第78話『とあるホテルでの一幕』

 イルリハラン主導による日本人のイルフォルン観光の公募は、一月五日から開始された。


 出立は二ヶ月後の三月十五日から二十五日の十日間。



 参加人数は世帯を含めて五十人。



 年齢制限は一切ないものの、警察が把握している危険な思想家や重犯罪歴がある者は自動的に除外される。差別と言われようと、犯罪者を初の異星国家首都に招かせるわけにはいかない。


 もちろん護衛と言う名の監視が付くからいやでも犯罪行為は出来ないだろうが、日本の恥をさらすわけにはいかない。



 イルリハランはその五十人の中に十人ほど在日外国人を入れる条件を出した。


 フィリア社会は地球社会と違って単一人種で、黄色人種や白人種と言う区別がない。


 さらに日本以外の国を知る機会でもあってその条件を出したのだった。


 日本政府としては人種差別を警戒してその案を受諾し、十人の外国人枠の纏め役として外国人団体アークから一人、十一人目の外国人として政府枠に組み込む決定をした。


 強制はできないため任意の応募にいた場合に限るが、事前にアークに連絡を入れることで応募無しの可能性は低くなる。


 史上初の民間人が異星国家首都を六日間観光できるとなれば、経済的に厳しかろうと行きたがるものだ。



 二〇一六年東京オリンピックと同じ手法で募集を掛けた所、実に千五百万もの応募が来た。


 相当数の応募がある見込みであったが、その倍近い応募に関係者は驚いたらしい。


 わずか四十の枠で千五百万。倍率で言えば三十七万五千にもなった。


 もし転売阻止がされていなければ、チケット一枚で数百万で取引されていただろう。


 ちなみにイルフォルン旅費そのものはイルリハランが負うので、旅行者が負担するのは日本国内の移動費と説明のため前日入りによる宿泊費のみだ。チケットそのものは無料である。



 手ごろな金額で異星国家の首都にいけるのなら、そらワンチャンスを狙って応募をするのが人の性だ。


 外国人枠でも半数以上が応募をし、外国人代表としては当然アーク代表のトムとなった。


 そしてトムの〝妻〟も規定により同行する。



      *



 明かりの落ちたビジネスホテルの一室。


 開かれたカーテンからは満月の光が注ぎ、暗い部屋を仄かに照らす。


 窓から見える景色は、節電から必要最小限まで消灯していたが、経済の復活に合わせて多く灯るようになった東京のビル群が見える。



 地上でも燃料問題が解決したことによって車の交通量が増え、経済の復活を象徴していた。


 そんな東京を、ホテルの一室からタオルを下半身にだけに巻く半裸の男が見ている。


 その背後にあるベッドでは、一糸まとわぬ女性が息を荒げてうつ伏せでいた。


 月明かりでもはっきりと顔が見えない男は、腰を首を捻って女の方を向いて一瞥をする。うつ伏せの女は男にとって恋人や妻ではなかった。客観的に言えば都合のいい女であり、そうした間柄の女を支配した征服感から興奮を覚える。



「いつまで寝てるんだ。さっさと起きろ」



 ヤることをした男はタオルを取って裸一貫となり、ハンガーにかけている背広へ着替え始めた。


 時折痙攣をしながらうつ伏せを続ける女は、男の声を聞いて起き上がる。



「今日も、はぁ……はぁ、ありがとうございます」



 シーツで胸元から下半身を隠しつつ、女は男に礼を言う。


 女にとって男の相手はお礼の一つであり、求められたら拒否権はない。


 それ以前に、女は男に絶対服従だ。逆らうことは許されず、無理難題でも成否に関わらずやらなければならなかった。


 子供でもできる雑務から男の相手まで、文字通り『なんでも』である。



「ひとまずお前を妻とすることでイルフォルン行きの切符はギリギリ確保させたが、あの男との連絡は出来ないのか?」


「申し訳ありません。外堀から埋めて近づこうとしたのですが、未読スルーするようになりまして連絡が取れません」



 以前は挨拶をするだけでも既読してくれて、もう少ししたら他愛ない話題から会話量を増やそうと考えていた。


 あの男のことは誰よりも知っているから、直球より回り道をすれば必ず会話が起きるのは分かっていたのだ。しかし、なぜかしばらく前から既読にもならなくなった。


 かと言って未読スルーしていることへの言及は出来ないから、今まで通りのメッセージを送るしか出来なかった。


 これを指示したこの男もそれを分かっていたので何も言わなかったのだが、日本政府がイルフォルンへ行くと発表したことで急きょ考えを変えた。


 何としても異地とのパイプを日本政府とは別で構築したいこの男は、特派員として行かせることを決めて制度を利用したのだ。



「チッ、使えない女だな」


「すみません」


「謝るなら連絡をどうにかさせろ。そうすりゃ荒業を使う必要はなかったんだぞ」



 荒業とは配偶者にして同行させることだ。



「はい。ですが、警戒されている中では外堀から埋めないと拒絶されてしまいます」


「その外堀が埋められないから強引な手を使ってるんだ。使えない女だな。いいのは体だけか」



 言われて女はシーツを握りしめる。


 本当はこんなことは一切望んではいない。したくもない。人格も全て否定されて、可能なら今すぐにでも殺してしまいたいほどだ。


 だが出来ない。すればただでさえ最悪の人生がより最悪になってしまう。


 犯罪者になってしまうし、それだけでなくこの男がなかったことにしてくれたことが全部元通りにもなってしまう。


 今が人生に於いて最低保証状態だからそれ以下には出来ない。


 これよりも下になったらもう死ぬしかない。もう死んだ方がマシだとしてもだ。



「すみません」


「ただ口で言うだけか」



 女はベッドの上で正座をして、マッドに額を付けるほどに土下座をする。



「申し訳ありません」


「なに床より高い位置で土下座をしてるんだ。するなら床だろ」



 反論は許されない。女はベッドから床へと降りて再び額を床につけた。少しでも顔が浮いているとそれでも文句を言う。



「私が未熟なばかりにご迷惑をおかけして誠に申し訳ありませんでした」



 どうせここで「申し訳ありません」と言っても誠意がないと言うから謝罪の言葉を足す。



「イルフォルンに行ける最初で最後のチャンスだ。なんとしても向こうとのパイプを繋いで来い。もちろんあいつもな。十日も側にいれば再構築出来るだろ。いやしろ」


「努力はします」


「努力じゃねーよ」



 背広に着替え終わった男に髪の毛を掴まれ、膝立ちの高さまで持ち上げられる。



「やるんだよ。やれ」


「は、はい」



 髪を引っ張られる痛みに耐えながら返事をして、手が離される。



「失敗したら全て俺と会う前に戻すからな。借金とガキの養育費、一人で頑張って稼ぐんだな」


「成功させます。だからそれだけは……」


「ああ、成功させろ」


「はい」


「先に行く。お前はそのまま明日出てこい」



 恋人でも妻でも、愛人でもない関係。スキャンダルを避けるためにも二人が同時にホテルに出入りすることはない。


 よって最低でも女は男が来る数時間も前からチェックインをして待ち、翌朝のチェックアウトまで待たなければならなかった。


 もちろん相談はなく一方的に命令されて反論の余地はない。


 女は全裸で出て行く男を見送り、泣いた。


 全ては自業自得であるが、毎晩のように欲に身を任せて彼と別れた自分を呪った。


 遊びに目がくらまずに元カレと堅実に生きていたら、大変でも今とは全く違う良い大変さで生活をしていた。



「ううううう……」



 いっそ今すぐホテルの窓から飛び降りれればどれだけ楽だろうか。


 窓の外は地上から十数階とあり、飛び降りれば一発で死ぬことができる。


 だが、こんな異星で死んで、地球人の魂があるあの世に行ける保障などない。ひょっとしたらこの異星のあの世に行くかもしれない。


 なにより死ぬのが怖い。


 恐怖は数秒と頭では分かっても、それをする覚悟などありはしなかった。


 何もかもが悪い方向へと向かい、その感情がさらに涙を呼んだ。


 果たして泣き止んだのは一時間も声が枯れても泣き続けたあとだった。



      *



 ホテルの廊下を歩く男は、背広の内ポケットからスマートホンを取り出してある通話アプリを起動した。


 そのアプリは起動して電話を掛けると、自動的に機械音声に変換してくれるボイスチェンジャーアプリだ。


 そのアプリを起動したまま電話を掛けると、相手にもニュースで聞くような声に変えてもらえて、自分の声を知られないようにできる。


 男は電話帳から、トム・K・サージャンを選んで通話ボタンを押した。


 五回ほどコール音が鳴るとトムが出た。



「私だ。ノアだ」

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