第14話 『第七章』-② 『ザ・トリステロ』




 また思い出したくない名前が出てきた。


 図書館警察は秘密の図書回収組織である。


 大体において秘密とか謎の組織がそこら中にとっちらかっていて纏まりがないのが我が我が校の悪いところである。






 図書館で借りた本を返さない不埒な者共の元へ赴き、強引な手法で取り立てるという恐怖の組織である。


 ハイチのフランソワ・デュバリエ政権下でその猛威を振るったトントン・マクートの如き恐怖の存在で、その名の通りマクート(麻袋)で拉致を行うトントン(お父さん・おじさん)である。






 捕まった者は本を返すまで強制労働を科せられたり、カリブ・ラテンアメリカ圏の妖怪らしくガローテ刑などに処せられたりするともっぱらの噂だ。


 実際のところ公にはそんな噂すら流れていない事になっている秘密で謎の組織であるが実在している。






 以前日光山先生から幻の焼酎を探してこいと申しつけられ、探した結果。ベトナムに咲く幻の蘭『グワシャルマ・キャバノルムリエンゾーム・ケスヘス』なる怪しげな花の中から抽出された酵母で醸されていることが判明し、その醸造所を運営しているのが図書館警察であったという、出会わなければよかった出会いがあったのである。


 最悪なことにクラスの担任である羽山先生がこの組織の手先であり、違法にエチル・アルコールを醸している地下工房で捕まってしまい、恐怖の空中移動図書監房「移動図書監」にとらえられたという苦い経験がある。






 そのときはなんとかなったがもう二度と関わるのはごめんである。


「もう色々とバレているようだからしらばっくれはしないけれど図書館警察がどうしたっていうのよ?」






 今度は八方ヶ原後輩が口を開く。


「図書館警察は私達も詳しいことは知らないのですが、学校の内部組織が拡大して、宇都宮中にネットワークを張り巡らせた組織であるとのことなので、あくまで学校内部の組織なのです」


「なんとなくは知っている」


「で、ザ・トリステロは我が校の卒業生が多数存在してはいるものの、その起源は中世のイタリアにまで遡れる世界的な組織で、学校とは基本的に無関係な組織です」


「それも知っている」


「ザ・トリステロは私設郵便組織がその源流で今では世界中の物流網を握り、情報インフラを手がける巨大組織です。ここでこの宇都宮の情報網を掴んで話さない図書館警察と縄張り争いになってくるわけです」


「はぁーパイの食い合いになっているわけだ」


「なんだか関係ないというような顔をしてらっしゃいますけれど、天矢場先輩のお父さんは我が校の卒業者でザ・トリステロのメンバー。そしてお爺さんは図書館警察の名誉警紙総監ではないですか」


 すっかり忘れていたことを告げられ思わず「うぎゃあ」と声に出して悲鳴を上げてしまったではないか。


 面倒くさい。これはこの上なく面倒くさいことに荷担させられる感じの流れである。


 脳内のアラートが激しく鳴り響いている。


「私にどうこう出来る問題じゃなさそうな気がするんだけれども」


 一応の抵抗を示す。意思の表明だけはしなくてはならないだろう。


「いえ、天矢場先輩にはお爺さんとお父さんに掛け合っていただいてなんとか穏便に双方引いていただけるように口添えしていただければそれでいいのです」


「そうそう、言うだけだから簡単でしょうに。我が母校のためにしっかりと働きなさいよ」






「その調整死ぬほど面倒くさいことになっているじゃないの!図書館警察もザ・トリステロも学校中心とした権益にズブズブに浸かっているのは誰が見ても明らかじゃないのさ!」


 暗く乾燥した我が魂の居所の古書店のカウンターから、一躍宇都宮に蔓延る謎の組織のこんがらがりにこんがらがったゴルディアスの結び目のような蜘蛛の巣の中心に放り出されてしまった。


 ゴルディアスの結び目を一刀のもとに切り落としたアレクサンダー大王と違うのは、自身がその結び目に取り込まれているところであろう。


 モジャモジャの頭髪がより捻れて絡まってどうしようもなくなってしまった気がする。


 思わず人目も憚らず、椅子の上で頭と膝を抱え込んでしまった。


 今晩祖父に送る予定のメールの文面は大幅に修正が必要なことだろう。


 何故このような魔女の釜の底みたいな場所に放り込まれなければならないのか?


 全ては父と祖父の立場の違いが元凶であろう。







 祖父は江戸は天保より更に遡れるというらしい頃より代々続いてきたこの古書店。もっとも古書専門となったのは円本ブームに沸いた戦後の神保町勃興と時を同じくした頃であるが、宇都宮の大らかな大地に育まれ続いてきたこの書店を祖父は父に継がせる気でいた。


 だが祖父の思惑は外れ、父は大学で情報工学やロケット工学、巨大プロジェクト管理工学などのよくわからない分野を専攻し、古書店を継ぐことをきっぱりと断った。






 そのことで喧嘩にもなったそうだが、父には古書に対する情熱がないと見抜いた祖父はそれ以上の口出しをやめ、天矢場古書店の歴史に自ら幕を引くことに決定した。


 やがてそんな父も結婚なんぞをした上で私という古書店の申し子を作りだし、祖父はニコニコという感じでハッピーエンドになったようである。






 しかし祖父は古書店を営み、世界を股にかけありとあらゆる本を猟集する多忙な活動の合間を縫って、図書館警察などというなんじゃらもんじゃらよくわからない組織にも長年貢献していたとかで、名誉警紙総監なる名誉職を賜った。






 おかげで図書館警察謹製の幻の高級酒が届き、それを私が日光山先生という天狗の秘術の師匠に献上奉ることで、尋常ならざる業を教授いただいているわけである。


 この酒を巡っては図書館警察の重要な資金源になっており、農業高校たる我が母なる学校の総力を結集して醸造しているという、組織の総体の輝ける勝利の一滴なのであるそうだ。






 話は戻って父の方は、巨大プロジェクト管理工学や何に使うのかおそらく本人にも理解できていなかったと思われるロケット工学なる謎の分野で名を馳せ、やがてそれを買われザ・トリステロに身を投じることになったそうである。


 世界中津々浦々、何の意味があるのかわからないが、天矢場古書店の便所の隅にまでにらみをきかせ。この世界の物流網、情報インフラを一手に握るというほどのザ・トリステロである。


宇宙にも文字通り飛び出し勇躍しようとの魂胆なのであろう。


 これからの宇宙時代を見据えて、その監視社会の度合いを地球全域まで広め更に高めて、世の中をディストピアにでも叩き込むつもりであるに違いない。


 以前、店舗兼住居の隅にまでザ・トリステロの消音器付き郵便ラッパのマークがリアルタイムで刻まれ戦慄したことがあった。






 話は横道に逸れてしまったが、これは一泊達が帰った後祖父から聞いたことだ。


 逆鱗に触れるとまではいかないものの、図書館警察と長年懇意にしていた祖父としては、そんな父のよ くわからない人生のロードマップが気にくわなかったようで、口には出さないが何やらモヤモヤとした暗雲が心の中に立ちこめているらしい。


親子である祖父にわからん父の行動が、コウノトリによって運ばれ、キャベツ畑で発見飼育された私になど解ろう訳もない。


 大体こんな話など断片的にしか知らなかったし、知りたくもなかったところではある。


 そんな長年細石に苔生すかのように育まれてきたモヤモヤの人間関係はここに来て、図書館警察とザ・トリステロとの小競り合いという、訪れないでよかった晴れの舞台で激突することになる。






 つまり、父と祖父との間をつなぐハイフンであるところの私は板挟みであるわけだ。


 花の女子高生の身でありながら、既に世知辛い社会の荒波に擦り洗われた中間管理職のような立場にぽーんと身を躍り出すこととなってしまったわけである。


 誰か、誰かこのストレス社会を乗り切る、疲労がポンととれる的な薬物を持ってきて参っていただきたい。法に抵触しない範囲で結構なので。






 一言で言うと難儀しているのである。立ち往生しているといってもよいのであろう。


 戦う前から生まれのせいで、矢尽き刃は折れこの世の面倒ごとを背負い込んでゴルゴダの丘に初登頂せしめ、世に住まうとされる苦虫を集めて噛み砕きながら磔刑に処され、張り付け獄門と相成る気分である。






 図書館警察、ザ・トリステロ双方のトップを膝つき合わせ正座させた上に、人の道がなんたるかを説き、和解するよう勧めたいと願う物だ。


 しかしながら、その役は他の方にお譲りしたいとも願う。


 だがしかし事態はすでに混迷している。


 混沌の極地である。阿呆者の極北である。今出版すれば『阿呆船』も大ヒット御礼完売間違いなしである。






 天国のデューラーも版画の刷り増しに大忙しである。


 そこまで考えが煮え滾ってきたところで私にいったい何が出来るというのであろうか?


 ふと、冷静な我に返り、冷静さなど無くしていっそ狂ってしまえばいいのにさえて思った。


 そして関係あるのか無いのか、サリンジャーの短編に『キチガイのぼく』と直球勝負な直訳をつけた今は亡き野崎氏に思いを馳せてみたりもする。






さて、脳内の情報が散乱し、エントロピーが増大したところで熱力学第二法則は破れはしないので己の身の振り方を考える。


クルクルパーの元凶たる一泊だけなら無視も出来よう。


しかし、大口の常連八方ヶ原氏の娘であるところの八方ヶ原後輩のお願いは無視するに忍びない。






 帰り際に「そうそう、当家の父は図書館警察の現役幹部です」などと、八方ヶ原後輩から聞いてはいけなかった台詞がぽろり滴ひとひらにこぼれ落ち、まるで涙のような煌めきを発したことを忘れてはいけない。


 全くもってして全体、涙が零れるのはこちらの方である。


 その晩は胃の腑が焼けるような思いをして、一人本がうず高く積まれた独居房のような部屋でまんじりともしなかったものである。


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