八、マリオネットの仮面舞踏会


 それから二年が経ちました。農園ではバナムが中心となって指揮をとり、プラシボは土を耕し、ジレンマは種をまき、シャーデンとアパシーはクリスタル湖から水を運びました。そしてその他多くの者達の努力があってギマンの森には立派な農園が出来上がり、農作物も豊富に採れるようになりました。それまで冬になると木の皮しか食べられなかった者達は、冬野菜や干した果物を食べられるようになり、多くの者が大変喜びました。

 サディはというと、農園のことには手を出さずに口だけ出して、採れた果物で酒を作りました。酒はあっという間にギマンの森で話題になりました。サディは酒の作り方を誰にも教えなかったので、我も我もと欲しがって、みんなサディに媚びるようになっていきました。中には『楽園の使者サディ』とか『黄金の天使サディ』と呼ぶ者もいました。次第に酒で体を壊す者も現れてきたのですが、止めどない欲望と快楽がそれを覆い隠しました。



 この頃になると、ハデス騎士団の人数は二百人を超えていました。この人数になるともう洞窟には入り切れないので、キョゲンの滝の前で集会を開くようになっていました。

 ある日の宵の頃、月に一度の秘密集会がありました。いつものようにサディは軽く最初の挨拶をして、その後はほとんど黙って他の人の会話を聞いていました。サディが何も言わなくても、みんながもう勝手にロン・リーへの非難を始めるからです。そしてサディは、面白がってその様子を眺めていました。

(ふっふっふ、操り人形が踊り始めたぞ、“正義”の仮面を被らされてな。踊れ踊れ、もっと舞い踊れ!正義や善意なんて、所詮自己満足だ。)

 一通りロン・リーへの悪口が済むと、落ち着きを取り戻したピグマリオが言いました。

「さて、あの厄介者じゃが、今後どう始末をつけたらよいものかな?」

 バニティが真っ先に手を上げました。

「おらにいい考えがあるんだな。奴をマンダーラ川に流すんだな。あとはバイバイだな。」

 アニーマは眉をひそめて言いました。

「泳いで戻って来たらどうなさいますの?可愛い子供達が犠牲になるじゃありませんか。」

 ルサンチが喉に手を当てて言いました。

「取っ捕まえて、縛り首にしてやれ。」

 多くの者がそれに賛同して、大騒ぎになりました。しかしピグマリオは立ち上がってそれを制しました。

「こらこら、みんな静かにするのじゃ。よいかな?ギマンの森の掟では、『鳥獣を殺すな』とある。いかにあの憎っくきオオカミといえども、この森で殺すことはならんのじゃ。」

 次にバナムが立ち上がりました。

「ですがピグマリオさん、殺さずに追放するとなると、奴はトラが率いるサイコピア軍団をここへ送り込んで来ますよ。」

「だから厄介なんじゃ。どうしたらいいもんかのう…」

 ピグマリオは腕組みをして、他の者は天を仰いだり下を向いて黙り込んでしまいました。

 サディは自分の出番とばかりにその沈黙を破って立ち上がりました。

「いいですか、皆さん。その件に関しては俺様に作戦があります。秘密が漏れないように今は内緒ですが。ただ、この作戦の成功の鍵を握っているのはエッセパルです。彼をハデス騎士団の仲間にすることが出来れば、事は上手く運ぶんですが…。マラド、この件はどうなってる?」

「ああ、それが…、なかなか上手くいかなくて…」

「うん、仕方がないよ。ここは一つ、俺様の登場といくか。皆さん、何度も言いますが、これが上手くいくまであの“黒い悪魔”とは親しいふりをお願いします。」

 そうは言うものの、実際は嘘や演技の上手い者は少ないので、『嫌い』という感情はすでにロン・リーに伝わっていました。ただ身に覚えがないことなので、ロン・リーは自分の心に蓋をしてしまいました。また、エッセパル一人が味方なら、どんな困難でも大丈夫だとも思っていました。



 数日後、サディはロン・リーの元を訪れ、いつものように口角だけを上げて笑顔を作りました。

「よう、ロンちゃん、遊びに来たよ。」

「おお、サディ、よく来たな。遠慮しないで入れよ。」

 サディは中へ入って座るとすぐに瓢箪を出しました。

「ロンちゃん、これ、葡萄の酒だよ。俺様はこれが一番美味いと思うんだ。だからロンちゃんも喜ぶかなぁと思って持って来たんだよ。」

 サディは下調べをして、ロン・リーの好みを知っていたのでした。そうとは知らないロン・リーは、サディが自分と同じ酒が好きなのだと思い、一気に親近感を覚えました。

「えっ、オイラも葡萄の酒が大好きなんだ!わざわざ持って来てくれたのか。ありがとう。」

「いやいや、そっちこそ遠慮はいらないよ。さあ、飲もうぜ。」

 サディは当たり障りのない雑談から始めて、一時間ほど経ってからいよいよ核心に迫りました。

「どうだい、『カマユデ』の様子は?」

「うん、相変わらず毎日楽しいよ。サディは歓迎会以来、まったく『カマユデ』に姿を見せないなぁ。たまには遊びに来ればいいのに。まあ、よく森で会うからいいけどな。」

「ああ、実は嫌いな奴がいてね…。いつだったか元猟犬のケルベロスが出入りしてただろ?」

「ああ、あいつはオイラも大嫌いだ。以前オイラとケルベロスと二人で話をしたことがあるんだ。その時、パリプータは何を考えているか分からないだとか、シャーデンの話はつまらないとか、エッセパルはプライドばかり高くて偉そうで人を見下しているとか言ってたからね。とうとう喧嘩になって、それから『カマユデ』には来なくなったよ。」

 当然サディはロン・リーとケルベロスが喧嘩別れをしたことを知っていましたが、喧嘩の理由までは知りませんでした。

「へえ、そんなことがあったんだ。元々エッセパルとロンちゃんは猟犬が嫌いだもんなぁ。」

「うん。それでさぁ、ケルベロスがそう思っていたってことは、他の人も同じように感じているんじゃないかと心配なんだよ。」

「確かに、エッセパルにはそういうところがあるよなぁ…」

「うん、エッセパルには気を付けてもらいたいね。本人には言わないけど。」

 そこまで聞いて、サディの目は鈍い光を放ちました。

(言った、ついに言ったぞ!確かにこの耳で聞いたぞ、奴の地獄へのレクイエムを!)

 そう思うと、サディの口角は自然と上がっていました。

 しかし、ロン・リーにはその表情が不自然で不気味に感じられました。それは以前何度か経験したことのある危険な香りでした。しかし、サディの不思議な魅力に惑わされて、その感覚を心の奥に閉じ込めてしまいました。



 次の月の秘密集会が始まる前に、サディはエッセパルの元を訪れました。サディはわざと深刻な顔を作って言いました。

「エッセパル、ちょっといいかな?大事な相談があって、付き合ってもらいたい所があるんだけど…」

「どうしたんだ?深刻な顔して。恋愛の悩みか?あちこちに恋人を作るからそうなるんだぞ。」

「それじゃなくてさ、実は、エッセパルにも関係する大事なことなんだ。ここじゃまずいから、とにかく一緒に来てくれないか?」

「ああ、分かった。」

 二人はどんどん北へ歩いて行って、馬鹿ヶ谷に向かいました。二人が着いたときには、キョゲンの滝にはすでに大勢集まっていました。思いもしない目の前の光景に、エッセパルはかなり動揺しました。

「な、何だ、この集まりは⁈三長老に、クリスタル会に、農園の連中と、マラドにケルベロスまでいるじゃないか!」

 マラドは少し申し訳なさそうに言いました。

「すまない、エッセパル。これには色々と深い事情があってな…」

「深い事情⁇」

 サディはエッセパルの肩を叩きました。

「ま、とにかく一旦座って。」

 サディはエッセパルのすぐ隣に座りました。

「…実はさぁ、これから、君にとって辛い話をしなきゃならないんだよ。」

 冷静を装っても、エッセパルの鼓動は強く早く脈打ちました。

「俺にとっての辛い話?どういうことだ?」

「色々考えたんだけど、やっぱり俺様は黙っているわけにはいかないと思ってね。実は、陰でエッセパルの悪い噂を流している奴がいるんだ。」

 エッセパルの両目がつり上がりました。

「ほう、どんな噂だ?」

「『エッセパルは、普段は冷静さを装って紳士気取りだけど、本当はプライドが高くて傲慢で、いつも偉そうに人を見下す嫌な野郎だ。あいつと関わるとろくなことがないから、奴には気を付けた方がいい。エッセパル本人には言わないけど。』って、俺様は直接そいつから聞いた。」

 エッセパルの頭の中が、一瞬真っ白になりました。それでも懸命に平静を保って聞きましたが、言葉には怒気が含まれていました。

「…誰だ、そいつの名前は?」

 サディはエッセパルの目をまっすぐ見つめたまま、ゆっくりとした口調で答えました。

「そいつの名は、ロン・リーだ。」

 エッセパルは思わずサディをにらみつけました。その後おもむろにサディから目線を外して、虚ろな瞳を虚空に漂わせました。信じられないという思いと、信じたくないという思いが頭の中を飛び交いました。しかし、信頼していた気持ちを裏切られたという深い傷はすぐに憎悪へと変わり、人として大事なものを粉々に打ち砕きました。そしてエッセパルは拳を固く握りしめて、声を震わせました。

「あの野郎、俺には友達面をしておきながら、裏ではそんなことを言っていたのか…。信じていた俺が馬鹿だった。」

 サディはエッセパルが堕ちたことを確信しましたが、さらに追い討ちをかけました。

「エッセパル、辛い気持ちはよく分かる。だけどな、奴は君の悪口だけじゃなくて、ここにはいないけどパリプータやシャーデンやブンブクさんのことまで陰口を言ってたぞ。俺様はこの耳ではっきりと聞いた。きっと奴は他にも色々悪口を言ってるんだろうなぁ…」

「ああ、そう言えば以前あいつはシャーデンのことを『石頭』って言ってたな。ルサンチさんやバナムさんや、そうだ、サディのことも言ってたぞ。『ど派手で軽薄で、口先だけの性悪だ』ってな。」

 ムッとして、サディは一瞬言葉を詰まらせました。

「…だろ?エッセパル、悪い事は言わない。奴とは縁を切って、俺様達の味方になってくれないか?」

 エッセパルは少し冷静さを取り戻して周囲を見回しました。

「…味方って、そもそも、何でこんなに集まっているんだ?」

「実は、奴はサイコピアのスパイだ。奴はいずれギマンの森にサイコピアの猛獣軍団を引き入れるつもりなんだ。それを阻止するために、俺様がこの『ハデス騎士団』を極秘裏に結成したというわけだ。」

「…スパイって、あの馬鹿が?」

「ああ、見てみろ、俺様の喉の傷を。サイコピアで俺様は危うく奴に食われそうになったんだ。」

「ただの喧嘩じゃなかったのか?」

「本気で襲われたよ。『お前を食ってやる』って言われてね。何とか許してもらって難を逃れたその夜、サイコピアで宴会があってな、奴は美味そうにたらふく肉を食っていたぞ。肉の味を思い出した奴はリビド王に近付いて、『ギマンの森にもたくさんの動物達がいますよ』って……」

 サディはエッセパルから目線を外して、遠くをぼんやりと眺めました。エッセパルはその後に続く言葉を瞬時に思い浮かべました。

「つまり、密約を交わしたということか。…ということは、あいつが俺に話したことは全部嘘だったのか⁈」

「これだけ色々と陰口を言う奴だからなぁ、まあ、信用出来るかどうか…」

「そうか⁈あいつ、肉がどうしても食いたくてサイコピアに行ったのか!そしてここでも肉が食えるようにトラを引き込むという算段か。あの野郎、許さん!」

 憎しみに取り憑かれたエッセパルには、もはや真実が歪んで見えました。

「どうして今まで俺に黙っていたんだ⁈」

「だって、エッセパルは奴の親友だろ?もし秘密がバレたら、俺様達『ハデス騎士団』の計画が水の泡になるじゃないか。」

「『親友だった』だ。この森を守るためにも、これからは俺もハデス騎士団に加わる。そしてどんな道でも、俺は楽な道より険しい道を選ぶつもりだ。で、どんな計画だ?」

「まずは奴にバレないように、ブンブクさんとシャーデンとパリプータを味方にして欲しい。」

「ブンブクさんはまだしも、シャーデンとパリプータは正直者で演技が下手だ。いくら馬鹿なロン・リーでも、さすがにバレるぞ。」

「直接奴を攻撃しなければいいのさ。毎日親切そうに接しながら遠回しに嫌味や意地悪を言って、心の疲れを待つんだ。もうすでに奴は少し違和感を感じているはずだ。これからは徐々に攻撃を強めていく。だが、面白いもんで思い込みってのはなかなか取れないんだよ。自分が思い込んだものと違う現実が現れると、一旦頭が混乱してごちゃごちゃ考え込むけど、最終的には『そんなはずはない』って自分に言い聞かせるんだ。特に馬鹿なロン・リーはね。そうやって毎日悩ませて少しずつ心を削っていくと、段々自分を責めるようになって、いつか心がポキッと折れちまうのさ。そこを見計らってみんなで一斉にボコボコにしてやるんだ。そこで本当は周りは敵だったと気付かせてやれば、奴の心は崩壊する。一回でもそうなると、奴はもう立ち上がれない。廃人になって、後は自分自身にさようならってわけだ。これなら誰も奴に襲われることなく、掟にも背かなくて済む。」

「なるほど、面白そうだな。早速明日から取りかかるとしよう。あの野郎にはいつか必ず筋を通させてやる。サディ、マラド、手伝ってくれ。」

 エッセパルのニヤッと笑った顔は、この世のものとは思えないほど歪んでいました。



 ある日ロン・リーが喫茶『カマユデ』に行くと、もうすでにいつもの仲間がそろっていました。ブンブクは何事も無かったように「いらっしゃい」と声をかけましたが、店の雰囲気には殺気が漂っていました。すぐに変だとロン・リーは察しましたが、話し始めるといつものように会話が続くので、自分には関係ないことだと思いました。

 会話はいつの間にかクリスタル会と農園の話に移りました。エッセパルは邪気を含んだ眼差しで、ロン・リーに話しかけました。

「なあ、ロン・リー、俺は明日からクリスタル会を手伝おうと思うんだ。」

「何かあったのか?急にそんなこと言い出して。」

「いや、俺もそろそろこの森の役に立とうと思ってな。いつまでも“厄介者”でいるわけにもいかないだろ。」

 マラドはそれを聞いてニヤッと笑いました。

「俺は農園でシャーデンと一緒に働くよ。“邪魔者”になりたくないからね。水運びや耕すのは出来ないけど、虫を取ったり種をまくのはお手のものだ。誰でも、何かしら取り柄があるものだよ。なあ、パリプータ。」

 パリプータは我慢出来ずに怒鳴ってしまいました。

「僕は食べられないぞ!」

 場は一瞬凍りつきましたが、慌ててエッセパルがごまかしました。

「な、何を食べられないのかな?…そうか、君は草食だから、クリスタル湖の魚は食べられないよなぁ。残念だなぁ、おみやげに持って行こうと思ったんだけど、俺が“馬鹿”だった。そう言えば、シャーデンはあの“石頭”には会ったかい?」

「ああ、ケルベロスかい?昨日会って話をしたよ。」

 ロン・リーと仲の悪いケルベロスの話題を出すように、エッセパル達は前もって打ち合わせていました。エッセパルはそれを少しも表に出さずに言いました。

「あの“厄病神”に会うとは、シャーデンも運が悪いねぇ。早くどこかへ消えてもらいたいよ。なあ、ロン・リー?」

 自分のことを言われていると知らないロン・リーは、ごく普通に答えました。

「この森は広いんだから、住み分ければそれでいいんじゃないか?ねえ、マスター。」

「私もこの間ケルベロスに会いましたよ。元気そうでした。」

 みんなケルベロスとは仲がいいんだろうかという疑念が、ロン・リーの心の中にもやもやと渦を巻きました。それを見透かすように、エッセパルはニヤつきながら言いました。

「俺にとっては、あいつはただの“残念な奴”だ。あんな“役立たず”とは、付き合いたくもない。ロン・リーも、この森で何か役に立った方がいいんじゃないか?」

「ああ、オイラも何か考えとくよ。」

 この日は少し早めに、みんなは家路につきました。

 サディの近所に住んでいるマラドは、サディの家に立ち寄って、いつものように今日の様子を伝えました。二人は「ア〜ッハッハッハ」と涙を流しながら大笑いしました。そして、サディはお腹を押さえながら言いました。

「それでいい、それでいい。みんななかなか上手いじゃないか。この調子で続けてくれ。」

「サディの言った通り、やっぱりあいつは馬鹿だったね。周りが全員敵だとも知らずに。俺は途中で何回も笑いそうになったよ、アッハッハ。」

「あとは奴の心が潰れるのを、ただじっと待っているだけだ。『果報は寝て待て』っていうだろ?」

「早く“その日”が来ないかなぁ。」

“その日”は少しずつ近付いて来ました。

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