六、猿芝居
サディが山を越えてギマンの森にやって来たのは、春のはじめの頃でした。数週間ほどかけて山を越え、まだ雪の残る山の裾野でサディは夜明けを待っていました。やがて空は茜色から薄い青へと、段々と明るさを増していきました。
「ふう〜、何とか越えられたな。ここがギマンの森か。…何だ、やっぱりただの森じゃないか、面白くねえ。」
サディは背負った荷物を置いて岩に腰掛けました。
「おい、エニグマ、エニグマはいるか?」
「はい、ここでございます。」
エニグマは近くの枝にとまりました。
「ここの様子はどうだ?」
「はい、クマのピグマリオ、ヤギのルサンチ、イノシシのバナムの三長老がおりますが、中心的なのはピグマリオのようです。三人とも正義感が強く、特にピグマリオは人望があって人を見る目もありそうなので、お気を付けた方がよろしいかと思います。」
「うん、なるほど。だが、いかにピグマリオといえども、俺様にかかればどうかな?で、他の二人は?」
「二人とも正直者で裏表がありません。更に二人とも口が達者なので、味方に引き込めばスピーカーとしての役割を大いに果たしてくれるでしょう。それと二人とも短気でプライドが高く、どうもお互いに憎みあっているようです。」
「ふん、口が達者か、俺様ほどではないだろうがな。人たらしじゃないのなら問題ない。しかも指導的な立場の奴となれば知り合いも多いから、利用する価値が大いにありそうだな。憎しみを持っている奴ってのは視野が狭くなるし、正義感ってのは強ければ強いほど悪者とされた奴を排除したがるからなぁ、その分操りやすくなるってことだ。付け入る隙はここにある。まぁ、この二人は少しプライドをくすぐってやれば、簡単に落ちるだろう。で、ロン・リーの周囲はどうだ?」
「交友関係は狭いようですが、毎日夕方頃になると、『カマユデ』という喫茶店に行っています。そこに集まるメンバーは、店主でタヌキのブンブク、キツネのエッセパル、シカのシャーデン、ウサギのパリプータ、カラスのマラドです。」
「それぞれの特徴は?」
「ブンブクは老練で、知識や経験が豊かで演技も上手いのですが、損得に敏感なようです。」
「うん、損得勘定が得意ってことは、得だと思わせたり損だと思わせれば簡単に裏切るな。次は?」
「エッセパルはロン・リーの親友で、冷静で思慮深く、賢いようです。その上義理堅い性格も持ち合わせています。」
サディは腕を組んで少しうつむきました。
「う〜ん、こいつは厄介だな。時間をかけて慎重に、じっくりと攻めるしかなさそうだ。ここが落ちるかどうかが、俺様の計画の成功の鍵を握っている。ただ、一度落ちればその義理堅さがあだになって、俺様に義理を尽くして、ロン・リーのことを激しく攻撃するようになるだろうな。次は?」
「シャーデンは正直で努力家で真面目な性格ですが、考え方が固いようです。」
「うん、こいつは簡単だな。すぐに洗脳されるだろう。洗脳してしまえばこっちのものだ。次は?」
「パリプータはおとなしくて臆病な性格で、以前いた森ではいじめられていたようです。」
「うん、いじめられていたか。…っていうことは、いじめる奴に対して憎む心が深いってことだ。ここにつけ込む隙があるな。それに臆病な奴ってのは集団の意見に従いやすい。そういう状況を作ってやれば、コロッとひっくり返る。次は?」
「マラドは、サディ様ほどではありませんが、口が達者で嘘や演技が上手く、嫉妬深い性格のようです。」
「俺様に似ているなぁ。裏切らせてスパイにすれば、さぞ役に立つだろう。う〜ん、攻略の糸口はマラドだな。エニグマ、まずマラドを味方に付けろ。」
「はい、もうすでにマラドとは仲良くなっております。」
「ほう、さすがエニグマ、仕事が早い。マラドのことはお前に任せた。だが、マラド以外にはお前の存在を知られるなよ。」
「分かっております、サディ様。今は下ごしらえの段階でございましょう。」
「うん、その通りだ。一人一人、確実に、こっそりとな。俺様はまず三長老に取り入るとしよう。さてと、いよいよ本番舞台の始まりだ。」
サディは立ち上がって荷物を背負い、遠くに高くそびえる万年檜を目指して歩き始めました。
昼下がり、冬眠から覚めてまだ日の浅いピグマリオが、大きなあくびをしながら万年檜の前で伸びをしていました。そこへ突然声をかける者がおりました。
「どうも初めまして、サドマックナールプサイと申します。」
ピグマリオが振り返って見ると、サディは深々と頭を下げていました。
「…サ、サド…何だって?」
頭を上げたサディの顔は、人懐っこい笑顔が満開でした。
「サディで結構です。この度、俺様はこの森に住みたいと思いまして、ご挨拶に伺いました。」
「…そうか、わしはこの森の長老をしとる、ピグマリオじゃ。この森には三人の長老がおってな、ヤギのルサンチとイノシシのバナムじゃ。」
「会ってはおりませんが、存じております。」
「ふむ、ではこの森には三つの掟があってだな…」
「それも存じております。俺様は菜食主義なので、どうかご安心を。」
「…誰か、紹介者がおるんじゃな?」
「さすが長老のピグマリオさん、鋭くていらっしゃる。実は最近ロン・リーと知り合いになりまして、それでこの森の伝説やら掟やらクリスタル会のことやら色々と聞きまして、どうしてもここに住みたいと思ったのでございます。」
サディは本心を悟られまいと、再び頭を深く下げました。
「そうじゃったか、ロン・リーと知り合いじゃったか。」
「はい、裏のことまで色々と…」
サディはピグマリオの表情をチラッと観察しながら、わざと勿体ぶりました。
「裏じゃと⁉︎」
「…あっ、いえ、何でもございません。つきましては、こちらの物をお受け取りいただきたいのですが…」
サディは荷物からいくつもの小袋を取り出しました。
「これらは色んな種類の果物や野菜の種でございます。失礼ながら、俺様の伺いましたところ、この森には質素な食べ物しかないとのこと。どうか農園を切り開いて、これらの種をまいて育てて、さらに豊かな森になってくれたらと思います。」
ピグマリオはすっかりサディに感服してしまいました。
「おお、これはありがたい。何と素晴らしいアイデアじゃ!早速農園を作るとしよう。」
「迅速なご判断、ありがとうございます。」
「いやいや、こちらこそ礼を言うぞ。来て早々にこの森の役に立ってもらえて、本当にありがたいことじゃ。ではまず他の長老達を紹介しよう。誰かおらんか?サディを案内してやってくれ。」
「いえいえ、結構です、それには及びません。この森の散策がてら、俺様が自分で長老達を訪ねます。ですので、農園のことは、ピグマリオさんにお任せしてもいいですか?」
「うむ、分かった。早速取りかかるとしよう。」
「それでは俺様はこれで。」
サディはまた深く頭を下げながら、心の中でほくそ笑みました。
(ふぅ、上手くいったな。第一関門突破だ。さてと、俺様は別の種をまきに行くとしよう。)
サディはその足でルサンチとバナムの元へと向かいました。
広場を離れて西に向かうと、クリスタル湖へと通じる獣道がありました。草地から森林地帯を縫うように道を進むと、向こうから白いヤギが近づいて来ました。エニグマの情報はいつも正確だと感心しながら、サディは声をかけました。
「もしかして、ルサンチさんですか?」
「そうだけど、お前、見かけない顔だな。」
「そりゃそうですよ、今日この森に来たばっかりですから。俺様はサドマックナールプサイ、サディと呼んでください。」
「そうか。で、ピグマリオさんには挨拶したのか?」
「はい、先程。で、次のご挨拶ということで、この森で評判の高いルサンチさんを訪ねて来たというわけです。こちらはお近付きの印にと思いまして…」
サディは袋の中をごそごそと探って、マンゴーのドライフルーツを取り出しました。もちろん甘美な極上の微笑みを添えて。
「俺にくれるのか?何だこれ、果物か?初めて見る果物だなぁ。お前なかなか気の効く奴だな。だけど俺にはこんな贈りものなんてしなくていい。俺の食い物はそこら中に生えているからな。ま、何か困ったことがあったら、何でも俺に相談してくれ。力になってやるよ。」
「ありがとうございます。」
サディは大げさに感謝しながら頭を下げました。そして今度はルサンチの耳元でささやきました。
「早速なのですがルサンチさん、実は…、この森に大きな危機が近付いておりまして……」
「何!危機だと⁈一体どんな危機だ?」
サディは動揺するルサンチの心を見透かしながら、心の中ではほくそ笑んで、顔は真剣な表情で言いました。
「しーっ、お静かに。ここでは誰が聞いているか分かりません。とっても大事な話なので、誰にも知られないように“秘密の場所”で話しませんか?」
サディにつられて、ルサンチもささやきました。
「分かった。どこで話す?」
「万年檜の広場から北へ二時間ほど行くと、『馬鹿ヶ谷』という渓谷があって、そこには『キョゲンの滝』という滝があります。」
「うん、知ってる。お前、今日来たばかりで、やけに詳しいな。」
「もちろん、非常に重大なことですから、下調べはバッチリとやっていますよ。今日、陽が沈んだらそこにいらしてください。大事な話はその時に。では、俺様はこれで。」
サディは元来た道を引き返して、バナムに会いに行きました。バナムは広場のすぐ近くに住んでいますが、その時はあいにくと留守でした。
「なんだ、留守か。仕方がない、地面にメモを書いておこう。」
そこには、『夕暮れ時キョゲンの滝にて待つ、他言無用 サディ』とだけ書かれていました。
「さてと、俺様は一足先に行って、のんびり昼寝でもするか。」
東の空が暗くなり始めた頃、バナムはキョゲンの滝の前の大きな岩の上で寝ている金色のサルを見つけました。バナムが揺り起こすと、サディはぱっちりと目を開きました。それと同時に、満面の笑みを浮かべたバナムがマシンガンのように話し始めました。
「あなたがサディさんですよね。黄金のサルだって聞いたからすぐに分かりましたよ。私は三長老の一人、バナムです。昼間私の家に来てくれたみたいなんですけど、急に広場の南側に農園を作ることになりまして、開墾作業の希望者を集めるためにあちこちと駆けずりまわっていました。留守で申し訳なかったですね。ピグマリオさんから聞きましたよ、この森のために貴重な種をたくさん持って来られたんですってね。この森に今まで見たこともないような野菜や果物が出来るなんて、考えてみただけでワクワクしますよ。早く収穫したいですよねぇ。もうこの森では、サディさんの噂で持ち切りですよ。」
「その噂を広めたのはあんただろ!」という言葉を飲み込んで、サディは深く頭を下げました。
「どうも、初めまして。バナムさん、行動が早いですねぇ、さすがです。ところで、ここに来られることは、誰にも知られてないですよね?」
「もちろんですよ、他言無用と書いてありましたからねぇ。で、どんなご用件なんですか?」
「実はですねぇ、重大なことが…」
サディがそう言いかけたとき、後ろから大きな声がしました。
「おい、サディ、お前の横にいる奴は『おしゃべりバナム』じゃないか。大事な話があると聞いてやって来たのに、これは一体どういうことだ。」
バナムもカッとなって言いました。
「何を言うんです、『早口ルサンチ』さん。私も何の用事か分からないけど、ここに呼び出されたんですよ。」
サディは慌てて二人を止めました。
「まあ、まあ、まあ、お二人とも落ち着いてください。この森の将来に関わる重要なことなんです、お静かに。このままではこの森が危ない、そう思って俺様はこの森に来たんです。ここでは誰かに聞かれるかも知れませんから、滝の中へどうぞ。」
三人が滝をくぐると、その奥は洞窟になっていました。
「こんな所があるなんて…」
「私も長いことこの森に住んでいますが、これは知りませんでした…」
口達者な二人でしたが、しばらく黙り込んでしまいました。サディは辺りを見回している二人を奥へと誘って、話し始めました。
「さてと、ここならいくら大きな声を出しても、滝の音でかき消されるから心配はいりません。」
ルサンチは急に薄気味悪い気分に襲われました。
「お前、一体何者だ?長年この森に住んでいる俺達も知らないことを知っているとは。」
サディは落ち着き払って、堂々と答えました。
「俺様はサイコピアから来ました。こっちの森でいう“別の世界”です。」
「…ああ、ロン・リーが行ったらしいな。」
「詳しいことは、私達も聞いていません。」
サディは、ロン・リーがこの二人を避けていると確信しました。
「サイコピアはここ以上に豊かな森で、強ければ何でも自由に手に入れることができます。その代わり、弱い奴はすぐに食われます。俺様もあの森で生きて行くには、常日頃から色んな情報を集めなきゃならなかったんです。それでこの森のことも調べさせてもらいました。というのは、実はロン・リーが数ヶ月前にサイコピアに来ましてね、この俺様を食おうとしたんですよ。」
サディは上を向いて喉の傷跡を二人に見せました。そしてまずルサンチに聞きました。
「この森の掟では、動物を食べることは……?」
「…き、禁止されている。」
「ですよね?ヒノキ神に誓ってからじゃないと、この森に住めないんですよね?」
次はバナムに聞きました。
「…そ、その通りです。」
「なのに見てください、俺様のこの傷を!これだけじゃないんです。俺様が危うく難を逃れたその夜、サイコピアのトラの王との宴会がありまして、王と仲良くなったロン・リーの目の前にはヒツジの肉が山盛りにあって…、きっとヤギやイノシシの肉も……」
サディは少し遠くを眺めました。そしてチラチラと二人の顔色を確かめながら、ぼんやりとほのめかしました。
「…食ったってことか?」
「…掟を破って?」
それには答えずに、サディは続けました。
「王の名はリビドというのですが、そのリビド王とロン・リーはとても相性がいいみたいで、ロン・リーは大変リビド王に気に入られまして…、サイコピアに住まないかと……」
サディはまた遠くを見やりました。
「何だって⁈」
「でも、ロン・リーは今もこの森にいるじゃないですか。」
サディは視線を下げてバナムをじっと見つめました。
「そこなんですよ、バナムさん!リビド王に気に入られて『サイコピアに住め』とまで言われているのに、どうしてロン・リーはギマンの森にいるんでしょうか?肉が食べ放題の森を捨てて、どうしてこの森に戻って来たんでしょうか?おかしいと思いませんか?実は……」
サディは次にルサンチを見つめました。
「奴はリビド王を、この森に引き入れるつもりらしいのです。」
ルサンチとバナムは無言でお互いを見つめました。
「この森には古い言い伝えがありますよね。『黒い者は災いをもたらす』とか『仮面を被る者がトラを引き入れる』とか、まさに“黒いロン・リー”そのものじゃないですか。きっと奴はこの森でも肉を食いたくてたまらないはずですよ。だからリビド王をこの森に引き入れて、この森の動物達を食い尽くそうとしているんです。どうか奴に騙されないでください。ルサンチさん、バナムさん、お二人ともいがみ合っている場合じゃないんですよ。手と手を取り合って、みんなで協力しないと、あの恐ろしい伝説が蘇るんですよ!ちなみに、サイコピアには暴れまわる巨大なゾウや何でも飲み込むアナコンダ、それと噛み付いたら骨をも砕くワニもいます。」
ルサンチとバナムの心の中に、言い知れない恐怖と、この森を守らねばという使命感と、ロン・リーに対する激しい憎しみが植え付けられました。
「あいつが戻って来たのは、そういうことか。許さん!」
「こりゃ大変ですよ、ピグマリオさんにはこのことを知らせたんですか?」
「いや、まだです。今日来たばかりの俺様が言うよりも、お二人から伝えた方が説得力が増すでしょう。後でピグマリオさんに伝えておいてください。しかし、あくまでも内密に。秘密がロン・リーにバレると、奴の企みを潰すことができませんからね。ロン・リーに気付かれないように、こっそりと、一人づつ仲間を増やしていきましょう。それまでは、ロン・リーとは仲のいい“ふり”をしておいてください。」
「分かった。三長老の名にかけて、この森を守ってみせる。」
「私も協力は惜しみませんよ。出来る限りのことを尽くしましょう。」
ルサンチとバナムの真剣な眼差しを見て、サディはほくそ笑みました。
「ありがとうございます。それじゃあ、我々の結束を固める意味でも、何かグループ名を付けませんか?」
少しの間考えて、ルサンチが答えました。
「清く正しく美しいという意味で『クリスタル同盟』はどうだ?」
バナムは賛成しかねるように言いました。
「クリスタルって、クリスタル会から取ったんですよね。なんだか安易というか、紛らわしいというか…」
「何だと!俺が一所懸命考えたのに、安易とはなんだ、安易とは!」
「だって安易じゃないですか。」
「だったらお前も少しは何か考えろよ!」
二人の喧嘩が始まりそうになったので、サディは間に入りました。
「まあまあお二人さん、そうカッカしないでくださいよ。さっきも言った通り、我々がもめている場合じゃないんですよ。ここは一つ、俺様の案も聞いてください。ロン・リーを葬るということで、冥界の神ハデスにちなんで『ハデス騎士団』ってのはどうです?」
「秘密結社『ハデス騎士団』か、なかなかいいじゃないか。」
「私も賛成です。それじゃあ、この洞窟は『ハデス洞』と呼ぶことにしましょう。」
こうして、“馬鹿ヶ谷の陰謀”の幕は切って落とされました。
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