第3話 八方ヶ原さん

第一章







 昨晩は興奮してしまい、疲れているのになかなか寝付けなかった。


なんといったって日光山先生が私の睨んでいた通り本物の大天狗で、しかも正当な取引により天狗の秘術を授かったのだ。


 日曜日である。






 昼頃、複数の夢の反乱の果てに、自分がウンゲーツィーファーにでもなったかと飛び起きて、あまりにも慌てて飛び起きたため、頭を枕に置き忘れたかのように思った。


 そして、目覚めて床から少しふわふわと浮かんでしまっていたのには参ってしまったが、昨日のアレがやっぱり完全に夢ではないとわかり嬉しくて飛び上がりそうになった物である。まぁ飛ばずとも浮いてはいたんだけれど。






 しかしお堅いことを考えていたにもかかわらず無意識で浮いてしまうと言うのも困りものなので、術理を完全に己が物にして次々と業を授受し、宇都宮界隈にただ一人の鼻の伸びない女天狗を目指すと心に誓うのでした。


 とりあえず、もう日が昇っているとはいえ、古い建屋から染み入る寒さには勝てないので暖房をつけ遅い朝ご飯、早い昼ご飯をとることにした。


 近所の正嗣で買ってきた冷凍餃子を煮立った鍋に放り込み、鰹だしを一さじ入れ水餃子を作る。餃子は完全栄養食品!これだけでよいのだ、これだけがよいのである。しかしながら正嗣本店では頑なに提供を拒否される白飯などもあれば、寛大な心を持ち拒否せず受け入れる体制が整っていることは宣言しておこうとも思うのである。






 そういえば震災以降減った餃子の消費量を元に戻すべく暗躍している宇都宮餃子組合なる組織のマスコットがなぜか髭が餃子になっている天狗で、どっからそんなものが湧いてきたのだろうと不思議に思うことしきりである。ちなみに正嗣本店は宇都宮餃子組合には入っていない。


 そして冷凍餃子が水餃子に変貌を遂げるその間に珈琲を淹れる。淹れると言っても珈琲は夏でも冬でもアイスしか飲まない。駅前の珈琲問屋から仕入れてきた炭火焼き珈琲を水出しで淹れるのが流儀である。




 珈琲をお気に入りのぱなぱなと言うマロニエとちぎ緑化祭2000というイベントで出たキャラクターの印刷されたマグカップになみなみと注ぎ、ガムシロップを少し甘くなるようにトポトポ注ぐと、ミルクポーションを二個入れる。これが私のいつもの飲み方。


 ぱなぱな~♪等と鼻歌を歌いながら珈琲を一気飲みする、目が覚める。初めの一杯はくちびると喉を潤す。二杯目は孤独をうちやぶり、三杯目は詩の思い浮かばない空いたはらわたにしみわたり、ただ五千巻のお経があるのを思いだし、四杯目でかすかに汗ばみ、普段の不平不満は汗と共に流れ、五杯目は人を清浄にし、六杯目は不死の世界に人をいざなう。


 七杯目は……いや、気分が悪くなってきた。




 寝間着から祖父伝来の縫製の素晴らしいスーツにぴっちりと身を固めると気が引き締まる。祖父のことはとても尊敬しているのだ。店の開店準備をし終わる頃には水餃子は出来上がっていた。


 いつも通りカウンターに座り餃子を食べながら膝に達磨を乗せて撫でながら食事をする。今日は祖父から告げられていた来客の予定があるはずだったがまだ時間には遠いのでゆっくりと食事を楽しむことが出来そうである。




 とりあえずその間の店番については私ほどの者になれば、接客なんてのは食事を摂りながらでも出来る物なのですよ。まぁお客が来た所で冷やかしがほとんどなもので、いきなり「水木しげるの貸し本版の『妖奇伝』二冊セット美本あるかな?」なんてマニアックな客はいないでしょう。もちろん高価で貴重な数百万の値段がつく本だって扱ってます。中古の文学全集や古い雑誌だけではなくて稀覯本の類も収入の大きな柱なのですからね。店構えからはあまりそういう店には見えないし、ふらりとやってきて一万円以上もする本を買っていくお客もなかなかいないもんですよ。




 と言うわけで、大抵は漫画や古雑誌、古典的な文学を買いに来るお客で、ビブリオ・フィルとビブリオ・マニアの境にいるような危険な人は数えるほどしかおりません。


 本日来訪との約束をしているのは、所謂ソッチの人だったりするのでいささか取り扱いに注意が必要と言う事なのだが、価格交渉についてはすでに祖父と話し合い済みという事で勉強を兼ねて本をお預かりしようとの事である。






 水餃子をあらかた平らげ、珈琲を飲み、後片付けでもしたら今日も読書に没頭するか、もしくは趣味のリコーダーの練習をするか迷うところであった。


リコーダーは『展覧会の絵』を一人用に編曲してなんとか吹けるようになったので、チャイコフスキーの交響曲第六番『悲愴』の第三楽章の超絶技巧編曲に挑戦するか、フランス・ブリュッヘンの編曲したバッハの『無伴奏ヴァイオリン組曲』に取りかかるか、古本屋らしく本に因んで『モンセラートの朱い本』採録曲を編曲していくか、また読書とは違った楽しさがあるのである。


 さて、どうしようかと思案中の折、ドアががらりと開かれる。


「いらっしゃーい」いつもは私の中の古書店店主の理想像通りに、知識の墓場の墓守である所の古本屋らしく、納骨堂でも前にしているのかと言う不景気な面構えで対応している。




 流しっぱなしのテレビの音と頁をめくる音以外何も音のしない静寂な環境にあったが、果たしてそれはまた破られる。




「いらっしゃいませ」今度はいつも通り不景気な面構えで対応した。


「やあ栞ちゃん、五年ぶりぐらいかな」


「八方ヶ原さん」今日待っていたお客である。


「栞ちゃんは相変わらずムズカシイ顔をしているね、苦虫を噛み潰したような顔だ。せっかくの可愛い顔が台無しだよ」


「古書店の店員なんてこんなもんです。あまり景気の良い面構えをしても売り上げが伸びるわけでもなし、辛気臭い店内の方が精神統一されて、意中の書物を射抜く環境の整った居心地の良い店になるというものです。それが古書店です。それに私の容姿には特筆するべきものはありません」虫でも飛び出してきそうなモジャモジャ頭をかきあげる。


「そんなもんかねぇ、まぁ僕そういうのもは嫌いじゃないけれどね」


「で、今日の御用事は買い取りですね」


「うん、値段交渉は君のお爺さんと済んでいるから、コンディションの最終確認をお願いしたくってね。これも勉強だとお爺さんもおっしゃっていたよ」


「勉強ですね。いい勉強させてもらいますよ」


 八方ヶ原さんはトランクケースから赤いモロッコ革で表装されたとてつもなく古い一冊の装飾本を取り出した。それを恭しく受け取るとずしりと見た目以上に重量感があり、歴史の重みを感じた。


「気を付けて取り扱ってね」


「チョーサーの『カンタベリー物語』ですね、発行人はイングランド最初の印刷人ウィリアム・カクストン、プリンターズ・マークも一致していますね。英語で印刷された初めての出版本『トロイ史成集』の直後に印刷されたもので、1477年頃印刷された物の一冊なのかな、保存状態はとてもいい。ワシントン議会図書館にあるものとほぼ同じ物でしょうか?イギリスだったら国宝ものの逸品ですね。サザビーズにでも出したらここら辺だと豪邸が二、三軒買えちゃうんじゃないですか?これだけの物だと慶応大学図書館や大英図書館も欲しがりそうですね」


「確かにね、君のお爺さんともお話ししたんだけれども、預かってもらってオークションに代理で出品してもらったほうが高く買い取ってもらえるのはわかるのだけれどね、現金が急いで必要になっちゃってさ、栞ちゃんの所で買い取って欲しいの」


「そんな急にですか?」お客の金策などあまり立ち入って聞くようなことでもないかと思ったが少し興味が出てしまった。


「いやね、内緒の地下オークションにカフカの初版本がね、手沢本やマックス・ブロート何かへの献呈署名入りのが大量に出品されると噂が流れていてね。どうしても欲しいんだ」


「内緒の……ですか」


「そう、内緒の」


 うふっ、と笑うともう一度口に指を当て、内緒だよと八方ヶ原さんは言う。


 カフカの生前に出た本は七冊しか無いが、署名本や手沢本などであればそれは凄い価格になるだろう。






 二十世紀の作家の直筆原稿で最も高値がついたのは1988年のオークションに出されたカフカの『審判』で百九十八万ドルであった。


 これは2008年にジャック・ケルアック『路上』の原稿についた二百四十二万六千ドルに抜かされるまで最高額を保持していた。因みに『路上』は長さ三十六メートルのロール紙にタイプライターで切れ目なく打ち込まれているという風変わりな物である。これに比肩しうる二十世紀の作家の原稿といったら、恐らくジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』くらいであろうと思われる。


 ロンドンの古書バイヤーのリック・ゲコスキーがウィリアム・ゴールディング『蠅の王』の原稿の売却を依頼された時も、すでに当時ノーベル文学賞受賞者として名を馳せていたにもかかわらず『審判』並の価格で売却するのは無理だとゴールディングに言っている。カフカの原稿とはそれほどの価値である。






 『審判』のみならず大量のカフカの原稿をマックス・ブロートから死後イスラエル国立エルサレム・ヘブライ大学か、イスラエル図書館などのイスラエル国内外の機関に寄贈に保管するように遺言を受けた秘書のエステル・ホフェは、これに従わず『審判』他一部の原稿を競売にかけて、自分の死後は二人の娘に相続させ、イスラエル政府と帰属を巡り揉めていたが、それがようやく解決されたのは2016年8月19日の事であった。


 更に余談だが日本の作家だと森鴎外の『舞姫』の原稿が古本市に四千万円で出品された事もある。


 これは確か成蹊女子大学に4500万で収蔵されたはずだ。






 話が横道にズレすぎてしまったが、それらと八方ヶ原さんが天秤にかけて手放そうと決めたのが古書収集家にとって最大のステータスとも言える1500年までに刊行された印刷物であるインキュナブラ。






 その昔高度経済発展期にあった1960年代の中流以上のアメリカ家庭では一家に一冊は持つことがステータスにされていたともいう。


 西暦1500年というのは別に曖昧な理由からではなく印刷技術が緩やかに発展して行く過程で分けられた区分であり、実際に印刷技術がガラリと変わるのは1530年頃からだと言われている。ラテン語で「おむつ」や「揺り篭」といった意味のインキュナブラはまさに揺籃期の印刷物として現在世界に二万六千点ほどが確認されており、国内では国立国会図書館にも十三点ほどがある。そしてその他大学等の研究機関などにもコレクションがなされている。






 しかもウィリアム・カクストンと言う初代イングランド印刷者による『カンタベリー物語』等というのは歴史に残る一品である。それを売るというのだから一大決心もいいところだと思う。




 もちろんこれら中で最も高いのは活版印刷の生みの親、ヨハネス・グーテンベルグの『四十二行聖書』であるが、完全な本はしかるべき研究機関や施設に納められ、市場に出回ることはもう無いであろうと考えられる。ただどこかから零葉が発見され売り立てに出ることはあるだろう。神保町にも一葉だけではあるが取り扱っている書店などもある。これらは1922年にニューヨークの古書バイヤーによって不完全本をバラバラにされ売り立てにかけられたものであろうと推察される。






 話はそれたが、八方ヶ原さんが初版本コレクターだったのか単なる稀覯本をオールマイティに集めているコレクターなのかは常連客にもかかわらず、主に祖父とやり取りをしているせいもあり詳しくは知らなかったが、カフカの献呈入り署名初版本が大量に出品されるなどというのはそんな怪しげなオークションでもなければ手に入らないような逸品なのは確かだ。コレクターなら喉から手が出るほど欲しいに決まっている。




「拝見しました。眼福でしたね」


「そりゃあ良かった、じゃあ指定の口座に約束の金額を振り込んでおいてね」


「現金でお支払いすることもできますよ?」そう言うと八方ヶ原さんは苦笑いして。


「この金額を現金で持ち歩く度胸ないなあ」と言った。


「それにしても欲しい本はまだまだあるなあ、お金が無限にあればいいのにね」と言って笑った。




 八方ヶ原さんは以前にも『姦淫聖書』が欲しい等と奇天烈なことを言っていたことがある。1631年に英国でロバート・バーカーの手により印刷された聖書で『出エジプト記』のモーセの十戒の第七条が「汝姦淫するべからず」とすべきところが否定形のnotが抜け落ちたため「汝姦淫すべし」となってしまったため、聖書は回収された上、お上から高額の罰金を命じられるも支払えずに投獄されて獄死と言うから誤植怖い。回収されはしたものの、やはりもの好き者はいて『姦淫聖書』とも『邪悪聖書』とも呼ばれるこの聖書は十一部が現存しているという。




 そんなものをも欲しがるぐらいだから八方ヶ原さんも変わり者なのだ。他に聖書の誤植本で有名なものだけでも『馬鹿者聖書』『御酢の聖書』など誤植の歴史も面白いものが多々あるがそれはまたの機会にでも。




 そしてそんなニッチを可能な限り満たしてやろうというのが私の祖父のこの店、天矢場古書店である。八方ヶ原さんも変わり者ならば、店主である祖父は行動力のある変わり者だと思うし、その後を継ごうとしている私も世間一般から見たら変わり者なのかもしれない。




 八方ヶ原さんから預かった本をヒルベルトのホテルに収納して、黄鮒の泳ぐ入口まで見送り出ると二、三挨拶を交わし見送った。


 冬の日の幕引きは早い。いつの間にか空が茜色に染まりつつあり、それと同時に暗い影が街の路地裏から這いずり出してきた。見送りが終わるとそそくさと店に戻り明かりを灯し、古い建物独特の寒気に打ち勝つために祖父伝来のインバネスを羽織りヒーターを入れて暖をとった。


 どうせこの時間帯からの客はほぼ皆無なので、夕餉の準備などすることにして一度羽織ったばかりのインバネスをまた脱いだりと、自分でも何がしたいのかよくわからないことをしていた。私は計画性のない事でオリオン通り界隈ではちょっとは知られた存在である。 


 誇って良い事なのか恥ずべきことなのかは判然としないことであったが、自分自身困ったことはないので良くも悪くもなしということであろう。中道善き哉。


 今晩も面倒くさいので冷凍庫に大量保管してある正嗣の餃子を茹でて食べることとした、完全栄養食品である。毎日食べても飽きないところが良いのであって、遠くから来てわざわざ長時間並んでまでして食べるというのは地元民からすれば違うのだ。






「とに伝へてよ―女ありて今日の夕餉にひとり餃子を食ひて涙をながすと。餃子、餃子、餃子苦いか塩っぱいか、そがゆで汁にタレをしたたらせて餃子を食ふは、いづこの里のならひぞや」私の考えたオリジナリティあふれる餃子の詩である。みんみんの時はまた別な詩があるがそれはまた別の機会にでも。あと幸楽の詩など有名餃子店の詩は一通り作ってある。今ひとつ行動に計画性がないがこういった用意は周到にしているのである。






 地元の宇都宮餃子組合から表彰されるのはいつ頃だろうと待っているのだが未だにお声がかからないのは、人前では詩を披露しないからに違いないと推測するものである。


 いっそのこと各店に無償でこのオリジナリティ溢れる歌を献上して、一食タダにしてもらえないかとも考えたが、流石に気恥ずかしいのでやめた。


 昼の残りの冷や飯と、茹で上がった餃子をレジ横に置いてもっさもさと食事をとる。


このあとは早めに店を閉めて正門を閉じられる前に前に二荒山詣でをしようとぼんやりと考えていた。二荒山詣でをして神通力を高め空中散歩と洒落込むのである。なんだ今日一日充実している予定がたったではないか。


 これが世に言う「リア充」と言う奴なのか?普段から暗くて乾いたところに居を構え、紙魚のように本に指を滑らせている私ではあるが、どうやら「リア充」と言う奴の仲間入りらしい。リアルが充実している女と呼んで欲しい。




 実家の手伝いなどというと世の自営業の子供たちにとっては苦行でしかないが、なんだかんだで自由にやらせてもらっている分休みの日にぐーたら横になっているだけの一日よりは充実していると感じるものである。


 まぁ接客以外の時がぐーたらしていると言われればそれまでである。あえて反論しないという潔さも持ち合わせた女なのである。接客中もぐーたらしていないなどとは言い切らない潔さも持ち合わせているのである、私は。




 さて、いずれ世界に飛び出そうという逸材が空中浮遊の術の一つもできないのではお話にならないではないか?この宇都宮市内を上空から睥睨し、頭の中で宇都宮市内を舞台にシムシティと洒落込み、ゆくゆくは四次元ポケットの術(仮称)などや他の天狗の術などもを平らげ天狗栞になり敬愛すべき祖父のごとく世界を股にかけ古書の収集をしてゆくのだ。




 つけっぱなしのテレビが十八時を知らせる。


 食事後の片付けをし祖父伝来のお気に入りのインバネスを着込み、私なりの正装をすると店を閉め夜の宇都宮へと繰り出す準備をする。


 金、土の夜に比べれば人は少ないが、日曜でもそれなりに飲み客で賑わっている、賑わっているとは言っても活況を呈しているということもない程度であるがそれでも一時期よりは人が戻っているようである。日曜定休の飲み屋も多いのでもう少し遅い時間になると人は早めに捌けてしまう。






 二荒山の閉門まで間もないので急いで店をあとにし、アーケード街を通り二荒山表参道前の交差点を目指す。河内町などが宇都宮と合併するまでの昔は宇都宮の重心に当たる場所であったとも言われる由緒正しき場所である。


 しばらく前に表参道も広場が改修され石畳が新しく敷かれ、新しい鳥居なども寄進されているので、宇都宮の伝統も刻一刻と変化しているのだなあ等とぼんやりと益体もないことを考えつつ、文字通りふわふわと浮き足立ちながら地に足のつかない様相で、既に真っ暗になった夕暮れの宇都宮を闊歩する。夜は長いのだ、ふわふわ歩いてゆこう。ふわふわ乙女、私にぴったりのファンタジーネームではないか!これならば、ふわふわ乙女・ファンタジー栞と呼んでくれても一向に構わないとさえ思った。気分上々、足元上昇ふわふわ滑って階段まで歩いて行く。




 心持ちふわふわしているあたり神社から比較的近いところに住んでいるため日光山先生から注入された神通力がすべて失われず保たれているのだろうと推察された。電池に低電圧で充電しているようなものだろう。


 ふと、モテ系ゆるふわガールと言う頭の悪さここに極まれりという言葉がふと頭をよぎったが、そもそも私はモテ系ではなく、ただ単純にゆるゆるふわふわしているだけなので、そんなオシャレ単語とはかけ離れているのである。どちらかと云うとモジャモジャ・ガールである。あくまでこれは神聖な行為なのである。山伏が歩くというのはそれだけの行為に呪術的な意味があるという事で、近所のふわふわ散歩も呪術的な行為なのである。だからこそ神通力が体中に集まる神通力浴となるわけである。






 さらに言うのであれば二荒山神社の境内をまるっと囲んで歩くということは、ホイジンガの言説によれば結界を結ぶということで極めて神聖な儀式である。囲んだりチェスや将棋、囲碁などのボードゲームは神殿を築くのと同様の意味合いがあると、コルタサル『石蹴り遊び』の解説で読んだことがあるが、さる情報筋に寄れば「そんなもんは言った者勝ちだ」との事でもあるので注意が必要であろう。




 日光山先生が言うとおり毎日ふわふわ散歩を続けるだけでも神通力は溜まりに溜まってチャクラだかなんだかしれない物が目や口などありとあらゆる穴という穴からドビュッシーとばかりに漏れ出すこと請け合いである。七孔噴血どころの騒ぎではない大惨事が展開されることは想像に難くない。


 山門を抜け境内に上がり、まだ出会いもしない正しく何処の馬の骨ともしれないよくわからない何者かと、未知のご縁がありますようにと五円玉を賽銭箱に放り込み柏手をうちそのまま神社の裏手へ向かってすすいと進み、二荒山神社を周遊する頃にはたっぷり一時間かかっていた。




 途中帰りがけに寄った表参道スクエアに入ってみた所、知り合いに出会い若干浮いているところを見られそうになったが気付かれずに済んだ。その人は仕事の合間にトイレを借りるためだけにこの建物をよく訪れるのだ。迷惑千万なことであるが、入居しているコンビニでサラダなどを買っているということなので本人曰くイーブンだそうである。まるまると肥え太った腹を見る限り今更野菜を食べた所でどうこうなるようなもんでもないと思うのだがそれはまぁいいのであろう、健康は大切だよね、うん。






 ふわふわと散歩を続けてようやく本格的に夜になってきた街に繰り出し、入れない飲み屋などひやかしながら、次は何の術を日光山先生から学ぼうかと考えながら帰路へ付いた。


 明日からまた学校である、店のフル開店はまた土曜まで二荒山散歩の後、夕刻から夜半にかけてとなる。店の運営は大丈夫なのか?それは祖父と神のみぞ知るところである。


 平凡な私の日常はこんな事の繰り返しである。天狗に一歩近づくという椿事があったものの私のことは大抵がこんなものなのである。平々凡々宇都宮の中心部のうらぶれた書店で今日も生きていくのだ。






 それは酷く退屈なようであって、どこかしら変貌を遂げている変わりゆくこの街のような生活なのである。

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