第8話 『フラタニティ』-①

第五章







 夕焼けがやけに朱い放課後、店は休みにして久しぶりに図書室で読書でもしようかと思い足を運ぶ。


図書室で読む本と言えばボルヘスの『伝奇集』をおいて他あるまい。


最近の本では『アウシュビッツの図書係』と言うのも面白かったし、アルベルト・マグウェル『図書館―愛書家の楽園』なども凄かった。


 しかしボルヘスの『伝奇集』収録の『バベルの図書館』ほど本について考えさせられる作品もなかなかあるまい。






 何がいいかって兎に角短くてさっくりと読めるのがよい。


 ボルヘスは生涯自分を詩人だといい、小説についても短編こそが小説の精髄だと述べ一つの長編も残さなかった。


 長いものは書かないというスタイルはカフカ以上に徹底している。


 私とした事が迂闊にも鞄に本を入れ忘れたので、本に関しては手ぶらたったため、おとなしく図書室で借りる事にする。


 普段利用する人もまばらな図書室で、各学科ごとの専門書が中心の図書室とはいっても『伝奇集』くらいおいてあるであろう。


 集英社文庫版と岩波版があったが、流石に古すぎる集英社文庫版は無く。普通は岩波版しかおいてないだろうと推察された。


 岩波版については誤訳疑惑があるものの、翻訳はそれぞれ違うがどちらも好きな翻訳なので問題は無い。


 図書室も夕日に照らされガランスに燃え上がっていた。


 読書をするのには少々つらい日差しであったが、明かりがあれば問題なかろうと意気揚々と図書室に向かう。いざ活字の海へ、めくるめく想像の冒険へ。






 ガラリと扉を引くと、図書委員らしき生徒がいる。


「あら、八方ヶ原後輩?」意外にもそれは先だって知り合った八方ヶ原後輩であった。


「ああ、天矢場先輩では無いですか」八方ヶ原後輩も意外といった様子でこちらに視線を移す。「調べ物ですか?」


「いや、帰る前に少し読書でもと思って。たまには場所を変えて読書をする事も乙かなと」


「そうですか、十八時になったら閉めますので、それまではごゆるりと」


「しかし図書委員なんてものまでやっていたのね、八面六臂の大活躍だわ」


「まあ全部趣味ですから」






 岩波文庫はそれだけのコーナーがあった。


 『ペドロ・パラモ』や『遊戯の終わり』それにカフカの『寓話集』などをちらりと見つけ引きずられそうになるが耐える。


ボルヘス、あった。






 適当に窓際の椅子に座る。まず普段の本の状態を確認する癖が出てパラパラとめくり出す。日焼けが強かったが特に書き込みも無しで、共有の図書としては悪くないコンディションだ。最後に見返しの部分を確認すると何やら印のようなものが刻印されている。


 消音器付きの郵便喇叭のような紋章。果てどこかで見たような?


「八方ヶ原後輩。ちょっと来て。うちの図書館にこんな蔵書印あったっけ?」


「何ですか先輩?」


 八方ヶ原後輩がやってきてどれどれとのぞき込む。


「悪戯書きって言う感じでもなさそうですね。なんだろう?」


「どこかで見たような記憶があるんだけど、はて?」


「他の図書も見てみましょう」


 適当にさらってきた本をパラパラとめくってみると果たしてそこには消音器付きの郵便喇叭のマークが刻印してあった。


「今まで見た記憶が無いんですが、学校の蔵書印でしょうかね?気にした事も無かったなあ」


 おそらく学校の蔵書印なのだろう。八方ヶ原後輩が気にしても仕方ないので読書に戻る事にする。


 余計な事に時間を使ってしまったせいで図書室の利用時間がもう残り少ない。


 急いで『バベルの図書館』だけを読むと消化不良のまま図書館を後にすることになる。











「消音器付きの郵便喇叭」のマークはてさてと考えていたところ、帰路ふと気づく。


あれは我が父親の所属する「ザ・トリステロ」の印であった。


 そういえば昔「消音器付き郵便喇叭のマークでおなじみの」と盛んに父が言っていた気がする。






 どこがどう「おなじみ」なのかは分からなかったが、ザ・トリステロは中世イタリアの私設の郵便組織に端を発し世界各地の物流網を一手に担い、その物流網から仕入れた情報網を駆使して日々暗躍する謎の組織である。


 父がそんな「謎の」と公言している謎の組織で何をしているかは謎だったが、ある種秘密警察めいた暗闇の情報も握っているらしいことは確かであった。


 思い出してみれば消音器付き郵便喇叭のマークはあちこちに点在しており、普段は意識にも入らなかったが確かにそこにあった。


 オリオン・スクエアの椅子の背もたれにもあったし、時々持ち込まれる県立図書館除籍本の除籍印もそうだった。


 道を歩けば電信柱の下の方に鳥居の代わりに書かれていたし、天矢場古書店にもそのマークは確かにあったはずだ。


 ここまで来るとディズニーランドの隠れミッキーの様相を呈してくるが、そこここにそれはあった。


 ということは、我が母校の図書室はザ・トリステロの息がかかっていると言うことだろう。図書とは情報の塊である。その図書インフラを一手に担うと言うのは道理にかなっているのかもしれない。


いや待て。となると多くの出版会社や図書小売り、中古書店にもその手が伸びているのかもしれなかった。父がザ・トリステロにいるのも自然の成り行きかもしれなかった。


 となると、我が人生はザ・トリステロに「揺り籠から墓場まで」見守られているのかもしれない。


 小さな頃からモジャモジャしていたことも、一升餅を背負わされたときに一歩も立ち上がらず傲然とその場を睨み付け、一歩も動かないと決意表明をし家族を落胆せしめたことも。






 尻の穴の皺の数から、しょっちゅう下痢ばかりして厠姫などと一泊あたりに陰口叩かれていることなんかも全部ばれているのではないかと思い至り緊張性の腹痛になりかけた。


 しかし人の腸内フローラの悪さを知ったところでザ・トリステロにどのようなメリットがあるのかは分からなかったので、絶叫するのはぐっと堪えた。


 堪えた所で雪隠への誘いは止まらなかったので、文字通り雪隠詰めになる。


 ご不浄にも便所で読む用の本がおいてあるので、乙女の花摘みのお供にと手に取りパラパラとめくり出す。


 趣味で作った手作りの栞が挟んである。栞の栞である。


もともと栞という言葉は、山道で迷わないよう木の枝を「へし折る」ところから転じたものらしい。






 栞とはページの間で活字に迷わないように案内してくれる道先案内人である。


 そんな自分で作ったはずの栞をひょいと摘まむ。で、なんとなくしげしげと眺めてみると「消音器付き郵便喇叭のマーク」である。


 今度ばかりは絶叫した。




まくなぎの


 阿鼻叫喚を


  振りかぶる




 そんな野性味あふれる俳句が頭をよぎった。


 慌てて厠から飛び出すと店のあちこちに昨日までは無かったはずの消音器付き郵便喇叭のマークがついているのを発見する。


 まさかとは思い冷蔵庫を開けてみると、卵にまでびっしりとマークが張り付いており、ここまで来ると強迫観念にとらわれた草間彌生の作品のようである。


 思わずそこにへたり込む。


 その日はミュートされたラッパのくぐもった音が頭の中から離れずよく眠れなかった。




「ザ・トリステロですか?」


 次の日図書室で八方ヶ原後輩にそれとなくその存在を伝えてみる。


「そういえば生徒会とは別にそういう資産管理してそうな組織にフラタニティだとか妙なのはありますけれどその一種でしょうかね?」


 八方ヶ原後輩は一泊政権下の生徒会で書記を務め、さらにはお遊びの二人零和有限確定完全情報ゲーム部だとかフラタニティにまで参加していることは知っていた。


 フラタニティ「κκκ」は一部の社交界に咲く薔薇のような生徒達により運営されている組織であり。






 遠く米国の生徒達による学生互助協会のような仕組みを輸入したものであるが、社会奉仕や学生同士の互助を目的とした本来のそれとは少し違うようであった。


「よくもまあそんなにいろんな組織にいて身動きとれるね。図書委員の仕事も毎日しているんでしょ?」


 半ば呆れて呟く。まさに八面六臂の活躍である。せいぜい私に出来るのは四面三臂ぐらいの活躍であり、腕の数が奇数になるのでイメージしてみるとこれはたいそう気持ちが悪い。






「全部趣味ですからね。趣味に時間を惜しむ人は居ません。それに一泊先輩には恩があります故」


「そうなの?」


「内緒です」口に人差し指をあててニコリと笑う。


「所でフラタニティって具体的に何しているところなのよ?」


「フラタニティは学生互助協会が建前ですが、一部の特権階級にある生徒達が集まってなんか暇をもてあました貴族みたいな遊びをしている所です。あと購買部なんかとも太いパイプで繋がっていて割と資金源には困りませんね」


「面妖な」


「そんなことはありません。由緒正しい集まりですよ。そういえばザ・トリステロとかいう組織もなんか似たような怪しさがありますね」


 怪しい組織だというのは認めているようであった。苦笑いして八方ヶ原後輩の話を促す。


「で、ザ・トリステロに心当たりはあるのかしら?」


うーんと唸り虚空を見つめた後一言「分かりません」といった。


「こちらにあるザ・トリステロのマークがある図書ですが、こちらは図書室の経費で買われたものでは無く、全部寄贈されたもののようですね」


「誰からかは分かる?」


「誰からかは分からないのですが、どうやらこのマークは蔵書表代わりに押されているようですね。つまりザ・トリステロから供与されている図書であると」


「そうなの?」


「調べたのですが、寄付された図書には基本的に寄贈者の名前が記されるようです。つまり消音器付き郵便喇叭なら、その天矢場先輩がおっしゃったようにザ・トリステロとかいう組織からのものと言うことになりますね」


 ザ・トリステロが図書を学校に寄付している本当の理由は分からないが、情報戦略の一環だろうか?


 世の中訳の分からない組織が多すぎる。まとめて統廃合して少しすっきりしていただきたいものである。






「でもこのマーク学校にもあちこちにあるらしいのですよね。フラタニティの仲間に聞いてみたら、フラタニティの会合場所で『なにやら喇叭みたいな』マークを見たという話をしていました。他にも見た記憶があるとかなんとか……」


「学校にもねぇ……」言われてみれば我が家にもあるぐらいだし、別に学校にあったって不思議でも何でも無い。


 そもそも、図書室でこれだけアピールしているのに無い方がおかしいともいえた。


「フラタニティの会合場所ってどこなの?」


「うーん、それはフラタニティのイニシエーションを受けた者にだけしか教えちゃいけないっていう話になっているのですよねぇ。それに建前とはいえ全員お互いの素性を知らないことになっていて顔も隠しているぐらいなんですから」


「まぁまぁ堅いこと言わずに」そう言ってにじり寄りながら脇腹を掴む。掴めるほどの肉はないが大抵の脊椎動物は腹が弱点である。






 八方ヶ原後輩はその理知的でともすれば冷たくも見える顔からは想像もつかない「にゃはは」という間の抜けた奇妙な笑い声をあげると身をよじる。


「やめてください、やめやめて!分かりました!分かりましたから!私が言ったって言わないでくださいよ!にゃはにゃはは」


「ほれほれ、早くゲロっちゃいな!」


「服飾室の隣の準備室です。学校の図面にも載ってないらしい変なスペースがあるのです」


息も絶え絶えに八方ヶ原後輩がはき出す。


「図面にも載っていない?」


「正確に言うと、図面には載っているのですが、せいぜい用具室ぐらいのスペースのはずなのに、それなりの人数集めて会合が出来るぐらいのスペースがあるんです」


「面妖な」


「外から見ても、校舎の寸詰まりにあたるのでそんな広いわけ無いんですが、中へ入ってみると結構な広さなんですよ」


「ますます面妖な」どこかで聞いたような話だなと思いつつも早速そこへ向かってみることにした。






「くれぐれも私が言ったって漏らさないでくださいよ。鍵は服飾室のキーボックスに入っている一番小さい鍵か、マスターキーを使えば開けられます。誰でも簡単に入れるので、間違ってもフラタニティの人間だけには見つからないでくださいよ」


「分かった分かった、ありがとう八方ヶ原後輩」


 八方ヶ原後輩は言い終えると熱い吐息をはき出しその場にへたり込んだ。ちょっとエロい。


 八方ヶ原後輩の協力と変な笑い声は忘れないと心に誓い、一路服飾室へと向かった。

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