第6話
僕たちの住む王都の朝の空気は、とても冷たいです。
もともと大陸でも北に位置している関係で夏は涼しいのですが、冬が近づくにつれ寒さは厳しさを増し、日によっては井戸水が凍りついて使えなくなることもあります。
ということで、騎士としてこの国に仕える身としては、体調管理は必須なのですが……。
「う~……おはようございます~……」
朝日がまだ顔を出すか出さないかの早朝。
僕は、いつものように、城の地下にあるブラックホークの詰め所へと入りました。
実はこの時間、深夜に任務を終え朝帰りの人と早朝からの出動に備える人とで、一番にぎわう時間だったりします。
他では考えられませんが、日中は留守番担当以外誰もいないこともざらです。
通り過ぎる先輩達に挨拶をしてから、僕はカレンさんのいる隊長室に入りました。
僕の現在の仕事は事務方の仕事がメインです。出動命令の出された任務のとりまとめ、任務毎に派遣する人員の選定の補佐、任務の際に必要な備品の発注業務、帳簿管理……地味にやることが多いです。
ここに日々の鍛錬や、自身に課せられた任務が加わってきますから、必然、休む暇がなくなるわけです。つらみ。
「おはようございます、隊長」
「……」
席に座っているカレンさんへ挨拶する僕でしたが、カレンさんはぼーっとした様子で書類に目を落としており、僕に気付く素振りがありません。
「隊長?」
「……」
「えっと、隊長? ハルです。ただいま出勤いたしました」
「! ん、あ、ああ。おはようハル」
「?」
いつものカレンさんなら朝からしゃっきりとした顔で『遅いぞ愚図っ!』と、大変ありがたい言葉で罵ってくれるのですが、今日はなんだか反応が薄いです。
書類の山に目を通していますが、それに集中しているというわけでもなく、ただぼうっとしている感じです。
「隊長、今日はなんだかお元気がないように見えますけど……大丈夫ですか?」
「ん? ああ、心配するな。朝から少し体がだるいぐらいだから……くちゅんっ」
「あれ、風邪ですか?」
「そ、そんなわけ……ただ鼻がむずがゆいだけで……へくちっ」
いつも気高いカレンさんとは違って、女の子らしさ全開のくしゃみ。大変かわいいのですが、病気ということならいただけません。
「やっぱり風邪じゃないですか。今日は僕がかわりにやっておきますので、隊長は休んでください」
「何を言っている。大体、みんなが頑張っているときに私だけ休めるか。それに、慣れてきたとはいえ、まだまだ新人のお前に私の仕事ができるなんて自惚れるのもいい加減にしろ」
僕の言葉に首を振り、カレンさんは自らの愛剣をもって任務へ出発しようとしますが、
「そう、いいかげん、に……」
「っ……!」
二、三歩ほど歩いたところで、そのまま力なくうつ伏せに倒れました。
「隊長!」
すぐさまカレンさんに駆け寄った僕は、手早くカレンさんの鎧を外して、抱きかかえました。
「すごい熱……!」
カレンさんの体温が腕に触れた瞬間、すぐさま高熱であることがわかりました。ずっと我慢していて、こじらせてしまったのかも。
触れた感じ、体温は四十度を軽く超えているはず。この状態で普通に出勤できているのが不思議なレベルです。
いくらカレンさんが頑丈といえど、これはいただけません。
「隊長、ちょっと失礼しますよ」
苦しそうに呻くカレンさんの顔を見た瞬間、僕はカレンさんに魔法をかけました。
「! お前、睡眠魔法……」
「無礼をお許しください。でも、こうでもしないと隊長は言うことを聞いてくれませんし」
抵抗しようと体を捩るカレンさんですが、いくら隊長格といえど病人です。
そんな状態の人が、僕の魔法に抵抗できるはずもなく。
「ハル……この、ば、か――」
カレンさんを半強制的に眠らせた僕は、体を預けるようにして倒れたカレンさんをしっかりと受け止め、抱きかかえました。
お姫様だっこ状態。朝の出勤ラッシュの中を出歩くのは非常に目立ちますが、場合が場合なので仕方ありません。
カレンさんにはしばらく『新人にお姫様だっこされた騎士隊長』として辱めを受けてもらいましょう。
「さて、と……今日は忙しくなるな――」
僕の睡眠魔法はかなり効果が強く、耐性の訓練を受けているカレンさんでさえ、自然回復までにはおそらく一日はかかります。
カレンさんの隊長を心配したとはいえ、僕の独断でそうしたので、その穴埋めはしなければなりません。
「少し大変だけど……ちょっとだけやる気を出すか」
そう呟いて、僕はカレンさんを自宅のベッドまで急ぎ連れて行ったのでした。
その日の夜。
仕事を終えた僕は、朝と同じようにカレンさんの部屋にお邪魔しました。
鍵については勝手ながら、カレンさんの荷物から拝借しています。
「「クゥ~ン……」」
僕の姿を認めたケルベロスが、不安そうに尻尾を垂らしてこちらへと近づいてきます。
普段は部屋の中を荒らしまわっているようですが、今日は大人しく待っていてくれたようです。
「よしよし。大丈夫だよ。マドレーヌさんからもらった薬も効いているみたいだし。明日になれば、また元気になるよ」
あの後、すぐさまマドレーヌさんに事情を説明し、そのつてで医者の方に治療をお願いしました。
診察の結果は風邪でしたが、下手すれば肺炎になる一歩手前の状態だったようです。
付き添っていたマドレーヌさんも『このこじらせ女め』と呆れていましたが、僕としては、大事にならなかっただけよかったです。
「ふう……まずは掃除だな」
お腹を空かせていたケルベロスに餌をやった後、僕はカレンさんの部屋を見回しました。
視界に広がったのは、散らかったゴミの山、山、山――。
キッチンに放置された食器類、空の缶詰、そして酒の空き瓶。
仕事が忙しく、ゴミ出しをする暇すらなかったのでしょう。部屋の中を、どんよりとした空気と饐えた匂いが充満していました。
ということで、まずはこれを何とかする作業です。こんな中では、治るものも治りませんからね。
「しっかし、本当、独身男性みたいな部屋だな……」
ブラックホークの激務を考えると、普段の生活がおざなりになるのは仕方ありませんが、これはいくらなんでも残念過ぎます。
そんなわけで、明らかにゴミとわかるものを先に袋に放り込んでいきます。床に無造作にばら撒かれている書類等については、ひとまとめにしていったん机の上へ。
「えっと、これは……」
その中で、ふと、部屋の隅っこに積まれていた数冊の本に目が留まりました。
「これは、恋愛小説? かな」
ジャンルは王道の恋愛もの。ぱらぱらとめくってみた見た感じ、一国の王子と村娘の悲恋の物語ですかね。
内容的には、年頃の女の子が好きそうなジャンルだと思います。
というか、よくよく見てみれば、兵法書などの仕事関係で使うような書物と紛れて、同様なものが本棚にも多くあるようです。
あと、収納からわずかにはみ出している『とあるもの』も。
「ぬいぐるみ! なんだ、カレンさんも意外に女の子らしい趣味もあるんじゃないか」
犬や猫などから始まり、かわいらしくデザインされたスライムなどの魔獣型のものまで。
数多くのぬいぐるみたちが、カレンさんの衣装棚の隙間を賑わしていました。
少し縫製が甘いものもあるので、もしかしたら自作なのかも。意外な趣味ですが、全体的な部屋とのアンバランスさがすごい。
「う、ううん……」
と、ここで、タイミングがいいのか悪いのか、カレンさんの意識が戻りました。
お宝探しはこれからだったいうのに……まあ、それは今度の機会といたしましょう。
多分、これからいつでもお邪魔できるようになってくれるはずですから。
「隊長、ご気分はいかがですか?」
「? ハル……? おまえ……いや、それよりここは」
「ここは隊長の自宅ですよ。勝手にお邪魔して申し訳ありませんが、状況が状況でしたので」
「私の……」
「「ガウッ!」」
「わっ、ちょ、ケルベロス……そんなになめてくるな、苦しいだろ……」
主人が目を覚ました瞬間あらん限りに尻尾を振って飛びかかったケルベロスを、困惑しつつも受け入れるカレンさん。
顔の血色も戻ってきていますし、どうやら薬が効いてくれたみたいです。
「ハル、そう言えば、仕事は……? 今日の仕事はどうしたんだ?」
「ご心配なく。事情を隊の皆さんにお話しして、少しずつ分担していただきました。特に問題なく完了しましたよ」
ウソです。隊長の仕事は全て僕がやりました。
一応、マドレーヌさんにもお願いして例外的にサポートしてもらったものもありますが、それ以外は、ほぼすべて一人です。
僕がちょっとやる気を出せばこんなもん……ではなく、正直大分きつかったですが、そこはカレンさんのためです。
「そうか、みんなが……。それに、私の部屋もすっきり片付いているし……その、お前がやってくれたのか?」
「はい。随分とため込んでいましたね。忙しくて暇がないのはわかりますけど、少しは片付けたほうがいいですよ?」
「ふん、新人のくせに一丁前に私にお説教とは生意気な……って」
と、ここで、カレンさんの顔が何かに気付いたように真顔になりました。
「隊長? どうしました?」
「部屋きれい……整理整頓……ということは……」
視線を色々なところに彷徨わせた後、瞳を僕のほうへ向けたカレンさんが、一言、
「ハル、その……見た、か?」
と、頬を赤らめさせて訊いてきたのです。
「え?」
見たのか、というのはおそらくクローゼットの中身、つまりはファンシーな縫いぐるみのことを言っているのでしょう。
というか、それぐらいしか目につくものはありませんでしたし。
「はい……まあ、多少ですけど」
「~~~~~~~!」
僕の返答に、カレンさんは手で頬を覆い隠して足をじたばたとさせています。
睡眠魔法から覚醒したと言っても、まだ効力自体は残っているのか、体は満足には動かせないようでした。
部下に隠し通していた趣味を思わぬ形で知られてしまい、恥辱に身もだえるカレンさん……はい、かわいい。
「あ、でも、別に恥ずかしいことじゃ全然ないと思いますよ? 女性ですから、このぐらいのことあって当然、というかむしろ安心したというか」
「ちっ、違っ……あれは私じゃなくてアイツ……マドレーヌが『あんたも大人の女なんだから』って唆されたから持っていただけで、私は決してそんなつもりじゃ……」
「大人の女? あのぬいぐるみって、そんなに高価なものだったんですか? 手作りかな、って思ったんですけど」
「ぬい、ぐるみ……?」
そこで、わたわたと弁解をしていたカレンさんの動きが固まりました。
僕の言葉に理解が追いついていないところを見ると、どうやら別の何かと勘違いしているみたいです。
「あ――」
そこで、またしても察しのいい僕は感づいてしまいました。
マドレーヌさんがけしかけた、大人の女、いつでもOKなように衣装棚にしまっている。
悪魔的な閃きに、僕の意地悪な部分が耳元で囁きました。
ここでとぼけたふりをするのはもったいなさすぎる、と。
「あの、隊長……僕は収納の中のぬいぐるみのことを言っているんですけど……もしかして、別のモノのこと考えていませんか?」
「ッ……!?」
やんわりとした追及に、カレンさんはギクリ、と全身を硬直させました。
あんまり恥ずかしかったのか、高熱があった時よりも真っ赤です。
どうやら図星だったようです。
「ねえ、隊長? 隊長はいったい、ナニを僕に見られてしまったと思ったんですか? よければ、隊長の口からお聞かせ願いたいなあ?」
「え、あ、いや、それは、その……」
「あ、そういえばぬいぐるみの他にあった気がするなあ。やけに派手なデザインの黒い布切――」
「うわああっ!? い、言うな、それ以上言うなああっ!?」
おっと、これは勘でしたが、種類も当たりでしたか。なんとまあ答え合わせのしやすい反応でしょう。
「きっ……斬るっ、今すぐお前を斬ってやるっ! なあに、頭を真っ二つにかち割れば、いくら頭のいいお前でもっ……」
「ちょっ……それ記憶どころか命の灯まで真っ二つにされちゃいますって!?」
「問答無用おっ!」
それまで重病人だったとは思えぬほどの身のこなしで襲ってきたカレンさんと僕の鬼ごっこは明け方まで続いたのでした。
ちなみにカレンさんの勝負下着は黒レースの他、もう一着、純白の紐パンもあるとのことです(マドレーヌさん調べ)。
それを最初に見るのは、是非とも自分自身であってほしいと願う僕だったのでした。
【ハルとカレンのイチャイチャが更に加速!?大幅加筆で贈る第1巻は2019年12月1日スニーカー文庫より発売!】
年上エリート女騎士が僕の前でだけ可愛い たかた/角川スニーカー文庫 @sneaker
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