気丈で懸命な姿を見た領民が領主を慕うのは当然のことだったのかもしれない。
だからこそ。
広場に集まった平民のうち、最初に足を踏み鳴らしたのは誰だったか。
怒号をあげたのは誰だったか。
拳を振り上げたのは。
剣を抜いたのは。
それでも、侯爵は動揺することなく、壇上から周囲を睥睨した。
配下の騎士と魔法使いと護衛部隊を信頼しているのだろう。
そんな一触即発の広場を、屋根の上から見下ろす者がいた。
眼下の光景に「やっぱりな、それにしたってコレはひでえ」とボヤく。
そして、男は立ち上がった。
肩幅ほどに両足を開いて、ブーツで屋根を踏みしめる。
だらりと垂らした両手をゆるりと重ねて、ベルトに触れる。
大きく腕を広げ円を描いて、ガントレットを頭上に持ち上げる。
一瞬、動きを止めた。
まるで、空と地面から何かを集めているかのように。
下ろした左手はベルトへ、右手は額のサークレットへ。
ふたたび動きを止めたのちに、カケルは左の拳を引いて、右の拳を突き出した。
叫ぶ。
いま己に力があることに感謝して、看板娘を、領主を、受付嬢や街の住人を守ろうと、思いを決めて。
「
ポーズを決めたカケルが黒い闇に覆われた。
時おり、ひとすじの赤い光が走る。
闇と光が収まった時————
カケルは、黒い全身鎧をまとっていた。
時おり赤いラインに光が流れる。
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