第7話 Sprite
意外に思われるかも知れないが、僕が旧車に乗るようになったのはバイクよりクルマが先である。
その当時、僕はバイクで立て続けに転倒したこともあってバイクにちょっと嫌気が差していた。バイクの死亡事故は転倒した後、後続車や対向車に轢かれるということも多いらしい。大した怪我がなかったのは不幸中の幸いだったが、バイクが全損になったり、修理に多額の見積りが出たのも痛かった。クルマなら転倒することはないから、それでバイクのようなクルマはないものか?と思ったのである。バイクのようなクルマというとオープンカーだろう、僕は何か面白そうなクルマを探し始めた。
よく、ケイターハム・スーパーセブンが四輪のバイクと言われるが、着座位置が低いので目線も極端に低く、個人的にはバイクとはまるきり別物だと思った。またスーパーセブンはモデルによって色々なエンジンを積んでいるのだが、中古で出回っているのは扱いの難しそうなハイパワーなモデルばかりだった。絶対的なスピードにあまり興味はなかった僕はスタンダードなOHVのエンジンのモデルが良かったが、そういうモデルの中古車は全くといってなかった(予算の関係で新車で買うという選択肢はなかった)。
ここで、ユーノス・ロードスター(当時はマツダ・ロードスターをこう呼んでいた)にすれば良かったのかも知れない。だが、ひねくれた若僧だった僕はロードスターは良く出来過ぎていて、面白味に欠ける様な気がしたのであった。
当時、ローバーミニに乗っていた僕がお世話になっていた練馬の英国車専門店でそんな話をしたら、店長がそれならウチで買えばいいじゃないと言った。そのお店はローバーミニも扱っていたがメインは英国旧車であった。スーパーカー世代だった僕は旧車はカッコはいいが見て楽しむもので、所有して乗るのは別の世界の話だと思っていた。
そうそう壊れるもんじゃないし値段が手頃なクルマもあるよ、と店長に勧められたのが、1967年式のAustin Healey Sprite Mk3というクルマだった。ちなみにMk1は有名なカニ目(英語ではFrog eye つまりカエルの目)である。
Sprite は英国のAustinがそれほど裕福でない、主に若い人でもスポーツカーを楽しめるように企画したライトウェイトスポーツカーである。Mk3のエンジンは1100ccのOHVでパワーは大したことはなかったが、軽量な車体とシャープなハンドリングは運転していてとても楽しいものだった。
僕は毎週のように早朝家を出て、箱根のターンパイクや山中湖などをドライブして回った。
そうこうしている内に今度はお店にMk1のカニ目が入荷して来た。カニ目はMk2以降とは全く違うデザインで丸っこくて可愛いかった。当時、自動車評論家の吉田匠氏が著書の『男は黙ってスポーツカー』の中で愛車として取り上げていて興味があった。僕は何とかお金を工面して、そのカニ目を買った。
カニ目は後のSprite とは少し違ってスパルタンなスポーツカーだった。何しろ軽量化とコストダウンを追求する余り、ドアハンドルさえないのだから。ドアはトノカバーのスキマから手を突っ込んで、内側のドアノブをひねって開ける。ボディは当時の大衆車としては珍しいモノコックで、トランクのないデザインはまるでボートかカヌーのようだった。ウインカーはインストルメントパネルに付いているトグルスイッチを左右にパチパチと動かすモノで、バイクと同じでオートキャンセルはなかった。
僕はこのカニ目にずっと乗り続けるのだろうと思っていたのだが、時間が経つにつれ、バイクでの転倒などの嫌な思い出を忘れてきた僕は再びバイクに乗りたくなった。やっぱりバイクの爽快感はクルマとは違うものだ。正直に言えば実用と趣味クルマの2台持ちが経済的にしんどくなって来ていたというのもある。僕はバイクの世界に舞い戻った。
意外なことに、それまで2台のSprite は全く故障せず、路上で立ち往生して僕を困らせるという事もなかった。お店の整備もクルマの元々のコンディションも良かったのだろう。
僕はバイクも旧車に乗ってみたいと思うようになる。そして今に至る訳だが、やっぱり旧車にトラブルはつきものであった。そしてトラブルを楽しめるほど僕はまだ人間ができていないが、それも時間が経てば楽しい思い出に変わることは分かるようになっている。
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