第36話 菊花展
菊花展の方は秋谷夫妻のお陰で驚くほどスムーズに事が進んだ。
徳積寺は二つ返事で場所を提供してくれたらしく、俺が挨拶に行く頃には住職がいろいろ下準備を始めてくれていた。さすがにあじさい市やほおずき市を何度もやっているだけあって、実に手慣れたものだ。
さらに言えば、この寺でも菊をたくさん育てていて、菊のことなら育て方から管理の仕方まで何でも知っているから任せてOKということだった。
俺の方がオタオタしていて、住職に手取り足取り教えて貰っていたが、そういうことで繋がりができて行くのはむしろ好ましいことに感じた。
だって俺、市の職員なんだもん! 市民に顔が広い方がいいに決まってる。
搬入の方は、鶴江さんの言っていた例の菊の生産者さんが全面的に協力してくれることになった。
それだけじゃない、その人が最古杵菊生産者組合にも声をかけて、市内の菊生産者がこぞって協力してくれることになったのだ。
確かにこの菊花展が成功して全国的に有名になれば、『菊の生産高日本一であるにもかかわらず誰にも知られていなかった』最古杵市のいい宣伝になる。『最古杵菊』がブランドとしてネームバリューを持つことになるかもしれないのだ。それは菊生産者たちも本気を出すだろう。完全ボランティアでガソリン代だけ経費から出すということであっさり話がついてしまった。こんな都合のいい話があっていいのか?
なんなんだ、俺の力が一つも働いていない状態で、どんどん企画が良い方に転がっていく。苦労もなく進んでいくことに恐怖さえ感じるが、それを伝えると幽霊は「それは想ちゃんが聞くべき時に聞くべき人に聞いてるからだよ。ちゃんと適材適所なんだよ」と言ってくれる。俺の力じゃないと思っていても、それは俺が招き入れた人脈なのだ、と。
結局、菊花展の方は俺のようなド素人がウロウロしていると却って邪魔になることがわかったので、搬入や仕込みから展示まで職人の皆さんにお任せして、俺は最終確認段階でOKを出すだけの人になっていた。もちろん全ての工程を見ながら勉強し、来年に備えることも忘れなかったけど。
そのお陰で、時間のある時は翌月のクリスマスイベントの準備に取り掛かることができた。
クリスマスイベントは最古杵出身のミュージシャンを迎え、アマチュアバンドのステージをやることになっている。
場所は鎖猪瓦公園だ。あそこには野外ステージがある。周りの木をイルミネーションで飾り、二週間くらい前から盛り上げる。
当然、サイちゃんとサイコキネンジャーも出動させる。
日程は十二月二十三日、クリスマスイブイブだ。二十四日じゃ誰も集まんねぇからな。
昼間は献血バスが来て、若い人には献血を呼びかける。献血バスのそばでは最古杵市の職員がテントを張ってサイちゃんグッズを販売する。
サイちゃんは今年のゆるキャラグランプリに選ばれそうな勢いで人気を博しているので、恐らくグッズもかなり売れるだろう。
今回は障害者作業所に依頼して『閻魔サブレ』と『極楽パン』を作って貰った。
この作業所では日常的にサブレクッキーと食パンを作っている。作業所での人達で育てた小麦を自分たちで挽いて小麦粉を作り、それをもとに作っている完全自家製のサブレと食パンなんだが、これがなかなかに美味しい。
せっかくなので、閻魔の絵と『極楽』という文字の焼きゴテを特注し、焼き印を入れることを思いついた。味なんかいつもと同じなんだけど、この焼き印を入れることで最古杵市のアピールをしようという寸法だ。
そして、俺がこうやってクリスマスイベントの事を考えているうちに、菊花展の方は搬入から設置、飾りつけまで全て終わり、イベント当日を迎えた。
ぶっちゃけ、菊花展がこんなに盛り上がるとは思っていなかった。
確かに最古杵市の広報誌十一月号にお知らせはしたよ。ジャズストリートの写真をたっぷり載せた記事のあとに、『現在準備中』っていう記事と徳積寺へのアクセスとかさ、こんなのが集まってるぜっていう軽い紹介とかさ。
だけどさ、市内は当然としても、市外はおろか、県外からホームページ見て来たって人もいるんだよ。菊ってそんなに熱狂するようなものだったの?
会場には生産者による相談コーナーも設けて(これは生産者さんから提案された)、これから菊を育ててみようという人のためのミニ講座なんかもやったんだけど、こっちも好評だったんだよな。
なんというか、菊生産者の意気込みが凄すぎて、俺の出番まるで無し。思ったよりも若い人が結構来ていて驚いた。
そして。入場者に紛れてたまに見かける幽霊の姿。アイツ何やってんだろう。なんだか普通に生きてる人みたいでおかしい。離れていてもすぐに見つけてしまう。
アイツやっぱ、ダントツで可愛いよ。
なんて思っていたら、田島さんが誰かと話しているのが見えた。親しそうなところを見ると、単なるお客さんではなくて田島さんの友達か何かだろう。きっと見に来てくれたんだ。
俺の視線に気づいたのが、田島さんが俺の方を見てその人に何か言ってる。仕事の相棒だって紹介してくれたのか、その男性がこちらに軽く会釈をするのが見えた。俺の方も軽く頭を下げておいた。挨拶に行こうかと思ったが、彼はすぐに田島さんから離れてどこかへ行ってしまった。
「田島さん、さっきの人、友達か何か?」
「あの人、私のカレシなんですよー。紹介しようかと思ったんですけど、仕事中なのに個人的な事で羽鷺さんの邪魔をしちゃ悪いからって、行っちゃいました」
「え? 田島さんの彼氏さん!」
「はい、最近付き合い始めたばっかりなんですけどね」
っていうか、田島さん、彼氏いたんだ!
そういえば、最近彼女のフレグランスが変わったもんなぁ。もしかして彼氏に合わせて変えたとか……。そうかぁ、そうだったかぁ……。
「名前は?」
「
「そ……そうですか」
何が何でもお墓に絡めてくるな……。いっそ清々しいぜ、タージ・マハルよ!
くっそ、彼氏の紹介かよ。ちくしょー、俺だって幽霊紹介したいよ。「こちら、小場家玲子さんです。俺の――」あれ? 俺の何?
俺の……。俺の部屋に住み着いている幽霊です、かな? 俺に取り憑いてる幽霊です、かな? てかそれ、紹介する必要ないじゃん。
そうじゃなくて、仕事の相棒の小場家玲子……って、俺の相棒は田島さんじゃん。
俺、一体なんと言ってアイツを紹介したいんだろう。わかんなくなってきた。
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