第6話 『迷宮』

第三章




 気がついたらするりと落ち込んでいたのである。


 我ながら珍しく読書の手を休め、店内に時間の経過とともに降り積もった「時の垢」とも言うべき埃を払っていたのだ。






 そんなときにアレフ・ヌル以上の無限の冊数が収納可能という、母の勤める異端教祖株式会社の試作製品「ヒルベルトのホテル」もついでにという事で掃除していたら、すてんと転がり落ちた。






 そして気づいたらそこに居たという感じで、周囲の風景が見慣れた狭い店内から、中央に大きな換気口のある六角形の図書館のような場所に、ボンヤリと突っ立っている。


 見覚えはないが聞き覚えはある。






 ボルヘスの作り上げた『バベルの図書館』である。


 違うのは、一冊の究極の宇宙の秘密を記した本を探し求め幾世代にもわたり彷徨する無数の司書達がおらず。換気口に行旅死亡した司書達の死体を投げ込むような事がないためか、換気口のど真ん中にはヨハネス・ケプラーが発見した星形正多面体の小星形十二面体の飾りが原理は不明だがボンヤリと紐もつけずに浮いていた事ぐらいである。


 換気口から上を覗いても、下を覗いても同じ空間がただただひたすらに続いているようだった。






 昔こんな映画あったなあと思ったが、あちらは法則を間違えて部屋に入るとあっさり殺される地獄のようなシステムだったので、とりあえずデス・トラップがなさそうなのが救いである。






 最初は上の階に上がればあっさりと「ヒルベルトのホテル」の蓋がパカッと開き外に出られるものだと思ったがそんな事はなかった。


 向かい合わせの鏡が果てしなく同じ像を結ぶがごとく同じ光景がいつまでもつながっていた。幸いトイレは各部屋ごとに用意されていたので、乙女のピンチは避けられそうである。






 どんなに巨大な数であろうと、宇宙全体に目をやってもその粒子の数は知れている。


 宇宙にあるすべての粒子の数よりも遙かに多い囲碁の全手数ですら有限だ。


 フォン・ノイマンが示したように二人零和有限確定完全情報ゲームでは絶対に必勝法が存在するため進んだ人工知能には人間はいつか必ず雪隠詰めにされて打ち負かされるであろう。






 それでも有限のステップで完了する遊びに過ぎない。


 星新一のショートショートで、全能の神が囲碁で遊んだとき、先手の神が一目置いた後、後手の神が長時間黙考したあげく、一目もおかずに「参りました」と投了した話がある。


 無限は恐ろしい、神々はそれを考えるだけの能力があるかもしれないが、無限の上ではそれすらも成り立たないであろう。


 この世で最も恐ろしい迷宮は、入り組んだミノスの迷宮ではなく、壁すらない広大な砂漠だとボルヘスは言っている。






 デイヴィッド・ロッジは「この世界と同じくらい大きな鋼鉄の玉があり、一匹の蠅が百万年に一度その上に止まるものとしよう。鋼鉄の玉がすりへってすべてなくなったとき、永遠はまだはじまってもいないのだ」と言うような事を言っていた。




 無限は怖い。カントールは対角線論法により、無限の概念を生み出したが精神を病んだ。


この図書館にはアレフ・ヌルの冊数の本が保存できるという。


どこに空調があるのか分からないが、どうやら本に都合がいい温度湿度に調節されているようで不快感はない。






 元いた場所からそれなりに上の方まで上ってきたと思うのだが喉の渇きや空腹も覚えていないのはありがたい話であったが、これが「ヒルベルトのホテル」の機能によるものなのかどうかは分からなかった。


「分からん、何一つ分からん」


 頭を抱えて座り込む。


 『バベルの図書館』では全ての本棚に、全て同じ大きさの本がギッシリと詰め込まれていると言うが、ここでは昔に私が放り込んだ在庫や稀覯本などが整頓されて並んでいた。


 もちろんサイズも厚さも内容もバラバラである。


 本の並び方も一見ランダムであった。取り出すときは念じながら引っ張り出すだけで、確実に意中の本を射貫く事が出来たが、中に入ってみると意図の読めぬ配置である。






 ネット通販大手の巨大企業でも、ロボット化が進む前は特に整理されずランダムにおかれていたという。意外や意外、そちらの方が早くピックアップできたのだという。


 本の並び方には何か法則があるのだろうか?


脱出の方法が見つからない現実逃避で考え始める。






 裕福なユダヤ人銀行家の長男として生まれた、アビ・ヴァールブルグはその熱心な書物収集力のおかげで後年、ヴァールブルグ図書館と言うものを周りのすすめにより、最も本人は嫌がったが開く事となる。


 美術書の隣に神学書が並んだりと、兎に角不可思議な蔵書分類法をとっていたと言うが、ヴァールブルグの中でははっきりと意味を持った明確な分類であり。本同士がお互いを補完しあうような並びだったという。




 哲学者エルンスト・カッシーラーはヴァールブルグ図書館を訪れたとき、その混沌とした本の配列に圧倒され、案内をしていた副館長フリッツ・ザクスルにこういった。


「二度とここへは近寄りません。この迷路にもう一度入り込んだら、道に迷って二度と出てこられなくなってしまいす」


 ここでも迷宮が出てきた。






 「図書館」と「迷宮」この二つに「無限」が加わると人は文字通り際限なく迷ってしまう。


 図書館は人を惑わせる迷いの病である。これに罹患すると、人は「図書館迷い症」を発症する。そうなればボルヘスの作り出した二つの迷宮「図書館」「砂漠」に放り出されたようなものだ。何にせよ図書館は本来的には迷うための場所ではなく、読書に没頭するための場所である。大英図書館では近年、本を読むためではなく、参考書を読んで宿題をしたりシナリオライター志望の学生が熱心にパソコンを持ち込んでいるとの嘆きが職員から上がっている。






 古代アレキサンドリアの図書館の頃からある「図書館」の使命。


 学問のため修行僧のようにただただ己の見聞を広げる図書館から、時間を経るに従ってまた別な役割を担わされているのだろう。


 出られないのなら仕方ない、この迷宮の中の本を読んでやろうと思ったもののやはり砂漠の一粒の砂になったような茫漠とした奇妙な孤独感は否めない。






 あちこち移動しているうちに分かった事がある、どの部屋に出ても風景が変わらないのは最初に観測したとおりだが、置いてある本は微妙に違っているようで、全く同じようでもある。この「ヒルベルトのホテル」には天矢場古書店の膨大な数の蔵書が収蔵されているわけだが、膨大とは言っても無限ではない。






 どういうパターンだかは分からないが、規則的に同じパターンの蔵書がある部屋にぶつかる。つまりこの閉架はループしているのだ。


 試しに東山魁夷が装丁を手がけた川端康成の『古都』を一冊持ち出して別なパターンの部屋に置いてみる。


 しばらくランダムに進むとリングワンデルリングを避けていたにもかかわらず『古都』は確かに置いた全く別な場所の同じパターンの部屋に存在していた。


 この輪廻から解脱して、全く別なパターンの道に入るにはどうカルマをためるべきか?


 空腹にもならず喉の渇きも覚えずいつまでもこうしていられるような気すらしたが、パッとの閃きで思いついた。






 迷宮を出でよ、されば道は開かれん。


 唯一図書館とは別なところにつながっている場所。


 通路ではない場所。


 換気口に思い切って飛び込んだ。


 すると体は下に落ちず、小星形正十二面体にひゅるりと吸い上げられて……。


 気がつけば「ヒルベルトのホテル」の真横に突っ立っていた。


 時計を見ると記憶の中にある時間からは全く進んでいないようである。


 こうして私は無限に停止した時間の中で読書のみに没頭できる空間を手に入れる事が出来た。






 ただ、もう一度あの中に飛び込む勇気は持てなかった。

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