第30話 鎖猪瓦せんべい

「あれは玲子ちゃんに頼まれたんです」


 俺は鯛子さんの言葉にポカンとアホみたいに口を開けていた。


「ちょっと待った、意味がわからないんですけど」

「ですから、あなたの様子がおかしいから見に行って欲しいって、玲子ちゃんが職場にいたわたしに自動書記で伝えてきたんです。それで外に出てみたら、公園の前あたりでふらつく羽鷺さんを必死に支えてる女の子が見えて。それで慌てて走って行ったんです。熱中症の初期症状で軽いものだと判断したので、即座に職場に戻ってよく冷えた経口補水液を持って行ったんですよ。普通のスポーツドリンクじゃなかったでしょう?」


 淡々と話す鯛子さんの声を聞きながら、頭の中はあの日の事を思い出していた。

 確かにあのとき鯛子さんが持って来てくれたスポーツドリンクは、普通のものよりしょっぱいような気がした。


「鎖猪瓦野球場で声をかけた時もそうです。羽鷺さんが水分も摂らずに走り回ってるって。あんなに出かける前に言ったのに、忙しくて忘れてるんだって玲子ちゃんが怒りの自動書記。可笑しくて」


 鯛子さんはクスクスと笑うと、よく冷えた緑茶を一口飲んで続けた。


「わたしが、スポーツドリンクでいいかって聞いたら、塩レモンタブレットも! ってすごい勢いで書くもんだから、もう笑いが止まらなくて大変でした」


 つまり、鯛子さんが超能力者なんじゃなくて、幽霊に使いっ走りにされてたってことか。全くアイツ、一体どこから俺を監視してたんだよ。


「すみません、助かりました。うちの幽霊がすみません」

「まだ幽霊って呼んでるんですか?」


 へ? そこツッコむとこ?

 涼しげな目元の奥に、俺を責めるような色が見えた。


「わたし、羽鷺さんのことを『うちの入居者』って呼んだことありましたっけ」

「まさか」

「彼女は幽霊ですけど、玲子ちゃんですよ。人間としては死んだかもしれませんけど、彼女の魂はまだ生きていて、ずっと羽鷺さんの事を気に掛けてる。いいかげん、玲子ちゃんって呼んであげてもいいんじゃないですか?」


 そうはいうけど、ちょっと『玲子ちゃん』とは呼びにくいかな。なんか……照れるじゃん。


「玲子ちゃん、羽鷺さんのことが心配で心配で仕方ないみたいです。きっと自分と同じような死に方をされたくないんでしょうね」


 え? 自分のような死に方? どういう意味だ? まさか、過労死?

 俺が確認しようとしたとき、亀蔵さんが「羽鷺さん、お待たせ」と言いながら奥から出て来た。


「張り切り過ぎて百カットくらい撮っちゃったからねぇ、適当にそっちで選んでよ」


 俺がさっき渡したUSBメモリをこちらに差し出してくる。最古杵警察音楽隊と一緒に踊る鶴江さんの写真をお願いしていたのだ。


「すみません、ありがとうございます。助かります」

「いやー、それにしても羽鷺ちゃんが企画担当になってから、市のイベントが楽しみになって来たよ。またいろいろ面白い企画考えてね」

「ありがとうございます。マーチングは毎年やろうと決めました、鶴江さんのバトントワリングのお陰です」


 それから俺は写真データを借り、鯛子さんにもう一度お礼を言って鶴亀不動産を後にした。

 帰り際、鶴江さんがいつものように「お客さんに貰ったお菓子だけど、あんた持ってく?」と包んでくれたのは、『鎖猪瓦せんべい』だった。


***


 家に帰ってからも鯛子さんの「きっと自分と同じような死に方をされたくないんでしょうね」というのが気になって仕方なかった。

 かと言って、そんなことを幽霊に聞くのも気が引けた。幽霊だってそんな事聞かれたくないはずだ。


「鎖猪瓦せんべい、美味しいよね。あたし瓦せんべい大好きだけど、鎖猪瓦せんべいって特に好きだったんだ~。ほら、鎖猪瓦せんべいってバリエーションがすごいじゃない? 普通はピーナツくらいだけどさ、鎖猪瓦せんべいはピーナツは当然としても、黒ゴマもあるし、クラッシュアーモンドもあるし、クルミもあるし。個人的にはピスタチオとドライバナナのやつが好きなんだけどね」


 幽霊は絶好調だ。まさか鎖猪瓦せんべいが好物だとは思わなかった。鶴江さんが大ボケかまして俺の手土産を持たせてくれなかったら気づかなかった。


「生きてた時はこれ食べるとバリバリ凄い音がしたんだけど、死んでから食べても実際におせんべいが割れるわけじゃないから静かなもんだね~」

「なあ。幽霊」

「ん?」

「俺、お前のこと玲子って呼んだ方がいい?」

「は? 唐突だねー。どうでもいいよ、今更って感じだし」

「そっか。じゃあ、やっぱ幽霊って呼ぶわ」


 幽霊のやつ、自分の好みのドライバナナのやつ選んで食ってる。食っても食っても減らないんだからいいよなぁ。


 そんなことを考えながら鶴江さんの写真を一つずつ吟味する。

 さすが亀蔵さん、鶴江さんのカットだけじゃなくて、警察音楽隊のカットもバリバリ残してた。

 このなんだっけ、名前忘れたけどでっかいラッパのオバケみたいなやつに『SAIKOKINE POLICE BAND』って書いてあるのがカッコイイんだよな。このラッパだけなんだか金ピカじゃなくて真っ白だし。


 ああ、この警察音楽隊の衣装もカッコ良かったな。帽子のエンブレムが『警察』って感じで。センタープレスの利いた真っ白いスラックスにネイビーのラインがたまらんわ。


「ねえ想ちゃん、この鶴江さんすごくない? 脚どこまで上がんのよって感じじゃない?」


 言われてみれば、おばちゃん、片足を真っ直ぐ上に上げて腕で太ももを抱え込んでる。あの鶴江さんと同一人物とは思えない。ミニスカートがめちゃめちゃキマってる。マジでスゲエな。


「これ、表紙にしようかな。六十五歳のおばちゃんがこんなふうに広報誌の表紙を飾ってるのって、なんかいい感じしない?」

「うんうん、すごくいいと思う。老人の元気な街は活気があっていいよ。それにこんなの見せつけられたら、とても老人なんて呼べないよね」


 あ、そういえば。あれから仕事関係のことに幽霊コイツが意見して来るのって初めてだな。ずっと遠慮してる感じだったしな。

 今も鶴江さんの写真だったから意見しやすかっただけなのかもしれないし。


 もう少し待って欲しい。ここまでは幽霊が手助けしてくれていた部分だ。次のイベントは、確かに立案は幽霊だけど、細かい調整や企画は俺と田島さんだけでやった。秋と冬のイベントが成功したら、俺は自信が持てると思うんだ。

 俺が自分の力で仕事をやり遂げたっていう自信がついたら、また幽霊に仕事を手伝って欲しい。その時は田島さんに幽霊の事を紹介しようと思う。ウサギのカップの人だよって。

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