七、広がる菌糸
サディがギマンの森にやって来てから数日後の夕方、その噂を聞きつけたロン・リーがサディの元を訪れました。
「よう、サディ、元気かい?」
不意を突かれたサディでしたが、まるで電気仕かけにスイッチが入ったようにニカッと口角を上げました。そして、とっさに嘘をつきました。
「ああ、ロンちゃん、久しぶり。丁度今ロンちゃんに会いに行こうと思っていたところだよ。」
「ああそう、丁度よかったな。それにしても、無事に着いて何よりだ。これから君の歓迎会をやろうと思うんだけど、都合はどう?」
「本当かい⁈嬉しいなぁ、ぜひとも参加させてもらうよ。」
二人が喫茶『カマユデ』に入ると、そこにはいつものメンバーがそろっていました。サディは一人一人の顔をさっと確認して、最後にマラドと目を合わせました。するとマラドは分かっているというように、軽くうなずきました。
「遥か遠い所から、ようこそいらっしゃいました。さあ、どうぞ中へ。」
ブンブクの招きで椅子に座るまで、みんなの視線はサディにくっ付いたままでした。全員が席に着いて自己紹介が済むと、すぐに雑談が始まりました。話題の中心はもちろんサディです。サディは得意の馬鹿話で場を盛り上げて、あっという間にみんなの心を引き込みました。
笑い声が絶えない中、話題はいつのまにか噂話へ、噂話はいつのまにか悪口へと移っていきました。サディは黙ってそれを聞いていました。
「僕はバナムが大嫌いだ。以前、みんなの前で恥をかかされたことがあったからね。」
パリプータがそう言うと、ロン・リーはなだめるように言いました。
「だったら、あんまり近付かなければ済むことだろ。まあ、誰にでも短所はあるよ。ルサンチさんとバナムさんの仲の悪さには呆れるばかりだけどね。でも、ピグマリオさんがいてくれるおかげで、この森は大丈夫だろ。ただし、オイラは権力者はいつも監視されなきゃいけないと思っているけどね。」
マラドは皮肉を込めて言いました。
「ああ、だけどバナムは三長老なんだから、もっと森の役に立って欲しいもんだよ。ルサンチはクリスタル会で頑張っているから、まだましだけどね。」
エッセパルは、いつものように落ち着いて言いました。
「知らないのか?バナムは今度出来る農園の責任者になったらしいぞ。」
マラドは情報通としての自尊心を傷付けられて、少しムッとしました。
「そんなことは知っているよ。俺が言いたいのは、三長老なんだからそれくらいやって当たり前ってことだ。なあ、パリプータ。」
「バナムが責任者なら、僕は手伝わないよ。」
シャーデンは真面目な顔で言いました。
「私は手伝うよ。ジレンマとプラシボとアパシーも農園に参加すると言ってたよ。みんな、少しでもこの森の役に立とうと思っているんだよ。」
ジレンマはヤマアラシで、プラシボはモグラで、アパシーはロバでした。三人ともロン・リー達と同じ時期にギマンの森にやって来て、すでに顔見知りでした。
シャーデンの言葉を受けて、パリプータは少し恥ずかしくなりました。
「みんな偉いんだね。でも僕は、どうしてもやる気が出ないなぁ。エッセパルは?」
「俺もなんだかやる気が起きないなぁ。俺は自分のことで精一杯だ。これはあくまでもボランティアであって、強制されるものじゃない。そうだろ、ロン・リー?」
「そうだな。自発的にやるんだったらいいけど、自己犠牲を強いるとなると、その集団は危ないというか、怖いよな。オイラも農園には興味がないよ。そもそも、オイラは野菜よりも肉が大好物なんだ。」
ロン・リーはそう言うと、いたずらっぽい顔で大きく口を開けてパリプータを見つめました。エッセパルも真似をして大きく口を開けました。
「おいおい、やめてくれよ。僕を食べると祟りが起きるぞ。どうせ食べるんだったらバナムを食べてよ。」
みんなは一斉に「アハハハ」と笑い出しました。ひとしきり笑ったあと、ロン・リーは真顔になって言いました。
「オイラ達よりも、本当にもっと怖いのがリビド王だ。あんなのがここにいたら、オイラ達はひとたまりもない。そうじゃないか、サディ?」
それまで黙っていたサディは、無知な者に諭すように、ニヤッと笑いながら言いました。
「世の中で一番怖い奴は、罪悪感を持たない奴だよ。」
それを聞いたロン・リーの心に、不気味な影がよぎりました。それはサイコピアで感じた、あのなんとも言えない不吉な予感と得体の知れない不安感でした。みんなも同じように感じているのかと周りを見回しましたが、誰もその違和感に気付いている様子はありませんでした。自分だけかと思うとさらに不安が強まり、ロン・リーは口に出さずにいられませんでした。
「サディは罪悪感を持っていないのか?」
サディはわざとらしく大げさに笑いながら言いました。
「え〜っ⁈アッハッハッハ、そんなわけないじゃないか。俺様だって罪悪感をちゃんと持っているよ。」
ロン・リーは何か腑に落ちないものを感じましたが、それについては誰も興味を示さずに、話題は別の方へと流れていってしまいました。
夜遅くまで続いた歓迎会はようやく終わり、みんなそれぞれ家に帰りました。ロン・リーとサディとマラドは帰る方向が一緒でした。雑談を交わしながら歩いて行くと、まずロン・リーの家に着きました。
「いやぁ、今日は楽しかったよ。ロンちゃん、色々とありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。」
サディは深々とお辞儀をしました。それを見て、ロン・リーはどこかよそよそしさを感じて、少し寂しい気持ちになりました。仲良くなるには時間がかかるものだと自分に言い聞かせて、ロン・リーもお辞儀をしました。
「こっちこそよろしく頼むよ。よかったら、また『カマユデ』に来てよ。」
「うん、毎日は無理だけど、行ける時があったら行くよ。それじゃあ俺様達はこれで。」
「サディ、マラド、お休み。」
「お休み。」
ロン・リーは手を振って、二人と別れました。
サディとマラドは歩き出しましたが、ロン・リーが家に入るまでお互いに黙っていました。しばらくして、最初に口を開いたのはサディでした。
「マラド、キツツキを知っているな?」
「ああ、名無しのキツツキだろ?毎日のように俺に会いに来てたよ。自分の名前は教えないくせに、他の色んな情報をくれるんだ。サディのことも聞いてるよ。計算高くて頭が良くて、カリスマ性もあるからリーダーに向いてるって言ってたよ。いっそのこと、この森で三長老になってくれないか?」
「フッ、俺様には三長老の椅子なんてどうでもいいことさ。ただ彼らを上手く使いこなすことが俺様の腕の見せ所ってわけだ。利用できるものは何でも利用する、それが俺様の主義だ。」
「三長老でさえも、君からすれば道具の一つに過ぎないってことか。サディには敵わないな、尊敬するよ。」
「いやいや、俺様の狙いは別にあるんでね。」
「ああ、ロン・リーだろ?あいつがそんな奴だとは知らなかったよ。」
「あいつはひどい野郎だぜ。ぶっ潰しておかないと、いずれこの森もとんでもないことになっちまう。そこでだ、マラドはとにかく奴の悪い情報を集めてくれ。奴にとって都合の悪い情報なら何でもいい。できればエッセパルの悪口を、奴の口から聞くのが一番いい。」
「奴とエッセパルは親友だからなぁ、なかなか難しい話だな。今までも、奴からエッセパルの悪口を聞いたことがない。」
「まず、こっちから悪口をたくさん言って、誘い水をまくんだよ。みんなが悪口を言っていると、つい自分も悪口が出てしまうもんだ。それを後でこっそり相手に教えてやれば、そいつは奴の敵となり、俺様達の味方になるのさ。もしも奴が悪口を言わなかったら、こっちの受け取り方を変えるんだ。例えば今日だって、『バナムには近づくな』とか、『ルサンチとバナムは馬鹿で呆れる』とか、『三長老は信用できないから監視されなきゃならない』とか、上手いこと少しだけ付け加えたり言い換えたり、部分だけを切り取ったりすればいいんだよ。その他にも『自己犠牲を強いるギマンの森は危ない』とか、『農園なんて面倒くさいから手伝わない』とか、『肉が食いたい』とか、聞く者が聞けば許せないようなことをたくさん言ってたぞ。事実をちょっとだけ曲げれば、限りなく真実に近い噂話が出来上がる。それを見破れる奴なんて、いやしないよ。あとは噂の種をフ〜ッと吹き流してやれば、いずれ大きな風になるのさ。」
サディは口の前で手のひらを広げて、フッと息を吹きかけました。そして横にいるマラドの目を見つめて、口角だけを上げました。マラドはすっかり心を奪われ、サディの熱狂的な信者になっていました。
「なるほど、面白い。サディ、君は天才だよ!早速明日から奴の欠点を暴いてみんなに言いふらしてやろう。早きこと風のごとしだ。」
「待て待て、急いては事をし損じる。今はまだまだ準備の段階だ。一人づつ、確実に、こっそりと仲間を増やすんだ。月に一度、キョゲンの滝のハデス洞で俺様達『ハデス騎士団』の秘密の集会がある。そこでじっくりと今後の作戦を練ろうじゃないか。」
サディは振り返って漆黒の夜空を見上げました。そして、憎しみを噛み潰すように言葉を吐き出しました。
「機が熟すまで待っていろよ、この腐れオオカミめ!いつか地獄へ叩き落としてやる。それまでせいぜいこの世を楽しむがいい。キッキッキ…」
こうしてサディの思惑は、菌糸が密かに根を張り巡らせるように、じんわりとギマンの森に広がっていきました。
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