第20話 高野豆腐

 どう考えても俺が悪い。いや、わかってる。百パーセント俺が悪い。

 何をどう頑張っても彼女は今から生き返ることはできない。『生きた人間』として『生きた男』と結婚することは叶わないし、恋愛することだって不可能だ。


 それは『女に生まれたから男になれない』とか『おばあさんになってしまって若い男の子と結婚できない』みたいに、可能性がわずかにでも残っているような事とは根本的に次元が異なる。

 時間の進み方は一方通行であって、逆向きに流れることはどうやったって無理なんだから。


 死んだ人間は生き返れない。人間に限らず、生きとし生けるものすべてに平等に与えられた条件。それが「生まれたら死ぬ、死んだら生き返らない」という、ひどく単純な理屈だ。


 それがわかっていて、なんで俺はあんな酷いことを言ってしまったのか。彼女だって死にたくて死んだわけじゃない。好き好んで独身でいたわけでもないはずだ。

 それなのに。望まずに死んで、なおそのことについて生きてる人間に言われるなんて、どんなに傷ついただろう。


 やっぱり謝るべきだ。誠心誠意謝って、許してくれないかもしれないけど、それでも謝らなきゃならない。


 ……だけどさ。

 だけど俺の気持ちも少しくらい考えてくれたっていいんじゃね? なんで俺が田島さんみたいないい子に流れないと思ってんだよ。その理由とか、ぜんっぜん考えないのかよ。


 ――田島さんの方がよっぽど俺のこと理解してんじゃん。


 幽霊に対して吐いた言葉への後悔と、わかって欲しいという気持ち、二つの相反する気持ちの中でなかなか家に帰れなくなってしまっていた。

 近くの河原を散歩したり図書館に行ったりして時間を潰しているうちに日が暮れて来て、市役所の流す『夕焼け小焼け』が耳に入って来た。

 こんな気持ちを引きずったまま、貴重な日曜日の午後を過ごしてしまったことに後悔した。こんな事ならとっとと家に帰って幽霊に謝れば良かった。


 重い足取りで家へと向かい、悶々としたまま部屋の鍵を開けた。

 幽霊はいるはずだ。出かけるとは思えない。どうしているだろう。ショックで寝込んだりしてないだろうか。幽霊だから寝込んだりはしないか。


「ただいま」


 我ながら嫌になるほど覇気のない声でドアを開けると、思いがけず『おかえり~』と元気な声が返って来た。


 あれ? めっちゃ通常運転? 超絶元気?


「あの……幽霊?」

『早く手ぇ洗っておいでよ。ご飯作っといたよ。ちゃんとうがいもして来るんだよ』

「その前にさ、俺――」

『手を洗うのが先! 外のバイ菌を部屋に持ち込まない!』


 今すぐに謝りたかった。だけど、なぜか幽霊がそうさせてくれない。とにかく話を聞いて貰いたくて、俺は急いで手を洗って戻って来た。


「あのさ、俺、さっきお前に酷い事言った。ごめん。マジでごめん。反省してる」


 思いっきり真面目に謝ったつもりだった。体だって直角に曲げてめっちゃ頭下げた。なんなら土下座したっていいくらいの勢いだった。

 なのに、返ってきたのはまるっきり想定外の言葉だった。


『想ちゃんって、あたしのことお前って呼んでたっけ?』

「…………は?」


 思いがけない切り返しに、マヌケな声が出てしまった。

 ええと、なんて呼んでたかな。そういえば、さっきも思った。『あんた』って久しぶりに呼んだなって。


「俺、幽霊のこと、いつもなんて呼んでた?」

『ずーっと幽霊って呼んでるよ。今、初めてお前って呼ばれた』


 そうだっけ?


『想ちゃんにお前って呼ばれるの、なんか嬉しいかも。すんごい親しい感じしない? あ、でも幽霊って呼ばれるのも特別感があっていいよね。あたし以外に幽霊なんて呼ばれる人、いないだろうし』

「てか、お前と会話できる奴なんて俺以外にいねえだろ」

『それもそうだね。想ちゃんに呼ばれるのは、どんな名前でも特別じゃん』


 なんていい顔で笑うんだ。死人なのに、なんでこんなにキラキラしてるんだ。


『ねえ、ご飯冷めないうちに食べようよ。いくら暑くても、ご飯はやっぱりあったかい方が美味しいよ』

「ああ、うん、そうだね」


 二人で手を合わせて「いただきます」って言って、いつもみたいに幽霊のご飯は全然減らないんだけどすごくおいしそうに食べてて。

 幽霊の作るご飯はどれもこれも貧乏飯なんだけど、いろいろ工夫してて、もちろんレストランで食べるのに比べたら全然劣るんだけど、家庭の味みたいなのを感じる。


 厚揚げに納豆とネギ乗っけて醤油ぶっかけてトースターで焼いただけのやつとか、小松菜と人参をツナ缶のスープと白だしでチンしただけのやつとか。高野豆腐を卵とじにしただけのやつとか。

 そういう『俺でもすぐに真似して作れそうなやつ』をいっぱい作ってくれる。最近では食べただけでどうやって作ってるかわかるようになってきた。自分でも作ってるからなんだろうけど、俺がすぐに真似できるように、少しずつレベルを上げてってくれてるのもわかる。


 こんなに俺のこと考えてくれてんのに、俺、なにやってんだろう? 当たり前のようにその厚意に甘えて、俺のことわかってくれねえとか言って酷い言葉ぶつけて。

 もう、どうやっても生き返ることはできないのに。


 考えていたらなんか目の前の景色が霞んできた。なんでこいつが生きてる時に出会わなかったんだろう。それがメチャクチャ悔しい。


『どうしたの、想ちゃん? 大丈夫? お腹痛いの?』


 幽霊が俺の事を覗き込んでる。こんな時でも俺の心配かよ。お前もっと自分のことに気を使えよ。


「幽霊さ、もっと生きたかったんだよな。もっとオシャレして、もっと友達と遊んで、もっとバリバリ仕事して、もっと恋愛して、結婚とかしたかったんだよな。好きで死んだわけじゃないのに。俺、すげえ酷い事言って。なのに、なんでお前そんなに優しいの?」

『やだ、そんな事?』


 幽霊はティッシュを俺に押し付けながら、あはははって明るく笑った。


『だってホントの事じゃん。カレシもいなくて結婚する前に死んじゃった、事実だもん。これ、どう逆立ちしたって変わらないでしょ? 死んだ後で死因を選ぶことができないのと一緒じゃん。だから想ちゃんはそんなこと気にしなくていいよ。過ぎたことは今更何を言っても仕方ないの。それより、現在とこれから先の事を考えた方が有意義だよ』

「そんな風に言えるのって、死んで悟りを開いたからなの?」


 俺、何言ってんだ。気の利いたセリフの一つも言えねえのか。


『そうだね。悟りを開いたの。そして現在の最も重要な懸案事項は、出来立てのご飯が冷めてしまう事! せっかく作ったんだから、美味しいうちに食べようよ」


 そう言って彼女はまた笑った。思わず吹き出してしまった俺は「うん」とうなずいて高野豆腐に箸を伸ばした。

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