外伝 アフター・レヴィアン

第1話『レヴィアン落下』





 西暦二〇一九年 四月十一日 グリニッジ標準時AM三時五十分(日本時間PM十二時五十分)。



 レヴィアン推定衝突時間まで残り三十分に差し迫った頃、人類の希望を乗せて二〇一三年に出発した人類初の有人惑星往還船インディアナ号は、地球から高度五万キロに位置し、低軌道に入るため減速しつつ静寂な宇宙を航行していた。



 小惑星レヴィアンと同じ秒速十キロでは地球の重力圏を振り切ってスイングバイしまうため、秒速十キロから七・八キロにまで減速しなければならないのだ。


 それ故に並走していたレヴィアンは減速を始めた時から先行を始め、インディアナは宇宙から地球に衝突する姿を見ることとなる。



 コックピットの窓には六年ぶりに戻ってきた母なる星の地球の極東地域が見えており、赤い水晶体のレヴィアンがビーズ程度の大きさとなって先行していた。地球までの距離は二万キロを切っている。



 一年前、人類の期待と希望、至上の命令を持って小惑星軌道変更作戦を実行したが、人類の科学者が導き出した策を講じても地球内での衝突の変更しか出来ず、依然として地球へと向かっている。



 一週間前からアラスカにある史上最大砲塔のレールガン『アドバンス』による無制限砲撃をしているが、大質量であるレヴィアンに対して相対速度秒速二十キロ以上で衝突しても結果は軽微だ。


 効果そのものは見られて、命中するたびに表面部分が欠けていくのが後方観測から分かっても、粉々に砕くには数万発は必要だろう。


 つまり、衝突まで三十分となった今、人類の滅亡が決定してしまったのだ。



 海でも陸でも地震と衝撃波が千キロ以上と伝い、クレーターは三十キロ以上を超え、巻きあがったチリは風と自転で世界中に広がって気温は著しく下がり、十年以上は日光はまともに注がなくなる。


 津波も五百メートルにはなるだろう。



 最新の報告では落下地点は日本の首都東京から少し北側とされ、落ちれば関東一帯は灰燼に帰する。


 あと三十分で三千万人近い人が即死し、さらに数千万が衝撃波や地震で被害を受け、それから世界規模で衰弱していく。


 それを任務を失敗した自分たちの目で見届けさせるとは、神は残酷だ。


 インディアナに搭乗したクルー十五人は、ただただ地球が滅ぶ姿を見る事しか出来ない。


 クルーの中には手を握って神に祈る人もいる。



 人類が地球にのみならず宇宙にまで手を伸ばせたのは科学があってのことだ。故に搭乗者の全員が純然たる科学者であるが、科学で太刀打ちできなかった以上、出来るのは神に祈るくらいしかない。


 そのクルーの中で特に顔色が悪いのが、十五人の中で唯一の日本人だった。


 なにせ自分の母国が滅亡する瞬間を目撃するのだから正気を保つ方が無理と言える。


 しかしそこは訓練を含めて十年近く共にしたメンバーたちだ。十五人はすでに一つの家族と言えて、皆が無言で彼に肩に手を合わせたりする。


 ここでの言葉は逆効果と分かっているからだ。



 インディアナ号はこのままレヴィアンの落下を見届けながら低軌道に入り、NASAが事前に打ち上げていた無人の帰還専用スペースシャトルとランデブー。採取したレヴィアンの資料とデータ、搭乗員を移動させて帰還する予定となっている。


 問題は帰還するよりも前にレヴィアンの落下で生じた粉塵がアメリカに来てしまうと、安全上の問題から帰還できなくなることだ。


 推定で日本に落下して生まれた粉塵がアメリカに届くのは三週間後とされ、それまでに戻らなければ二度と地球には戻れなくなる。


 同時にレヴィアン落下の詳細なデータも取らなければならないため、綿密なスケジュール管理が求められた。



 六年の航海と任務失敗と言う傷心を抱えていると言うのに、これ以上の仕事を押し付けるのは彼らしか出来ない仕事でもあるからだ。インディアナ建造と合わせて世界中から様々な衛星を打ち上げたとはいえ、遠隔操作と人の手による観測では二〇一九年となっても雲泥の差がまだある。


 船外カメラを始めクルーは十二年製のビデオカメラ、デジタルカメラを持ってレヴィアンと地球をフォーカスする。


 ビーズ大のレヴィアンは落下地点から見て四十五度の角度で落下をし、アドバンスの頭上を通ることから射角が外れたことで砲撃もされなくなった。


 時間は無情にも刻々と刻み続け、大気圏突入まで残り数分となる。


 クルーたちは虚しさと悔しさいっぱいの表情で見続けた。



 そして運命の時が訪れた。



 三十年に渡り人類を悩ませ、絶望に追い込むレヴィアンが日本より北東部分から南西方向に向け大気圏に突入したのだ。


 秒速十キロで大気圏に突入したレヴィアンは断熱圧縮による空気加熱で下部が赤く発火する。


 数メートルクラスであれば全体が発火して火球となるが、直径三キロと巨大では上部まで熱は回らない。


 しかしそこで既存にはない現象が起きた。


 発火したレヴィアンから放電現象が起きたのだ。それは雷のように周囲に何条もの閃光を発する。



 レヴィアンは地球上に存在しない新元素で出来ており、惑星往還船インディアナに搭載されている放射性同位体熱電気変換器(RTG)のように熱を電気に変換する性質を天然で備えている。


 しかも変換効率はRTGよりレヴィアンの方がはるかに優秀で、その変換効率は九十パーセントを超える。端的に言えば、このレヴィアンを人類が有効活用すれば社会の電気事情は一変してしまうほどだ。レヴィアン全体がその鉱物で出来ているため、超高温によって強制的に電気に変換、蓄電能力はないので雷として放電しているのだ。


 人類にとって夢の超物質が、人類の夢を無くすのだから神は非情としか言えない。


 落下して数秒。大気圏に突入したことでわずかに失速しているとはいえ、大質量の前に効果は軽微だ。残り数秒足らずで地上に激突し、人類滅亡の大災害を起こす。


 青く美しい星が死の星に変わる。



 瞬間。



 インディアナから見てビーズ大のレヴィアンが、カメラのフラッシュのように閃光した。


 そしてビーズ大だったレヴィアンは、肉眼ではほとんど捉えられないほど粉々になったのだ。


 粉々と分かるのは、無数の白煙が落下地点である日本を囲うように広がるのが見えるからだ。


 おそらく日本の国防軍かアメリカ軍が迎撃ミサイルを発射したのだろう。


 レールガン『アドバンス』の連続射撃でもろくなったところで、効力の高い大気圏内でのミサイル攻撃で爆散したのだ。


 もしかしたら核兵器を使った可能性もありえる。どうせ終わりなのだ。なら出し惜しみをする意味はない。


 しかし、例え爆散させたとしても日本の壊滅的な被害は変わらないが。



 白煙はまるで鳥かごのように日本を覆う。そのうちの一つは、砕けきれず巨大なまま関東付近へと落ちていく。


 海面、または陸地に直撃しておかしくない時、更なる変化をインディアナクルー全員が目撃した。


 それはイリュージョンとしか表現のしようがないもので、白煙の檻に捕らえられた日本は一瞬よりもはるかに短い時間で、海と共に消えて代わりに緑色の何かになった。


 同時に白煙の先で水しぶきが長円を形作るように上がる。


 クルーの誰かが「神よ」と嘆く。



 ついに落下したレヴィアンによって衝撃波が生まれ、日本周辺の雲が円形に広がって掻き消されていく。そして極小の太陽が現れたかのように日本全周が光った。


 雲を掻き消す衝撃波は音速を超える速さでモンゴル地域まで広がる。地表でも車を軽々と吹き飛ばすほどの突風が吹き荒んでいるだろう。


 地球まで三万五千キロ。大きさにしてソフトボール大で遠目ながらも隕石落下の様子がよくわかる。


 池に石を落としたような波紋として津波が日本周囲、長円を形作る位置取りから発生し、まずは朝鮮半島へと向かった。



 どれだけ小さく砕けたのか分からないが、レヴィアンはその組成上大気圏で燃え尽きることなく地上に落下してしまう。


 多数の大小さまざまなキノコ雲が生まれた。


 体積と質量が小さくなり、落下速度も空気抵抗から落ちたことで落下の際に起きる衝撃は低くなる。それは津波の高さ、巻きあがるチリの量の軽減に繋がるが、それでも社会レベルでは壊滅必至と言いようがない。


 少なくとも韓国には五十メートル近い津波が最初の被害国として襲うはずだ。


 それだけでなく、砕けきれなかった大型のレヴィアンが太平洋側に複数落ち、宇宙空間からでのみ分かる巨大な波紋が環太平洋に向かって広がっている。



 その内の太平洋側の津波は三百メートルは軽く超えているほどに波紋が大きかった。


 津波は最も近い位置にある韓国に達する。宇宙からでは岸に当たっているだけに見えても、現場では数十メートルの津波が襲っている。


 津波は普通の波と違い、沿岸に絡みつくように襲うため朝鮮半島は全周で沿岸部は津波の被害を受け、北は樺太にロシアのウラジオストクやカムチャッカ半島にも迫る。


 インディアナの位置から確認できないが、南は上海に台湾、フィリピンにも向かっていることだろう。



 レヴィアンの性質から落下によって生じる熱は電気に変換されたことで、その熱による上昇気流は少ないだろうが衝撃そのものは消えない。マグニチュード八から九クラスの地震が世界を巡り、太平洋側に落ちたレヴィアンは直径数百メートルから一キロ近くはあったことで、衝突による衝撃によってはじき出された岩石は大気圏を突き抜けていく。


 地表を高温の衝撃波が這う。


 粉塵は濛々と立ち上り、日本があった緑色の何かは衝撃波と津波によって広範囲に侵食されいった。


 巻き上げられた粉塵は偏西風によって東に流れていき、少しずつ地球の空を覆っていく。


 インディアナのクルーたちは、その阿鼻叫喚となる極東地域を、ただただ見つめ続けることしかできなかった。



 そんな中、無線に連絡が入る。


『こちらヒューストン,インディアナ、応答せよ。インディアナ、応答せよ! オーバー』


 答えるは船長。


「こちらインディアナ、感度良好、オーバー」


『まずはお帰りと歓迎したいところだが、そうもいかない』


「もちろんだ。落下した映像データはリアルタイムで送信中だ。オーバー」


『落下した瞬間の映像データは受け取った。確認だが、日本は消滅したか? オーバー』



 レヴィアンは落下したが、日本に起きた不可解な現象にNASAの科学者は理解が追いついていないらしい。


「詳細は不明。レヴィアンが爆散し、地上に落下した瞬間に日本列島が緑色の何かになったように見られる。オーバー」


『日本が何かしたのか? オーバー』


「それはそっちが知っている事じゃないのか!?」


 インディアナに地球のインターネットが接続されているはずがなく、地球の様子を知るには無線通信かメールで送信してもらうしかない。故に最新の地球の事情を知るはずがないのだ。


『日本はどこにいった』



「分からない。見れるのは緑色の……これは草原? 日本の姿はどこにもない」


 見えるのは日本列島の倍の面積ほどの陸地だ。ひし形で特徴的だった北海道もなければ、本州、四国、九州と言った四大島も見えない。全てが繋がった一つの陸地が見えて、その境界線から粉塵が舞い上がっている。


「東京シティも富士マウンテンも見えない。そちらから連絡はどうだ?」


『アジア全域で通信は途絶だ。日本だけじゃない。韓国も中国、ロシアとも連絡が取れない。いまここでも地震が来た。地球規模で揺れてるな』


「見る限り津波は太平洋側が巨大で、ユーラシア側は低いと思われる。砕けたことで偏りがでたんだろう。オーバー」


『了解。データの解析はこちらでする。インディアナは引き続き観測を続けてデータを送ってくれ。アウト』


「了解」



 ヒューストンとの通信が終わる。


 日本周辺は巻き上がった粉塵で覆われ始め、肉眼で謎の陸地の観測が出来にくくなっている。この巻き上がった粉塵は電波を妨害してしまうから、世界中に広がると世界規模での通信障害となるはずだ。


 インディアナは日本から見ると北海道方向から地球に向かっており、地球は東方向に自転している。よって衝突の時に日本は水平線付近にあったが、時間が経つにつれて日本は正面へとやってきて、落下時の凄まじさがよくわかってくる。



 いくら熱を電気に変換するレヴィアンでもその熱を全て奪うことは出来ず、落下地点周辺は広範囲で燃えているのが粉塵越しでも分かる。


 さらに巨大レヴィアンの落下ではじき出された地表の岩石が、大気圏に再突入してユーラシアや太平洋に落ちて二次被害を生み出す。


 仮に砕けたレヴィアンの最大級が一キロとすれば、クレーターは十から十五キロに達し、深さは五百メートルを超えるだろう。それらの土砂が空に巻き上げられ、クレーターの縁の小山となる。



 そして理論上では落下した衝撃による熱から小惑星そのものと地殻が融解してマグマとなる。そのマグマがさらに高熱で気化し、数千度の気体となった『岩石蒸気』となり、固体よりも体積の大きい岩石蒸気は重力に従って四方八方へと拡散する。


 例えば暖かい部屋で液体窒素を撒くと足元を冷気が部屋中に広がるのと同じだ。


 しかし、燃えることはあっても岩石蒸気が発生した様子は宇宙からだと見られない。


 おそらくレヴィアンの熱電変換が検査した以上に優秀で、急速に熱を奪い電気に変換して冷却、液体または固体に戻しているのだ。


 それを証明するように、粉塵の中で無数の雷が発生しているのが分かる。


 粉塵による摩擦による雷だけでなく、溶解しなかったレヴィアンから生まれた高電圧の電気が雷級にまでなっているのだ。



 一年前に採取したレヴィアンのサンプルに科学実験として様々な刺激を与えた。地球上にない物質であるため出来る限りのことをしたのだが、融点は結局分からないままだった。


 一言で言えば三千四百℃に熱しても、電熱変換能力を維持した上で融解することはなかった。


 これは地球上のほぼ全ての物質が解ける温度でも、このレヴィアンは解けないことになる。


 ゆえに岩石蒸気になるほどの熱が発生していてもその熱を奪って電気に変換してしまい、そうした事象が発生しないのかもしれない。


 衝突から一時間が過ぎ、インディアナは地球低軌道突入シークエンスに入る。


 地球の重力圏に掴まり、決して地上に落下しない第一宇宙速度を維持して地表から四百キロを周回する。



 夜を通り過ぎ、昼やがってきた。


 第一宇宙速度である約七・九キロで地球を周回すると、一時間半で地球を一周する。


 地球の低軌道に入り、最初の夜を迎えて四十五分後に最初の朝を迎える。日本地域はまだ午後三時を過ぎた頃だが、状況はより悲惨となっている。


 日本周辺と日本の何倍もの太平洋の部分が黒色の粉塵で覆われて、海を眺めることが出くなくなっていた。


 偏西風からユーラシア沿岸は視認することが出来たが、津波が襲った沿岸部分で火事であろう煙が所々で上っているのが分かる。視認が出来る規模と言うことは工業地帯や住宅地が被災して炎上している証だ。



 数メートルや十メートル程度なら、視認は出しても強固な建造物は耐えられる。しかしその何倍もの津波が来れば建造物は破壊されて炎上してしまい、家屋の大半は木造なので瓦礫となって密集し、火が付けば広範囲で火災が発生する。


 近年で最大規模の地震であるグレートイーストジャパンアースクエイクでも、地震そのものによる火災だけでなく、津波による破壊での火災も起きて宇宙から観測が出来たほどだ。


 太平洋を横断中の巨大津波は、まだ日本とハワイの五分の一付近を移動している。あと四時間か五時間でハワイを二百から三百メートルの津波が襲い、十数時間でアメリカ西海岸を襲うだろう。


 避難状況が不明なので想像でしかないが、アメリカ西海岸もハワイも可能な限り避難をしているはずだ。特にハワイは避難場所がほとんどないからアメリカ本土に逃げないとならない。


 一人でも多く避難していることを願うだけだ。


 本来なら今日、この日は人類の英雄として地球に帰還し、地球に凱旋して永遠に歴史に名を刻むはずだった。



 それがヒューストンからは簡単な言葉だけを掛けられ、大統領からのメッセージもない。


 歓迎ムードの一欠けらもなく地球の周回軌道に入って四時間が経ち、日本地域は夜に入った。


 夜になるとさらなる被害の様相が分かってくる。


 日本があった場所はレヴィアンとクレーター内に入り込んだ海水の浸食で熱は冷めてしまったようで、何一つ明かりがともることは無かった。あの海沿い全ての光が灯り、その内部でも輝いて国そのものが光っていたあの先進国の姿はどこにもない。


 さらにユーラシアの湾岸地域は軒並み停電で内部まで光は灯っておらす、フィリピンも半分以上の地域で明かりが灯っていなかった。



 ハワイも同じだ。日が暮れた頃に津波が到来したのだろう。座標ではハワイの上空を移動していても光は一切見られない。他にも航行中の船も一切見られなかった。


 火災も消えていて完全に闇の中に埋もれてしまっている。


 いや、鎮火しただけでなく、粉塵による光の遮断も一役買ってしまっているはずだ。


 赤外線モードで観測をしても反応は何もない。そこだけぽっかりと穴が開いている感じだ。


 日本に住んでいた一億二千万人。ユーラシア東部沿岸に住んでいた数千万の人々が、そのぽっかりと空いた穴に落ちたように姿を消した。



 それだけでなく、環太平洋全域で避難をしていても多くの人が亡くなり、世界の平均気温が五℃近くは下がると思われ、品種改良による冷害対策をしていても訪れる氷河期で千万単位の人が飢えと凍えで亡くなるだろう。


 温暖化と氷河期、どちらかが人類のためになるのかは正常化したあとの社会が決めるだろうが、人類の繁栄は止まってしまう。


 人類が一丸となって史上最大の宇宙船を建造し、惑星を往還できるところまで来たと言うのに頓挫してしまうとは、先祖たちにどう顔向けをすればいいのだろうか。誰も答えは出せない。


 運命の帰結と言えばそれまでだが、人類はその運命を乗り越えることを証明したかった。



 レヴィアン落下から十四時間が経った。


 アメリカ時間で午前十一時半。カリフォルニア州沿岸。


 日本関東付近に落下した一キロ級レヴィアンによって生み出された観測史上最大の巨大津波は、太平洋を横断してついにアメリカにまで達した。


 太平洋横断によって多少波の高さは低くなったとはいえ、それでも二百メートルを超える津波が三波以上引き連れてアメリカを始め環太平洋全域の湾岸を襲う。



 アメリカのカリフォルニアで言えば、サンフラシスコにある赤い塗装の巨大橋のゴールデンゲートブリッジが有名だろう。


 太平洋に対して水平に位置し、太平洋の玄関口として多くの船の行き来を見守って来ていた。


 しかし、二百メートルを超える津波を受け止めることは建造当時から想定をしていない。


 ジェット旅客機と同等、または高速鉄道と同じ速度で太平洋を横断した巨大津波は、いともたやすく、それこそ子供が積み木を壊すかの如く巨大な圧力でなぎ倒し、サンフラシスコの住宅地、内陸にある都市部を一瞬で飲み込んだ。


 内陸に避難をする人もいれば、生まれ育ったここで死のうと決めた人もいただろう。


 人類の歴史が詰まった町や都市、様々な思いを飲み込んで海が侵食する。



 津波は内陸深くまで入り込み、州境の標高四千メートル級の連なるシエラネバダ山脈まで届いた。


 サンフランシスコだけではない、棘のように大陸から突出したバハ・カリフォルニア半島、メキシコ、ペルー、チリにも人類史にとって未経験の巨大津波が襲う。


 郷土愛から生まれ育った街や家で死のうとする人、一日でも長く自分や、家族を生き永らえさせようと内陸に逃げる人と、決して統一されることのない多種多様な思想の元で人々は動く。


 宇宙から人の動きは分からないが、決して指で数えることのできない人々が奔走していた。


 文字通り一瞬で万を超す人々が海に飲まれ、瓦礫に押しつぶされ、刺され、溺死する。


 それを空からただただ見ることが出来ないとは、運命に抗った人間に見せる神は残酷だ。


 インディアナのクルーは皆、歯を食いしばりながらその光景を見続ける。



『こちらヒューストン、インディアナ応答せよ、オーバー』


「こちらインディアナ、オーバー」


『サンフランシスコの映像を受け取った。皆の様子はどうだ? オーバー』


「意気消沈している。科学の無力さを噛みしめてるよ。オーバー」


『これは大統領からだが、君らは完璧に任務を遂行した。君らに何ら落ち度はない。負うべき責任はないと。これは我々も同意見だ。我々の科学力が通用しなかっただけだ。君らが気負うことではない。オーバー』


「ありがとう。レヴィアン落下で打ち上げられた地上岩盤による人工天体の被害はないか? オーバー」


『日本付近を飛行していた複数の人工衛星の不調は確認している。いくつかのデブリの発生はあるだろうが、ケスラーシンドロームの発生までには至っていない。今分かっている軌道ではインディアナとインフィニティ号に被害はないから安心してくれ。オーバー』


「了解」



 ケスラーシンドロームは、宇宙空間に漂うロケットの不要となったパーツや一部のデブリが、他の人工天体にぶつかってさらにデブリが生まれ、連鎖的にデブリが増える現象を指す。


 デブリは秒速八キロで移動し、決して消滅することなく漂うため一度衛星に当たるとそこから数十から数百と生まれ、それらがさらに他のにぶつかってさらに増える。


 インディアナやインフィニティにとって目下の脅威はこのデブリで、もし当たれば地球への帰投は叶わなくなるのだ。


 レヴィアン落下によってはじき出された岩盤は、大気圏を超えて宇宙空間に抜けることがある。それが大気圏に落ちるまでは低軌道上にあるので、もし人口天体にぶつかると大量のデブリが生まれて、インディアナやインフィニティにぶつかる可能性が飛躍的に上がるのだ。



『通信障害が刻々と広がっている。今はまだユーラシア極東方面と太平洋地域だが、直に欧米でも出来なくなるだろう。気象班によれば帰投に支障が出るほどの通信障害が起きるのは三週間後とされている』


「その前には帰投する。それまでは空から観測を続ける。日本に起きた何かは分かったか? オーバー」


『不明だ。映像を見る限りで言えば、日本が緑の土地に入れ替わったとしか表現できない。だがそんなこと起きるはずがない。落下に伴う電磁的障害によるものだろう』



 常識から見て土地が入れ替わることなどあるはずがない。故に別の理由を考えてそうなのだと納得をさせる。



「中国やロシアから通信はないか?」


『モスクワや北京との連絡は取れている。湾岸地域は壊滅だが、内陸は一応無事のようだ。ただ、落下に伴う地震で損害は大きいらしい』


「アメリカ西海岸は? オーバー」


『壊滅だ。山など標高五百メートル以上のところに逃げなかった人は助からない。避難は大統領令で落下の一週間前からしていたが、それでも九割と言ったところだ』


 数千万人の移動だ。それらの人々全員が居住を見捨てるのだから、受け入れ先も考えると相当困難なオペレーションと言える。



「ハワイは? オーバー」


『住民の避難は全員完了している。だが空路で戻ることは叶わないだろう』


 建物はおろか空港、港も被害を受けたのだ。再建するにはあらゆる資材や機材を新たに持ち込まねばならないから、かつての観光スポットに戻るには数十年は掛かるだろう。


『日本上空を通過する際、少しでもなにか情報があれば勘違いでもいい。すぐに送信してくれ』


「了解。ヒューストン、日本の情報ってまさか軍を派遣するのか? オーバー」


『日本は大事な同盟国だ。安保がなくともその考えは変わらないと大統領は言っていたよ』


 つまり、壊滅状態の日本を中国やロシアに占領されて、太平洋の西側の覇権を二国に渡さない考えだ。


「世界がこれから大変だと言うのに……第三次世界大戦でも始めるつもりか」


『以上だ。アウト』


 これ以上の通話は危険としたのか、ヒューストンは通信を切った。


「人類が一つになったのは仮初か。結局何も変わったないじゃないか」



 ただでさえこれから多くの人が寒さと飢え、水害で死ぬのに、人が人を殺して口減らしをする様に、人の浅ましさに辟易としてしまう。


 運命を前にしても人類の性は変わらない。


 だからこそ軌道転換作戦は成功させるべきだったのだ。


 これでは下手な世紀末映画と同じ結末を迎えてしまう。


 せめて大国の指導者が人間的な判断を下すことを祈ることしか出来ない。


 インディアナは再び四十五分間の夜に突入する。


 地球の夜明けはいつだ。

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