第31話 菊、なめんな

 春のクラシックイベントと夏のマーチングイベントの成功によって、俺の担当するイベントが急に増えた。

 菊の出荷日本一を宣伝するため、最古杵市菊花展を開くことになったのだ。


 いやいやいや、ちょっと待てよ。よくわからんけど、菊ってさ、春からずっと育てる訳でしょ? それをお盆過ぎた今頃に「やりまーす」って言いだして間に合うわけ?

 そういうのに出品するような人達って、ほんと前年の冬から準備したりしてんじゃないの? 知らんけど。


 という、我ながら非常に珍しく至極真っ当な意見を突き付けたわけよ。言い出しっぺの最古杵市長に。思い付きで無茶振りされて困るのは、現場の人間だからね、冗談じゃねえよ。

 そしたら、その場にいた年寄り連中が一斉に同じセリフを口にしたんだよ。


「最古杵市の菊、なめんなよ」


 待て待て待て、なめんなとかそういうレベルの話じゃねえって。作る人のこと考えろって。そんなの募集かけたって集まんねえよ!

 ってすげー反論したのに全く聞く耳持たねえ。とにかく募集かけろの一点張り。

 仕方ないから、俺は責任取らないって明言して、上にハンコ捺かせてから募集かけたわけだ。


 もちろん広報誌だよ、鶴江さんが表紙を飾った九月号だ。SNSなんか爺さんが見るわけねえし。

 一応ツイッターとフェイスブックの最古杵市公式アカウントでも募集かけたけどね。ホームページにも書いたよ。でも俺はネットには期待してなかったからね。

 募集つってもアレだよ、本募集じゃないの、会場の関係もあるから『仮募集』だよ。数が集まりそうなら本募集かけますって感じでね。


 それがどうだ。バカは俺だった。最古杵市の菊、なめてた。あっという間に応募が殺到したのだ。

 プロの園芸家ってのがいるんだよ。最古杵市の園芸家、当たり前のように毎年菊作ってたんだよ。一般人も年寄りなんかみんな当たり前に育ててんの。

 なんだどうなってんだ、最古杵市なんでみんなして菊作ってんだ。


 結局すごい数の応募があったために、菊花展の場所をどこにするかってところからスタートして、全部俺がプランを作ることになったわけだ。いつものように田島さんを補佐につけて貰えたのが何よりの救いだったけど。


 これだけの規模になるとめちゃくちゃ大変だ。しかも菊だろ? ナマモノだ。生きてる。お菊様に無礼があっちゃいけない。なんたって、出品までずっと箱入り娘のように大切に育ててきた菊なんだろうから。


 しかもさー……なんか懸崖造けんがいづくりっていうの? なんかこう、盆栽みたいになっててさ、長いハート形みたいに垂れ下がるような仕立てしてるやつとかさ、どうやって運ぶんだ? 管理は? 何から何までさっぱりわからん。

 慌ててネットで調べてたら『厚物』とか『管物』とかそんなのが出てくるし、一本ン千円もするような菊ばっかりだし。


 これはぶっちゃけ責任重大だ。しかも『菊の出荷日本一』を謳ってるのに、管理がまるでダメってなわけにはいかんし。


 もう逃げ道も無いんで、毎日毎日ジャズストリートイベントの準備と並行して菊の勉強だ。暇さえあれば菊の事ばっかり調べてる。なりふり構っていられないんで、家に帰ってからもほとんどの時間パソコンとにらめっこだ。


 幽霊はそんな俺に一切口出しせずに、ジグソーパズルにいそしんでた。もちろん心配そうにチラチラ見ながらだったことには、俺自身も気づいてはいた。気づいてはいたけど、幽霊が黙っていてくれるのをいいことに、俺も自分を優先した。


 やりがいを感じていたんだ。この仕事に。

 俺の企画を、町の人達が喜んでくれる。そして次に期待してくれる。『羽鷺に任せよう』と指名される。承認欲求が満たされていくのを感じてた。

 だから、その期待に応えるべく、もっともっと勉強したかった。完璧な企画にしたかったのだ。


 俺は完全にキャパオーバーだったんだろうと思う。当事者の俺には気付けなくても、幽霊にはそれが見えていたんだ。

 毎日疲れた顔で帰って来る俺に、何かと世話を焼こうとした。俺がめんどくさがると、申し訳なさそうに距離を置く。俺との距離感を測りかねているようで、そうやって気を使われることが既にめんどくさかった。


『ねえ、想ちゃん。いつも凄い疲れてるからさ。たまには元気の出るようなご飯、作ってあげたいんだけどさ。だけど、あたし一人でお買い物行けないから。今度の土曜日、一緒に食材買いに行こう』

「ああ、まあ、時間があったらね」

『時間は作らないとできないから。ちょっとでいいから作って』

「気が向いたらね」


 これ以上言うと俺の機嫌が悪くなるのを知っている幽霊は、そこで黙ってしまう。黙ってしまった幽霊を見てやっと俺も反省するんだけど、でもその関係がそもそもめんどくさい。

 俺はそういうのが煩わしいから、一人暮らしが満喫したいんだよ。好きな時に好きなように飯食って、好きなように風呂入る。面倒ならシャワーでもいい。ご飯買いに行くのが面倒なら、テキトーにカップ麺でもなんでもいいじゃん。


 そんな風に、自分のことも幽霊のこともぞんざいに扱い始めるのに、そう時間はかからなかった。

 だって、幽霊は幽霊だよ? 母親でもなければ奥さんでもない、同棲してるカノジョとかでもない。単なる同居霊だ。俺の生活にまで口を出されるのは、はっきり言って迷惑だ。

 

 土曜日、もしかしたら幽霊はこの日をずっと一週間待っていたのかもしれない。

 朝からそわそわと何か言いたげにしていたが、十時近くになって『想ちゃん、お買い物行かない?』と言いだした。


 ぶっちゃけ、めんどくさかった。せっかくの休みなんだ、ゆっくりしていたい。かと言って勉強しなきゃならないから、ベッドでゴロゴロしながらスマホで検索かけつつ勉強するのが一番いい。

 わざわざ買い物なんて、めんどくさくて行きたくない。


 俺が返事をせずにいると、その空気を察したのか幽霊は黙りこくってしまう。ああ、黙ってくれた、と安心すると同時に、申し訳なさが襲ってくる。

 一週間、待ちに待って、やっと来た土曜日。それも朝からずっとタイミングを狙って思い切って言ったんだろう。それでも俺が返事をしない。今でもきっとじれったい気持ちでいるんだろう。

 そんなことはわかってるよ。一緒に出掛けてさっさと買い物して来ればいいんだ、それだってわかってる。

 たったそれだけのことが面倒なんだよ、それくらい、俺は疲れてる。


『ねえ、疲れてるのはわかってるんだ。だからお出かけしたくないのもわかってる。だけどね、それは精のつくもの食べてないからなの。悪循環でしょ。スタミナのつくもの、作ってあげるから。それでまた頑張れるでしょ? そのためにはどうしても最初の一回は買い物行かないと。ね?』


 俺は子供じゃないんだ、そんな言い方すんなよ。まるで俺が聞き分けの無いガキみたいじゃないか。


『一時間だけだから。それならいいでしょ?』

「いや、ゆっくりさせて」


 わかってるのにこんな返事をしてしまう。やっぱりガキじゃねえか。


『ほんのちょっと買い物したら、あとはずっとゴロゴロしてていいから。あたしじゃお買い物できないから。幽霊だし』

「もういいよ。食べなくていいから休ませて」

『それじゃ倒れちゃうよ。夏にも倒れたでしょ?』

「なんで俺のこと監視してんだよ、単なる同居人だろ、ほっとけよ」

『単なる同居人じゃないよ』

「うるさいよ、ほっとけって言ってんだろ!」


 ついうっかり、強い口調で言ってしまった。そんなつもりはなかったのに。

 ヤバい、と思った時は遅かった。幽霊は下唇をキュッと噛んだかと思うと、いきなり立ち上がった。


『想ちゃんのばか! 人の気も知らないで!』


 捨て台詞を残して出て行った。人の気ってなんだよ、幽霊の気だろうが。ブツブツと文句を言ってみたものの……。

 幽霊のいない部屋は無駄に広く感じた。

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