幕間2

幕間! 三十歳のEランク冒険者は少女に弟子入りされる


「わたしを弟子にしてください!」


 耳に届いた威勢のいい声に、ベテラン冒険者は周囲を見渡した。

 目の前で頭を下げる女の子を見て、ちらりと後ろを振り返る。

 自分ではなく別の誰かに言っていることを疑わない様子で。


「なあ、相手を間違ってるぞ。誰に弟子入りするつもりか知らねえけど、その辺は注意深くな」


 通い慣れた冒険者ギルドをあとにして、頭を下げる女の子の横を通り、ベテラン冒険者はいつものようにダンジョンに向かって——


「間違いではありません!」


「……は?」


「わたしを弟子にしてください、『生き恥』さん!」


 足を止めた。

 何を勘違いしているのか、女の子はベテラン冒険者が誰かわかったうえで弟子入りを望んでいるらしい。

 ベテラン冒険者は、困り顔で頬をかいた。


「なんで俺なんだ? 俺は十二年も冒険者やって、もう三十歳なのにEランク冒険者で、ついた二つ名が『生き恥』だぞ?」


「わたしは死ぬわけにはいかないんです!」


 女の子は頭を下げたままで言い募る。

 頭よりも大きな鉄兜、上げた面頬から見える顔は幼い。

 板金鎧もブカブカで、明らかにサイズが合っていない。

 まるで、かのように。


 下げた頭の向こう、背中には不釣り合いなほどの大きな盾、長剣の鞘の先は地面について、引きずってきたのか路上に跡が残っている。

 ベテラン冒険者は、はあっと一つため息を吐いた。


「こりゃ今日はダンジョンに行けねえか。なあ嬢ちゃん——」


「アイギスです!」


「あー、アイギス、弟子入りは置いといて、とりあえず話ぐらいは聞いてやる。そんで良さそうなヤツを紹介するってことで」


「ありがとうございます師匠!」


「おい人の話聞いてるか? ほかのヤツを紹介するって言ったろ。妙に礼儀正しいのにちょっとズレてんな」


 困ったもんだと額に手を置いて、ベテラン冒険者がボヤく。

 ここじゃなんだし冒険者ギルドの酒場はガラが悪いし、宿で話を聞くかとモゴモゴ言って、ベテラン冒険者は歩き出した。

 ちらっと振り返って、入り口のスイングドアの上部から冒険者ギルドの中を覗く。

 いつもベテラン冒険者を担当している受付嬢と、目が合った気がした。というか小さく手を振られた。


「ちっ、プティアちゃんの差し金か。邪険にしたらチクチク言われるんだろうなあ」


「師匠、どうしましたか?」


「だから弟子にするって決めたわけじゃねえって言ってんだろ。はあ、ちょっと貸せ」


「あっ」


 サイズの合わない板金鎧をガチャガチャ鳴らし、ずるずる長剣を引きずるアイギスを見かねて、ベテラン冒険者は長剣と盾をひったくるように奪い取った。

 重てえ、まだ小せえのによく持てたな、という情けない言葉は、弟子入り志願の女の子には聞こえなかったようだ。


「そんなんじゃいつまで経っても着かねえだろ。ほれ、ついてこい」


「はいっ、師匠!」


 持ち逃げされるんじゃないかとベテラン冒険者を疑うこともなく、アイギスは頷く。

 訂正しても「師匠」呼びを止めない女の子に、ベテラン冒険者はがっくりと肩を落として歩みを進める。

 ちょこちょことついてくるアイギスを引き連れて、ベテラン冒険者は定宿に戻った。

 この時間は空いているはずの食堂を利用しようと思ったのだろう。


「いらっしゃいませ、ってなんだ、カケルか。どうしたの? 忘れ物?」


「そういうわけじゃねえんだけどなあ」


「はじめまして! わたしはアイギスです! 師匠のお知り合いですか?」


「……師匠? まあ、カケルが弟子を取るなんて! ちょっとお母さん!」


「はあ」


 ぱたぱたとどこかに消えた看板娘を無視して、ベテラン冒険者——カケルは、勝手知ったる食堂の椅子にどっかと腰を下ろす。

 座る時はぞんざいだったのに、アイギスの長剣と盾を壁際に立てかける手つきは丁寧だ。


「それで、なんで俺なんだ? 死にたくねえんだったら冒険者以外の仕事に就けばいいだろ。何もその歳で」


「わたしは十歳になりました!」


「十歳で、冒険者にならねえでもいいだろ。稼ぎてえならどこかで働くか、そのデカい鎧やら剣やら盾やらを売ればそこそこの金に」


「兵士だった父は死んで、コレは形見なんです! それにわたしの歳では母を養うほどの稼ぎは難しくて……」


 勢いよく話していたアイギスは、現実を思い出したのだろう。

 ぐっと口をへの字にして視線を落とし、木製のテーブルを見つめる。

 コトリと、湯気が立つお茶が置かれた。


「大変だったのね、アイギスちゃん。ウチが裕福なら雇ってあげられるんだけど……」


 十六歳の看板娘は、思い詰めた表情を浮かべる女の子をおもんぱかったようだ。

 同じく「早いうちに父を亡くした」ことから、女の子の苦労を理解しているのだろう。


「お気持ちありがとうございます! でも養うだけならともかく母は病弱で、薬代も考えるとやっぱり稼ぎのいい冒険者に——」


「あー、そういうことか。だから命の危険があっても冒険者になりてえと。そんで、死ぬわけにはいかねえから俺に弟子入りしたいと」


「はい! 受付のプティアさんからオススメされました!」


 ヒザに置いた手を握って、ぐっと目に力を込めて、アイギスがベテラン冒険者を見つめる。

 父親の形見だという板金鎧も鉄兜も長剣も盾もサイズが合っていない。

 それでもアイギスは、冒険者になる気でいた。

 たとえベテラン冒険者——カケルが、弟子入りを断ったとしても。


「カケル……私、冒険者のことはよくわからないけど、その、ダメかな? 私にできることなら協力するから」


「はあ、ここに連れてきたのは失敗だったかなあ。でも冒険者ギルドで話したってプティアちゃんがいたか」


 食堂の椅子に背を預けて、参ったとばかりに、ベテラン冒険者が天井を見上げた。

 姿勢を戻してアイギスを見つめる。


「まあわかった、ただ俺だってEランクなんだ、何が教えられるとも」


「ありがとうございます師匠!」


はええよ。何が教えられるともわからねえが、生き残る確率を上げるためにやってることは全部教えてやる」


「はい! がんばります!」


「ふふ、なんだかんだ言って優しいねえカケル?」


「ここまで聞いといて断って、あとで遺品を回収したらさすがにる瀬ねえからな」


 アイギスは前のめりに返事をして、看板娘のポピーナはニヤついてベテラン冒険者に言葉をかけ、カケルは仕方ねえとばかりに肩をすくめる。


 こうしてアイギスは、三十歳のベテランEランク冒険者『生き恥』の弟子になった。

 時に宿の裏手で「体に攻撃を受けるな、避けるか防げ」と剣や盾の扱い方を教わり、時に宿の食堂でモンスターの生態や攻撃方法や弱点を座学で教わり、時にダンジョンで素材採取や遺品回収をこなしてお金を稼ぎ、時にモンスターとの実戦を交えて。


 ベテラン冒険者——カケルが「もう俺に教えることはねえな」と卒業を言い渡したのは、弟子入りから五年が経ってアイギスが十五歳になり、少しの直しで板金鎧を着込めるようになった頃だった。

 同時に、アイギスがDランクへの昇格試験に合格した時でもある。


 ベテラン冒険者は、三十五歳になってもEランクのままだった。



   * * * * *



「67-J-上です」


「……なんのことだかわからねえな」


 短く言葉を交わして、Sランク冒険者、二十歳にして街最強と言われる『鉄壁の戦乙女』は、黒い鎧の人物に背を向けた。

 ダンジョン『不死の樹海』の奥地を、警戒しながらもアイギスは慣れた足取りで進む。


「やっぱり師匠、だと思うんだけど」


 突然現れた『マギア』と名乗る人物によって、アイギスは危地から救われた。

 顔まで覆われた全身鎧のため、顔を見たわけではない。

 くぐもった声は普段の声音とは違う。

 それでもアイギスは、黒い鎧の正体がカケルではないかと推測していた。

 体格、立ち姿、仕草、声がはっきりしなくともその話し方、そして。


「あの背中は、みんなでダンジョンに行った時みたいだったな」


 さきほど見た背中と、昔見た背中を重ね合わせて、アイギスの顔がほころぶ。

 およそ六年ほど前の、カケルとアイギスともう一人で、ダンジョンに潜っていた頃のことを。


「ふふ、懐かしい。師匠が前に立って、私の後ろにはユーナがいて。楽しかったなあ」


 当時、アイギスはカケルと同じEランクで、まだまだカケルに教わることが多かった。

 ダンジョンではどこに注意するのか、モンスターをやり過ごす時は、遭遇した場合は、自分より強いモンスター相手からどう逃げるか。


「私がこうして生きているのは、母の薬代や医者代を払っても余裕のある生活を送れているのは、師匠のおかげで」


 長く冒険者を続けて『生き恥』と呼ばれるまでになったカケルは、確かにダンジョンで生き抜く術を持っていた。

 昔を懐かしみながらも、アイギスは警戒を怠らない。

 カケルの、『生き恥』の教えは身に染み付いている。


「『これで卒業だ』って送り出したからって、あんなにそっけなくしなくていいのに。私は師匠が師匠なことを誇りに思ってて、誰に何を言われても気にしないのに」


 昔を思い出したせいか、心持ちまで少女の頃に戻ったのだろうか。

 アイギスはぷくっと頬を膨らませて、ズカズカと靴音を立ててダンジョンを歩く。


 カケルよりも上のランクになって「卒業」を言い渡された時に、カケルから「これからは他人の振りをしろ」と言い聞かされた。

 アイギスはもっと上に行ける、師匠がEランクじゃ恥ずかしいだろ、と。

 必死でアイギスが言い募っても、カケルは考えを曲げなかった。


 日頃から不満に思っているのだろう、アイギスは不機嫌な様子で、そっと頭部の額冠に触れる。

 装備している板金鎧は父親の形見を調整したものだが、鉄兜だけはサイズ調整では間に合わなかった。


「はあ。いつか師匠から、街でもギルドでも『師匠』って呼んでいいって、またあの頃みたいに話していいって言ってもらいたいなあ」


 額冠は、卒業の祝いにカケルからもらったものだ。

 以来アイギスは、Dランクからさらに上のランクに昇格しても、ずっと身につけている。

 アイギスが新調した装備は剣と盾だけで、あとは板金鎧に使われている金属を交換して強度を高めたぐらいだ。


「でも、さっきの黒い鎧の人は、ひょっとしたらいまの私よりも強くて。だとしたら、あの人が本当に師匠なら……」


 また昔みたいに、前に立ってくれるかも。

 そう言って、アイギスは「むふふ」と妄想を膨らませた。


 まだ見ぬ未来を夢見て、二十歳になったアイギスはダンジョン『不死の樹海』を行く。

 探索ではなく採取でも討伐でもなく、街に帰るために。


 『生き恥』の弟子は、危なげなくダンジョンを進む。

 カケルに師事した五年間で教わったことを忠実に踏襲して、黒い鎧の正体に思いを馳せながら。


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