第7話 『宮祭り』

第四章







 昭和五十一年に始まったのが、宇都宮最大の祭り「ふるさと宮祭り」である。


 何故かこの日はだいたい酷い雨が降ったり「雷様」が怒り狂うという謎の現象が起こるが、これは日光山先生がハッスルして風雨雷火を起こしているのだと知ったのは弟子入りしてからであった。






 「宮祭り」は他の宇都宮二荒山で行われる「天皇祭」「菊水祭」と違い資本主義原理が働いた結果生まれたという、神事とは全く無関係なお祭り騒ぎするためのお祭りである。


 しかし由来は何であれ人が多く集まり活気が出るのはよい事である。


 私が住むのは曲師町であるが、日光山先生が飲み会会場としている猿田彦神社があるのは宮町である。






 宮町の祭りでの法被は天狗柄であり、天狗の秘術を学ぶ日光山先生という大天狗の可愛くて仕方ない愛らしい愛弟子の私、天矢場栞としては宮町に顔を出さねばなるまい。


 出さねばなるまいと思いつつ、暑いので空調の効いた書店内で読書に精錬するのが私という乙女である。






 今はラテン・アメリカ文学の一つの頂点ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』をガリガリ読んでいるところである。


 筒井康隆の実験的小説『邪眼鳥』のタイトルはこの作品からとられており、また水声社から復刊するすると言われて未だに出ないためプレミアム価格がついている一冊でもある。


 プレミアム価格がついているといったばかりだが暫く前に水声社から復刊されたので古書価格は、まあ落ちましたよと。






 普段は人通りも少ないちょっと通りから外れた店だが、アーケード街オリオン商店から外れたところにも、この日は露天や立ち飲み屋がたっておりそれなりの活況を呈している。


外はなかなか騒がしいが結構な事である。商店街活性委員会のおじさま達も満足している事であろう。






 ボンヤリと読書から思考が離れた時にガラリと店のドアが開く。


「いらっしゃいませ」いつも通り陰気な言い方で適当に声を投げかける。


「ふっふっふっ、わたしは客ではないわ!」なんか変なのが来た。


「お前は『いっぱく』じゃないか!」


 「いっぱく」は一晩泊まる「一泊」と書いて「いちのはさま」と読ませる難儀な名前の持ち主だが、読み方だけではなく性格も所属も難儀であり、あまりお近づきになりたくない要注意人物である。


 周りも面倒くさいし、本人も説明が面倒くさいらしく「いちのはさま」とは呼ばれる事は少なく、みんな「いっぱく」と呼んでいたし、文章で書いても「一泊」に違いないので正しい発音を聞いた者は少なかった。






 しかしそんな彼女に何故かしょっちゅう構われ迷惑している。


 一泊はその昔、生徒会が持つ利権を奪うため、我が高校のフラタニティ、平たく言うと欧米でいう大学などでの生徒同士の慈善、友愛、社交などを目的とした組織のそれと似た学生の集まり『κκκ』を使い、生徒会役員を卑劣な手を持って陥れ、フラタニティと生徒会のトップに立った女である。


 甘い汁なら吸わせていただきたいが面倒この上ないのでお近づきはノーサンキューだった。この一泊は一言で言うとクルクルパーであり、そのクルクルパーさは県大会があれば全会一致で優勝し、関東大会までは圧倒でき、全国大会の優勝も視野に入ってくるぐらいのそれは見事なクルクルのパーぶりである。






 生徒会じゃなく「クルクルパー部」でも立ち上げた方がよかったのではないかしら?と思わせる強者である。






「祭りだから誘いに来た。どうせ流行らない店で退屈しているんでしょう?わたしといっしょにおいでなさいな」


「流行らない店で悪かったが、別に退屈はしていないので帰ってくれないかな」


「そうつれない事をいわさんな。友達甲斐の無い奴め」


「おうおう、私とおまえが友達だったとはアルキメデス以来の発見だね、神武以来初めて聞く言葉だ」


「なんにせよ暑いから店に入らせて貰うわよ」


「入ってくるな」とは言ったもののズカズカと入ってくるのをカウンターにいては止められやしない。


本を読む手を休めてやれやれとばかりにため息をつく。


「何がしたい」


「何の由緒も歴史も無い祭りだけど、祭りというなら楽しまなければ損になるわ」


「そこで何故私を誘うか」


「ふっふっふっ、一人は寂しい」


「友達居ないのか」


「……うん」


「私も友達だとは思っていないからな」


「そんな冷たい事を言うな、ナイーヴな私は傷ついてしまうでは無いか。将来はライ麦畑で崖から落ちそうな子供を見守っていたいぐらい繊細なんだわたしは」


「ホールデン・コールフィールドかよ。どんだけ傷つきやすいんだよ」


「まあいいじゃ無いか遊びに行こうぜ」


 どうしたものかと悩んだが店に客が入ってくるでもなし、このまま断り続けて粘られるのも面倒だったので折れる事にした。


「わかった。行くよ。行きますよ」


「そう来なくっちゃ!」









 街はすっかりお祭り騒ぎで賑々しかったが、この人混みは慣れない者にとっては苦痛である。屋台を冷やかし北関東近辺にだけ伝わるという謎のアイス「レインボーアイス」なる珍奇なものを買い求め、食べ終わると次は酒が飲めるわけでも無いのに麦酒のお供、キュウリの一本付けを買い、汗と共に流れ去った塩分を補給した。






 一泊はタイラーメンだとかラーメンバーガーだとか焼きそばだとか節操なく買っていたが、麺縛りなのは何か理由があるのだろうか?


 ふとした疑問がわくが考えても仕方ない事は考えない事にしている。思考の放棄とも言うし低エネルギー生活だともいえる。そんなことで脳にやる糖分がもったいない。


 特に目的も無く歩いていたら宮島町の神輿に出会った。


 一番後ろから黒と赤の二人組の天狗が歩いてくる。


 昔どこかで、天狗のパートナーと言えばおかめだと聞いたが、黒が雄で赤が雌らしい。山伏が堕落した姿が天狗と聞いたが雌の天狗とはこれ如何に?


 天狗が持っている槍の先からぶら下がった布で頭を撫でられると何か御利益があるという。子供が群がり「人間なんでしょ?」などと少々直裁に過ぎる物言いで天狗役の人のナイーヴな心を悪意無くざらつかせてまわっている。






 それにしても暑い。暑すぎじゃ無いか。


 日光山先生が嬉嬉として嵐を呼ぶのが分かる気がする。癇癪を起こしているだけかもしれないが。


 宇都宮は冬寒く夏暑い、近郊の小山あたりから電車に乗ってくると、その気温の違いにびっくりするという。


 それもこれも周りに海が無い内陸性の土地特有の事であるが、神は少々宇都宮人にとって厳しすぎやしまいかと思い、呪詛の念を送る。呪詛の念を送った事で神の怒りにあい遠く日光の中禅寺湖が氾濫しても困るのでほどほどに呪う。


 上毛野君や下野毛君の始祖であり宇都宮二荒山神社の祭神である豊城入彦命も今回は自分とは本来的に関係のない祭りであるため多少愚痴ったところで、二荒山の祭殿で寝ておられる事だろう。


「なにつまらなさそうな顔してんのよ」一泊が急に顔をのぞき込んでくるのでドキッとする。


「つまらないんじゃ無くて暑いんだ」実際暑さのため頭から湯気が上っているような気がした。たまに吹く風もぬるくてつらい。


「あっトチメンボー売ってる」


 一泊が急に声を上げる。


 トチメンボーはかの夏目漱石も愛食したとされる摩訶不思議な食物で、なかなか正体を掴ませない怪しいものであるがその味は格別である。


 近所のカレーショップMARSの出店で売っていた。


 カレーショップMARSは火星に支店を出す人類初のカレー専門店を目指しており、火星に店を出した際には火星人をコックに迎え入れようという宣言を高らかにしているグローバルを超えて、太陽系全圏を視野に入れている野心豊かな店である。


 店先で焼いているトチメンボーのスパイシーな薫り高き芳香が夏の湿った風にのり鼻腔をくすぐる。






 旨そうではないか。


 大人達はこれをビールで胃の腑に流し込むと言うが、仮にも女子高生を名乗る者であるので、ここは一つサイダーでも飲もうかといったところである。


「わたしは食べたい」「つられてやろう」二人の意見が一致するのは非常に珍しい事であったが、こればかりは仕方ない。


「たのもう」「いらっしゃい」そう言って屈んでいた浴衣姿の女の子が立ち上がる。


「あれ?八方ヶ原ちゃんじゃない」一泊が驚く。


「あら先輩方おそろいで?」八方ヶ原は天矢場古書店の常連客である八方ヶ原氏の娘で我々の一つ下の学年の後輩ちゃんである。


 一泊とは中学の頃からの腐れ縁で、フラタニティにも一泊政権の生徒会にも、一泊が部活動費をせしめるためだけに作った部活動「二人零和有限確定完全情報ゲーム部」にも所属している。






 名前の通り四方八方に睨みがきき、如才の無い立ち回りで一泊というクルクルパーとも上手く付き合っている奇跡の人である。


 四方の倍の八方に気が回るので、一泊と言う難物を抱えつつも教師陣にも評判がいいらしい。ヘレン・ケラーでさえ三重苦だったのに「馬鹿」「クルクルパー」「愚か者」「美点が無いのが特徴」の四重苦の一泊に付き従う様は聖人と言わねばなるまい。


 そこまで行くと逆に怪しいが上得意の娘さんであるという事と、貶しこそすれ大凡人を褒める事が無いという一泊が珍しく褒めている人物という断片的な情報でしか知らなかった。




「今日はご覧の通りバイトでして、トチメンボーなど売って糊口をしのいでおります」


「八方ヶ原ちゃん、お友達?」屋台でトチメンボーを焼いているマスターがこちらとあちらを交互に見る。


「先輩方です」「あらそうなの?折角だし今日はもう上がって遊びに出てもいいよ」「いや、悪いですよ」「気にしない気にしない」


 と、言う事で八方ヶ原後輩が同行する事になった。


 三人でトチメンボーをガツガツむさぼった後腹ごなしに街を歩く。


「一泊先輩と天矢場先輩は友人だったのですね、知りませんでした」


「クラスが同じだけで友人でも何でも無い。今日も無理矢理連れてこられた」


「友達甲斐の無い事を言うわね。ソウルメイトだろ?」


「知らんがな」


「仲よろしいんですね。一泊先輩が部活のメンバー以外と連れだって行動している事なんてなかなかお目にかかった事はありません」


 八方ヶ原後輩はそう言って不思議なものでも見るかのようにしげしげとこちらを眺めている。とはいえ、我が校の部活動結成には最低三人の面子が必要なので、最低でももう一人一泊と付き合っているという謎の変人がいるらしい。


「あんた本当にどれだけ友達居ないのよ?」


「そんな事より金魚掬いやろうぜ!和金なんてペットショップで一匹二十円ぐらいで肉食魚の餌用だけど五百円出して掬ってやった後で飼う場所が無いのに気づいて困ろうよ!」


 えらい無茶苦茶な話題そらしをされた。


「金魚ってね、水槽に二十四時間光当て続けて育てるともうびっくりするぐらいデカくなるのよ」


「分かったよ!金魚掬いでも何でもやるわよ」


「仲いいですね」


 これが仲良さそうに見えるのなら、しかるべき所でしかるべき検査を受けて、しかるべき処置を受けていただきたい。


 結局金魚掬いには行かず、その場のテンションで買ったものの後で絶対後悔するような怪しい玩具を売っているどこの国の人ともしれぬ人の屋台を冷やかしたりしながら無闇矢鱈と歩き回った。






 最初は嫌々引っ張られてきただけだったが祭りの雰囲気は何やらみんな楽しそうで、訳の分からない屋台も活気があっていい。


 八方ヶ原後輩という人と話をしているうちに何故一泊みたいなのと連んでいてもまっとうな社会生活を送れているのかなんとなく分かってきた。


 この祭りと一緒でどことなく奥底を覗かせない魅力がありながら、現実世界から一歩引いたような所から話をしてくる。






 父親である八方ヶ原氏の影響であろうか?


 氏もどことなくつかみ所の無い人物である。


 やがて祭りも終わり、終了の花火が打ち上げられたので二荒山方面へ向かう。


 日光山先生が飲み会会場にしている猿田彦神社を屯所にしている宮町のなおらいは、餃子のみんみん本店の真向かいにある立体駐車場の一階で行われる。


 猿田彦神社では狭すぎるため場所を借りているという。


 私は曲師町の人間だが、日光山先生のお酌をするのに猿田彦神社にはよく顔を出しているし、町内会長さんとも顔見知りであった。


「天矢場さんじゃないかい」


「ええ、まぁ。特に用というわけでも無いのですが立ち寄ってみた次第でして」


「もうなおらい始まるから一緒にお菓子とか餃子食べていけば?ジュースもあるよ。お酒は駄目だからね」


 特に関係者でも無いのに飲み食いするのも憚られたが、これだけ大勢の人がいれば目立ちもしないだろうという事でご相伴に預かる事にした。




「おおい、栞!これーっ!」


 何やら上座の方から声がかかる。


 日光山先生である。


 もう少し詳しく言うと脳味噌にエチル・アルコールの入った日光山先生である。


 隣で町会長の呉服のまるい屋の大旦那が困り顔をしている。


「麦酒だの何だのと言うのは子供の飲むサイダーと変わらんな。まるで飲んだ気がしないわい」


「そうは言うものの先生。どう見てもすっかり出来上がってます」


「なんじゃい可愛げの無い。口を開けば減らず口ばかりたたきおって」


「先生。町内の方に迷惑をかけてはいけませんよ」


「大きなお世話だ。してその連れは何だ?友達か?」


「後輩とただの知り合いです。お気になさらず」


「こんばんは。先生という事は天矢場先輩の小中の先生か塾の先生でいらっしゃいますか?」「こんな弟子をもった覚えは無いが、酒飲むための多生の縁。いかにも栞の人生と魔道の師匠である。古くは日光二荒山を根城にし。現在は誠に遺憾ながらも鹿沼は古峰神社に……」


「まどうの師匠?って何です?」


 一泊がいらないところに食いつく。


 先生も判断力が鈍っているのか素なのかは分からないが、余計な事をどんどん喋る。


「いいか!私はな!日光山魔王尊来電坊という……」


「先生!先生!手酌では何です。ここは我々乙女達のお酌できこ召してはいかがでありましょうか?」


「何が乙女だ!乳臭いガキんちょが!まぁよい、色気が無くとも手酌でやる無聊は慰められよう」


「おっと麦酒拝借、ささっ先生。まずは一献どうぞどうぞ」


「むっ!」


「天矢場ぁ~こちらの方は何の先生なのよ?まどうって何なのさ」


「しつこい、死ね!馬鹿!空気読め!死ね!」


「はっはっはー!これは驚いた!泣くわよ!」


「まあまあ一泊先輩も天矢場先輩もその辺で……」


「そこの浴衣の娘、このモジャモジャより気が利きそうだ。お前さんがお酌をしてはくれんか?」






 未成年がお酌するというのもどうなんだろうという迷い顔が一瞬見えたが、そこは立ち回りの天才八方ヶ原後輩。私の必死の目配せで理解してくれたらしい。


 にっこりと笑うと献杯とばかりにプラスチックのコップに麦酒を注ぐ。


「家では父によく付き合わされているもので」


 如才なく立ち回るその姿はまさしく宇都宮に降り立ったメシアである。


 駅前の餃子の像は「餃子の皮に包まれた美の女神」をイメージしたそうである。


 ここにおわす八方ヶ原後輩は、浴衣に身を包んだ夏祭りの救世主である。


 これには気むずかしい天狗もにっこりである。


 一泊は引っ込んでいてよろしい。


 日光山先生も調子づいて、タダ酒だと思い好き勝手に文句を言ったもののご機嫌なようである。


 注がれた先から麦酒をゴブゴブと飲み干し、合間合間にみんみんから差し入れられた餃子や焼き鳥なんかのつまみを人の分の事など考えずにガツガツ貪っている。


「まるで天狗みたいに真っ赤ね。宇都宮餃子協会のキャラクター知ってる?あの天狗のひげが餃子になっているの。アレみたい」


 一泊が嫌なところで勘の鋭いところを見せる。お願いだから黙ってくれ。


「ささ、先生どうぞどうぞ」などとにこにこしながら八方ヶ原後輩がすごい勢いで酒を飲ませていく。






 元から出来上がっていたのに三十分もしないうちにぐでんぐでんになってきた。


 いくら普段もっと強い酒を飲んでいるとはいえ、そんなにバカスカ飲んだら酔いも回ろう。


 我が師匠ながら張り子の天狗とは情けない。


 やがて飲みの席も終わりに近づいてきたようなので日光山先生を背負い込んで退散する事にする。




「先生のお世話をするのも弟子の役目。猿田彦神社まで行きますよ」


「天矢場先輩手伝いますよ」「しょうがないから手伝ってやるか」正直断りたかったが何やら譫妄状態なのか酩酊君になり譫言をもにゃもにゃ呟いている先生を一人で抱えるのは流石に無理だった。


 三人で先生を抱えて、飲み会終わりに場内でハッスルしている宮町の人々を尻目に目立たないように退散する。




 すでに祭りの人々の姿はほとんど見られなかった。


 昼間の喧噪が嘘のように静まりかえった鍵が開けっぱなしの猿田彦神社に勝手に這い入り、天狗の衣装一対と御神輿が鎮座在す中で先生を横たえる。


 ぐわーぐわーっと雷のような鼾をかいて寝ている。


「もう遅いし、先生の事は私が責任もって介抱するから、一泊と八方ヶ原後輩は今日の所は帰ってもらって平気だよ」というか早くいなくなってほしかった。


 何時もはここぞと言うときでごねる一泊も疲れてきたのか「じゃ帰る」とおとなしく引き下がったので、先生と二人きりになる。


 鼾をかいても二人。


 二人が帰ると一気に静かになり、先生の高鼾だけが雷のように響く。


 祭りに雷を落とす事も忘れ、酒を飲んでは寝ているだけの先生を見てため息をつく。


 さてどうしたものかと。


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