五、毒意を隠して
夕陽が沈んで、紫色の天に星々が瞬き始めました。居眠りから覚めたロン・リーが、もう頃合いだろうと思って桃の木に戻って来ると、すでに宴会は始まっていました。桃の木の周りでは大小様々な動物達が幾重にも輪を描いて、飲めや歌えの大騒ぎをしておりました。桃の木の下には、一際大きなトラがすでに酔っ払って、「ガハハハハ」と大笑いを響かせていました。
輪の外にいるロン・リーを目ざとく見つけたサディは、リビド王の横から大声で呼びました。
「ロンちゃ〜ん、こっちこっち!」
手招きに応じてロン・リーが近付いて来る間に、サディはリビド王にそっと耳打ちをしました。
「例の件、お間違いなく。」
「ああ、分かっておる。」
ロン・リーが『がやがや騒ぎ』をかき分けて来ると、リビド王の前にはヒツジの肉が山のように置かれていました。その時ロン・リーの目が肉に釘付けになっているのを、サディは見逃しませんでした。
「リビド王、彼がギマンの森から来たというロン・リーです。ロンちゃん、こちらの方がリビド王だよ。」
ロン・リーはペコリと頭を下げました。
「遠路遥々よう来た。ギマンの森にも動物はたくさんおるのか?」
「まあ、ここほどじゃないけど、結構いるよ。」
「そうか、遠慮はいらん、存分に楽しんでいってくれ。サディ、酒だ、酒を持って来い。」
「はい、ただいま。」
サディは振り向いて手下のサルに言いました。
「おい、そこのお前!リビド王とロンちゃんに酒を持って来い。“たっぷり”とな。」
目の前に大量の酒が運ばれてきて、乾杯が始まりました。リビド王は大きな肉を大量の酒で一気に流し込んで、また「ガハハハハ」と笑い出しました。サディもそれに合わせて一緒に「キキキ」と笑いました。
「お見事な食べっぷりと飲みっぷりですなぁ!あなた様にはかないませんよ。ロンちゃん、君も酒と一緒に肉を食べなよ。」
「いや、オイラはいいよ。掟があるんでね。」
「ここはギマンの森じゃないよ。ほら、ほら。」
サディはロン・リーにヒツジの肉を差し出しました。
「いらないよ。ヒノキ神に誓ったんだから…」
「サイコピアには神なんていないよ。さあ、さあ、ほら、ほら。」
我慢しているロン・リーの心をいたぶるように、今度はサディはヒツジの肉をロン・リーの鼻先に近付けました。思わずカッとなって、ロン・リーは怒鳴りました。
「いい加減にしろ!ヒツジの代わりにお前を食うぞ!」
「アハハハ、冗談だよ、冗談。ロンちゃんは怒りん坊だなぁ。まぁ、“菜食主義者”どうし、一緒に酒をパ〜ッと飲もうじゃないか。」
そう言い終わると、サディはロン・リーの“目の前”にヒツジの肉を置きました。ロン・リーはフゥッとため息をつき、果物にかじりつきました。
リビド王は大酒を重ねながら二人のやり取りを面白がって見ていました。そして、かなり酔ってしまったリビド王は気が大きくなっていて、あの“計画”のことはどうでもよくなってしまいました。
「ロン・リー、お前はなかなか骨のあるやつじゃないか。気に入った、ここに住むがよい。」
予定が狂ったサディは慌てて言いました。
「リ、リビド王、例の…あれは…いかがいたしましょう。」
「うん?もうよい。俺はヒツジと酒で腹がいっぱいだ。それよりもサディ、“例の物”を持って来い。」
「肝心な時に、このマタタビ中毒の役立たずが!」と心の中で叫びながら、サディは手下に命じました。
「おい、リビド王に“あれ”を。」
間もなくマタタビが運ばれて来ると、リビド王は待ちきれずにマタタビを奪い取り、頬に擦り付けました。
「おお、これこれ、これを待っておったぞ!」
そう言うと、リビド王はごろりと横になって、くねくねと大きな体を揺り動かしました。
「サディ、これは何なんだい?」
サディは呆れた顔に悔しさをにじませて言いました。
「ああ、いつものことさ。リビド王はこれが大好きでね、どうも猫族にだけ効くみたいだ。こうなると、もう何を言ってもだめだ。」
「へぇ〜、猫族にだけねぇ。…そういえば、タナトスっていうヤマネコがこっちに来なかったかい?」
果物に伸ばしたサディの手が、一瞬止まりました。
(あの馬鹿なタナトスを知っているだと⁈ロン・リーは何かを探りにここへやって来たのかも知れない。…ちょうどいい機会だ。これからロン・リーがどうなるのか、遠回しに教えてやるとしよう。)
「タナトス?いやぁ、知らないなぁ。“黒ヒョウ”のことなら、聞いたことがあるけどね…」
「黒ヒョウ?」
「うん、以前サイコピアには黒ヒョウがいたらしい。誰かを鉤爪でひっかいたり、噛み付いたりしてみんなから迷惑がられていたんだって。そのうちリビド王のマタタビにまで手を出して、それがバレたらしくてねぇ…」
「それで?」
「こいつをぶっ潰そうってことになったんだけど、何しろ相手は黒ヒョウだろ?まともにやったらこっちの被害も大きいっていうことで、まず外堀から埋めたらしい。」
「外堀?何だそれ?どういう意味?」
「そいつの周りにいる奴らを、一人ずつこっそりとそいつの敵にするってことだ。そいつにバレないように、親切なふりをさせながらね。そうなると少しづつ周りから疎まれて、あちこちからチクチクと攻撃が始まる。それがずっと続くと、訳の分からないうちにそいつはだんだんと自分を責め出して、やがて気がおかしくなってくるのさ。そして完全に頭が狂ったところで、みんなで一斉にそいつを責めたてて心を叩き潰してやるんだ。そうすると、もう二度とそいつの心は立ち直れない。あとはそいつが自分自身にご愁傷様って訳だ。これならいくら強い奴でも、周りは傷付かずにそいつを排除できるのさ。」
「そんなこと、本当にできるのかい?」
「ふふふ、風に吹かれる時もあるけど、風を起こすこともできる。何とかなるように待っているんじゃなくて、何とかするのさ。」
ニタッと口角を上げて、サディの目の奥が鈍く光りました。そしてその目で、寝込んでしまったリビド王をチラッと見やりました。ロン・リーは心の奥底で何か得体の知れないものをサディに感じましたが、それが一体何なのか、はっきりとしませんでした。ただ、自分とは心の形が全く違う生き物なのだと思いました。でもそれが、サディの個性なのだとも思いました。
「それで、ロンちゃんはここに住むのかい?」
「いや、オイラは帰るよ。明日の朝。」
サディは残念そうな顔を浮かべました。作戦をまた練り直さなければという意味で。
「…そうかぁ、まだここにいればいいのに。もっとゆっくり楽しんでから帰りなよ。」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、なんだかここはオイラのいる場所じゃないって気がするんだよね。」
「そんなにギマンの森っていい所なのかい?」
ロン・リーはギマンの森のことを、あれこれとサディに聞かせました。サディは頭の中では別の計算をしながら、上手いことロン・リーから話を引き出して色々と情報を集めました。ロン・リーの弱みは何だ、ロン・リーの心の隙間はどこだ、という思いで。
それから二人は何時間も話し込んでしまい、宴会が終わる頃には、すっかりロン・リーはサディと意気投合したものだと思い込んでしまいました。
翌朝、サディはロン・リーを見送りに来ました。
「ロンちゃん、おはよう。これを持って行きな。」
サディの両手には、二つの袋がぶら下がっていました。
「何、それ?」
「ここで採れた果物だよ。ギマンの森までは長いから、途中で食べな。」
「ああ、わざわざ気を使ってくれてありがとう。オイラの見送りの上におみやげまで、何と言ったらいいか…、君のことは忘れないよ。」
それを聞いたサディがニカッと口角だけを上げて笑いました。
「忘れさせないよ。じきに俺様も、そっちへ行くからな。」
「えっ、本当かい⁈ギマンの森に?」
「ああ、昨日の話を聞いたら、俺様も行きたくなったよ。」
「そうか、待っているよ。じゃあまた、ギマンの森で会おう。」
「ああ、必ずな。気をつけて帰れよ。」
二つの袋を背負って、ロン・リーは歩き出しました。そしてその姿が小さくなって木々に隠れてから、サディは心に溜まった毒を吐き出しました。
「ふっ、忘れてたまるか、この屈辱を!ギマンの森もやがてお前のいるべき場所じゃなくなるのさ。いや、むしろギマンの森がお前にとっての地獄となるのだ。おい、エニグマ、奴の後をつけろ。そして、ギマンの森の様子を探れ。」
ロン・リーがギマンの森に戻った頃は、まだ厳しい冬の真っただ中でした。よく晴れて透き通った青空と、森全体を覆う真っ白な雪だけが見えて、動物達の気配は感じられませんでした。冷たい風にあおられて、木々の枝に積もった雪が、時々ばさりと音を立てて地面に落ちました。
「サイコピアとは大違いだ。みんな冬ごもりをしているのかな。」
ロン・リーが喫茶『カマユデ』に着いたときには、すでに夕方になっていました。中に入ると、そこにはいつもの仲間がそろっていました。
「ロン・リーじゃないか⁈お帰り!」
「無事に戻れて何よりですなぁ。」
「秘密の抜け道はあったのかい?」
「別の世界は本当にあったのか?」
「トラはいたの?」
一斉に話しかけられて、ロン・リーは戸惑いました。
「そういっぺんに言われても、答えられないよ。ブンブクさん、まずは椎茸茶をくれないか。」
久しぶりの椎茸茶を味わいながら、ロン・リーはサイコピアでの出来事をみんなに語って聞かせました。
「へぇ、するとその金色のサルがギマンの森にやって来るのか?」
「ああ、金髪のど派手なサルで意地の悪いところもあるけど、お調子者で口が上手くて面白い奴だよ。なんだかわからないけど、あいつには不思議な魅力があるんだよ。あの口先で、あいつは今までの苦難を乗り越えて来たんだろうなぁ。」
しばらく黙って話を聞いていたエッセパルが、おもむろに口を開きました。
「なあ、ロン・リー。ずっと話を聞いていたけど、ギマンの森よりもサイコピアの方が温暖で食糧も豊富にあるんだよな?」
「うん、そうだよ。」
「それなのにどうしてギマンの森に来るんだ?わざわざ山越えという危険まで犯して。何か魂胆があるんじゃないのか?」
「考え過ぎだよ、エッセパル。確かにあっちは比べものにならないほど食べ物が豊富だけど、常に命の危険があるんだよ。食うか食われるかっていう心配は、このギマンの森にはないじゃないか。」
「う〜ん、言われてみれば、その通りか…」
ブンブクは二人に割って入りました。
「まぁ、とにかくロン・リーが無事に帰って来たんだから、それでいいじゃないですか。」
マラドはカップを高く持ち上げて言いました。
「今夜はお祝いだ!」
その夜は、遅くまで話が尽きることはありませんでした。
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