W村からの脱出

 こんな村には一分一秒もいられないと、私は御座の屋敷の中でケイを探して回りました。ケイは二階の部屋にいました。私が部屋に踏み入ると、ケイはビクッと身を竦めましたが、私だと分かると少し安心したような顔になって。それだけでケイが今までどんなひどい事をされて来たか、想像に難くありませんでした。

 私はケイに「帰るぞ」と言いました。「どこに?」と聞いて来たので、それは当然「父さんと母さんの所だよ」と。

 ケイは返事をしませんでしたが、私はケイの腕を引っ張って、無理やり連れ出しました。ケイの足取りは弱々しく、自分から進んで逃げるという風ではありませんでした。私が引っ張らないと動いてくれない感じで。

 まだケイが幼かった頃はケイの手を引いていっしょに家に帰るなんて事もありましたが、こんなに神経が弱っているケイを見たのは初めてで、私は怒りと同時に悲しさを感じていました。なぜケイがこんな目に……と。

 靴を履かせる時間も惜しく、私はケイをそのまま外に連れ出しました。御座家の誰かに見つからない内に、早く村を出ていきたかったんです。


 屋敷の庭で、あのワドリさんが私たちの前に立ちはだかったのですが、その時ちょうどタクヤが現れてワドリさんに「止めろ」と言って。和取さんは不服そうな顔をしていましたが、タクヤの命令には逆らえないのか、動きを止めました。タクヤは私を見て、薄ら笑いを浮かべ、「あんた良い人だね」と……。彼の意図は私には全く分かりませんでしたが、この機を逃す訳にはいかないと、ケイを抱えて自分の車まで走りました。

 ケイを後部座席に乗せて、私は運転席に。幸い車は無事に動いて、そのまま私とケイはW村を脱出できました。もしかしたら御座家が後からケイを連れ戻そうとするかも知れないと考えましたが、その時はどんな手を使ってでもケイを守るつもりでした。


 それにしても不可解なのはタクヤの行動です。彼の事は今になっても、よく分かりません。ケイを御座家に引き込んだのは、彼だと思っています。彼以外には考えられません。お金持ちなら家柄とか血統を大事にするでしょう。全く自慢にはなりませんが、我が家は平々凡々な家系です。親戚にも知り合いにも功績のあるような人はいません。先祖もせいぜい明治までしか遡れないので、長い歴史があるというわけでもないんです。御座家とは釣り合いません。

 タクヤの勝手な行動に良多郎氏は困っていたんじゃないでしょうか。本当の事は分かりませんが、そんな気がします。

 タクヤはどうしてケイを……本当に彼は何だったのか……。



 帰りの車の中でも、ケイは俯いたままで何も言おうとはしませんでした。ただ一言だけ小声でぽつりと「兄さん、ありがとう」と言った以外は。私はそれを聞けただけで満足でした。

 私はスマホで実家に電話して、母にケイを連れて帰る事を伝えました。八月十二日の事です。移動中に雨がぽつぽつと降り出しましたが、大降りはならず、無事に実家に戻ることができました。

 家に着く頃には夜も遅かったのですが、両親は起きていて、私たちの帰りを待っていてくれました。

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