第13話 第七章ー①

第七章







 天矢場古書店を切り盛りしているのは私こと、天矢場栞である。


 と、いいたいところではあるのだが、実質的には祖父が海外で売買する稀覯書のたぐいが売り上げのほとんどを占めている。






 実店舗の切り盛りをしているのは私であるのだが、客入りもそんなに激しいというわけではないので、もっぱらテレビを流しっぱなしにしながら、達磨を膝に乗っけて読書していることがほとんどである。






 ほとんどではあるといっても、読書だけに耽溺しているというわけではなく、接客やインターネット注文の発送に買い取り査定もちゃんと行っている。


 全く仕事がないわけではないということには十分留意いただきたいところである。


 とはいっても祖父は海外を飛び回って怪しげな取引に精励し、父はうらぶれた古書店を継ぐ気などなく、ザ・トリステロなる謎の通信インフラ組織に身を投じ、今日もどこかで消音器付き郵便ラッパのマークをあちらこちらに刻み込んでは、その怪しげな組織の拡大につとめている。






 風の便りではアメリカのカリフォルニアの街、サン・ナルシソ市に駐留しているとのことである。


 娘にくらい居場所を明らかにして欲しいところではあるが、謎の組織なのでそういう訳にもいかないらしい。






 母は母で、天矢場古書店は祖父が純粋に趣味としてやっていると頭っから信じているため、ボケ防止にはいいだろう程度の見方しかしていない。


 私が店番をしていることについても、将来そんな祖父が道楽でやっている店を継ぐなどと言い出さないかと内心やきもきしているというのが伝わってくる。


 そんな母であるが、異端教祖株式会社なる怪しげな会社に勤めており、日々なにがしかの胡散臭い道具の開発にあたっている。






 最近では夢幻会社なるライバル企業が登場し、うかうかしていられないとのことであちこちを精力的に飛び回っているようであるが、詳らかなことは窺い知れない。


 家族が揃いもそろって未成年の可愛くて仕方ないはずのお年頃であるところの、花の女子高生たる当方を放置し自分の活動にのみ重きを置いているのか理解に苦しむ。


 しかしながら私は私でこの状況に慣れてしまっているし、それが当然であり、あまり書店の活動について干渉されないというところで喜んでいる。そんなこの状況を甘んじて受けているという点においては、天矢場家の血筋なのだろうと思う。






 各々が勝手に自分の人生を謳歌している。


 これはなかなか素晴らしいことであると思う。


 家族の絆などというものはそれぞれの家族の形態によって違うものだろう。


 私はこんな状況に慣れているし楽しんでもいる。


 これでよかろうというものだ。






 しかしながら祖父は古書店経営をしなくてはならないので、完全に家のことを置き去りにして活躍している父母と違い、時折電子メールで指示を送ってくる。


 息子はもう古書店を継ぐ気がないのが明白なので、私のことを後継者と目しているのである。これについては母も異論を唱えたいところであろうが、普段自分の監視下に私をおいておけないので、現状黙認状態である。


 祖父からは、自分が査定した高価な書籍を実際に私に確認させて買い取りをさせている。


目を養えということであるらしい。






 時折、嵯峨本の『方丈記』などが送られてきて、その出所がどこであるのか仰天したり、本阿弥光悦の流麗な書体を目の当たりにし、眼福に預かったりしている。


 この手の貴本に関しては祖父があらかじめ値踏みをし、私が形式的に最終確認をして顧客へ振り込みなり現金支払いなりをしている。






 最終確認とはいっても、祖父からこの本の価値はこれであると覚えておけという指示であるので私の意見は全く挟む余地がない。


 そんな祖父は先ほど申し上げたとおり、海外で活動していることが多いので指示は電子メールで送られてくる。


 私はこれを「天狗の落とし文」と呼んでいる。


 顧客名と金額と、本の状態に関する注意事項などが簡潔に書かれている、味も素っ気もないお便りである。






 しかし、そんな天狗の落とし文であるが、時々本に関する深遠な蘊蓄が書かれていたり、現在追い求めている本につて語られていたりするので刮目してみているわけである。


 曰く、現在はポーランドの貴族ヤン・ポトツキがフランス語で記した『サラゴサ手稿』の散逸した原稿を探し回っているらしい。


 難儀なことである。




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栞へ




 現在私はフランスにおいて、ジェイムズ・ジョイスが1922年2月2日の誕生日に初めて刷られた『ユリシーズ』の内、サインをしてノラ・バーナクルに贈った一部を探しています。


これは程なくして、ジョン・クインに売却されてしまったものですが、その後の行方は杳として知れません。


 何せ一世紀は前のことなので難儀な思いをしています。


依頼者などは明らかにできませんが、古書肆としての研鑽にはなると思います。


既に読んでいるとは思いますが、リック・ゲコスキー『トールキンのガウン』にて概要を掴んでおくこと。






 一番手っ取り早い情報源で読んでいて楽しめることだと思います。


 もちろん『ユリシーズ』とノラ・バーナクル、ジェイムズ・ジョイスといえば誰もが知るところの文学的記念日1904年6月16日のブルームズデイを思い出すことでしょう。






 古書肆になるには知性も教養もいりませんが、一見トリビアルであるような情報は持っておいて損はないはずです。


 また、当然承知のことではあると思いますが『ユリシーズ』はマルセル・プルースト『失われた時を求めて』と並び二十世紀の二大小説に数えられています。


 どちらも原語で読むのは大変に難しいと思うので、『ユリシーズ』は柳瀬尚紀訳を参照のこと。






 柳瀬訳は訳者逝去のため全十八章の内一~十二章までしか訳されていないので留意を。


 過去に全翻訳が何度か出ているのでストーリーを追いたいのであれば完訳版を入手すること。店の在庫に丸谷才一・他訳四巻揃いの他にも昔の翻訳があります。


好みの翻訳作品を読むといいでしょう。


 『失われた時を求めて』は岩波、筑摩、それから光文社古典新訳があるので好きなものを選んで挑戦するといいと思います。






 ただしこちらはピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』でも触れられていますが、フランスの文学部の教授でも精読した人はほとんどいないだろう、雰囲気で堂々と講義しているとのことなので無理はしなくても結構。


 昔、フジテレビの深夜番組『お厚いのがお好き?』で取り上げられた際にも、全て読み通すには一年かかるといわれていたほどのものです。


 『お厚いのがお好き?』も上下巻セットで書籍化しています。






 ちなみに子供の頃『千夜一夜物語』を読破したというのが自慢の筒井康隆も最後まで読むのを挫折したというほど長い話です。


 かくいう私も結局最後まで読まず、あらすじだけさらって読んだ気になっています。


人生は有限です。


 この世の全ての本を読むことは出来ません。


 どのような本と付き合うかは自分で決めるのがいいでしょう。


 ただ教養としてあらすじや、その後の文学へ与えた影響などを知っておくのは悪いことではありません。






 余談ですが、フランスといえばアルチュール・ランボーは『地獄の季節』などを著していましたが、この時期の日本は初夏といってもあらゆる花粉アレルギーを持つ私にとっては花粉地獄です。


 春から初夏にかけては地獄の季節といえるでしょう。


 花粉が蔓延る間は日本には戻りたくないと思うものです。


 長くなりましたが、いつも通り店番は通常営業でお願いします。




祖父より




以上




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 こんな感じである。


 私の返信は近況を伝えるものと祖父からの依頼の結果報告程度である。


 特にうるさく言われたことはないので、ある程度は信頼されているとみていいのではないかと思う。


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お祖父様へ




 お店の方は順調のように思われます。


 お祖父様から指示を受けた本の売買についてもつつがなく取りはからっています。


 古書を扱う傍ら、いろんな本に目を通していますが、どんなに気に入った本でも古書肆である以上、いつかは手放さねばならないというのはつらいものです。


 戦国の茶人大名古田織部は気に入っていた古伊賀の花入れを手放す際に「生爪を剥がされる思いだ」といったのでその銘も「生爪」になったというものがあると聞き及びます。


 私は幸運にも生爪を剥がされたことがないのでどれだけつらいかはわかりませんが(もっとも古田織部も生爪を剥がされたこはないでしょうけど)愛別離苦の苦みが口の中を走ります。我ながら本への執着が人一倍強いのではないかと思いもしますが、この仕事は好きだし、お祖父様の後を継いでこの店の店主になるべく日々研鑽に励んでいます。


 本への執着は、店を継ぐに当たって妨げになるのではないか非常に心配ですが、今のところは強力な己を律する理性と、得られる報酬の魔力により堪え忍んでおります。


 稀覯本を目にすることが出来るというのも、実に貴重な体験であると考えます。


 洋の東西を問わず古書には抗えない魅力があるようです。


 全く読みたい本というものは過去からも未来からもやってきて、埃のように降り積もり地層をなしていきます。


 お祖父様のいうとおり、取捨選択が必要なのでしょうが、まだ若いという特権を生かして濫読してみたいと思います。






 取り急ぎ返信のみにて失礼いたします。




以上


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 このたわいのないやりとりが天狗の落とし文である。


 祖父とのグッド・コミュニケイションである。


 天狗というと、私の師匠に本物の天狗がおり、祖父への付け届けにいただいた幻の銘酒と引き替えに様々な天狗の術を仕込んでもらっている。


 祖父には、具体的な内容は言っていないものの日光山先生のところで勉強していると、それとなく伝えてあるが、そもそも天狗の師匠などといって信じる人がどれだけいようか?






 祖父と天狗の師匠、日光山雷電坊は顔見知りだが、どの程度のつきあいがあるのかはわからない。


天狗の術というのは実にロジカルな仕組みになっているとのことである。


 以前、日光山先生が修行をつけてくるというので、鹿沼の古峰神社の酒甕と繋がっているという謎空間に赴いたこともあったが、理論書を読まされ放置されていたものである。


 天狗の理論は物理学で解明できるという。


 どうやらこの技術は、母の勤める異端教祖株式会社にも流用されているらしく、天狗の術を人為的に再現したと思われる製品が店に送られてきては、モニターになれといわれている。






 体のいい人柱である。


 異端教祖株式会社の作り出した無限に収納が可能という物置「ヒルベルトのホテル」の中の対角線論法的な世界に落ちたことがあったが、これもどことなく雰囲気が天狗の隠れ家に似ていた。


 天狗の術というのはすこぶる付きで便利なもので、はじめて教わったのは空中浮遊の術であった。


 日光山先生から天狗パワーを注入してもらい、心ここにあらずの地に足のつかない思いで空中浮遊する姿を思い浮かべれば、ふわふわと浮かぶというものである。


 ふわふわ乙女栞誕生である。


 これも物理学で原理が解明されるようで、深く突っ込むと重力に反発する斥力が関係しているとのことだ。






 天狗の術は森羅万象天然自然のメカニズムと深く深く繋がっている。


天狗の理論は宇宙の理論である。


 母の所属する異端教祖株式会社はこんなことを研究しているらしい。


そして最近判明したことだが父の所属するザ・トリステロも先端技術を研究しており、母体となる企業へと提供しているそうである。


 ザ・トリステロというのがまたやっかいな組織で、あちらこちらにその存在を証明する消音器付き郵便ラッパのマークを刻みつけている。


 学校はもちろんのこと、我が家兼店舗である天矢場古書店の中にも不可解な刻印が刻みつけられており、そのあまりの偏執的な徹底ぶりに失禁寸前までいったものだ。


 ちなみに失禁は幼少期を過ぎて以来したことがないのだが、何故その様な業を背負ってしまったのか、私の腹具合はいつも悪いので厠にこもっては下痢などしている。


 店頭で本を読みながら店番をしているか、下痢をしながら厠で本を読んでいるかどちらかである。






 口さがない知り合い、断じて友人などではないという女からは時折厠姫などと品性のかけらもない呼び方をされる。


 品性とはかけ離れた奴なのでこれは仕方のないことであろう。


教養や知性がなくても古書を扱うことは出来るが、人としての品性などというものは失ってはいけないと思うものである。


 そう思いながら、最近注目している日系ペルー人の作家、フェルナンド・イワサキの『悪しき愛の書』を雪隠詰めで読みながら、品性とはなんぞやと根源的な問いに心を傾けるものであった。


 その根源的かつ宇宙の真理とも思われる問いかけに耳を傾け、一種瞑想状態にて厠で読書を楽しんでいると、締め切っている店の入り口を叩く音がする。


「おーい天矢場の栞!いないか!」


 あまりの下品な声に、私の大腸も怒り狂う。


 瞑目するとストレスが内臓に突き刺さる音が聞こえてくるではないか。


 反射的に「今留守だ!」と叫びそうになるがぐっと耐える。


「おまえの親友が遊びに来たぞ!」


 この声はあれだ、聞き覚えがある。


 一泊と書いて「いちのはさま」などと珍妙な呼び方をすることを人様に強いる、名前の通り面倒くさい奴である。


 面倒くさいので誰も「いちのはさま」などと呼ばず「いっぱく」と呼ぶ。


もちろん私は親友でもなければ友達でもない。




「時鳥


   厠半ばに


       出かねたり」




 と、厠から怒鳴り返す。


 一瞬間を置いて一泊が怒鳴り込んでくる。




「竹聴いて


    居る春寒の


         厠かな」




 などと放り込んできた。


 そりゃこっちの台詞だと思いながら、放置していても面倒くさそうなので出て行くことにする。


 そもそも時鳥は初夏の季語である。


 春寒では時期が合わない。


 そしてさらば我が魂の玉座、東洋陶器の暖かさ。


 乳酸菌や麦酒酵母などを積極的に摂取しようなどと思いながら店を開け、一泊の不味い面を拝む。


 父の所属するザ・トリステロは消音器付き郵便ラッパがトレードマークである。


 ラッパのマークでおなじみなのであるのだから、強烈なあの臭いのする木クレオソートが主成分である大腸の調子を整えてくれる、例の露西亜を征する薬でも持ってきてもらえないだろうかとぼんやりと考える。


 そんな益体もないことを考えながら一泊と対面すると何やらニヤニヤと笑っている。


「どうも、私もついて参りました」八方ヶ原後輩もいた。


「また雪隠詰めになっていたのか、厠姫」


「春の音に心を和ませ、内なる心理に耳を傾け、読書に耽っていたのだ。これは哲学的な問題なんだ」


と、自分でも何を言っているかわからないがそう宣言する。


 言葉とは言霊である。


 口述することによって力を得る。


 だから私の宣言もより力強いものになったことであろうことは想像に難くない。


「何を言っているのかさっぱり解らん」


 風流も何も持ち合わせない一泊の無理解によりばっさりと私の言霊が断たれる。


「何しに来た、呼んでいないぞ」


「そう邪険に扱うな、友達だろ?」


 友達の定義を辞書で引きたかったが、あいにく手の届く範囲に辞書がなかった。


「で、何の用ですか、こう見えても忙しいのだ」




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お祖父様




 今日私の友人を名乗る無頼の輩が現れました。


 人が高尚な思索に耽っているところを邪魔したので奴は敵だと思います。


 敵対的な人間と相対するのには、人類の叡智が問われるとことと考えるのですが、恒久平和というのは果たして人類に訪れるのでしょうか?


 ついでではありますが、常連の八方ヶ原氏の娘であり、私の後輩でもある八方ヶ原後輩もついてきていました。


 友人を名乗る無頼の輩とよくつるんでいるのが不思議な出来た娘であります。


流石は八方ヶ原氏の娘、四方八方に抜け目がなく侮れない人間だと感心させられるものです。店は休業だったので仕方なく付き合うことといたしました。


 結果は追って報告いたします。




以上


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 今晩のメールの出だしが早くも完成した。


 店の前で問答を続けていても仕方ないので二人を店内に招き入れる。


 招き入れると狭い店内は更にギュウと圧迫され、酸欠の水槽に入っている気分になる。


 ふと思いついたが、古本の大敵である紙魚も名前に魚が入っている。


 古本屋というのは案外魚類と関係が深いのかもしれない。


 どうでもいいことに思索を巡らしていると生意気にも一泊が「狭い」などと不平を漏らす。狭い店内に三人は確かに息苦しいものではあるので、渋々二人をカウンターの奥の居住スペースへ案内する。






 そこも決して広いとはいえなかったが、商品の陳列してある店内よりはマシである。


 ボサッと三人して突っ立っているのも間抜けであると、賢い私は判断したので二人に椅子を勧めた。


 八方ヶ原後輩ならば致し方なしであるが、一泊ごときに私のパーソナルスペースを侵害されるのは誠に遺憾の極みであるものの、お前だけ外で突っ立ってろといわない優しさが私にはあるので平等に扱う。


 一泊のごとき存在にも平等な扱いをする。こういうところに私の人徳が滲み出てくるわけである。






 古書店を継ぐ予定さえなければ、将来を嘱望され引く手あまたとなっていたことに違いない。「茶ぐらい出せ」一泊が遠慮のない一声をあげるので、仕方なく珈琲を出すことにする。


 一泊はどうでもよろしいが、常連客であるところの八方ヶ原氏の娘であるところの八方ヶ原後輩は邪険に出来ない。






 むしろ見所のある好ましい存在なので、一泊をもてなすのではなく八方ヶ原後輩をもてなすのであると己に暗示をかける。


「ガムシロップとクリームはどうする?」


「私はいただきます」


「私はノンシュガー入りでおねがい」


「アリアリとブラックな」面倒臭い。


 三人分の珈琲を用意し、とりあえず一服ついたところで御用向きを尋ねる。


 女三人集まれば姦しいというが、膝つき合わせて座ったところでなんとなく静かなもんである。






 しばし間を置く。


「いや、実は相談があってね。我が校にも欧米の学校のようにフラタニティがあるのは知ってるでしょ?」と、一泊が切り出す。


「厭だなあ、フラタニティとか生徒会にはあんまり関わりたくないなあ」


「まあ天矢場先輩もそう言わず一泊先輩の話を聞いていただけませんか?」


 八方ヶ原後輩が取りなすが、以前フラタニティ関連で妙なことに巻き込まれたことがあるので、出来ることなら避けたいところだ。


 私たちのやりとりなど意に介さず一泊が続ける。


「当然学校を卒業後に進学なり就職なりする訳だけど、その中でフラタニティの主要構成メンバーの受け入れ先になっている組織があるのは知っているわよね?」


「なんか卒業生に県会議員が多いから学校の予算が潤沢だっていうのは知っているけれど」


「すっとぼけなさんな天矢場さんよお、お前の父君がザ・トリステロのメンバーだっていうのは割れてんだよ」


 昭和の時代の刑事ドラマみたいな口調で問い詰めてくる。


「私はには何のことだかさっぱりだね、さあお引き取りいただこうか!」


「まあまて、ザ・トリステロは我が校にも寄付をしてくれている大口スポンサーだ。お前の父君がこの秘密の組織のメンバーであるというのは、寄付の台帳にある名簿から割れている。天矢場なんて名前そんなにあってたまるかいな」


「知らない、解らない」






 一泊なんて名前のやつに、名字の珍しさをあーだこーだ言われるのは釈然としないものがあったが、まあよい。


「私の父が天矢場先輩のお爺さんにメールで確認しているので裏付けはとれているんですよ。どうもすいません」


 変なところで優秀な八方ヶ原後輩が憎い。


 真に警戒するべきは一泊などというクルクルパーではなく、この優秀な後輩であったか。


「もういい、好きにしろ。で、父がザ・トリステロの面子だと解ったところで私にどうしろと?」


「さっきもザ・トリステロが我が校やフラタニティに協力してくださっていることはいったと思うが、あんたの父君は我々とザ・トリステロの橋渡し役をしているのだよね」


「それで?」


「ちょとばかり話は逸れるけれど、図書館警察って知ってる?」


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