第4話 『筆禍』-①
第二章
1
宇都宮から移動図書館が廃止されたのは平成十七年十月だった。
しかしご存じだろうか?
図書館警察なる秘密の組織によって借りた図書を返さない、汚損するなどの常習犯を夜中かっ攫い、目の前に尖った物を置いてもやもやさせる刑や、昔ながらの手動による電動ドリルを使わないガローテ刑等の様々な拷問で返却を迫るという恐怖の空中移動監房「移動図書監」が設立されたのが、奇しくも移動図書館が廃止されたその月であったことであると。
さて、私こと天矢場栞は欲しい本は返すのが嫌なので、いずれ売ることになろうとも絶対に購入なりの手段を用いて合法的に手に入れている。
そんな私が何故移動図書監に囚われているというのか?これには深い理由がある故順を追ってご説明したいと思う。
「ひっか?」「そう『筆禍』だ、筆の災いだ」天狗に縁のある宮島町の猿田彦神社にて、こっそりと酒盛りを 開いていた私の師匠日光山先生が酒臭い息を吐き出しながら鷹揚に頷く。
「飲む機会も無いくせに、お前の爺様の所に集まる『書痴』はよく知っているな。私もよく知っている。お前もよく知っている」
「はあ、私が先生に御献上しているいつもの日本酒ですよね?」
「うむ、最近知ったのだが『書痴』以外にも『筆禍』なる酒があるらしいと言うことをな。こいつはどうやら日本酒ではなく焼酎の類いらしいのだが、たまには焼酎を飲むことも吝かではない」つまるところだ。
「私にその『筆禍』とやらを探し求めてこいと仰りますか?」
「端的に言うとな」
「先生はいつも我が儘が過ぎます」未成年にアルコールの類いを入手してこさせようとは如何な物か?仮にも花も恥じらう女子高生。近くの酒販店に「コンニチハー」等と言って這い入って行き、酒をくれなどと言ったところで学校に通報されるのがオチである。
良くて反省文、悪くて放校。先生に説教の限りを尽くされ、親からはこの親不孝者となじられ、女子高生改め、高校中退のただの何の肩書きもない少女、いいところで家事手伝いとなる事であろう。
もしやなにか道を過てば"職業不詳・自称古書店員"等と報道され、宇都宮市中はおろか北は旧栗山村、南は野木町まで栃木県全域に汚名を轟かすことになるに違いない。そうすれば最早世を儚んで那珂川水遊園にでも赴き入水するしかないものであろう。
そうなればもうカピバラの餌と成り果てること請け合いである。
渋い顔をして唸っていたら先生がすました顔で「手に入ったら何か一つ術を授けてやろう」等と仰るので「承りました」と間をおかず了承する。
「心配するな、普通の酒屋では手に入らんそうだ。『書痴』の蔵本と同じ所だと聞き及ぶ、そこへ行って直接掠め取ってこい」
「泥棒じゃないですか」「じゃあ分けて貰え」何やら面倒臭いことになってきたが、先生の目も酔っ払い特有の変な胆の入り方でじっとりと据わってきた。
「分かりました、探してみます」
そう言う他なかった。
2
「書痴」とは空舞う天狗をも撃ち落として埋めて殺す幻とも言われる魔性の酒である。何故それを私が手に入れることが出来るのかというと、図書館警察の名誉警紙総監であるところの祖父の元へ、折に触れて届くからである。
何故そんな物が届くのが良くは知らないが、長年の功績に対するものであったり、なんやかやと忙しい合間を縫って、今も世話焼きをしているらしかったが詳しいことは何も分からない物であった。
そもそも名誉警紙総監とは何者ぞ?
海外を飛び回る祖父とはなかなか顔を合わせられないため、面と向かって聞く機会もなければ、あまり触れないことでもあるのかと思い聞けずにいた。
「書痴」について一つ知っているのが図書館警察が手配している物資であることくらいな事である。
また、「書痴」に関して言えば、私の通っている高校の食品加工科が高根沢にある学校の農園でとれた最高級「ひとごごち」を用いて醸造しているらしいと言う噂がまことしやかに囁かれていると言うことである。
その醸造には食品加工科だけではなく、私の所属する生物工学科の先生達も一枚噛んでいるらしいという話も聞くがあくまで噂である。しかしながら噂の出所は不明であるものの、火のないところに煙はただないともいう。
実態は藪の中と言ったところか。しかしながら一番身近なところであるのと思われるのは学校である。
まずあたるべきは学校であるか?
しかしながら図書館警察なる怪しげな組織との接触は極力避けたい所である。
我が愛しの母校なれど活動は極力見られないに越したことはないであろう。
私がどうするか考え込んでいるうちに日光山先生は、脳味噌にアルコールが零れて正体を失っていた。
深くため息をつく。
天狗の秘術は喉から手が出るほど欲しいが、なんだか面倒なことになってきたものだ。
そして今この状況をどう納めるかと二重に苦しむ。
3
「おめぇたちは『グワシャルマ・キャバノルムリエンゾーム・ケスヘス』って蘭を知っているか?」
普通科の高校にはない専門科目である所の生物工学なる授業での事だ。
生物学の基礎を大まかに植物、動物、微生物の三部門にわけて学習するといった趣向の出し物である。
「ベトナムの奥地に咲く秘境の蘭でな。昔、竹田先生と俺がプラントハントして日本に入ったんだ。本当は国外持ち出し禁止なんだけど、株で持ってくるとバレるから、花束にしてコンテナに詰め込んで検閲すり抜けてきたんだ。でもあの時は許可貰ってきた別な蘭を試験管に入れて持ち出そうとしたら怪しがられて飛行機二時間止めたなあ」
さらっとイリーガルなことを言ってのけるのは生物工学科の担任羽山先生である。
先生は蘭をはじめとした植物の専門家で、オールマイティにバイオサイエンスの各分野について詳しかった。
そのため定期的に教科書や初心者向けの専門書の執筆依頼など来ている。そしてそれを私は無料で手伝わされていた。
ただ働きという事ほど嫌なものはない。若人の青春の貴重な一時を奪い対価は無いのであるから、これは重罪である。
死後地獄に落ちて獄卒にしょっ引かれ、尻の穴から溶けた鉄を流し込まれることであろう。いや、これは男色行為の地獄であった。
竹田先生というのも曲者で、私が花粉症なのをいいことに、焼き方に秘密があるという「杉花粉の黒焼き」を飲まされたりもした物である。
免疫減感療法の一種という話だが、一言で言えば人体実験である。
ネズミもウサギもサルもすっ飛ばし、いきなり人間に無理矢理食べさせようというあたり、いい度胸。つまるところナイス度胸であり、こちらも死後、ダンテ・アリギエーリのいうように地獄の底で氷漬けのサタンにクッチャクッチャと味の無いガムのように、終末の喇叭が鳴るまで永劫に噛み続けられることであろう。
亡者八景地獄巡りの話はどうでもいい。羽山先生はその後も中国の国境警備隊に銃を突きつけられて金銭を要求されたけれど、自分が履いていた汚い靴下渡したら解放してくれた話や、ベトナムのレストランへ入って魚料理頼んだら、泡吹いている溝みたいな色の川に店員が飛び込んで捕まえてきた魚を「新鮮だろ?」と自慢げに出された話など尽きることの無い横道にそれて授業時間が実にゆったりと無駄に消費されていった。
どこまでが本当か分からないが突然話題がプラントハントに戻る。
「でだ、俺の採集してきた『グワシャルマ・キャバノルムリエンゾーム・ケスヘス』はラテン語で、大体の意味は『ハクイスケのかぐわしい匂えるマストなアイテム』と言う意味で、花粉から菌を採取して培養してみたんだな。そしたらいい香りのする酵母とかが出てきたんだわ、これ食品に使えるんじゃないかって言って食品加工科と研究中なんだわ」
食品加工科というと学園祭の時にはよく乾燥マイタケの粉末を生地に練り込んだ「マイタケブレット」なる物を出していたが、なんだか手広くやっているようだ。
しかし生物工学科と食品加工科の関与が疑われている幻の銘酒『書痴』『筆禍』に応用されているという疑惑はつきない。羽山先生の益体にもならない話で少々胡乱になった頭を振り、モジャモジャヘアーを掻き上げて、放課後教官室に顔を出してみようと思う次第である。
4
生物工学科教官室はその名の通り生物工学科の教師達が集まる屯所である。
隣は培養した植物や微生物を保管する無菌室であり、更にその隣が専門の特殊な実験装置のある教室だ。
教官室にはこのご時世にもかかわらず冷房こそないものの、冬場はコンクリートでかっちかちに固められているため厳寒の地と化すのでシベリア抑留者の追体験が出来る。出来ては困るので暖房だけは充実している。
私もよく校舎裏の畑で育てた大根やら白菜やらを採ってきて勝手に調理して食費を浮かせていたりする。
何かと食材が集まるのが農業高校のいいところである。
因みに果樹園の果実は勝手に採ると、外患誘致計画者が死刑確定になるのと同じく一発退学になるので、密かにアダムとイヴがエデンの園で食いっぱぐれた方の生命の果実なのではないかと疑っている。
実際は戦後の食糧難から果樹を守るための規律が未だに残っているとかそんなところだろう。
イギリスにおいて大憲章が未だに生き残っている事を考えれば別段不思議な事ではない。明治期に作られた駅で発砲した物は三十円の罰金を取られるという法律だって生きている。十発撃っても三百円だ、お手頃価格である。
そんなこんなで食事をしたりお茶したりと適当に屯できるため、店の用事がない時はここでくだを巻いている。
もちろん実験や研究を行う合間であるのだが、無菌の実験室の環境が安定するのに待ち時間が必要だったり、乾熱滅菌した器具が冷えるまでだとか、加圧水蒸気でグツグツに煮込んだ細胞を培養する寒天やゲランガムの培地が冷えて固まるまでの待ち時間だとか色々と待つ時間も多いのである。
放課後、実験の用はなかったものの、羽山先生を探して顔を出す。
「なんでぇまた来たんかい」
「そりゃ私は先生の可愛い愛弟子ですから顔ぐらい出します」
「俺今日は早く帰っから、すぐ閉めるぞ」
「私も長居する予定は無いですけど、授業でいってたなんでしたっけ?不法に国内に持ち込んだ蘭とか言うの」
「『グワシャルマ・キャバノルムリエンゾーム・ケスヘス』か?授業で習った事はちゃんと覚えておけよな。あと不法に持ち込んだの竹田先生で俺じゃないからな」
何度聞いても覚えられる気がしない名前である。
「その『グワシャルマ』でしたっけ?花から酵母だかがとれたって言う。あれって今何に使ってるんですか?」
「あれか、ありゃな発酵の実験に使っていてパン作ったり、アルコール醸造したりしてるんだわ」頭をかきながら面倒臭そうに答える。
「アルコールの醸造というと密造酒ですか?」
「馬鹿お前、そんな事しないって。蒸留しない限りアルコール度数少ないから平気なんだよ」
「で、蒸留したんですか?」
「リービッヒ冷却管あるからな」
黒である。
「詳しくは食科の先生に聞いてみ、じゃあ用事が済んだらもう帰れ。俺も帰る」
5
食品加工科にはあまり縁がなかったが、無いとは言っても家庭科の授業や何かで顔を合わせたりはしているわけで、勝手知ったる他人の部屋というわけで教官室へと入っていく。
もう定年間近というマダムが何年使っても慣れないパソコンと格闘しながら何やら仕事をしていた。
「こんにちは」
「あら、生工科の天矢場さんだったかしら。どうしたの?」
珍客というわけである。珍客だけに珍しい事も聞く。
「実は羽山先生が発見した酵母で作ったパンとかアルコールの類いについて伺いたいのですが……」
「よく知っているわね。パンなら文化祭で販売する試作品があるけれど食べてみるかしら?」
「タダ飯なら喜んで受け入れる程度には器が広い女ですよ、私は」
来ていきなり目標が変わってしまった。
「うちの子達だけじゃなくて他の人達の意見も聞きたかったところだから丁度良かったわ」
先生が調理実習室の扉を開ける。
「ああ、そういえばパンの香りがしますね」
焼きたてではないもののちょっと変わった感じのするいい香りが漂っていた。
例えるなら何か南国の花のような甘い芳香である。
「冷たくなっちゃってるけどどうかしら?」
「うまい、うまい」
ひょいと摘まんでパクつく。なるほど、確かに蘭のような独特の甘い香りがする。
「文化祭で販売するのに試行錯誤中なの。香りがいいけれど上手く膨らまないのが難点ね」
「所で先生、この酵母を使ってアルコール醸造なんて出来ないんですか?」
迂遠な方法を使っても仕方ない、ダイレクトに聞いてみる。
「アルコール発酵自体はさせられるけれど、お酒造るような設備が食品加工科にないからねぇ」外したか?
「そういえば、確か学校の中でお酒を造っているなんて噂話はあったけれど、まさか高校でそんな事しているとは思えないしねぇ」
分かった事といったら、件の『グワシャルマ』某がアルコール発酵の能力もつという事ぐらいである。
進退窮まってしまった。
とりあえず食品加工科を後にして薄暗くなった校舎の夜間通用口を通り帰る事にした。
ふと人が「キノコ小屋」に入っていくのが見えた、あれはよく見えはしなかったが羽山先生のようだった。
もう帰るといっていたのに何用かしら?何か引っかかる事があり様子を覗いてみる事にした。「キノコ小屋」とはなんぞや?
文字通りキノコを量産する小屋である。
中には菌床栽培をするために、大鋸屑や、麬なんかを配合した独特の栄養剤、腐葉土、鶏糞などがあり、それを詰めるパックと、それを滅菌するためのオートクレーブなどがあった。
そしてここで作られた菌床は件の生工科の無菌室に持って行かれ、種菌を播種されるのだ。
マイタケ・ブレッドの話が出たように、マイタケや椎茸、ナメコにエリンギ、それからクリタケ、ヒラタケ、エノキタケ、変わりどころではタモギタケなど、とにかく種菌さえあれば何でも出来る。
マツタケ人工栽培研究なども秘密裏に進められているという。
キノコ小屋は本当に小さな小屋で、六畳ほどの空間のど真ん中に大きな作業テーブルがデンと鎮座在し、せいぜい六人ほどが立って作業するのが限界という程度であった。
ブロックを積んだだけの外壁と、スレート葺きの屋根。
夏暑く、冬寒い現代に蘇る蟹工船のような環境であった。
おそらく壁の中の住人の方がまだ作業環境に恵まれている。
とはいえ、ここで生産されるキノコの菌床からは、様々なキノコがとれる。
北海道では割合見かけるというタモギタケなんかで取った出汁で食べるうどんなどは絶品だ。これで食費が浮かぶというもの、栃木県民としてはチタケをあげるべきなのであろうが、これは栽培しても旨くならないのが不思議だ。とはいってもチタケなんぞ研究したところで金にならないので、研究資金豊富な変わり者が出てこない限り、未来永劫その味については未知の領域として、科学史の影に隠れ続けることだろう。
さて、話は逸れたがキノコ小屋の南京錠は外されたままになっていたので……まあ中から閉める事が出来ないので当たり前だが、これ幸いにと覗き見る。
誰もいなかった。
奇跡の消失トリックなどであるはずもなく、どこかに屈んでいるのかもしれなかったが、どうにも気配が感じられないので恐る恐る中に入ってみる、やはり誰もいない。
「羽山先生いらしてませんかー?」ただむなしく小屋の中に声が消えていく。
キノコの菌床独特の匂いがする中、小屋の中を検める。
特殊なフィルムとフィルターで作られた菌床の袋やら、マイタケ用の太い切り株などがなんとなく整理されているようで雑然と置かれている。
「おーい、先生やい、おらんのかい?」半ばやけくそで机を押してみると、机の天板がするりと移動した。
以前ここで作業したときにはこんなに簡単に外れたりはしなかったはずだが、とりあえず直そうと思い顔を上げるとそこには地下に続く階段があった。
思わず混乱して、おっおっ?と変な声を上げるが羽山先生が消えたのはこことしか考えられなかった。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」そう自分に言い聞かせて侵入を試みる。
しかしキノコ小屋に地下があるなどとは思わなかった。
薄暗い階段は地下に向かってどこまでも伸びていた。
壁に掛かるLEDランプが空間を照らしていたが心許ない。
足下は不案内で、なんとなく湿った空気が冥府へ続く川岸の湿気を運んでいるかのように思え心が底冷えする。
やたらと長い階段を下っていくといきなり視界が開け、大谷石採掘鉱のような広い空間が広がった。巨大な空間になんだかよくわからない、これまた巨大な小屋が何個か置かれ、パイプやら何やらで小屋同士がつながっている。
ムンムンと蒸気が吹き上げ、なにやら独特の花のような香りがたちこめる。
「グワシャルマなんとか!」先ほど嗅いだパンの匂いにそっくりであった。
『アスペルギルス・オリゼー・マグナスポリス・サカグチ・アンド・ヤマダ1919』くらい長い名前のあの蘭の香りである。
地下通路から更に下の施設へと伸びている長い階段をそろそろと下り、隠れながらあちこちを散策する。
どうやら醸造所のようであった。
ここが噂の「書痴」を作っている工場に違いない、もしかすると「筆禍」もあるのではなかろうか?
となるとこの施設を管理しているのは……。
「おう、天矢場。早く帰れって言ったべな」
背後から羽山先生の声が聞こえ……そのまま意識が遠のき、足下が崩壊したようにどこまでも地下に落ちていった。
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