第十話 生徒と姫様は王の執務室で重鎮たちと会話する


 半年ほど前に勇者たちが救った国の国王は、遊んでいるだけの存在ではない。

 特に、いまは。


 半年ほど前、この国は帝国、共和国、皇国に同時に攻められた。

 北方の魔物の軍勢とあわせて、文字通り四方八方から。


 勇者たちの活躍で全方面で勝利し、戦後処理も終えて平和になったことは間違いない。

 だが「みんな幸せに暮らしました、めでたしめでたし」で終わるのはおとぎ話だけだ。


 戦争の原因を作った前王と宰相は更迭された。

 表向きは「高齢のための引退」だが、本質は責任を取っての軟禁、つまり蟄居ちっきょである。

 戦勝ムードに紛れて現王が即位し、いくつかの組織のトップも変わった。

 アーハイム王国は変化の時を迎えたのだ。


 そしてそれは、新任の者たちに激務をもたらした。


「陛下、少し休まれては」


「最終決定権を持つ我が休んで、執務がまわるのならな」


 王の執務室。

 いまやそこは、次々と書類が持ち込まれては運び出される戦場となっていた。

 王、文官のトップである新宰相、この国の魔法使いたちの長の宮廷魔術師筆頭、軍のトップを務める近衛騎士団長。

 王の執務室に集まっているのは、まさにこの国の中枢である。

 誰も彼も憔悴しているブラック企業状態である。


 聞こえてくるのは書類を確認してカリカリとサインする音、ガサガサと羊皮紙が追加される、あるいは運び出される音。

 そして時おり、王の身を案じる言葉だけ。

 まあ言ってる宰相も疲れで頬がこけているのだが。


 そんな修羅場に。


「あー、ちょっと話があるんだけど、いまいいかな」


 場違いな声が響く。


 この状態を見て「いまいいか」と聞ける、勇気ある者の。


「なにヤツ!」


「衛兵は何をして……勇者? 姫様!」


「お父様、みなさま、剣をおさめてください。急にいなくなって申し訳ありませんでした」


 王の執務室は王城でも奥まった場所にある。

 限られた者しか入れない場所に、いきなり現れた三つの人影。


 愛川、姫様、侍女のニーナ。


 戦勝祝いの最中さなかに突然いなくなった勇者たちの中心的人物と、現国王の愛娘と、行儀見習いで王宮に上がっていた侯爵令嬢である。


「者ども出合えッ! 姫様をかどわかした国賊だッ!」


「いいえ、わたくしは拐かされてなどいません!」


 騒ぎ出す近衛騎士団長や護衛を、姫様が凛とした声で押しとどめる。

 それは生まれついての命ずる者、王族がまとうオーラか。


わたくしは自ら出たのですわ。アイカワ様との、愛のために」


 デレデレ愛川に寄り添う姫様。

 凛としたオーラはつゆと消えた。


 国王はショックで肩を落とし、宰相は首を振り、宮廷魔術師筆頭はスッと目を細め、近衛騎士団長はポカンと口を開ける。


 だが、空気を読まない者もいた。


「王様! 俺が姫様を幸せにします! 結婚を許してください! あ、まだ婚約ですけど」


 空気は読むものではなく創るものだと言わんばかりに、堂々と。

 さすが〈勇者〉である。


「結婚……だと……?」


「勇者、姫様。二人はどこにいたのじゃ? 国中探しても見つからず、秘密裏に他国を探っても気配はなく」


「あー、そこからか」


 そこからである。

 ショックを受ける王様を遮って、宮廷魔術師筆頭が愛川に質問する。


「俺たちは、俺が元いた世界に還ったんだ。ラスタさんが俺たちも姫様も送ってくれてさ」


 答えは簡潔だった。

 その分、居合わせた重鎮のショックは大きいようだが。


「あの男かッ! 『できそこない〈召喚士〉』のクセに!」


「ラスタが、じゃと? 〈勇者召喚〉だけで〈勇者送還〉までしたのか! しかも向こうの〈世界録〉に記録がない姫様まで!」


「異世界に行っていたのか、道理で見つからぬはずだ。どうやって戻ってきたのだ?」


「え? そりゃラスタのおっさんに送ってもらって」


「偶然の〈勇者召喚〉、繋がりを活かした〈勇者送還〉、そして〈往還〉を為し遂げるか……あの師にしてこの弟子あり、じゃったか」


「それで、そのラスタはどこだッ!」


「おっさんも〈地球〉に来て、そんで一緒にこっちに来たよ。あー、なんかほかに用事があるって別行動してるけど。ってそれはいいからさ」


 ラスタが何気なく行っていた召喚と送還、世界間の行き来は、宮廷魔術師筆頭でさえ驚くべきものだったらしい。

 それもそうだ。往還が簡単ならば〈地球〉は異世界人で、〈異世界〉は地球人であふれていることだろう。

 ラスタが異常なのだ。本人に自覚はないものの。


「お父様、わたくし、アイカワ様を愛しているのです。他の方となど考えられません。どうかお許しを」


「王様! こう見えて俺はマジなんです! ぜったい幸せにしますから!」


 二股ダメ男、国の最高権力者に向かって勇気ある発言である。

 さすが〈勇者〉。

 いちおう、〈異世界〉では二股は問題にならない。


「それと……わたくし、これを破棄しに来たのです」


 そう言って、姫様は手を持ち上げる。

 全員の視線が、美しい手に惹きつけられる。手フェチか。違う。

 姫様が見せたかったのは指だ。指にはまる、王位継承権を示す指輪だ。

 全員の視線を集めたのも、その重要性ゆえだ。


「王位継承権を手放すだとッ!」


「ええい、うるさいわい近衛騎士団長。脳筋は黙っておれ」


「姫様、そうまでして勇者と……」


「頼む王様! こっちと違って、〈地球〉は安全なんだ。姫様は年頃の女の子らしく出歩いて、オシャレを楽しんで、友達と遊んで、食べたいものを食べて、そんな暮らしができるんだ。必要な時は俺が守るし!」


 王位継承権を捨てて、この世界の立場を捨てて、〈地球〉へ。

 女王となる可能性がある姫ではなく、ただの女の子へ。


 語ったのは〈勇者〉だが、ひょっとしたらそれは姫様が望んでいたことなのかもしれない。


 カゴの中の鳥から、空を飛ぶ鳥へ。

 愛し合う王子様に導かれて。乙女か。まあ「お姫様」ではある。


「年頃の女の子らしく、か……」


 どこか遠い目をして、明かり取りの窓を見つめる国王。

 疲れているのではない。

 ブラック企業状態の現実から逃避しているわけでもない。

 勇者の言葉に、どう答えるか考えているのだ。


「認めれば、これが今生の別れか……」


 国王の目がうるむ。

 愛娘というのは噂だけではなく、真実だったのだろう。


「え? ラスタのおっさんに頼めばまた会えるけど?」


「は?」


「なんだとッ!?」


「ラスタめ、その師と同様に力を隠してとぼけておったか。儂が〈ステータス鑑定魔法〉で判じた平凡すぎるステータスも、いまにして思えば怪しいものじゃ」


「あーそっか、こっちに連れてきてから、どうやって会うか考えなきゃだろうけど。王様って気軽にウロウロできないんでしょ?」


 軽すぎか。

 愛川、驚かれた理由がわかっていないらしい。


「くくっ、ははは!」


「お父様?」


「王様? どうした? 俺、変なこと言ったか?」


 国王、ブラック労働が続いたあまりおかしくなったらしい。

 ではなく。


 目に浮かんだ涙は、笑いに隠れて。

 ふうっと息を吐いて、ドサッと深くイスに腰かけて、王は言った。


「〈勇者〉アイカワよ。娘との婚約を認めよう。結婚式には呼んでくれるのだろうな?」


「んんー、どうかな、〈地球〉にはムリだろうけど、こっちでもやればいいんだし、お忍びってヤツなら大丈夫かな?」


「お父様!」


 勇者は暢気にのたまい、姫様はガバッと父親に抱きついて。


「姫様の婚約者だった皇国の皇子は刑死しておる。まあなんとかなるじゃろ」


「民には療養中としていましたから。折りをみて身まかられた、とすればおかしな話では」


 宮廷魔術師筆頭と新宰相の年寄りコンビは、幼女時代から知る姫様の幸せに、微笑みながらごまかす算段を立てて。


「認めん! 俺は認めんぞッ! 皇子なら諦めこそすれ、紛いものの勇者などッ!」


 近衛騎士団長が、剣を抜いた。

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